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<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



ここ数年というもの趣味と実益を兼ねて頑張っているのが家庭菜園。
自分家の庭で植物を育てるのであれば花より食べられるもののほうが良いということで色々なものにチャレンジしている。

最も簡単なのがトマト。
これは当初苗を買ってきてそれを育てていたのだが、一昨年あたりから種から育てるものもいくつか始めて、今年はついにすべての株を種から栽培。
一袋だけでは足りないと思って二袋の種を買い求め植え付けたら40株ほどの苗が無事発芽。
現在そのうち38株ほどが順調に育っている。
2株は野良猫に踏まれたらしく10cmほど育ったところで根本が折られて枯れてしまった。
憎き猫かな、というところで撃退方法を考え中。

昨年はさつまいもにもチャレンジ。
これが意外に簡単で蔓を10本ほど買ってきて耕した畑に植えたら秋に大量の芋の収穫に成功。
カミさんと娘が喜んだことは言うまでもない。

私の住む地域の地場野菜に泉州水なすがある。
農家が作る最上級のものには築地の市場で1個8000円するものもあるという。
水々しさと甘さが特徴で、私はこれをサラダや漬物で食べるのが大好きだ。
もちろん8000円なんて食べられないので近所のスーパーマーケットやJA直売所で買い求める数百円のものだ。
ところがやはりものが茄子だけに育てるのがちょっと難しく、私が植え付けた苗は花がつき実もなったのだが、食べてみるとあまり美味しくない。
おまけに暫く放っておいたら虫がついて穴があいてしまったりで、なかなか栽培ノウハウを要する作物なのであった。

この他、赤唐辛子、きゅうり、ゴーヤなどにチャレンジしたが唐辛子とキュウリは収穫できたものの、誰の家でも沢山実るというゴーヤがちっとも実を付けず苦労をしている。
もしかすると相性が合わないのかもしれない。

しかしゴーヤよりももっと困難なのが葉野菜である。

葉野菜の栽培に成功したことは過去一度しかない。
しかもそれはスーパーのくじ引きで貰った景品だった種を適当に巻いたら目が出て葉が伸びて収穫して食べたら美味かった、という努力ほとんどゼロのミックスレタスだった。
従って育てたという感動が少ない、というか無い。

これに味をしめて以来、リーフレタス、ほうれん草、白菜、パクチーなど色々育ててみるのだが、どれもこれも食べるまでに至らない。
多くは、
1:芽が出たらナメクジにやられた
2:ナメクジにやられず5cmほどの大きさになったら猫に踏まれた
3:10cmほどの大きさになったた鳥に食われた。
4:防御のために網を張ったら育たたなくなった。
などなど。

現在進行中でリーフレタスを育てているのだが、どのような防御策が必要化。
頭を悩ましているところだ。



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西城秀樹が亡くなってしまった。

小学生の時にマイクスタンドを振り回して歌う西城秀樹が格好良く見えて、他の女性アイドルよりも好きだったことがある。
親にねだって初めて買ってもらったLPレコードは山口百恵だったのが、ドーナツ盤は西城秀樹の傷だらけのローラなのであった。

当時のアイドルは今と違って夢があり、形式はどうであれ憧れがあった。
近所に住むこましなルックスの美少女、好青年ではアイドルにはなれなかった時代だからテレビで見るその姿は神々しいものもあったと思う。
だから歌もうまく、演技もそれなりに卓越していたのだろう。

今回のニュースでは何となく1つの伏線があったように思えてならない。
つい数日前に行方不明になっていた「愛と誠」の原画がネットオークションに出品されているのが発見されてニュースになっていた。
この時に私は、
「愛と誠、というと西城秀樹を思い出すな」
と考えていたら、昨日のショッキングなニュースが流れたのだ。

多くのパフォーマンスが多くの人々の記憶に刻み込まれた。
女性だけではなく男性にも人気のあったアイドルだった。
西城秀樹、これからもバーモンドカレーやなんばパークス、マイクスタンドを見るたびに我々世代は彼を思い出すに違いない。

ヒデキー、感激をありがとう!

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京都の老舗料理店「千花」の火災はダクトの掃除にガスバーナーを使っていたことが原因で燃え広がったのだという。
料亭のスタッフがダクトの中に溜まったカスをバーナーを使って焼いて処分しようとしてたようで、

「ン〜〜〜、なにも知らないということは恐ろしい」

とつくづく思ったのであった。

ダウト清掃での火災ということ昔携わった苦手な作業のことを思い出した。
当時勤めていた会社はエアフィルタメーカー傘下の建築設備の会社で、新築ビルディングの竣工検査と諸書類の作成をすること以外に時々メンテナンスの仕事が舞い込んできたのであった。
そのメンテナンスの仕事とはビルの地階に入った飲食店や新聞の印刷設備の排気設備のダクト清掃。
作業着にタオルのほっかむり、マスク着用と言った完全武装でダクトの点検口から頭を突っ込んで、こびりついた油汚れや、焦げカス、ホコリの塊などをケレンや箒を使って削り落とす作業だった。
もちろんかなり汚れる仕事だった。
仕事をした後は作業着がメリー・ポピンズに出てくる煙突掃除のダンサーのようになる過酷な作業で、できれば避けたい仕事なのであった。
そもそも自分の家の台所の換気扇さえ掃除したことがなかったのに、業務用或いは設備用の汚れ固まったダクトの清掃は3K以外のなにものでもなく、

「これは........大学出の仕事ではない」

と、こんな時だけ自分が大卒社員であることをやりたくない仕事を拒絶する理由にしたりなんかしていたのだ。

厨房のダクトは油汚れがダクト内部に付着堆積して塊となっていることがすくなくない。
またレンジの上部設置されたフードは油と脂が堆積して質の悪いグリス状になっていて、それをケレンでそぎ取り、ウェスで拭き取る。
吹きっ取った後は場所によってはペンキを塗ることもあり、周囲は汚れの匂いと有機溶剤の匂いで頭が賢くなりそうなほどの環境になっていた。

こういう環境ではもちろん炎を使ってはいけない。
そもそもダクトの清掃をするのは内部に溜まった汚れが排気気流の妨げになるのを防いだり、汚れそのものが引火または発火して火災になることを防ぐために行う。
厨房のフードには消火設備を装備したものもあるくらいで、行政のホームページでも、

「設備の清掃は専門知識を持った業者に依頼してください」

と書かれてもいる。
妙な作業をすると事故になったり、今回のように火災になるということもありえて、ダクトを清掃するということは見かけは決してかっこいい仕事ではないが、立派な技術職ということができるのだ。

若い頃は「こんな仕事二度とやるもんか」と思ったけれども、今になってみると設計やプランニングをするのには当時の経験をしているのとしていないのとでは雲泥の差があることを痛感している。


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スーパーの生鮮食料品のコーナーでは2種類のレタスが置かれている。
1つは普通の結球レタスで、もう1つは「○○産」と書かれた植物工場製のレタスだ。
で、私は植物工場産の野菜は選ばず、必ず露地物を買うようにしている。

3.11以来ブームになっていた植物工場。
最近の統計によるとその7割が不採算または採算ギリギリの経営だという。
3年ほど前は1割程度しか経営が成り立っていないという政府の統計もあったので、少しは改善しているということが言えるのかもしれない。

それは尤もなことであろう。
なんといっても植物工場の野菜は大量のエネルギーを消費して栽培されているのだから露地物と比べて採算が合いにくいのは当たり前。
店頭で売られている植物工場製の野菜の少なくとも3分の1が電気代なのだ。
つまり野菜工場の野菜を買うことは、イコール大量の石油資源あるいは原子力を使用しているということなのだから。

植物工場には大きく分けて2種類がある。
太陽光型と人工光型で、一般に植物工場と読んでいるものは人工光の物が主流だ。
人工光型は閉塞された空間でLEDや蛍光灯を使用して一年中空調で気温と湿度と気流を管理された空間で作物を栽培する工場だ。
太陽の代わりに照明装置を使用するので明るさと植物に適したスペクトル分布の光が必要だが、これにまずは大量の電力が必要となる。
しかも照明装置を使用しているので熱を発するため冬でも空調が必要になり、それも大空間でエアコンを使うので凄い電力量だ。

たとえば毎日1万株のレタスを出荷する植物工場では1日あたりの電気代が70万円ほど必要になるという。
70万円の電気代というと一般では想像するのが難しいけれども、以前読んだ本によると山陽新幹線で8両編成の700系が新大阪から博多まで片道で消費する電気代がだいたい50万円というのだから、その電力量は凄いものがある。

環境を考えて、
だとか、
食料の安定生産を、
だとか、
安全な食料を、
なんてことがこういう特殊な施設園芸ではキャッチフレーズになっている。
でもホントはそういう甘っちょろいものではなく、太陽の下ですくすく育つ健康な農産物とは随分違うというのが現実なのだ。

化石燃料か原子力で作る野菜。

あなた、食べたいですか?

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この春から私の地元の公立図書館の開館時間が変更になった。
これまでは10:00から17:00だったのが、10:00から20:00に変わったのだ。
これで仕事帰りでも図書館を利用できるチャンスが広がり、土日メインで訪れていた時間は別のことに費やすることができる。

そもそも公共図書館が役所と同じ営業時間というのはいただけないとものだと思っていた。
私の住む大阪府南部はとりわけ保守的考えが強く田舎的である。
地域のコミュニティはつながりが深いのだが、深い分だけ地域で完結してしまう。
発展性が希薄だ。
従って、
「魅力的なまちづくりをしよう!」
と、掛け声をかけても市外には目が向かず、コミュニティ内で満足すればそれでおしまい。
地域の活力を削ぐ結果となってしまっていた。

図書館は地域の教育レベルのバロメーターでもあり、運営を大切にする街は少なくない。

例えば鳥取県は人口70万人程度の小さな自治体だが、書籍に費する予算は人口150万人の神戸市よりも多いと言われている。
またひところ話題になった佐賀県武雄市は図書館運営をTSUYATAに委託。
開館時間も朝9:00から夜9:00で年中無休だ。
その他にも兵庫県伊丹市の市立図書館ことば蔵、神奈川県大和市のシリウス、東京都千代田区立日比谷文化図書館、ビジネス専門大阪府立中之島図書館など、個性あふれる図書館が街の文化レベルを上げている。

しかしまだまだ図書館を「無料図書レンタル屋」ぐらいにしか思っていない幹部が巣食う自治体が数多く存在している。
そういう街は図書館の蔵書数が少ないばかりか開館時間は役所と同じで利用者の利便性にはほとんど配慮していないのが一般的だ。

私の住む街もそういう頂けない街だと最近は諦めていたのだが、ここにきて大きな変化が起こった。

図書館運営の外部委託の徹底である。
職員や氏で採用したパート職員で運営するのではなく、図書館運営に長けた専門業者に委託するのだ。
これにより市としてはコスト管理がやりやすくなる一方、利用者側としても専門職員と同等、或いはそれ以上のスタッフにより丁寧な扱いを受け、図書に関するやりとりもより容易で便利になる可能性がある。

図書館の役割が書籍の閲覧や貸出だけではなくなっている現在、次なる一手はいったいなんなのか。
南大阪の硬直した文化に風穴をあけることはできるのか。
楽しみではあり、ここまでかな、と思うところもなくない。
そんな図書館のちょこっと進化なのであった。



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グーグルのAIが美容院に電話を掛けて予約を取るというデモをした。

駅でも電車の中でも合成音声というのは不自然な印象がある。
とぎれとぎれ。
ヘンなアクセント。
不自然な間、などなど。
録音の継ぎ接ぎという場合もある。

世界最先端と言われる名工大の国際音声技術研究所の開発しているハルロイドの歌声を聞いたことがある。
それを初めて聞いた時は思いっきり感動した。
「これって三波春夫と一緒やん」
と。
けれども、しっかり耳を傾けると、時々ハウっているようなところもあったりして自然な部分と不自然な部分があったものだ。

しかし今回のグーグルのデモを見る限り、美容院のスタッフは話している相手がAIだとはまったく感じないぐらいに自然なのであった。
尤も英語ではあったのだが。

このように自然な会話が可能になったAIがどのように使われるのか。
その用途には注意を注ぐ必要がある。
ソフトウェア技術というのは開発は容易ではないけれども一旦開発してしまえばコストを落としていくことは難しいことではない。
ターゲット。
機能の絞込。
用途の限定。
などをきっしりと行えば、例えばどこかの画像処理ソフトのように永遠に何十万円もの価格を維持する必要もない。

コストをが落ちるということは誰もが使えるということだ。

オレオレ詐欺は今なら他人様の声で見分けられる人は少なくないが、人の特徴をマスターしたAIがオレオレ詐欺を働いたら電話を受ける方はちっともわからないくあるわけで、これはこれで脅威である。
以前バラエティー番組で松村邦洋が阪神タイガースの若手選手へ掛布のモノマネで電話をする企画があった。
相手は電話の主が松村であるとは思わず真剣に話していたのが笑いを誘ったのだが、これが犯罪だったら笑うことはもちろんできない。

AIの会話力。
相槌に笑ってるうちが華なのかも知れない。

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2003年4月のある日。
バンコク経由ホーチミン行きのタイ航空のチケットを持って出発の準備をしていた私は旅行会社から突然の電話を受け取った。

「あのー、ホーチミンからの帰りの便ですが、お客さんの登場予定便がキャンセルされました。」
「え? なんでですの」
「乗る人が少ないので別便に振替ということで」
「そうなんですか。」
「そうなんです。」
「やっぱり、原因はあれですか。」
「あれです」

私は初めてのベトナム旅行の後、バンコクに3日ほど滞在する予定にしていた。
バンコクへの到着が日曜日だったので午前中の早い便を予約して午後からはチャトチャックにあるウィークエンドマーケットを訪れようと思っていたのだ。
でも、その午前の便がキャンセルになったという。
だから夕方の便に乗ってちょうだい、というのが旅行会社からの連絡なのであった。
仕方がない、ウィークエンドマーケットは今回は諦めよう。

で、その原因はその時香港を中心に世界中でアウトブレイクしていたSARSなのであった。

このように海外では「乗る人が少ないから」という理由でフライトが簡単にキャンセルされることがある。
ミャンマーを旅行していた時に最も注意すべき点として「フライトキャンセル」があるということを聞いていたが、ミャンマーではいつも同じ現地の旅行代理店でチケットや通訳のガイドさんを手配してもらっていたのでキャンセルに遭うこともなく列車の不通を除いてスムーズに旅をしていたのだが、まさかタイ航空のフライトでそんなことに遭遇するとは予想していなかった。

最近の日経の記事によると国土交通省は国内の航空会社に対しても搭乗客が少ない場合はフライトキャンセルを認める方向に入ったという。
これは驚きのニュースなのだ。

日本航空が数年前に経営破綻した時の理由の1つが「不採算路線の無理な運営」があった。
半官半民の日本航空は地元の有力者や財界、官僚などからの要求をANAのように簡単に断るわけに行かず、十分な旅客が確保できないであろうローカル路線を数多く運営していて、それが巨大な赤字を生んでいた。まるでJRになる寸前の国鉄のような状況になっていたのだ。
お客さんが数人であってもフライトキャンセルはできず空に近い状態でも東京や大阪と地方都市を無理から結んでいたのだ。
もちろん地方の地元では空路維持のために助成金などを出していたが、そんなものは焼け石に水なのでほとんど役にたたず、JAL経営破綻への未知をじわじわと侵攻し続けていたわけだ。

今回の国交省の方針見直しを受けるとローカル線を運行していても十分にお客が集まらない場合はフラントをキャンセルすることもできるのだという。
これは航空会社にとっては赤字フライトの削減になる一方、地方でのビジネスに影響がでることも必須だろう。

まさか私の経験したように出発前日になって、
「明日の朝のフライトキャンセルです」
とはならないと思うが、各航空会社はネット予約や代理店からの予約の集計をなんらかのルールを決めて搭乗客が集中するように工夫するに違いない。
ある意味、日本の空が海外と同じルールになるときが来たのかも知れず、それに対して日本独自の顧客サービスがどこまで工夫して色を出していくのか注目されるところなんだろう。

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朝、出かけようと思ってまずはガソリンを入れなければと思い近所のスタンドへ出かけた。
そんなに遠くへ行くわけでもないので満タンにせずに2000円分だけガソリンをチャージ。

「満タンにせずに、こまめに給油することで燃料の重さ分を省エネする」

という某大手運送会社の試みを真似しているのだが、この方法、少々面倒くさいことを我慢すると少しは効果があるようなので続けている。

で、燃料を入れて自宅へ戻ってきたウィンカーをだしたまま家族の出発準備が整うのを待っていた。
燃料がもったいないので当然エンジンはオフ。
私はマイカーの窓を拭いたり、猫の額ほどの庭の雑草を抜いたりしながら待つこと20分ぐらい。
やっとこさカミさんと娘が出てきた。
さて行きましょうか、ということでイグニションのスイッチを入れると、
「グイン」
と音はするもののエンジンはかからない。
もういちど、
「グイン」
さらにもう一度、
「グググ」
何度やっても同じ。
最初はスターターが、ククククと音を鳴らしていたが、スイッチを押すたびに次第に音はしなくなり、ついに停止。
なにも反応しなくなってしまった。

バッテリーアウトなのであった。

「なんでやねん!」

たかだか20分程度のウィンカー出しである。
しかも真冬の寒い時期ではなく、暖かな春というか初夏なのである。

「とりあえず、いったん家に戻って」

とカミさんと娘に司令を出して、私は携帯電話でJAFを呼んだ。

「バッテリー、早めに交換してくださいね。それとオイルがありません。ほら。ここにちょこっとついているだけでしょ。」

JAFのサービスマンはエンジンを起動させるまえにオイルの点検、水の点検をしてくれた。
私のメンテナンスがよくないのはわかっていたのだが、バッテリーは前回交換して2年と10ヶ月が経過。
オイルは1年が経過。
バッテリーとオイル交換を同時に行わなければならない。
そういえば前回タイヤ交換したのは2年半ほど前になるので、そろそろタイヤも交換せねばなるまい。

最近の若者が自動車を持ちたがらない理由はこのあたりに理由があるのかもしれないと思いながら、どうしてこうも故障というかメンテナンスの必要なものは連鎖するのだろうかという疑問が私の脳裏に浮かんだ。
なにも財布の中身を気にしているだけではないのだ。

以前、実家のテレビが2台続けて故障して買い換える事態が発生。
その後すぐに実家の洗濯機と我が家の洗濯機が同時に故障するということもあった。
さらに最近、15年ほど前に購入したステレオアンプの調子もよろしくない。

このように故障が連鎖する理由はいったいなんなんであろうか。
メーカー間で故障タイマーでも仕掛けているのだろうか。
研究の必要がありそうだ。

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男性アイドルグループのTOKIOのメンバーの17歳の少女に対する強制わいせつ事件が世間で大きく騒わがれている。
しかし、なんとなく釈然としないものがあるのだが、それっていったいなんだろう。

そもそも17歳の女子高校生を夜中の2時に呼び寄せる46歳の男も自分の社会的立場を考えるとマトモな行動と言えないのは間違いない。
でも、それに誘われ男のところへ行く女子高校生も、その親も考えものだ。
17歳にもなって分別がつかないのだろうか、と。

私の祖母は平成元年に99歳で亡くなった。
明治23年生まれの19世紀の人なのだったが、祖父と結婚したのが18歳の時だった。
それで私が子供の頃によく聞かされたのは、

「婆さんは長女に生まれて、可愛がられすぎて婚期が遅れて結婚した時は18歳にもなっていた。爺さんも若い頃に中国大陸へ出かけたり活発すぎたところもあったので、これも婚期が遅れて結婚した時は31歳だった。だから、お前は早く相手を見つけて結婚しなさい。」

というような内容なのであった。

明治時代。
18歳の女性が独身でいるというのは少なくとも岡山の片田舎では「行き遅れ」以外のなにものでもなかったようだ。
今でなら十分に若いと思われる爺さんの31歳という年齢も婚期逃しと思われていたのだから、かなり凄い。

で、調べてみると江戸時代までは男子は16歳ぐらいで元服して成人となるし、女子は14歳で大人の扱いになった記録が残っているという。
平均寿命が30代後半の時代であったことも関係しているのかもしれないが、その考え方からすると17歳は立派な大人ということなる。

法律と生物としての人間の年齢が合致していないことも十分に考えられるわけで、今回の騒動は少々騒ぎすぎではないかと思われてならない。

そういえば、
「わて、3歳からお酒飲んどりましたんや」
と6代目笑福亭松鶴(参考:鶴光や鶴瓶の師匠)は落語の枕で話していたものだ。
3歳の子供が飲酒。
これって今回以上にスキャンダルな気がするのだが、みんな笑ってそれでおしまい。

なにか釈然としないものがあるのは、こういう感覚の違いがあるからなのかもわからない。

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京都は関西の主要都市の中でも最も個性が強い街であることは間違いない。
今もなお日本の伝統文化の中心都市であることを考えると東京に引き継いだ首都機能は政治と経済だけだと思えるところが少なくない。
もちろん文化には強力な政治と経済力が必要だ。だからイベントを打つとなると東京のほうが数が多いのかもしれないが、質となると今でも京都に軍配があがるのではないだろうか。

そういう印象を抱かせるイベントが4月14日から1ヶ月の日程で開催されている。

KYOTO GRAPHIE 2018
京都国際写真祭

京都市の中心部で20箇所以上を会場に開催されている写真の祭典だ。
このアートイベントは今年で6回目。
2013年から毎年開催されているのだ。

日本の写真はハードとしての技術は世界最先端。ところがこと作品となると発信力は決して世界トップレベルとは言えない。
このアートイベントはその存在感希薄な表現手段としての日本の写真文化を、京都という日本文化の中心地で開催することにより強く世界に発信していくことを目的にしたイベントなのだ。

会場も多岐に渡る。
ある会場はホテルのロビー。
またある会場は古い町家。
さらに卸売市場や工場の一角、駅、百貨店、企業のオフィス。
もちろん博物館や美術館も会場になる。

出展されるフォトアーティストは世界で活躍する国内外から集められた精鋭と、これまた貴重なコレクションの数々。
めったに目にすることのできない写真の魅力がいっぱい詰まった写真のフェスティバルでもあるのだ。

GW初日。
私はカミさんと娘を三人でこのKYOTO GRAPHIEを巡ってきた。
巡ってきたと言っても会場は20以上あり、それも有料無料と様々なので、お手軽に鑑賞できる無料会場を中心に数か所を巡ってきたのだった。

会場は主に京都のビジネスの中心地である烏丸御池エリアと中央卸売市場のある丹波口に集中している。
私たちは烏丸御池エリアのギャラリーを中心に巡ってきた。

御池通りに面する有形文化財の嶋臺酒店。
現在ギャラリーとなっているこの建物ではシャネルをスポンサーにフランク・ホーバットの写真展が開催されていた。
1950年代の主にフランスで撮影されたファッション・ドキュメンタリーとも言えるようなモノクロ写真の数々が展示されているのであった。。

烏丸通に面したNTTのロビーでは過去のKYOTO GRAPHIEも含めてグッズの販売が行われていて、面白いのはBMWがスポンサーとなってBMWのスポーツサイクルを無料レンタルしていることだった。
今回のイベントは京都市内の各所で開かれており、多くの会場を回りたい場合は1日で完結することはできないし、場所も数キロ離れているので徒歩でまわるには広すぎるし、バスに乗るには時間が読むことができず正直便利ではない。
畢竟レンタサイクルが便利ということになるのだが、この無料レンタサイクルはファッショナブルなドイツ製自転車で都大路を走るというオシャレさもあり、なかなかな企画だと感心した。

この日、見たギャラリーで圧巻だったのは京都新聞本社の印刷工場跡で開催されているローレン・グリーンフィールドの作品展だった。
この展覧会は輪転機などの新聞用印刷機を撤去して今は使われていない地下の印刷工場跡を利用してグリーンフィールドのドキュメンタリーフォトをライトで浮かび上がらせているという、作品そのものも楽しめることに加え、廃墟にも似た展示空間の雰囲気が絶妙なインスタレーションとしての作品と化していて会場に入った瞬間その大胆さに度肝を抜かれるほどショックの大きな展覧会となっていたのだ。

一枚一枚が持つ主張。
メッセージ。
京都という街はそのダイナミックさを街ごと伝えるには最高の場所なのだ。

写真という表現手段の強いメッセージ力を改めて確認した素晴らしいアートイベントだった。




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