それは道しるべ、道程への鍵
第5話 道刻―P.S:side story 「陽はまた昇る」
ビルの谷間を熱風が吹き抜ける。
コンクリートジャングルなんて新宿を呼ぶけれど、本当にそんな暑さに歩きながら英二はネクタイを弛めた。
アスファルトの照り返しが頬にも熱い、陽射しに目をすこし細めながら隣の黒目がちの瞳を覗きこんだ。
「湯原、足の調子どう?」
「ん、大丈夫」
ちょっと微笑んで黒目がちの瞳が見上げてくれる。
その額が聡明に清らかで、ちょっと見惚れながら英二はお願いをした。
「なるべく早く買いもの済ませるな。でも湯原、辛かったら絶対すぐ言ってくれよ?」
「ん、解った…でも大丈夫だよ?」
隣は頷いて見上げてくれる、けれど英二は隣がすぐ遠慮する癖を解っている。
少し前に湯原は山岳訓練で怪我を負った、もう大丈夫と校医にも言われているけれど痛みはまだ多少残るだろう。
ここは念押ししたい、英二は口を開いた。
「うん、湯原。我慢とかさ、俺には絶対しないでくれよ?」
言われて隣の瞳がすこし大きくなる。
この顔かわいくて好きだな、うれしくて微笑んで英二は覗いた瞳を見つめた。
見つめられた瞳は1つゆっくり瞬くと、そっと微笑んだ。
「ん、…ありがとう。俺、宮田には割と言えてる、から」
うれしい、「宮田には割と」が嬉しくて仕方ない。
でも、もっと言ってほしいな?うれしくて英二はきれいに笑った。
「おう、言ってくれな?」
「ん、」
素直に頷いてくれる頭が可愛くて、ちょっと英二は困った。
この頭かかえて抱き締めたくなってしまう、けれどそれは出来ないことだから。
こんな想いを自覚して2ヶ月過ぎになる、あの日は英二の外泊禁止が解けた初めての外泊日だった。
あの日は書店で湯原は本を買った、そして初めて一緒に外食して服を贈って。
その街角で元彼女を見かけ嫌な気持ちから、湯原の腕を掴んでひたすら歩いた。
そして偶然たどり着いた公園にある森の中で座ったベンチで、湯原への想いは自覚となって心から肚へ座りこんだ。
― きっとこれが、俺の初恋 誰より居心地のいい隣、これは得難い居場所、唯ひとつの想い
けれど湯原は自分と同じ男で寮の隣人で親しい同期だ、勘違いだろう。そう疑いを自分でも思った。
そして警察学校内での恋愛禁止という規則がある、これを破れば辞職の可能性すら否めない。
この想いは勘違い、どうせ求められないような想いを自分が抱くわけもない。
そう諦めようと何度も自分を納得させようとした。
けれど毎日見るたび心がどこか響いてしまう、そして英二の確信が深まっていく。いま歩いているだけでも。
…きれいに見えるなんて、今まで誰にも無かった
アスファルトとコンクリート、はでやかな看板の埃っぽい街角。
けれど今この隣を歩くひとは、どこか透明で穏やかな静けさに端正な姿勢で佇んでいる。
こんな都会の真ん中でも、陽射しけぶる睫が清らかで見つめてしまう。
きれいで見惚れて目が離せなくて、本音もっと近づきたい。
けれど出来ない、湯原の道と想いを邪魔することは自分には出来ない。
…掴んではいけない
だって知っている、この隣がどんな想いで警察学校に入ったのか。
湯原は殉職した父の真相と想いを見つめるため、警察官の道に立っている。
きっとそれは危険が多い道になる、それも承知で湯原は任官した。
だから湯原は危険に誰も巻き込みたくなくて孤独に生きてきた。そんない端正な姿勢に惹かれてしまう。
なにより湯原の素顔は穏やかで繊細で、優しい純粋な少年のままでいる。そんな湯原の隣は居心地良くて英二は離れられない。
…離れられない、けれど、掴んではいけない
解っている、自分がどういう選択をしたのか。
これは報われない想い、きっと自分こそ孤独な生き方を選んでいる。
それでも自分を誤魔化せなくて、それでも湯原の為に生きたいと想ってしまった。
それがどんなに馬鹿な選択かと思う、きっと尽くしても尽くしても想いは報われないと解っている。
それなのに、この隣が笑ってくれるならそれだけで良い、そんな想いがもう心に座って動けない。
…だからせめて、支えてやれる立場を手に入れる そうして少しでも近くから見つめさせてよ?
だから湯原が立つ道を、支えてやれる道を自分は選ぶ。
この隣を支えてやれるなら、この想いに殉じて自分は生きてみたい。
だって唯ひとりだけ、自分の本音を受けとめ泣かせてくれたひと。
唯ひとりだけだった「きれいな人形」だった自分を解放してくれたひと。
そして唯ひとり、生きる誇りも生きる意味も、その行動で示して教えてくれた、自分の生き方を変えてくれたひと。
…ね、湯原?俺はね、湯原に出会えなかったら、一生ずっと人形だった そしていつか壊れて心すら失ったと思うんだ
だから選ぶ。唯ひとり自分を生かしてくれた、きれいな瞳を守りたいから。
この隣を支えてやれる道に立つことを選んで生きていく。
その覚悟をいまから想いごと時間に刻んで生きていく。
「湯原、ちょっと待ってくれな?」
「ん、…ゆっくり選んで?」
「おう、ありがとうな。でももう見つけたから、すぐだよ」
隣に微笑んで英二は店員に声をかけた。
「すみません、このクライマーウォッチを頂けますか?」
クライマーウォッチは、登山に必要な情報計測の機能が搭載された腕時計。
たとえば高度計を使って、標高差に対する登高タイム計測をすることでペース把握の参考にできる。
これを英二は自分の進路を決めたときから買おうと決めて、2つの候補から1つを選んだ。
在庫があってよかったな、ほっとしながら店員の手元を眺めていると隣から湯原が訊いてくれた。
「宮田、…クライマーウォッチって、登山に使う腕時計か?」
「うん、そうだよ。高度計や気圧計とかさ、コンパスも全部ついているんだ。山では便利でさ、ほしかったんだ」
すこし隣へと体傾けると英二は微笑んだ。
そんな英二を黒目がちの瞳が見上げて、また英二に質問をした。
「…もしかして、本当に奥多摩地域への配属を考えている?」
警視庁の奥多摩地域は東京都では山岳地域になる。
奥多摩は最高峰でも2,000m程度の低山脈だが、都内という気軽さが原因ともなり遭難事故が多い。
そして登山道へのアクセスが容易なゆえに自殺志願者が迷い込みやすく、その死体見分も珍しい業務ではない。
なかでも青梅警察署は東京最高峰の雲取山を管轄にし、年間40件を超える遭難事故が起きている。
その状況は英二も調べて知っている、それでも選びたい。きれいに笑って英二は頷いた。
「うん、俺、出来れば青梅署に行きたいんだ」
「青梅署だと…山岳救助隊を兼務する駐在員だな…原則は経験者しか配属されない、難しいぞ?」
すこし眉を顰めて湯原は英二を見あげている。
これは湯原が言うとおりだと英二も解っていた、山岳経験が無くては山岳救助隊員への任官は難しい。
けれどそのための努力を自分は惜しまない、左手首の腕時計を外しながら英二は微笑んだ。
「うん、解ってる。だから俺さ、努力するよ?最近の俺ってちょっと真面目だろ?」
「ん、…そうだな、宮田は変わったな。…この間の救急法の講義でも、真剣だった」
「だろ?」
湯原と同じ道は自分は選べない、適性も体格も違い過ぎるから。
けれどこの道は適性も能力も自分にはある、そのことに山岳訓練の時からずっと向き合って気づけた。
この道は厳しい道、そして自分には経験すらも未だ無い未踏の道。それでもこの道を選んで自分は守りたい。
この山岳レスキューの道に立つ、それはきっと警察社会の暗部へ向かう湯原すら救うことが出来る道だから。
だからどんなに辛くても、自分はこの道を投げ出さない。
「お待たせいたしました、こちらのお品でよろしいですか?」
「はい、このまま嵌めたいので箱から出していただけますか?」
店員は箱だけ別に包んで、クライマーウォッチを英二に渡してくれた。
濃い紺青色のフレームと濃紺のナイロン生地ベルトが特徴的なクライマーウォッチ。
これからこの腕時計に時間を見つめて、自分が立つ道への想いも努力も刻んでいく。
うれしくて左手首に嵌めながら英二は隣へと微笑んだ。
「湯原。俺はね、山岳救助隊員になりたいんだ」
自分は警視庁山岳救助隊を目指す。
そして職人気質のクライマー、山ヤに自分はなる。
山ヤの警察官である山岳救助隊員は、誇らかな自由に生きる厳しさに立っている。
その厳しさに自分を立たせて強くなりたい、賢くなりたい、そして大切なひとを背負える背中を手に入れたい。
きっと、この道は湯原を支えていく為に自分が出来る唯一つの道。だから自分はそこへ立つ。
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第5話 道刻―P.S:side story 「陽はまた昇る」
ビルの谷間を熱風が吹き抜ける。
コンクリートジャングルなんて新宿を呼ぶけれど、本当にそんな暑さに歩きながら英二はネクタイを弛めた。
アスファルトの照り返しが頬にも熱い、陽射しに目をすこし細めながら隣の黒目がちの瞳を覗きこんだ。
「湯原、足の調子どう?」
「ん、大丈夫」
ちょっと微笑んで黒目がちの瞳が見上げてくれる。
その額が聡明に清らかで、ちょっと見惚れながら英二はお願いをした。
「なるべく早く買いもの済ませるな。でも湯原、辛かったら絶対すぐ言ってくれよ?」
「ん、解った…でも大丈夫だよ?」
隣は頷いて見上げてくれる、けれど英二は隣がすぐ遠慮する癖を解っている。
少し前に湯原は山岳訓練で怪我を負った、もう大丈夫と校医にも言われているけれど痛みはまだ多少残るだろう。
ここは念押ししたい、英二は口を開いた。
「うん、湯原。我慢とかさ、俺には絶対しないでくれよ?」
言われて隣の瞳がすこし大きくなる。
この顔かわいくて好きだな、うれしくて微笑んで英二は覗いた瞳を見つめた。
見つめられた瞳は1つゆっくり瞬くと、そっと微笑んだ。
「ん、…ありがとう。俺、宮田には割と言えてる、から」
うれしい、「宮田には割と」が嬉しくて仕方ない。
でも、もっと言ってほしいな?うれしくて英二はきれいに笑った。
「おう、言ってくれな?」
「ん、」
素直に頷いてくれる頭が可愛くて、ちょっと英二は困った。
この頭かかえて抱き締めたくなってしまう、けれどそれは出来ないことだから。
こんな想いを自覚して2ヶ月過ぎになる、あの日は英二の外泊禁止が解けた初めての外泊日だった。
あの日は書店で湯原は本を買った、そして初めて一緒に外食して服を贈って。
その街角で元彼女を見かけ嫌な気持ちから、湯原の腕を掴んでひたすら歩いた。
そして偶然たどり着いた公園にある森の中で座ったベンチで、湯原への想いは自覚となって心から肚へ座りこんだ。
― きっとこれが、俺の初恋 誰より居心地のいい隣、これは得難い居場所、唯ひとつの想い
けれど湯原は自分と同じ男で寮の隣人で親しい同期だ、勘違いだろう。そう疑いを自分でも思った。
そして警察学校内での恋愛禁止という規則がある、これを破れば辞職の可能性すら否めない。
この想いは勘違い、どうせ求められないような想いを自分が抱くわけもない。
そう諦めようと何度も自分を納得させようとした。
けれど毎日見るたび心がどこか響いてしまう、そして英二の確信が深まっていく。いま歩いているだけでも。
…きれいに見えるなんて、今まで誰にも無かった
アスファルトとコンクリート、はでやかな看板の埃っぽい街角。
けれど今この隣を歩くひとは、どこか透明で穏やかな静けさに端正な姿勢で佇んでいる。
こんな都会の真ん中でも、陽射しけぶる睫が清らかで見つめてしまう。
きれいで見惚れて目が離せなくて、本音もっと近づきたい。
けれど出来ない、湯原の道と想いを邪魔することは自分には出来ない。
…掴んではいけない
だって知っている、この隣がどんな想いで警察学校に入ったのか。
湯原は殉職した父の真相と想いを見つめるため、警察官の道に立っている。
きっとそれは危険が多い道になる、それも承知で湯原は任官した。
だから湯原は危険に誰も巻き込みたくなくて孤独に生きてきた。そんない端正な姿勢に惹かれてしまう。
なにより湯原の素顔は穏やかで繊細で、優しい純粋な少年のままでいる。そんな湯原の隣は居心地良くて英二は離れられない。
…離れられない、けれど、掴んではいけない
解っている、自分がどういう選択をしたのか。
これは報われない想い、きっと自分こそ孤独な生き方を選んでいる。
それでも自分を誤魔化せなくて、それでも湯原の為に生きたいと想ってしまった。
それがどんなに馬鹿な選択かと思う、きっと尽くしても尽くしても想いは報われないと解っている。
それなのに、この隣が笑ってくれるならそれだけで良い、そんな想いがもう心に座って動けない。
…だからせめて、支えてやれる立場を手に入れる そうして少しでも近くから見つめさせてよ?
だから湯原が立つ道を、支えてやれる道を自分は選ぶ。
この隣を支えてやれるなら、この想いに殉じて自分は生きてみたい。
だって唯ひとりだけ、自分の本音を受けとめ泣かせてくれたひと。
唯ひとりだけだった「きれいな人形」だった自分を解放してくれたひと。
そして唯ひとり、生きる誇りも生きる意味も、その行動で示して教えてくれた、自分の生き方を変えてくれたひと。
…ね、湯原?俺はね、湯原に出会えなかったら、一生ずっと人形だった そしていつか壊れて心すら失ったと思うんだ
だから選ぶ。唯ひとり自分を生かしてくれた、きれいな瞳を守りたいから。
この隣を支えてやれる道に立つことを選んで生きていく。
その覚悟をいまから想いごと時間に刻んで生きていく。
「湯原、ちょっと待ってくれな?」
「ん、…ゆっくり選んで?」
「おう、ありがとうな。でももう見つけたから、すぐだよ」
隣に微笑んで英二は店員に声をかけた。
「すみません、このクライマーウォッチを頂けますか?」
クライマーウォッチは、登山に必要な情報計測の機能が搭載された腕時計。
たとえば高度計を使って、標高差に対する登高タイム計測をすることでペース把握の参考にできる。
これを英二は自分の進路を決めたときから買おうと決めて、2つの候補から1つを選んだ。
在庫があってよかったな、ほっとしながら店員の手元を眺めていると隣から湯原が訊いてくれた。
「宮田、…クライマーウォッチって、登山に使う腕時計か?」
「うん、そうだよ。高度計や気圧計とかさ、コンパスも全部ついているんだ。山では便利でさ、ほしかったんだ」
すこし隣へと体傾けると英二は微笑んだ。
そんな英二を黒目がちの瞳が見上げて、また英二に質問をした。
「…もしかして、本当に奥多摩地域への配属を考えている?」
警視庁の奥多摩地域は東京都では山岳地域になる。
奥多摩は最高峰でも2,000m程度の低山脈だが、都内という気軽さが原因ともなり遭難事故が多い。
そして登山道へのアクセスが容易なゆえに自殺志願者が迷い込みやすく、その死体見分も珍しい業務ではない。
なかでも青梅警察署は東京最高峰の雲取山を管轄にし、年間40件を超える遭難事故が起きている。
その状況は英二も調べて知っている、それでも選びたい。きれいに笑って英二は頷いた。
「うん、俺、出来れば青梅署に行きたいんだ」
「青梅署だと…山岳救助隊を兼務する駐在員だな…原則は経験者しか配属されない、難しいぞ?」
すこし眉を顰めて湯原は英二を見あげている。
これは湯原が言うとおりだと英二も解っていた、山岳経験が無くては山岳救助隊員への任官は難しい。
けれどそのための努力を自分は惜しまない、左手首の腕時計を外しながら英二は微笑んだ。
「うん、解ってる。だから俺さ、努力するよ?最近の俺ってちょっと真面目だろ?」
「ん、…そうだな、宮田は変わったな。…この間の救急法の講義でも、真剣だった」
「だろ?」
湯原と同じ道は自分は選べない、適性も体格も違い過ぎるから。
けれどこの道は適性も能力も自分にはある、そのことに山岳訓練の時からずっと向き合って気づけた。
この道は厳しい道、そして自分には経験すらも未だ無い未踏の道。それでもこの道を選んで自分は守りたい。
この山岳レスキューの道に立つ、それはきっと警察社会の暗部へ向かう湯原すら救うことが出来る道だから。
だからどんなに辛くても、自分はこの道を投げ出さない。
「お待たせいたしました、こちらのお品でよろしいですか?」
「はい、このまま嵌めたいので箱から出していただけますか?」
店員は箱だけ別に包んで、クライマーウォッチを英二に渡してくれた。
濃い紺青色のフレームと濃紺のナイロン生地ベルトが特徴的なクライマーウォッチ。
これからこの腕時計に時間を見つめて、自分が立つ道への想いも努力も刻んでいく。
うれしくて左手首に嵌めながら英二は隣へと微笑んだ。
「湯原。俺はね、山岳救助隊員になりたいんだ」
自分は警視庁山岳救助隊を目指す。
そして職人気質のクライマー、山ヤに自分はなる。
山ヤの警察官である山岳救助隊員は、誇らかな自由に生きる厳しさに立っている。
その厳しさに自分を立たせて強くなりたい、賢くなりたい、そして大切なひとを背負える背中を手に入れたい。
きっと、この道は湯原を支えていく為に自分が出来る唯一つの道。だから自分はそこへ立つ。
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