萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第32話 高峰act7―side story「陽はまた昇る」

2012-01-25 23:59:51 | 陽はまた昇るside story
山に抱かれ、山に生き、




第32話 高峰act7―side story「陽はまた昇る」

佐藤小屋の4月の営業予定表を主人から貰うと、英二と国村は手帳を出した。
お互いのシフトと青梅署山岳救助隊の訓練予定を見、数日の候補が上げられる。
それを主人に相談すると全部の日を仮予約させてくれた。

「キャンセル料なんて勿論いらない、今回は本当に世話になってしまったからね。危険に晒してしまって、すまなかった」

主人は率直に頭を下げてくれる。
けれどこの主人は何も悪くない、英二はすこし困ってしまった。
この小屋の主は冬富士のシーズンは予約の時点で装備確認をしてくれる。
そして冬富士登山に相応しくない登山客については注意を促し、経験不足の場合は宿泊も断る。
そんなふうに主人も冬富士での遭難が減るように努力していることを、英二も知っていた。
謝る必要なんてないのに?目でそう言いながら英二は微笑んだ。

「おやじさん、そんな頭を下げないでください?おやじさんは何も悪くないです。
 彼は宿泊客じゃない方でしょう、おやじさんでも止められません。
 それにね、俺たちが自分から救助に行ったんですから。あとすみません、もう一杯お汁粉を国村に頂けますか?」

きれいに主人に笑いかけると、ふっと主人の目が懐かしい想いを映しこんだ。
うなずいて快く主人は国村に熱い汁粉を渡してくれる。そして主人は穏やかに教えてくれた。

「うん…ありがとう。宮田くん、こんなこと言うと気を悪くするかもしれないが…
 君は、本当に雅樹くんによく似ている。雅樹くんも同じように救助へ向かって、同じようにね、俺に笑いかけてくれた」

吉村雅樹。
青梅署警察医吉村雅也医師の次男で、救命救急士の資格を持った山ヤの医学生だった。
彼は救急法に最年少合格した15歳の時から救命救急道具を携帯し、出会った多くの登山者を遭難事故から救っていた。
けれど医学部5回生の秋に長野の高峰で不運な滑落事故に遭い、骨折の為に身動きできず山の冷たい夜に抱かれ亡くなった。
その雅樹と似ていると英二はよく言われる、雅樹の父である吉村医師にも。
そのことが英二は誇らしい、おだやかに微笑んで英二は想うままを話した。

「おやじさん。俺はまだ新人警察官で、山ヤになってからも3ヶ月半です。
 山岳レスキューも警察学校で初めて知りました、この世界に立ったばかりの初心者です。
 そんな俺がね?子供の頃から山岳レスキューをされた雅樹さんと似ていると言って貰える。本当に光栄で幸せです。
 俺は雅樹さんにお会いしたことはありません、けれど皆さんから話を聴くたびに尊敬します。きっとね、大好きなひとです」

主人の目に涙がゆれた。
ゆっくり瞬いて涙を収めると主人が頷いて微笑んだ。

「うん、ありがとう。すまないね、涙もろくて…雅樹くんはね、本当に良い男だった。
 最初に来てくれたのは中学生の時だったよ。吉村先生と一緒に夏富士に登っていた、いつも楽しそうでね。
 高校生になってから冬富士に先生と登りに来るようになったよ、先生に贈られた救急セットを嬉しそうに見せてくれて。
 今日みたいに遭難事故が起きたことがあってな、先生と2人で救助を手伝ってくれた。先生と一緒に登山客を救ってくれたよ」

懐かしい記憶に主人は微笑んだ。
微笑んで英二の目を真直ぐに見て、言ってくれた。

「俺もね、雅樹くんが大好きだった。彼はまだ医学生だったけれど、ほんとうに立派な山ヤの医者だったよ。
 そして宮田くん、君に会えて俺はうれしいよ。雅樹くんは亡くなったけれど、君のような男が雅樹くんの想いを繋いでくれる。
 またここへ来てくれ。宮田くん、君は絶対に遭難で死なないでくれ。雅樹くんの分も山に登って笑って天寿を全うしてほしい」

言い終えて主人はひとつ涙をこぼすと「すまないね、」と笑ってくれた。
この主人は富士の山小屋の主として沢山の人間を見ている、そういう男が涙をこぼして懐かしんで惜しがる青年。
ほんとうに雅樹は良い男だったのだろう。そんな雅樹の分まで生きろと言って貰える、ありがたくて英二は心から笑った。

「はい、おやじさん。俺は絶対に無事に帰ります。
 必ず帰るって、大切なひとに『絶対の約束』をしているんです。だから俺は大丈夫です、ほら、今日も無事でしょう?」

きれいに英二は主人へと笑いかけた。
そんな英二に愉しそうに主人は笑って答えてくれる。

「宮田くん、大切なひとがいるんだね?いいな、青春だね。こんど夏富士に連れておいで」
「はい、ありがとうございます。ぜひ連れてきたいです」

周太は富士山に登ったことはあるだろうか?
そして早く周太に連絡してやりたい、けれど携帯の電波はずっと圏外のままでいる。
きっと雪崩の衝撃波とその爆風で電波が乱れたままなのだろう、ふと見た窓の外は青空でも吹く風に小雪が舞っている。
左手首のクライマーウォッチは11時半前を指していた、下山予定時刻の9時半をとっくに過ぎている。

― 周太、きっと心配しているだろうな

昨夜の電話で下山したらメールすると話した、そして予定時刻も告げてある。
今日の周太は当番勤務で射撃特練の練習も午後からでいる、もしかしたら電話を架けてくれたかもしれない。
けれどこの風雪状況で電波障害が起きている、きっと繋がらずに留守番電話になってしまっただろう。
下山すれば電波が届くだろうか?そっとため息を吐いた英二に主人が思わずつぶやいた。

「いや、…ほんとうに雅樹くんに似ているな、憂い顔だと余計に。いや、何度も済まない」

言ってしまってから主人が申し訳なさそうに謝ってくれる。
ほんとうに謝らなくていいのに?目だけで言って英二はきれいに笑いかけた。
そんな英二の横で熱い汁粉を飲み終えた国村が、いつもの調子で飄々と笑って英二の額を小突いた。

「たしかに似てるね、宮田は。でも雅樹さんは上品だったよ?おやじさん、こいつはね、エロいばっかでダメです」
「そうなのかい?じゃあ、そこは似ていないなあ」

主人も笑ってしまった。こんなふうに国村は陽気にまぜっ返す、そして笑わせてしまう。
こういう国村の明るさが英二は好きだ、可笑しくて英二も笑ってしまった。
そうして一緒に笑いながらも英二は国村の様子を観察し続けている、国村の体の状態を英二は気にしていた。

国村は雪崩の爆風で跳んだ雪塊に衝突され、10分強ほどの時間を雪に埋没した。
本来、国村は英二と同等以上のパワーの持ち主でいる。そんな国村がピッケルごと吹っ飛ばされる衝撃を受けた。
どこかしら負傷して当然の状況だった、その怪我の程度と箇所は国村の様子から英二には見当がついている。
けれど負傷によるショック徴候の4項目は救出時から出ていない。

負傷した時のショック徴候は5項目ある。

1.ぐったりしていないか
2.冷たく湿った汗をかいていないか
3.息が苦しそうではないか
4.脈が弱く早くないか
5.顔色が蒼白くないか

最後の5項目めだけは該当した。
雪から掘り出し意識を戻した国村は、普段は冷気に紅潮する頬が真白なままだった。
その顔色を英二は低体温症の初期と判断した。他4項目の兆候が無く、短時間でも雪に埋没した以上は低体温症を疑うべきと考えた。
また負傷のショックも保温が重要になることから、国村の体温回復を待って怪我の処置に入ろうと英二は決めた。

低体温症の初期段階では誤嚥の心配がない状態なら、温かい糖分を含んだ飲み物を与え体温低下を可能な限り防ぐ。
それで英二は主人に汁粉を作って貰って飲みながら国村の様子を観察していた。
いま熱い汁粉で糖分と温度を摂り、ストーブで温まった国村の頬は薄紅色に染まっている。
見立て通りに低体温症のごく初期だったらしい、この元気に喋っている様子なら体温を取り戻せただろう。
そろそろ怪我の手当てに入りたい、国村と笑っている主人に英二はお願いをした。

「すみません、部屋をお借りできますか?自分たちの応急手当したいんです」
「ああ、気づかずにすまなかった。自由に使ってくれ、湯は使うかい?」

また率直に詫びてくれながら主人は盥と防水シートを用意してくれる。
素早い主人の対応に感謝しながら英二はもう1つお願いをした。

「はい、助かります。あと、ストーブも使っていいですか?」
「もちろんだよ、温かくしてくれ。はい、湯だ。熱いから気をつけてくれな?」

盥の湯と防水シートを受けとり英二は国村を振り返った。
すると国村は遭難者の男を眺めて唇の端を上げかけている、きっと「応急手当」に反応して低気圧が再発生し始めた。
さっき彼は散々に国村にお灸を据えられた後でいる、これ以上は可哀想だろう。さり気なく英二は声をかけた。

「ほら、国村?行くよ、早く手当して下山しよう」
「うん?あー…、はいはい」

命拾いしたよね?そんな笑みを男に投げると国村は踵を返した。
どうやら素直に従ってくれるらしい、ほっとして英二は主人に借りた部屋に向かった。
昨夜2人が泊まった個室を主人は貸してくれてある、ストーブも入れてくれた。ありがたいなと心から感謝に英二は微笑んだ。
防水シートを畳に敷いて盥を乗せると手を洗いながら、立ったまま英二を眺めている国村に声を掛けた。

「はい、脱いだらストーブの近くに座って」
「どこまで脱げばいい?」

ネックゲイターを外しながら愉しげに国村がきいてくる。
そんないつもの調子に英二は手を拭きながら笑ってしまった。

「なに、国村。俺が言ったら、全部でも脱ぐのかよ?」
「まあね。とうとう宮田もさ、かわいい俺に欲情したのかと思ってね」

からり笑いながら国村はアウターシェルの上着を脱ぐとアンダーウェアも脱いでいく。
文学青年風の上品な容貌に似合わず国村は、こんな艶っぽい会話が大好きだ。
いつもながら可笑しくて笑いながら英二は、自分と同等に長身の友人を見あげた。

「俺はね、周太だけだよ。脱ぐのは怪我したとこだけでいいだろ?左肩だけだよな、上半身だけ脱いで」
「ふうん?おまえ、俺の怪我が解るんだ?」

感心したように国村がきいてくれる。
救命救急用具を手早く広げながら英二は微笑んだ。

「うん、だって国村?左肩のストラップを何度か気にしていたよな、それで痛いんだろうと思ってさ。違った?」
「当たり。おまえの言う通りだよ、まあ痛みは少ないけどさ。さすがだね、宮田」

笑いながらTシャツも脱ぐと国村はストーブの前に胡坐をかいた。
ぬけるような白い肌の体は細身でも、均整のとれた筋肉が無駄なく端正についている。
その左肩を見、英二は一瞬かすかに眉をひそめた、それでも普段通りの手順で処置を英二は進めていく。
脈を診、リフィリングテストを終えて患部への処置を始める。いつも通りの声のトーンで英二は友人に訊いた。

「国村、痛みはどうだ?」

国村の左肩には大きく蒼黒い出血斑が広がっている。
打撲をすると皮下組織を傷つけ出血するため、皮下に青黒く出血斑が出現して腫れてくる。
けれど国村の出血斑には腫れは殆ど出ていない、ごく軽度の打撲で受傷状態が防がれている。
それでも雪白の肌なだけに出血斑が痛々しい、けれど国村はからりと何でもないふうに笑った。

「うん?そんなに痛くはないね、ただストラップが擦れると気になってさ。打ち身位だろ?」
「そうだな。じゃあ、まず触診させてもらうな?」

骨折の症状には「限局性圧痛」があり、負傷箇所を軽く指で押すと骨折部位に限局して圧迫痛を感じることを言う。
押したとき骨の上だけ強い痛みを感じたら骨折または不全骨折、俗にいうヒビの可能性が考えられる。
また骨折により骨が曲がり強い腫脹、腫れが起こった時は骨折部位を押すと「ギシギシ」「ボキボキ」といった軋轢音が生じる。
この軋轢音は骨折で割れた骨が擦れ合って起こるもので骨折特有の症状になる。
国村の肩には変形は見られず腫れも少ない、けれど雪崩に跳んだ雪塊がぶつかった衝撃は大きかった。
それでも軽傷であってほしい、祈りながら英二は静かに患部に触れた。

「うん、腫れは少ないな」

やはり見た通り腫れは少ない。これなら軽度の打撲である可能性が高い、きっと大丈夫だろう。
けれど雪崩の爆風による衝撃に直撃し、しかも受傷から1時間以上経過している。
にも拘らず国村の状態は最小限で止められている。

― これは、雪に埋没したことが、幸いしたのかもしれない

こういう事もあるのか?偶然のようで必然的にすぎる、けれど国村なら頷ける気がする。
そう考え込む英二に国村が笑って言った。

「だろ?痛みも無いしね、痣はちょっと目立つけどさ?ま、俺が可愛い色白だからだろ」
「まあ、色白なのは確かだな。…うん、やっぱりな。患部の拡大が防がれている」

応急手当の手順はRICES処置と言われ、Rest患部全身の安静・Icing冷却・Compression圧迫が初めの3つになる。
そしてElevation高挙で患部を心臓より高い位置に保ち腫れを抑え、Stablization固定で受傷の拡大を防ぐ。
この5つを受傷後のなるべく早い段階で行い、その後は20分おきに24~72時間は続ける。
ただし山の場合は本人が歩かずに済む下山後に行うことになる。

今回の国村の場合、このRICES処置を「雪中への埋没」で全て行ったことになる。
国村は肩への受傷直後に砕けた雪塊に埋められ、身動きが取れずRest・雪に冷やされIcing・圧迫されたCompression
そして国村は右を下に横たわる状態で埋没していたから、患部の左肩をElevationしながら雪にStablizationされた事になる。

そんなふうに国村は「雪山の力」で手当てを受けたことになる。
雪崩で跳んだ雪塊に国村は怪我をさせられた、けれど雪によって手当てを受けて無事でいる。
こんなふうに国村は「山」に愛されていく存在なのかも知れない。

― やっぱり国村は「山の申し子」なんだ

こんな不思議な男が自分の友人でアンザイレンパートナー。
けれどこの不思議な男は生身の人間で、山でも寮でも自分の横に立って笑っている。
ほんとうに人間も自然も不思議なことが起きる、こんなふうに自分が考えられるようになった事も不思議だ。
山は不思議だ、そんな想いに軽く頷くと英二は患部に指の腹をやわらかく当てた。

「じゃ、国村。ちょっと押していくよ?痛みがあったら教えてくれな、」
「押されて痛いなんてさ、初体験の時みたいだね。お・ね・が・い、宮田…やさしくして?」

含羞んだような表情で言いながらも底抜けに明るい目が愉しげに笑っている。
こんな時でも面白いんだな?可笑しくって英二は笑いながら答えた。

「やさしくするよ?言われなくってもね。では、始めます」

出血斑うかぶ箇所を軽く押していっても軋轢音は感じられない、骨は傷めていないらしい。
万遍なく出血斑を押していきながら英二は訊いた。

「圧迫される痛みや強い痛みはあるか?あと、ギシギシするようなさ、何か音は聞こえる?」
「どっちも無いね、っていうかさ?おまえ、触り方がエロいな。いいね、どきどきするね」

うれしく喜んで国村は愉しげに笑っている。
あんな遭難をしかけた直後でも、いつも通りに国村は元気にエロトークをしている。
こうまで陽気な友人に呆れながらも安心して英二は笑った。

「そんなに俺、エロいかな?」
「かなりのエロだね、焦らされる気分になるよ?いいね、その調子で続けて」
「なんだか目的が違う方向だな。おまえ、ほんとエロオヤジだよな、」
「そ。いつも言ってるだろ?俺は山千のエロオヤジだよ、マジ好きなんだよね。あ、そこ気持ちいい。エロだね、宮田?」

からり笑いながら国村は処置を受けている。
たしかに痛みは無さそうな様子に英二は少し安心した、けれど肩にかかる打撲であることが気になる。
軽度の打撲は湿布して包帯固定すれば1~2週間程で完治するが、肩など関節周囲の打撲は専門家による施術を要することもある。
いまも状態次第ではエラスチックバンデージでの固定を施す必要がある、ただ下山を考えると固定により動きを制限することは怖い。
どちらの処置が良いだろう?ふれる指先の感触と骨、筋繊維の状態に注意して英二は慎重に触診を続けていく。

肩甲骨と鎖骨を繋ぐ肩鎖関節の観察を英二は始めた、ここは激しく肩をぶつけると脱臼を起こす部位になる。
見たところ出血斑は出ていないが、国村は激しい衝撃で肩を痛めている。念のため脱臼を疑う方が良い。
もし脱臼を起こした場合は靭帯が損傷し圧痛と腫れの症状があり、患部を押すと浮き沈みするピアノキーサインが現れる。
慎重に押してみるとサインは現れなかった。ここの脱臼も心配ないらしい、ほっとする英二に国村が嬉しげに笑いかけてきた。

「俺、鎖骨って弱いんだよね。今のマジ良かったよ、もう一回やってくれない?」
「喜んでもらえて良かったよ。でも、もう一回は機会あればな?はい、肩全体の触診をするよ」

笑って応じながら肩関節全体の観察と触診をしていく。
肩関節の脱臼は外れた瞬間に激しい痛みがあり、肩甲骨の上が出っ張ることがある。
そして腱側と比べて上腕骨部がすこし前方へ突き出し腕が外側へ開くようになる。
どの特徴も国村の肩には出ていない、脱臼の心配も無さそうだ。軽く頷いて英二は国村に指示を出した。

「じゃあ国村、ゆっくり腕をあげてみてくれる?」
「おう、こんなんで良い?」

ゆっくりと国村は白い左腕をあげて動かしていく。その動きに無理は無い。
もし脱臼を生じると関節がスムーズに稼働できず激痛が生じて、こんなふうに自由には動かせなくなる。
ゆっくり稼働していく国村の首から肩に腕と、筋肉の動き方にも不自然は無い。
これなら脱臼の心配はないだろう、そう見ている英二に国村が愉しげに言った。

「ずいぶん見惚れちゃってるね、おまえ。俺の体ってさ、マジきれいだろ?ほら、よく見ろよ」

もちろん国村も警察官として救急法は取得しているから「観察」だと解っているだろう。
それでも言いたがる国村は本当にエロオヤジで、秀麗な容貌とのギャップが酷い。
いろいろ可笑しくて笑いながら英二はテーピングを取出した。

「まあな、確かに国村はきれいだよ? じゃあ、念のためテーピングするな」
「だろ?俺は肌きれいだし、体毛も薄いからね。テーピング、あんまりキツくしないでくれな?」
「了解、でも適度には固定するからな?」

国村の場合は腫れが少ない、けれど肩に出血斑が広がっている以上は「関節周囲の打撲」として処置をする。
関節周囲の打撲では関節運動のたびに傷ついた組織が動くことになり、他箇所と比較して内出血や腫れが起きやすい。
そうした受傷の拡散防止としてテーピング固定を施す。

「はい、じゃあ国村。ちょっと動かないでくれな」
「動くな、なんてさ。されるがままって感じだよな? あ、テーピングもエロいね、おまえ。いいね、もっとやって?」
「そんなに喜ばれると思わなかったよ?…うん、腫れも出ていないな」

手際よくテーピングを施しながら英二はクライマーウォッチを見た。
国村が雪塊に激突したのは10:15頃、現在時刻は11:50を過ぎようとしている。
受傷から2時間弱の経過だが患部の拡散は無い、やはり受傷直後に雪に埋没したことが幸いした。
あとは雪塊はザックをクッションにして肩にぶつかった可能性が高い、直撃ならもっと衝撃が肩に響いている。
そして国村は特練だった御岳駐在所長岩崎から教わった逮捕術を得意とする、きっと受身を咄嗟にとれた。
好条件が重なって国村は軽傷で済んでいる。良かったなとクライマーウォッチを見、つい英二は時間が気になってしまう。
今頃は周太は、どうしているだろう?

― 周太…きっと、心配させているだろうな

きっと連絡が無い英二を心配してくれている。
初雪が降った夜に周太は、これから雪山の危険に立つ英二の無事を祈りながら『絶対の約束』を結んでくれた。
そんな周太が今この時に心配をしないはずがない。ほんとうに心配させて、きっと泣かせてしまっている。
やさしい婚約者の心配を気遣いながら英二はテーピング処置を終えた。

「はい、完了。これなら不自由なくは動かせるだろ?」

盥の湯で手を洗いながら英二は国村に笑いかけた。
ゆっくり左肩を動かし確認すると国村は、底抜けに明るい目で愉快気に笑って答えた。

「うん、いい感じだね。ありがとうな、宮田。ほんと俺の専属レスキューだな、」

今日は雪崩の爆風と雪への埋没から国村を救けることが出来た。そして無事に手当てもしてやれた。
こんなふうに専属レスキューとして支えて、最高峰を登るアンザイレンパートナーとして生きていく。
すこしは夢に一歩近づけているかな?きれいに笑って英二は答えた。

「どういたしまして。あんまり無理に動かすなよ?下山したら病院に寄ろう」

関節周囲の打撲は、関節の運動範囲が狭まったり動かなくなる「関節拘縮」を生じることがある。
関節拘縮は皮下出血した血液が線維化する過程における関節組織の部分的癒着が原因になる。
または皮下出血がしこり状の瘢痕組織となって、関節機能を司る組織の運動妨害することにより起きる。
そうなると半年から1年の治療期間を要する、または後遺症として関節拘縮が完治しない状態で固まる恐れもある。
だから関節周囲の打撲では専門医への受診は必要になる。

「そうだな、うん。ちょっと寄らせてもらうかな」
「肩が動かないとクライミングは難しくなる、念には念を入れよう」
「おう、最高峰に行けないのは困るからね。ちゃんとするよ」」

素直に頷きながら国村は左肩に気をつけながら服を着ていく。
無理なく肩を動かせているらしい、良かったなと微笑んで英二も救命救急道具を片づけた。
きちんとストーブも消して後片付けをすると盥と防水シートも持って部屋を出た。
並んで廊下を歩く横で国村が愉しげに笑っている。

「うん、男でもさ?美人に触られるのは悪くないね、癖になりそうだな。宮田、また、お・ね・が・い?」
「まあな、怪我したら手当てするよ?おまえの専属レスキューやるんだしさ。でも怪我なんかするなよ、痛いし困るだろ?」
「怪我してなくても触ってよね?おまえの指使いのエロさ、マジ良いよ?」
「ダメ、応急処置以外では嫌だよ?俺のエロはね、全て周太だけに限定提供だからね。悪いけど国村でもダメ」

そんな他愛ない会話で笑いながら食堂に行くと主人が遭難者の男の相手をしてくれている。
英二は盥と防水シートを返しながら礼を述べた。

「ありがとうございました、お蔭できちんと手当が出来ました」
「ああ、良かったよ。もうじき富士吉田署の救助隊もつくそうだ、」
「良かった、じゃあ引継ぎ済んだら俺たちも下山します、」

話しながら英二は救助者の状況報告書を取出した。
これは山岳救助隊として遭難救助したとき、消防へ救助者の引継をする時に書いている。
このフォーマットは英二が吉村医師と後藤副隊長に相談して作った、それを今日はプライベートだけれど持ってきた。
さっき国村の体温回復を待ちながら汁粉を飲んでいた時、遭難した男に「一言」をかます国村の横で英二はこれを書いておいた。
さっと目を通して確認していると主人が感心したように覗きこんだ。

「へえ、これ宮田くんが作っているのかい?」
「はい。吉村先生と上司に相談して作りました。引継ぎが短時間で出来ますし、受入れ病院でも参考にして貰えればと思って」

遭難の日時、天候状況、現場状況。遭難者氏名、装備、健康の経過状態、受傷状態。それから遭難原因。
そうした遭難救助の詳細データを記載できる用紙でカーボンを挟んで2枚複写式になっている。
その写しを消防署の救命救急士へ引継ぎで渡す。正本は自分の控えにしてデータ入力する際の資料にし、吉村医師への質問にも使う。
今回は業務としてデータ化する必要はないけれど、吉村医師への質問には使いたい。
英二はペンと新しい状況報告書を出すと国村の内容を書き留め始めた。
こうした書類作成も3ヶ月半ですっかり慣れている、手早くても端正な筆跡でまとめ終わると横から国村が勝手に取り上げた。

「ふうん、俺の見立てって、こうなんだね。で、これをどこに出すわけ?」
「おまえが掛かる病院だよ、下山してすぐ行くだろ?これがある方が話が早い、だろ?」
「なるほどね、うん。だな」

そう話している所へと富士吉田警察署の救助隊員と消防署員が到着した。降雪で道路が封鎖され遅れたらしい。
英二は消防の救命救急士に書類を渡して引継ぎを始めた。いつも通りに状況報告を示して話を進めていく。
報告書には7合目のファーストエイドと山小屋到着後と、2回分の脈拍計測とリフィリングテスト、観察の経過が記載してある。
すぐに引継ぎを終えると救命救急士が英二に微笑んだ。

「とても適確で解りやすいです、君は医学生ですか?」

訊かれて英二は瞬間的に考え込んだ。
今日の国村は「今はただの山ヤだよな。任務からも警察官の肩書も俺はいま無関係だね?」と宣言している。
けれどいま質問されて嘘をつくわけにもいかないだろう。
さあ何て答えようか?そう考えている横から国村が笑って言ってくれた。

「いいえ、社会人でただの山ヤです。報告終わったんだろ?下山するよ、俺もう腹減っちゃうからさ」
「あ、お引止めして申し訳ありません。ご協力ありがとうございました、」

そう言って救命救急士は微笑んでくれた。
いま嘘を吐いている訳ではないけれど?なんとなく申し訳ない気持ちになりながら英二は端正に頭を下げた。

「いいえ、お役にたてば良いのですが」
「はい、とても役に立ちます。ありがとうございました、」

挨拶を述べると英二は登山ザックを背負った。
アイゼンを装着しながらも救助者の男の様子を見ると、しっかりと受け答えをしている。
もう大丈夫だろう、良かったなと微笑んだ英二に救命救急士が話しかけようとした。
けれど横から英二は腕を掴まれて振り返ってしまった、振向いた先で国村が笑って言った。

「ほら行くよ?お先に失礼します。おやじさん、ありがとうございました」

そのまま国村は笑いながら山小屋の外へと英二を押し出した。
そして扉を閉めると英二の腕を掴んだまま、さっさと歩いていく。
きっと富士吉田署の救助隊に自分達が警視庁山岳救助隊員だと知られたくないのだろう。
小雪が舞う登山道を、腕を掴まれたまま並んで歩きながら英二は笑った。

「国村。腕、離して大丈夫だって。誰も追いかけてこないよ?誰もさ、俺たちを事情聴取しないから」
「うん?ほんとだ、誰も来てないな?よし、」

からり笑うと国村は掴んでいた腕を放してくれた。
それでもアイゼンでさくさく雪を踏むスピードは緩めない、よほど事情聴取されたくないのだろう。
山梨県警には後藤副隊長の友人がいる、その友人に自分が後藤の縁故者で救助隊員だとばれるのが面倒だと国村は思っている。
これは早いペースで下山できそうだな?アイゼンワークに気をつけながら英二は国村のペースで下山して行った。



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