※後半1/6念のためR18(露骨な表現はありません)
想いの重みとぬくもり
第31話 春兆act.5―another,side story「陽はまた昇る」
最後の1本を活け終わって周太は花々を眺めた。
赤い縞模様のチューリップ、あわい赤のオールドローズ、純白の野ばら、まるい白ばら。きれいな緑のアイビー。
クリームいろ優しいカーネーションに白いレースのようなスカビオサ。可愛らしい白の千日紅とダイヤモンドスター。
それからオーニソガラムMt.フジ、英二の夢と誇りをかけた想いの花。
どれも可憐できれいで優しい花たち、その言葉も想いも幸せに微笑ませてくれる。
けれど1つだけ、ちょっと雰囲気の違う花がある。
そしてその花言葉が気になってしまって、途惑わされてしまう。
そっと周太は花言葉のカードを手にとると、その花と言葉を見比べた。
その花色はボルドーカラー、漆黒すら感じさせる深紅が艶めかしい華やかな大輪の花。
‘カーネーションブラックバカラ あなたを熱愛しています・あなたの愛を信じる・欲望’
花言葉が情熱的で、そして最後の熟語が気になってしまう。ストレートすぎることばはいったいなんのいみなの?
この花の色が英二が着ているニットの色と似ていることもなんだか。
…なんだか、意識してきちゃう、な…?…だって、この花って、たぶん…でも、
考えすぎかな?でもよく解らないんだし。だって慣れていないこんなこと、まだ1年も経っていないんだし。
途惑ってしまう想いのまま周太は、花束のメッセージカードを見つめた。
“あなただけが、自分の真実も想いも知っている
そんなあなただから、心から尊敬し友情を想い真剣に愛してしまった
この純粋な情熱のまま、あなただけが欲しい。あなたの愛を信じたい。
純粋で美しい瞳のあなたに相応しいのは自分だけ、どうか変わらぬ愛と純潔の約束を交わしてほしい
毎夜に愛し吐息を交して、どうか毎朝に花嫁として、あなたを見つめたい
だから約束する「あなたを愛していると最高峰から永遠に告げていく」すべてに負けない心を信じてほしい“
これが英二の求婚と婚約の想いの手紙、実直な情熱が一途で真摯に率直な想いと誇り高らかな意志があふれる言葉たち。
こんなふうに言われて「Yes」と応えないひとなんているだろうか。
…こんなふうに文章を書けるひとなんだ、ね?英二
英二は文章を読むことが好きらしく、よく鞄やポケットに本を1冊入れている。
だから法学部にも進んだのだろう、法律は条文や判例など読解力無しには学べないから。
そして英文科に学んだ姉の勧めで原書も英文なら読むらしく、Wordsworthも知っていた。
そんな英二は言葉もよく知っているだろう、けれど英二は実直で直情的な性質だから想ったことしか書けないだろう。
だからこの手紙も全て英二の本音が書かれている、きっとブラックバカラの言葉も英二の本音なのだろう。
…でも、この花言葉が本音って…きっと、あのことだろうな
しずかに首筋が熱くなってくる。でもたぶん自分の考えは当たっている、そして今夜その本音を言われるだろう。
その本音は初雪の夜に最初に言ってくれた、そしてクリスマスの夜にも。だからたぶん、
「周太、ブランケットありがとう」
きれいな低い声が背後から声をかけてくれた。
…英二、
いま考えていたひとの声に心が弾んだのが自分で解る、ほら首筋がもっと熱くなった。
心の弾む想いは英二の声とブランケットのこと、3日に帰ってきて干しておいた気遣いを受けとって貰えてうれしい。
何よりも元気に目覚めて、大好きな声で「ありがとう」と言ってくれたことがうれしい。
こういうの幸せでうれしいな。うれしい気持ちに押されるように、ゆっくり周太は声の方を振向いた。
…やっぱりブラックバカラと同じ色、だよね?
いま見つめていた花の色と同じニットを着て、きれいな笑顔が佇んでくれている。
その笑顔が元気そうでうれしい、ちょっと花言葉が恥ずかしいけれど。
微笑んで周太は持っていた鋏を置くと、立ち上がった。
「ん、…よく眠っているみたいだったから…気分どう?」
ちょっと今は直視するの難しいな?
でも目を逸らしたらきっと変に思われる、気恥ずかしくても周太は切長い目を見つめた。
「うん、すっきりしてるよ?周太、花を活けていたんだ」
「ん。たくさんあるから…いくつかに分けて活けてた」
切長い目がデスクの花々を眺めてくれる。
その目が幸せそうに笑って長い腕で周太を抱きしめてくれた。
「大切にしてくれるんだね、周太?俺からの花束、喜んでくれたんだ」
「ん、…やっぱり…そのなんていうかうれしいし…」
うれしいに決まっているよ?とっても気恥ずかしい花言葉もあったけれど。
そんな想いと微笑みながら周太はふと気がついた、きっと英二のことだからお腹すいただろう。
お米も炊いた方が良いのかな?すこし献立を考えながら周太は訊いてみた。
「…あ、お腹空いてる?」
そう訊いたとたん抱きしめてくれる腕が動いて周太を抱き上げた。
そんな抱き上げて急ぐほど早くご飯を食べたいのかな?やっぱり昼ごはん少なかったんだ。
周太はすこし驚いて、英二の顔を覗きこむと首傾げて訊いてみた。
「英二?…あの、俺、自分で歩いて階段、降りるよ?…あ、お米も炊いた方が良いよね?」
そう訊きながら覗きこんだ切長い目が笑ってくれる。
けれど目だけが言ってきた「そんなつもりで抱き上げたんじゃないのにな」
じゃあどういうつもりなんだろう?解らなくて見つめている額に額をくっつけて英二は微笑んでくれた。
「うん、米もあると嬉しいな。ね、周太。このまま台所まで行こう?周太をね、抱っこしていたいよ」
やっぱりご飯の話でよかったのかな?
じゃあ「抱っこしたい」の部分が「そんなつもりで抱き上げたんじゃないのにな」の答えかな?
よく解らないまま周太は、想った通りに英二に訊いてみた。
「あ、…ん、炊くね…あの、だっこそんなにすきなのえいじ?」
「好きだよ?だって周太とくっついていられるだろ。周太とね、少しでも俺、近づきたいんだ」
そんなこと言われると今ちょっと困ってしまう。
だって花言葉で気恥ずかしい考え事をしていたこと見抜かれているみたい。
「カーネーションブラックバカラ あなたを熱愛しています・あなたの愛を信じる・欲望」
漆黒にも似た深紅あざやかな大輪の華やかな花は、この愛するひとの想いと姿に似ている。
それも同じ色の服だなんて?ちょっと意識して困りながらも、周太は消え入りそうな声でもなんとか答えた。
「…ん、あの…そう、…」
きっといま、首筋は真赤のはず。
そういえば花束は赤と白が基調でいる、これって意味があるのかな?
そんなふうに途惑っているうちに台所へ着いて、英二は上手に抱きおろして床に立たせてくれた。
「これ、周太が全部を仕度したのか」
テーブルの上を見つめる切長い目がすこし大きくなっている。
そのテーブルには夕食の祝膳を整えてある、それに英二は驚いている。
なにか自分は間違えたのだろうか?3日かけるところを2時間程度でやってしまったし。
何だかいろいろ申し訳なくて周太は素直に謝った。
「ん、…あの、簡単で申し訳ないんだけど…ごめんね、英二?」
「周太、簡単じゃないよ?すごいなって俺、驚いているんだけど。だってね周太、今日、全部を仕度したんだろ?」
「ほんとうは3日くらいかけてね、お節ってするんだ…
でも今日だけしか時間ないから、買ってきたのもあるんだ…黒豆とかちょっと煮れなくて…ごめんね?」
きちんと本式に作ってあげたかったな。
けれど今回は仕方ない、時間が取れないのは新任警察官なら諦めないといけない。
でもいつかは本式の支度をしてあげたいな?そんな想いに見上げていると英二が笑いかけてくれた。
「ほんとうにね、周太?俺には十分すぎるくらいだよ。俺、いますごく幸せだよ?」
きれいに笑いかけて英二は周太にキスをして、そっと抱きしめてくれた。
もしかして本当に喜んでくれている?
抱きしめられて見つめられる想いが幸せで周太は微笑んだ。
「ん、…喜んでくれて、うれしいな…口に合えばいいんだけど…あ、お米炊くね」
「ありがとう、周太。あ、なんか俺、腹減ってきたな?午前中に訓練全部やったからかな」
きっと本当は昼食が足りなかっただろう、多めにパンを買ったつもりだったけれど。
会う度ごと英二は食事の量が増えている、すこしも太らないけれど多分筋肉量は格段に増えているだろう。
それも当然だろうと想う、だって英二は1日に少なくとも1回、勤務日は3回は山に登っている。そしてクライミング訓練も。
やっぱりお節料理は重箱4段詰めたのは正解だろうな?そう提案しながら周太は米を砥ぎはじめた。
「すこし早いけど、食べ始める?…ごはんは30分くらいかかるけど、…お雑煮とか食べてるうちにね、炊けるよ?」
「うん、食べたいな。周太、ほんとうに手際が良いね?」
炊飯器をセットして雑煮の支度をしながら周太はダイニングテーブルを見た。
おとなしく椅子に座って英二は微笑んでいる。こうして座ってくれていると動きやすくて助かるな。
でも見つめられるとすこし緊張するのだけれど?それでもきちんと雑煮を椀に盛り付けて蓋をして盆に載せると食卓へ運んだ。
「はい、英二。お待ちどうさま…熱いから、気をつけて?」
「ありがとう、周太。」
エプロンを外すと周太も祝膳の席に着いた。
さっそく雑煮椀の蓋をとると英二は楽しそうに周太に訊いてくれる。
「ね、周太?この雑煮はさ、湯原の家に伝わるもの?」
「ん、…そう。でもね、父の記憶から母が再現したから…本当にあっているかは解らないみたい」
「ふうん、丸餅なんだ。丸餅は西日本に多いよな、周太?」
「ん。なんかね、…山口県の方から、曾祖父が移ってきたとか…言っていたかな」
そんな話をしながら向かい合って熱い椀に箸をつけた。
きちんと今年も出汁がうまくいっている、けれど英二の口に合うだろうか?
思わず心配で見つめてしまう周太に英二は微笑んでくれた。
「旨いよ、周太。これ何の出汁だろ?」
「ん、いりこ出汁なんだ…それと醤油でね、味付けするんだ…口に合うなら、よかった」
本当に良かった、うれしくて微笑みながら周太は重箱をひとつずつ広げた。
きっと英二の実家では佳い店の仕出しとかかな?自分の作ったものが口に合うか心配にもなってしまう。
けれど心から感心した様子で英二は口を開いてくれた。
「周太、ほんとうにすごいね。今日ひとりで作ったんだろ、周太?これだけ出来るひと、少ないんじゃないのかな」
「ん、…でもね、黒豆は買ったのだよ?…数の子も塩抜きの時間が無いから、味付きの買ったし…」
ほんとうに残念、黒豆と数の子。
どちらもお節料理の大切な品、これに田作りをあわせて「三品」っていうくらい。
それを自分で作れなかったのは不本意で仕方ない。けれど警察官でいる間はきっと自作は難しい。
そんなふうに考えている視線の先で、きれいな指が祝箸を持って重箱の料理を小皿にとっていく。
口に合うだろうか?思わず見つめていると英二は微笑んで言ってくれた。
「旨いね、周太。どれもきちんと作ってある、周太は本当に料理上手いな。俺ね、周太が作ったものがさ、いちばん好きだ」
よかった。
お節料理でも言ってくれた「いちばん好き」
こんなふうに言ってもらえてうれしい、うれしくて微笑んで周太は訊いてみた。
「よかった、…英二は、どれが一番お節では好き?」
「そうだな。筑前煮と、あと周太?これ旨いね、きれいだし」
「鶏肉の信太巻、だね…気に入ってくれたなら、よかった」
やっぱり肉料理が好きなのかな?
こんど作る時には多めに作るようにしよう、そんなふうに「こんど」を考えられることが幸せで。
きっとこれも、ごく普通の幸せな新年の食卓だろう。でも自分には得難くて大切な幸せの食卓。
「英二、お雑煮のお代わりする?…お餅いくついれる?」
「うん、周太。お願いしたいな、餅はね、4個」
やっぱりお腹空いているんだな?
重箱の料理も減りが早い、きっとご飯が炊ける頃には空になってしまうだろう。
そんなに英二は早食いはしていない、けれど平らげるスピードが速いのは駐在所でも忙しいからだろう。
それに昼休憩の合間には短時間でも国村と組んでクライミングの自主トレーニングを行ている。
その時間を作る為にも素早く食事する癖がついているのだろう。
…あ、鯛があるな?
雑煮を煮ながら周太は買ってきた刺身用の鯛を冷蔵庫から出した。
買ってきてすぐに昆布締めにして寝かしてある、昆布を外すと手際よく刺身に仕立てて皿に盛り付けた。
雑煮を椀に盛り付けていると、ちょうどご飯も炊けた。椀を運んでから周太は大きめな茶碗を出して炊きたてのご飯をよそった。
熱い湯気のご飯に刺身醤油の小皿を添えて、鯛の刺身と一緒に食卓へ周太は運んだ。
「すごいね周太?これ、いま作ったのか。つまも自分でしたんだろ?周太」
「ん、…でも切ったっだけだよ?…はい、どうぞ」
きって盛り付けただけの刺身にも英二は感心してくれる。
こんなに喜んでもらえると作り甲斐があるな、箸を運ぶ口元を見ていると幸せそうに英二が笑ってくれた。
「旨いよ、周太。この刺身、ふつうのと違うよな?なんか工夫があるんだろ?」
「ん。あのね、昆布で挟んでおくんだ…昆布締めって言うんだけど、白身の魚にはね、合うよ?」
「へえ、周太はよく知っているな。この皿も趣味が良いな、藍の染付に鯛の桜色がよく映えてる」
器の選択まで英二は褒めてくれる、うれしいなと思いながらすこし周太は驚いた。
このくらいの年ごろで料理の器にまで目を留める男性は少ないだろう、周太は何気なく訊いてみた。
「ん、藍古九谷っていうらしい…英二は器とか、興味あるの?」
「うん?ああ、周太。親父がさ、店に連れて行ってくれる時とか、ちょっと教えてくれるんだよ。藍古九谷ってきれいだね、周太」
きちんと刺身のつまにも箸を運びながら、楽しそうに英二は答えてくれた。
こういう皿の見方を教えてくれるひとが英二の父親なんだな、食事しながら周太は少し考えこんだ。
英二の話の感じだと「立派な大人の男性」という印象がある、仕事も大きな自動車会社の法務だと言っていた。
きっと人柄も良くて趣味も良い、そしてたぶん英二の性格は父親に似ているのだろう。
いつか一緒に食事しようと英二を通して声をかけてくれている、けれど英二の父も忙しくて予定が合わないままになっている。
…それでも、婚約なんて言ったら…きっと近々会うことになるのだろうな
そして英二は分籍するつもりでいる、それを英二は姉とふたりで話し合って決めている。
警視庁山岳レスキューの活動拠点は奥多摩になるから本籍を奥多摩に移したい、それも理由のひとつだろう。
けれどそれ以上に英二は「周太のため」に自身が戸籍筆頭者になるため分籍を決めてくれた。
それを聴いたら英二の父はなんというのだろう?さすがに反対されても仕方ないことだと思ってしまう。
すこし不安が胸を噛む、でも、もう決めている。微笑んで周太は英二に答えた。
「ん、…きれいだね。英二が気に入ってくれて、よかった。ごはん、たくさん炊いてあるから…お代わりは?」
きれいに笑って周太は、空になった英二の茶碗へと手を差し伸べた。
そんなふうに英二は全部で餅を5つと茶碗4杯のご飯で夕食を楽しんだ。
やっぱりたくさん食べるんだな、周太は自分の婚約者の健啖と健康がうれしくて微笑んだ。
食事が終わって英二は片づけを手伝ってくれた。
お皿を洗うくらいは出来るらしく前にも手伝ってくれている、どうも姉に教わったものらしい。
空になった重箱や塗椀をきれいに拭きあげてサイドテーブルに並べた、一夜陰干しして明日朝にしまう。
ほっと一息ついてエプロンを外すと、素早く英二は周太を掴まえて抱きかかえた。
「…っ、英二?どうしたの?」
こんどは何の用事で抱きかかえるのだろう?
食事は済んだから英二のお腹は満たされているはず、コーヒーも食後に済ませた。
よく解らなくて途惑っていると、うれしそうに英二は額に額をつけて笑いかけてくれた。
「うん、周太。だって掴まえないとね、周太は逃げちゃうだろ?だから抱っこしたくなるよ、俺」
「…逃がさないで、どうしたいの?」
逃げ出すようなことをしたいのだろうか?
きっと困ったことを訊かれたりする、すこし覚悟しながら切長い目を見あげると可笑しそうに微笑んでいる。
そんな目で英二は周太の瞳を覗きこんで訊いた。
「まだ、結婚前です、そんなのダメ。さっき周太そう言ったよな?ね、結婚したらさ、周太は一緒に風呂に入ってくれるの?」
やっぱり風呂の話。そんなに一緒に入りたいの?
この家の浴室は浴槽も大きめだから3人一緒でも入れる、父が亡くなるまでは家族3人一緒でいつも幸せだった。
きっと英二はそういう家族の幸せな記憶も求めている。でも今はまだ恥ずかしくてだめ、でも結婚して「妻」になったら?
そっと小さくため息をついて英二を見あげると周太は、なんとか声を押し出してた。
「…いつもはきっとだめ…でもたまにならしかたないかなっておもう…だってそういうものなんでしょ」
だって母はいつもそうしてくれていた。だから、そういうものなのだろう。
でも恥ずかしくて毎日はきっと無理、でもやっぱり幸せな記憶は作ってあげたい。だって「家族」になるのだから。
そして幸せな記憶が英二に、どんな時も生きて帰りたい強い意志を育んでくれるはず。
だから、たまには「仕方ない」だって英二が自分の運命なのだから。
だから微笑んで受け留めて幸せにしてあげたい。
「そういうもの?」
「…いまもうだめ、これいじょうは、ね?…お願い、英二。あんまり困らせないでよ?」
お願い、いまはもう訊かないで?
また血圧が危険になって気絶したら困ってしまう、だから勘弁して?
そう見上げると英二は抱えたままリビングのソファに座ってから周太を下して笑いかけてくれた。
「困らせないよ、周太。俺さ、ちゃんと一人で風呂入ってくるな。そしたら周太の部屋に先、行っていてもいい?」
よかった、おとなしく引き下がってくれた。
ほっとして微笑んで周太は訊いてみた。
「ん、いいよ…あ、飲み物、なんか用意しておこうか?」
「うん?じゃあさ、さっき買ってきたやつ。あとで一緒に飲もうよ?」
そんな会話の後で英二はおとなしく一人で風呂に行ってくれた。
たぶんスーパーマーケットで英二が自分で買い物かごに入れていた瓶入りカクテルの事だろう。
もう冷蔵庫に入れてあるけれど、グラスも冷やした方が良いのかな?周太はグラスを冷蔵庫にしまった。
それから自分の部屋にあがると手帳にはさんだ白い封書を出して、デスクの便箋とペンを持つと梯子階段を登った。
いつものようにロッキングチェアーに立膝で座り込むと周太は、きれいな封筒をひらいて便箋を取出して微笑んだ。
拝啓 新な春を迎えたこの頃、いかがお過ごしですか?
クリスマスのお便りありがとう、とってもうれしかった。湯原くんはお手紙もきれいなのね?
だから自分の文章ちょっと恥ずかしいかな、と思いながらもお便りします。だって気持ちは伝えたいもの?
「…そんなこと言われるとね、こっちこそ照れちゃうよ、美代さん?」
クリスマスに周太は美代からの手紙を英二から受け取っている。
周太にとって手紙をもらう事は初めてだった、そして美代の手紙はとてもうれしいものだった。
だから返事を書いて英二から美代に渡してもらった、その返信の手紙をまた美代は英二に預けて送ってくれた。
こんなふうに手紙を誰かと遣り取りすることは初めてのこと、そしてこうした友達の存在も周太には初めてだった。
「気持ちは伝えたい」と言ってくれてうれしいな、微笑んで周太は続きを読んだ。
お手紙にあったことの参考になりそうな本、メモを同封しました。高校の時に先生から薦められた入門書たちです。
ブルーバックスの本はアメリカの生物学教科書『LIFE』から細胞生物学・分子遺伝学・分子生物学の3つを翻訳したものです。
翻訳書だから細かな表現の間違いがあるそうです、湯原くんなら原書で読んだ方が良いかも?
ブルーバックスは全3巻だけれど2巻が私はいちばん面白かったです。
それからね、大学の公開講義とかもあるのよ、春と秋の土曜日が多いのだけど。資料も頂けて結構面白いのよ。
遊びに来たら、よかったら資料見てみてね?
2月の射撃大会の後なら休めるかもと宮田くんから聞きました、ぜひ2月には御岳に遊びに来てくださいね。
遊びに行くよ?そう思いながら周太は同封のメモを開いてみた。
そこには2冊の本の名前が書いてある、どちらも植物に関するテキスト書だった。
美代は農業高校を卒業してJAに勤めながら実家の農業を手伝い、幼馴染で恋人の国村の家でも手伝っている。
「土に触るのがね、根っから好きみたいなのよ?」
雲取山に登った11月に初めて会ったとき、そんなふうに楽しそうに話してくれた。
美代は大学には行かなかったけれど、農業高校で教わったことを発展させて独学で勉強もしている。
そんな彼女の植物の話は面白かった、だからクリスマスに手紙の返事を書くとき周太はお勧めの本を訊いてみた。
その回答をきちんと考えて美代はしてくれている、素直にうれしくて周太は微笑んだ。
周太は幼い頃から植物が好きでいる、けれど父以外には植物の話が出来る相手がいなかった。
母は植物好きでも専門的なことは知らないから周太の好奇心を満たす話は出来ない。
そして周太は大学は工学部に進んでいる、父が辿った進路には銃火器や機材の知識が必要なためだった。
そんな周太にとって美代は同じ興味を持っている初めての友達でいる。
…同じものに興味があるって、楽しい、ね
2月に会ったら、いろんな話をしたいな。
そんなふうに自然に思えることも我ながら不思議で、けれどうれしい。微笑んで周太は2枚目の便箋へと目を向けた。
今月の半ばには宮田くん、初めての富士登山訓練ね。でも大丈夫よ湯原くん?
光ちゃんが必ず無事に連れて帰ってきます、約束します。
だってね、湯原くん?光ちゃんたら宮田くんのこと、大好きみたいなの。ちょっと私も妬いちゃうくらい。笑
だから大丈夫。光ちゃんはね、大好きなものは絶対に手放さないから、必ず無事に連れ戻ってきます。
だから安心していてね?そして私と一緒に楽しんでね。
この日本の最高峰から大好きな人が自分を想ってくれること、楽しもうね。
それはきっと日本一愉快なことなのだから。
これから奥多摩は寒さを増していきます、遊びに来るとき温かくして来てね? 敬具
追伸 湯原くんも妬くことってある?
だってね、恥ずかしいんだけど、2人が並んでいるとね、見惚れちゃうの私。
こういうこと慣れていなくて、ごめんね、アドバイスってありますか?
「…美代さんも妬くんだ、ね?」
ちょっと意外で周太は小首を傾げた、美代には明るくて静かな自信が感じられるから。
でも美代が妬くのも仕方ないようにも思う、だって国村と英二は「好一対」というやつだから。
よく似た背格好で違うタイプの美形の2人は、並んでいるとお似合いで見惚れてしまう。
よく似た部分と正反対の部分を持ち合わせた2人だから、きっと波長も合いやすい。
そして大切にしている想いは同じ、そして直情的同士だから互いに腹蔵なく話せてしまう。
…あの二人もね、「運命の二人」なんだろうな、
運命の出会いはいろんな形があるだろう、恋愛だけじゃなくて友情というか。
あの二人を見ていると、そんなふうに素直に想えてしまう。そして「きれいだな」と想って見てしまう。
「…ん、」
ちょっと考えて周太は便箋を膝に置いてペンをとった。
美代の手紙を読みながら、言葉を考えながら、ペンを便箋にはしらせていく。
手紙を褒めてくれて、恥ずかしいんだけど、ありがとう。
本のこと教えてくれて、ありがとう。さっそく買って読んでみるね?こんど感想を聴いてくれる?
公開講義いいな、シフトあえば自分も受けてみたい。
「…それから、…富士山、」
もういちど美代の文面を読み返しながら、よく考えてから周太は返事を書いた。
きっと国村にとって英二は初めての心底から解りあえる友達でいる、それは英二にとっても同じだろう。
そんな2人に美代が途惑うのも仕方ない、きっと国村はずっと美代ばかり今まで見てきていたろうから。
だから美代にとって生まれて初めて、自分以外の人間を構う国村を見ていることになる。
…でもね、美代さん?心配することなんてないよ?だって、国村さんは美代さんだけをね、きっと愛しているから
御岳の河原で4人で呑んだとき。
ほとんど美代と周太は一緒に並んで話していた、その時折に周太は気がついたことがある。
こちらを向いて話してくれる楽しそうな美代の笑顔を、やさしい温かい眼差しで国村はときおり見惚れていた。
どこか懐かしげで切なげで憧れるような眼差しは、男っぽい艶と純粋な想いがきれいだった。
あの国村がこういう顔するんだな?ちょっと周太は心の裡で驚いて、そんな国村を好きだなと想えた。
そして、あの眼差しを国村が英二に向けることは無かった。
「…ね、美代さん?…あなたはね、きっと、本当に愛されているよ?」
そっと微笑んで「追伸」を書き終えると周太はきれいに便箋を畳んで封筒に入れた。
そして左腕のクライマーウォッチを見て周太はきれいに笑って、すこし考えこんだ。
英二との婚約のこと、いつ美代に話していいのかな?こういう話が出来る友達がいる、それがまた幸せで周太はうれしかった。
手紙と便箋たちを持って椅子から立つと、フロアーライトを消して周太は梯子階段を降りた。
今回の大会は休暇は1日もらえるらしいから非番と週休とで3連休できるかな?
そんなことを考えながら降りていると、ちょうど髪を拭きながら英二が扉を開けた。
すぐ周太に気がついて英二はきれいに微笑んだ。
「周太。美代さんの手紙、読んでいたんだ?返事も書けた?」
「ん、この間の手紙の返事とね…2月に遊びに来てね、て。…だからね、射撃大会の後の休暇にね、てね、返事書いた」
答えながら見上げる英二の顔は、湯上りで紅潮してほんのり桜色になっている。
青梅警察署に配属になってから英二は御岳駐在所での、毎日の山岳救助隊での生活にすこし日焼した。
けれど冬を迎えて英二の肌はまた白皙に戻っている、雪焼けはあまりしていない。
そんな白皙の透けるような肌が湯上りに火照る艶がきれいで、つい見惚れそうになってしまう。
「そっか、じゃあ俺、また預かっていって渡せばいいかな?」
「ん…お願いしていいかな?…じゃあ俺、風呂済ませてくる、ね」
美代への手紙を英二に渡すと周太は微笑んで、着替えを持って下へと降りていった。
浴室に入ってシャワーを頭から浴びると、ほっと吐息が零れ落ちてしまう。ふる湯の温もりが心をほどいて気持ちがいい。
今日はいろんなことを考えた所為だろうか、いつもより湯に安らぐ感覚がある。
きちんと体を洗ってから浴槽の湯に浸かると、タイル張りの縁に腕組みして顔を乗せた。ほっとため息ついて周太は微笑んだ。
…英二はね、一緒に風呂に入りたくって、しかたないんだよね
やっぱり今はまだ困る、けれどそんな「おねだり」は可愛らしいなと思ってしまう。
きっともう何でも可愛く想えてしまうのだろう、それもまた不思議で面白いなと我ながら思う。
だって英二の方が体も大きくて大人で背中も頼もしい、華やかな容貌でも英二は男らしい魅力に富んでいる。
そんな英二を小柄で10歳で9ヶ月の子供と変わらない自分が可愛いと思うなんて?
なんだか不思議で可笑しい、けれど幸せだな?幸せに微笑んで周太は、ふとあることに気がついた。
…そういえば、春には初任総合科で2ヶ月間また寮生活だよね?
あの懐かしい警察学校の寮で2ヶ月また過ごすことになる。
あの寮だから風呂は共同浴場を使うことになるだろう、そうしたら?
「…また、一緒に、風呂へ行くのかな?…」
きっと英二のことだから一緒に行かなければいけないだろう。
もし断ったら抱きかかえてでも英二は一緒に風呂へ連れて行くかもしれない。
それどころか英二の性格だと、他の誰かが周太と一緒に風呂へ入ることを嫌がるのではないだろうか?
英二と一緒に風呂へ入るだけでも困るのに?それだけで問題は済まなそうで、ちょっと周太は先が思い遣られてしまう。
「…大丈夫なのかな、いろいろ…?」
原則的には初任科教養と初任総合科ではクラス替えがあるらしい。
けれど遠野教場は問題が多かった、だから例外措置をとる可能性が高いだろう。
どのみち英二の性格だときっと、たとえ教場が違くなってもお構いなしに周太の隣を確保してしまう。
実直で直情的な英二は決めたことは動かさない、そして怜悧で人当たりもいい。だからきっと上手に立ち回ってしまえる。
…一緒にいられるのは嬉しいんだけど…きっと困らされることも、多いだろうな
なんだか不安なような。けれど想ってもらえるのは幸せなのだけれど。
でもまだ4ヶ月は先のこと、考えても仕方がない。
なるようになるよね?ほっと一息ついて湯から上がると風呂のガスを落とした。
…あ、「なるようになるよね?」なんて、考えられたな
なるようになるよね?
自分としてはずいぶん大らかな考え方でいる。
もとが受動的な性質だけに周太は考え込みやすい癖がある、だから余計に13年間は孤独に籠りやすかった。
だから今のような考え方は、きっと成長として大きいだろう。
…きっと英二の隣にいるからだ、ね?
英二は山ヤの警察官として東京随一の山岳地域である奥多摩に生きている。
そして立つ現場の山は美しく厳しい世界でいる、そこは人間の範疇外の世界、人間の都合など通らない世界。
だから山のルールに添って生きていく、それは小さな人間的悩みを超えてしまう世界でいる。
そういう考え方をする「山ヤ」職人気質のクライマーとして、英二は笑って暮らしている。
こういう考え方は何だか楽しいな?
そして隣にそんな大らかな想いを持つ婚約者がいることは幸せになってしまう。
身支度を済ませた周太は微笑んで、ふと洗面台の鏡の自分と目があった。
「…これ、俺の顔、なの…?」
鏡の中からは、幸せそうな可愛らしい顔がこちらを見ている。
黒目がちの瞳は楽しい光が映りこんで、湯上りで上気した頬はきれいに紅潮して幸せそうで。
おだやかで楽しげで幸せそうな美しい顔、これが本当に自分の顔なのだろうか?
「…英二の、おかげ…だね?」
きっと今日、英二が花束をくれたから。
そして花言葉に寄せて、心からの想いの手紙をくれたから。
だから自分は幸せな想いの顔でいる、こんな幸せが自分に訪れるなんて想っていなかった。
こんな顔になれたのは午後、仏間で捧げた祈りの通りの想いのおかげだろう。
「…ん、きっと、間違ってないよね?」
きれいに笑って周太は灯りを消すと廊下へと出た。
台所によって英二が選んだカクテルの瓶とグラスをトレイにセットする。
そして1階の戸締りを確認しながら照明を落としてく、玄関ホールでふと下駄が目に映りこんだ。
この下駄は父が愛用していたもの、今は帰ってくるたび周太は一度は履くことにしている。
…お父さん、今日はね、ありがとう
すこし微笑んで周太は、ホールの照明は1つだけ落としてから階段を上った。
2階へあがって自室の扉を開くと、白いシャツ姿の英二がデスクの花の前に佇んでいた。
「お待たせして、ごめんね?…花を見ていたの、英二?」
「うん、どの花がいちばん周太のイメージに合うかなって。はい、トレイ持つよ」
笑いかけて英二はトレイを受けとると、ベッドサイドへと置いてくれる。
そして瓶を開けて2つのグラスに注ぐと周太に渡してくれた。
「ありがとう、英二」
「うん、こっちこそだよ、周太?持ってきてくれて、ありがとうな」
そんなふうに笑いあいながら並んでベッドに腰掛けると周太はグラスを見つめた。
きれいなオレンジ色の泡がグラスの底から昇ってはひらいていく、あわい朱やさしいデスクライトの光に輝いてきれいだった。
そっとグラスに唇をつけて飲んでみるとオレンジの香がひろがる、好みの味がうれしくて周太はほっと微笑んだ。
「ん、おいしい…オレンジの味なんだね…花の、イメージを見ていたの?」
「うん、周太。どの花もきれいだけどさ、白いばらとか白い花が周太は似合うな。ね、周太はさ、どの花が好き?」
カーネーションブラックバカラ ―この隣と似た艶やかな黒ふくむ深紅の大輪の花。そしてその花言葉は?
さっきずっと考えていたことを想いださせられて混乱しそう、そんな想いのまま周太はデスクの花を見つめた。
どの花も好き、オーニソガラムMt.フジ は特に忘れられない花になると思う。
白い花は元から好き、でもあの、意味も色も深い大輪の深紅の花が気になってしまう。
でもあの花のことは恥ずかしくってとても言えやしない?あ、このお酒はすきだけど名前まだ訊いていないな?
「…なんかはずかしくなるからなんていえばいいのかな…でも白い花はすきだな…あ、ね、英二?この飲み物はなんていうの?」
なんだか考えがまとまらないまま、周太は想ったままを言った。
そんな周太に楽しそうに微笑んで英二は答えてくれる。
「うん、ミモザって言うんだよ?オレンジジュースとスパークリングワインのカクテルなんだ」
「ミモザ?…木に咲く花の名前だね、かわいいな」
ミモザはこの家の庭にも生えている。春になると黄いろに房のように咲く、かわいい不思議なまるい花。
その時に英二に見せてあげたいな。微笑んで周太はグラスをそっと飲みほすと、英二が瞳を覗きこんでくる。
どうしたのかな?不思議で見かえすと、空いたグラスを英二はそっとトレイへと戻してくれた。
そしてまた瞳を見つめると、きれいに笑って英二は周太に告げた。
「ミモザはね、周太。ヨーロッパでは結婚式で飲まれるカクテルなんだよ?」
…結婚式?
どういうことなの?
どうしてそれを今このとき英二は飲ませてくれたの?
よく解らなくて呆然としていると静かに英二はキスをしてくれた。
「…周太、俺の、婚約者さん?…もう先にね、結婚式のお酒を飲んじゃったね?」
そっと瞳見つめて囁かれて、唇に唇を重ねられて肩を抱き寄せられた。
かすかなアルコールとオレンジの香と甘やかな熱が深くなっていく、なんだか頭がぼうっとしてしまう。
…結婚式の、お酒?…それは、
ゆるやかなキスが離してくれない、強い腕に抱きしめられていく。
シャツのボタンに長い指がかけられていく、白いシャツが絡めとられて素肌が晒されてしまう。
思わずシーツを引寄せようと指を伸ばすけれど、座ったまま抱きしめられた体が動けない。
…っ、まって、
のどにつまって言葉が出て来てくれない、だってこんな座ったままなんて?
いつもベッドのシーツの海で服は奪われていた、だから顔をシーツにうずめてしまえたのに。
けれど待って、座ったままでは顔すら隠せない、素肌を晒されていく自分の体を見せられてしまう。
「…っ、」
長い指がシャツをこの腕から抜いてしまう、ほらもうあの赤い痣が見えてしまう。
途惑ったままの瞳にデスクの花々が映りこんで、深紅の花いろ華やかに心へおちていく。
その深紅の香がふっと頬を撫でて「ミモザ」の意味と花の言葉たちが重なりおちて意味がほどかれた。
…求婚の花たち、結婚式のお酒、そしてきっと、
途惑うままに長い指が腰にもかけられて素脚に花の香りがふれていく。
あわい朱のデスクライト照らす冬と春の花々「約束」の言葉たち、花の香が言葉をまとって素肌の体にふれてくる。
ライトに温まる花々は香あざやかになっていく、せりあげる心に咽る花の香にくるまれたまま、きれいに英二が笑った。
「…きれいだね、周太。ね、今夜も『好きなだけ』させてくれるんだよね?」
求婚の花たち、結婚式のお酒、そして『好きなだけ』、そして?
深紅の花の言葉がうかんで途惑って俯いてしまう、俯いた瞳には隠せない素肌の躰と花の香たちが映りこんだ。
この花の香には言葉が込められている、その言葉の全ては「結婚の約束」の想いたち。
それは自分の生れた家を断絶させるという約束、もう2度と父に与えられた姓に戻れなくなること。
…すきなだけは「絶対の約束」の意味…だから、これは「断絶する絶対の約束」
このまま英二を受入れたなら「断絶する絶対の約束」をしたことになる。
もう父たちに告げた覚悟と決意、けれど、なにも隠せない姿にされて迫られて現実となって横たわる。
いま現実になる「断絶する絶対の約束」が心を軋ませて想いが心から出てこれない。
…もう、あんなに決めたのに?どうして自分はこんなに弱いの?躊躇ってしまうの…
そんな躊躇いに座りこむ心を、そっと長い指が顎にかけられて上向かされた。
上向いた瞳にそっと英二が笑いかけてくれる、きれいな笑顔が静かに近寄せられてくる。
そして唇に唇が重なって、やわらかな熱が想いと一緒に重ねられた。
― わかっているよ、でも躊躇わないでほしいな
そう、解ってくれている。この愛するひとは。
愛するひとは誰よりも自分を理解して家を想ってくれている、そう自分は知っている。
このいま重ねてくれる唇がいつも、真直ぐ想いを告げて真実も教えてくれるから。
「周太、…愛している、」
そっと離れた端正な唇を周太は見つめた、その唇がしずかに首筋へとふりかかる。
そして抱きしめてくれる腕の中に座りこんだ素肌へと、熱い唇がよせられて想いが刻まれてしまう。
首筋へ、肩へ、鎖骨のくぼみ、胸元へ。あわい赤の花が肌へ次々に咲いていく。
…やさしい想い、熱い想い、真直ぐ純粋な想い…
ふりそそぐキスの想いが心に響いておちていく。その想いのひとつずつが熱くて重みが温かい。
もう自分の躰を支えることも出来ない、ゆるやかに崩れおつ躰を強い腕が支えていく。
なにも解らなくなりそうな頭を強い肩で支えてくれながら、きれいな笑顔がねだってくれた。
「ね、周太?…もう俺と婚約したよね?お願い、好きなだけ、させて…いいよね?」
抱えられる腕にゆだねる躰から吐息がこぼれて、吐息にキスが重ねられた。
そっと離れて見つめた切長い目は真直ぐで、どこまでも実直で穏やかな静謐が充ちている。
この目を初めて見た瞬間に自分は恋に落ちた、この笑顔が大好きな想い一つに自分は卒業式の夜に心も体も委ねてしまった。
そんな自分はとっくに決めている。それをきっと父は、自分に繋がる人達は、ずっと静かに見つめてくれていた。
だからきっと正しい選択が自分は出来ている、静かに周太の唇が開いた。
「…必ず、帰ってきてくれる?…富士山からも、毎日登る冬の山からも…俺の隣に、いつも?」
「うん、必ず帰るよ?…だってね、俺、こんなふうにね…周太のことずっと、抱きしめたいんだ」
そんな言葉と想いと一緒に長い指がふれてくる、心ごと解かれ熔かして、ずっと一緒にいたいと願ってしまう。
もうこんなに好きで愛している、どうかずっと自分の隣に帰ってきてほしい。
唇を重ねてふれそうな吐息を交していく。静かに離れて見つめ合うとそっと英二は微笑んだ。
「愛してる、周太…ね、俺のこともっと愛してよ?…そして俺の嫁さんになって、ね?」
きれいな笑顔は心から幸せそうに「絶対の約束」をねだってくれる。
こんな笑顔を見たいと願うままに、ずっと今日まで自分はこの隣で見つめてきた。
そのために全てを懸けて生きていきたい、気恥ずかしく微笑んで周太は答えた。
「ん、…はい。…およめさんに、して?」
きれいな笑顔が英二の顔に華やいだ、深紅の花ブラックバカラのように艶と深み美しい華やぎ。
見つめられ抱きしめられて周太は白いシーツへしずめられて吐息をついた。
「うん、嫁さんにする。周太?俺とね、世界一に幸せになろう?」
世界一に幸せに、最高峰からの想いのままに?
こんな姿で気恥ずかしい、それでも想いは静かで温かい。きれいに笑って周太は答えた。
「…はい、」
…愛している、あなただけ 幸せは君と一緒にしか、見つけられない
(to be continued)
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