tact 応変の機
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/bb/57f65ba90d4428778442f28d848fde07.jpg)
第75話 回顧act.6-side story「陽はまた昇る」
水音かすかに谺する、その響きは遠い。
遠い、でも大らかな飛沫の気配は伝わらす、その音源が思ったより高い。
いま11月冬の初めに藪は霜枯れて、踏跡ない道にも歩きやすくなっている。
けれど深い山懐は木々の葉を茂らせ針葉樹も視界を塞ぐ、それでも山ヤは笑った。
「宮田、もう滝の気配があるだろう?でも人の気配が無いなあ、」
困ったよう笑いながらも深い声どこか明るい。
救助へ向かう緊張感に背すじ伸ばしている、その張りが嬉しくて英二は笑った。
「他の仕事道を辿ったのかもしれませんね?後藤さん、呼吸は痛みませんか、」
「大丈夫だよ。どこにいるんだろうなあ、滝探しと言われても奥多摩は滝が沢山あるよ、なあ?」
思案する声も手術前のままに明るい。
いま任務に立つ誇らかな喜びがある、その真直ぐな眼差しに呵責ひとつ痛む。
―山岳救助隊を俺は結局利用してるんだ、自分勝手な理由で、
周太を救けたい、それだけが最初の理由だった。
父親の馨を追いかけて警察官になった周太なら進路はどこに行く?
その道を援けて自分の適性を最大限に活かせる部署が山岳救助隊員だった。
それだけが最初の動機で、けれど踏込んだ山の世界に見つけた憧憬と夢が今は離せない。
離せないほど今は山を見つめている、それでも山で掴んだ立場と力を復讐に使おうとしていることは、事実だ。
―こんなこと本当なら山ヤとして不純だ、それでも後藤さんは泣かせてくれたんだ…今も、
さっき自分は泣いた。
こみあげる嘔吐感に竦んで、その原因を自覚した途端に涙あふれた。
あんなふうに泣いてしまう弱さが自分にある、それが悔しくて、けれど受けとめられた安堵は温かい。
『ふるさとに想って良いんだ…奥多摩は誰のものでもない、ふるさとに想う者には故郷になってくれる』
ふるさと、その言葉に籠められた祈りが温かい。
こんな自分にも帰りたいと願う場所が出来てしまった、その場所をここに願いたい。
唯ひとり帰りたいと願う相手がいる、あのひとを連れて故郷に帰られる日を信じても良いのだろうか?
―周太、もし今も約束を笑ってくれるなら俺は卑怯でもいい、ここに周太と故郷を作りたいよ?
“周太”
名前呼んで見あげた頭上は木洩陽ゆれる、この光の向こう東の空で大切な人は今を生きている。
いま生きてくれている、そう想えるだけで幸せだと山と警察官の日々に幾つの命で教わったろう?
この一年間、警察官として山岳救助隊員として一年間に見たものは生命と死と尊厳、そして「鎖」だ。
“英二なら巧く遣えそうだから教えたのだ、私にも後継者は必要だろう?私の周りにとってな、”
祖父に言われた現実は「鎖」だろう、けれどもう一方の鎖を解く鍵になる。
この鎖を繰るなら約束は叶えられるかもしれない、そのために今も自分は秘密も嘘も抱いたまま山を駆ける。
“山の泥は高潔なのだろうな、それも好い禊ぎだろう、官庁の泥を落すのに調度いい。
泥が無ければ草も生えん、醜いようで役に立つものだ。官僚に限らず高潔に生きられる者など、稀だ、”
いま山に居る、それなのに祖父の言葉が一歩に響く。
こんなふう囚われることすら疎ましい、けれど今は疎ましいだけの感情じゃない。
“内務省に列なる男として知る運命なのかもしれんな、こうして私に訊きに来ることも含めて、英二が望まなくても後継者になるべくして”
祖父の声が記憶を揺らす、その言葉に現実と理想は違い過ぎる。
告げられた道どれも望みたくなかった、だから4年の無沙汰をしていた、けれど今は幸運だと思っている。
そんな今を去年の自分は思いつきもしなかった、そして後藤も事実関係を知ったなら何を想うのだろう?
―俺と鷲田の関係は調べればすぐ解かる、蒔田さんは知ってるかもしれないけど何も話していない、話さないことが俺に対するカードだから、
蒔田を「利用」に惹きこんだ、それを後藤は知ってはいない。
けれど気づいているだろうか?そんな打算的思案と率直な敬意に見つめる横顔が笑った。
「光一ならすぐ見当つくんだろうがなあ、やっぱり地元の生え抜きには敵わんよ、」
ずきり、名前ひとつに刺されて鼓動が軋む。
さっきも話題にしていた名前、その名前に今の思案を見透かされたよう痛い。
この名前にこそ「利用」の自責は痛くて、また迫りあげる胸抑えた手に固い小さな輪郭ふれた。
『周の父親が遣っていた鍵よ、この鍵で帰ってきて?周のために、』
この鍵に自分は今を選んだ。
その願いも自責も登山ジャケットごと胸もと握りしめた先、大らかに深い声が微笑んだ。
「光一のこと、そんなに遠慮しないで大丈夫だ。あいつは自分のしたいことしかしない、それくらいワガママだよ、」
「はい、」
素直に微笑んで頷いて、言われた通りなのだと解っている。
けれど「したいこと」を誘導する方法を自分は知っている、それはあの男も同じだ。
―観碕、おまえも俺みたいに人を惹きこんでるんだろ?法治国家を大義名分にして、
観碕征治、
あの男が目的とするのは「国家」大義名分で正当化の盾。
けれど自分は国家など関係ない、周りも本当は関係ない、唯ひとり護れたらそれでいい。
こんな自分こそ我儘勝手だから呵責して吐気まで迫り上げた、その弱い卑怯に笑って英二は提案した。
「後藤さん、吉村先生に訊いてみませんか?知られていないルートもよくご存知ですし、間違えそうな滝もご存知かもしれません、」
「お、なるほど吉村か、」
頷いて立止り無線機を出してくれる。
今日は祝日でも金曜だから青梅署にいるだろう、その予想通り後藤が笑った。
「おつかれさん吉村、速滝の別ルートと間違えそうな滝を教えてくれんか?…ああ、入谷川上流から回り込んでる、踏跡が今のところないんだ、」
会話の応酬を聴きながら登山パンツのポケット手を入れる。
オレンジ色の飴ひとつ口に放り込んで、ふわり爽やかな甘い味に微笑んだ。
―この飴を最初にもらったのは青梅駅だったな、卒配の日、
『それやる、…待ってるから』
はちみつオレンジのど飴、このパッケージごと約束を贈ってくれた。
あの言葉が嬉しくて必ず帰ると願って、そのために自分は努力も狡猾も積んでしまう。
今も山岳救助隊である立場を利用して警察最高の山ヤに付き添って「罠」を壊す鍵を掴もうとする。
―後藤さんすみません、吉村先生も…二人の厚意を俺は利用している、でもいつか、
後藤と吉村、山岳救助隊副隊長と警察医、どちらも青梅署の幹部で山岳レスキューの世界に影響が大きい。
その影響力を利用している、けれど敬愛も憧憬も二人に見ているから自責に嘔吐感も迫り上げた。
そんな自分の体の正直に願ってしまう、いつか利用が終わる日を迎えられたら?
いつか自分も唯「山」に生きることが出来るだろうか?
―雅樹さん、あなたのように俺でも生きられますか?光一やあなたみたいに、
光一のように雅樹のように生きてみたい、唯ひとり想い自分の信じた場所で笑っていたい。
その場所をこの奥多摩に山に選びたくて、それなのに利用しか出来ない自分の歪に自分で吐気こみあげる。
こんな中途半端の狡猾は逆に卑怯だろう?そんな想いにもオレンジの香あまく優しいまま空仰いで、木洩陽に笑った。
「決めたんだ、もう、」
もう自分は決めて選んだ、それなら潔く最期まで貫くしかない。
光一の真直ぐな背中に憧れて山ヤの警察官になった、けれど憧れても羨んでも自分は自分の生き方しか選べない。
同じ職業、同じ立場、同じ山の世界、そしてザイルパートナー、それでも違い過ぎる自分達なのだと今なら認められる。
あんなふうに純粋な生き方を自分は選べない、憧れても辿りつけない、だけど自分の行先も思ったより悪くないかもしれない。
“清廉潔白な検事は美しいな、だが泥の中でも立てる男の方が美しいと私は思っている。泥が無ければ草も生えん、醜いようで役に立つものだ、”
そんな言葉に笑った祖父の貌は、歪じゃなかった。
銀杏の黄金ゆれるテラスの安楽椅子で老人は孤独だった、けれど端正な佇まい美しかった。
もう九十を迎える老いた顔、それでも瞳は怜悧に澄んだまま強くて悔しいけれど惹きこまれた。
そんな貌は大好きだったもう一人の祖父にどこか似ているようで、だから行先ひとつに道は一つじゃ無い。
―俺には光一や雅樹さんと違うルートがある、同じ場所を目指しながらでも違う、
樹間かすかに見つめる滝の音、その滝へ辿りつくルートは今この道だけじゃない。
山ですら目的地への道は一つじゃなくて、だから人間の数の分だけ違うルートがあって良いだろう?
そんなふう想えるまま一歩踏みだして枯藪を漕いで、背に無線の会話を聴きながら見あげた山肌上方、一条の瀑布が光った。
「あれが速滝か、」
名前に仰いだ先、水音かすかに風から伝う。
いま11月の風は冷たく澄みわたる、その清澄に水流の透明きらめき山を灌ぐ。
落差40メートル3段の滝、2段20メートルに最上段は20メートルの大滝が遠目にも秋の陽光きらめかす。
「きれいだ、」
素直な想い微笑んで見上げる先、白銀の崩落は永々と流れゆく。
普通のハイカーなら峰集落跡までしか辿れない、けれど今もう自分は遠目でも見ている。
幻の滝なのだと聴いていた、そんな幻が今この現実に自分の視界を映して真直ぐ山を降りそそぐ。
「…幻でも本物、か、」
幻の滝、そう呼ばれても滝は現実に水を轟かす。
この水の姿に肚深くから名前ひとつ揺らいで、浮上する想い微笑んだ。
― Fantom だな、速滝も俺も、
“Fantom”
幻、幻影、幽霊、過去の残像、そんな意味のフランス語を個人特定に遣っている。
それを知った最初の鍵は今と同じ11月だった、そのヒント見つけた日が今は遠い。
知ってしまった秘密と罠と過去の現実たち、あの全てを超えたくて今ここに居る。
自分もあの滝と同じ“Fantom”現実に在りながら姿見せず、けれど確実に行きつける。
(to be continued)
にほんブログ村
にほんブログ村
blogramランキング参加中!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/bb/57f65ba90d4428778442f28d848fde07.jpg)
第75話 回顧act.6-side story「陽はまた昇る」
水音かすかに谺する、その響きは遠い。
遠い、でも大らかな飛沫の気配は伝わらす、その音源が思ったより高い。
いま11月冬の初めに藪は霜枯れて、踏跡ない道にも歩きやすくなっている。
けれど深い山懐は木々の葉を茂らせ針葉樹も視界を塞ぐ、それでも山ヤは笑った。
「宮田、もう滝の気配があるだろう?でも人の気配が無いなあ、」
困ったよう笑いながらも深い声どこか明るい。
救助へ向かう緊張感に背すじ伸ばしている、その張りが嬉しくて英二は笑った。
「他の仕事道を辿ったのかもしれませんね?後藤さん、呼吸は痛みませんか、」
「大丈夫だよ。どこにいるんだろうなあ、滝探しと言われても奥多摩は滝が沢山あるよ、なあ?」
思案する声も手術前のままに明るい。
いま任務に立つ誇らかな喜びがある、その真直ぐな眼差しに呵責ひとつ痛む。
―山岳救助隊を俺は結局利用してるんだ、自分勝手な理由で、
周太を救けたい、それだけが最初の理由だった。
父親の馨を追いかけて警察官になった周太なら進路はどこに行く?
その道を援けて自分の適性を最大限に活かせる部署が山岳救助隊員だった。
それだけが最初の動機で、けれど踏込んだ山の世界に見つけた憧憬と夢が今は離せない。
離せないほど今は山を見つめている、それでも山で掴んだ立場と力を復讐に使おうとしていることは、事実だ。
―こんなこと本当なら山ヤとして不純だ、それでも後藤さんは泣かせてくれたんだ…今も、
さっき自分は泣いた。
こみあげる嘔吐感に竦んで、その原因を自覚した途端に涙あふれた。
あんなふうに泣いてしまう弱さが自分にある、それが悔しくて、けれど受けとめられた安堵は温かい。
『ふるさとに想って良いんだ…奥多摩は誰のものでもない、ふるさとに想う者には故郷になってくれる』
ふるさと、その言葉に籠められた祈りが温かい。
こんな自分にも帰りたいと願う場所が出来てしまった、その場所をここに願いたい。
唯ひとり帰りたいと願う相手がいる、あのひとを連れて故郷に帰られる日を信じても良いのだろうか?
―周太、もし今も約束を笑ってくれるなら俺は卑怯でもいい、ここに周太と故郷を作りたいよ?
“周太”
名前呼んで見あげた頭上は木洩陽ゆれる、この光の向こう東の空で大切な人は今を生きている。
いま生きてくれている、そう想えるだけで幸せだと山と警察官の日々に幾つの命で教わったろう?
この一年間、警察官として山岳救助隊員として一年間に見たものは生命と死と尊厳、そして「鎖」だ。
“英二なら巧く遣えそうだから教えたのだ、私にも後継者は必要だろう?私の周りにとってな、”
祖父に言われた現実は「鎖」だろう、けれどもう一方の鎖を解く鍵になる。
この鎖を繰るなら約束は叶えられるかもしれない、そのために今も自分は秘密も嘘も抱いたまま山を駆ける。
“山の泥は高潔なのだろうな、それも好い禊ぎだろう、官庁の泥を落すのに調度いい。
泥が無ければ草も生えん、醜いようで役に立つものだ。官僚に限らず高潔に生きられる者など、稀だ、”
いま山に居る、それなのに祖父の言葉が一歩に響く。
こんなふう囚われることすら疎ましい、けれど今は疎ましいだけの感情じゃない。
“内務省に列なる男として知る運命なのかもしれんな、こうして私に訊きに来ることも含めて、英二が望まなくても後継者になるべくして”
祖父の声が記憶を揺らす、その言葉に現実と理想は違い過ぎる。
告げられた道どれも望みたくなかった、だから4年の無沙汰をしていた、けれど今は幸運だと思っている。
そんな今を去年の自分は思いつきもしなかった、そして後藤も事実関係を知ったなら何を想うのだろう?
―俺と鷲田の関係は調べればすぐ解かる、蒔田さんは知ってるかもしれないけど何も話していない、話さないことが俺に対するカードだから、
蒔田を「利用」に惹きこんだ、それを後藤は知ってはいない。
けれど気づいているだろうか?そんな打算的思案と率直な敬意に見つめる横顔が笑った。
「光一ならすぐ見当つくんだろうがなあ、やっぱり地元の生え抜きには敵わんよ、」
ずきり、名前ひとつに刺されて鼓動が軋む。
さっきも話題にしていた名前、その名前に今の思案を見透かされたよう痛い。
この名前にこそ「利用」の自責は痛くて、また迫りあげる胸抑えた手に固い小さな輪郭ふれた。
『周の父親が遣っていた鍵よ、この鍵で帰ってきて?周のために、』
この鍵に自分は今を選んだ。
その願いも自責も登山ジャケットごと胸もと握りしめた先、大らかに深い声が微笑んだ。
「光一のこと、そんなに遠慮しないで大丈夫だ。あいつは自分のしたいことしかしない、それくらいワガママだよ、」
「はい、」
素直に微笑んで頷いて、言われた通りなのだと解っている。
けれど「したいこと」を誘導する方法を自分は知っている、それはあの男も同じだ。
―観碕、おまえも俺みたいに人を惹きこんでるんだろ?法治国家を大義名分にして、
観碕征治、
あの男が目的とするのは「国家」大義名分で正当化の盾。
けれど自分は国家など関係ない、周りも本当は関係ない、唯ひとり護れたらそれでいい。
こんな自分こそ我儘勝手だから呵責して吐気まで迫り上げた、その弱い卑怯に笑って英二は提案した。
「後藤さん、吉村先生に訊いてみませんか?知られていないルートもよくご存知ですし、間違えそうな滝もご存知かもしれません、」
「お、なるほど吉村か、」
頷いて立止り無線機を出してくれる。
今日は祝日でも金曜だから青梅署にいるだろう、その予想通り後藤が笑った。
「おつかれさん吉村、速滝の別ルートと間違えそうな滝を教えてくれんか?…ああ、入谷川上流から回り込んでる、踏跡が今のところないんだ、」
会話の応酬を聴きながら登山パンツのポケット手を入れる。
オレンジ色の飴ひとつ口に放り込んで、ふわり爽やかな甘い味に微笑んだ。
―この飴を最初にもらったのは青梅駅だったな、卒配の日、
『それやる、…待ってるから』
はちみつオレンジのど飴、このパッケージごと約束を贈ってくれた。
あの言葉が嬉しくて必ず帰ると願って、そのために自分は努力も狡猾も積んでしまう。
今も山岳救助隊である立場を利用して警察最高の山ヤに付き添って「罠」を壊す鍵を掴もうとする。
―後藤さんすみません、吉村先生も…二人の厚意を俺は利用している、でもいつか、
後藤と吉村、山岳救助隊副隊長と警察医、どちらも青梅署の幹部で山岳レスキューの世界に影響が大きい。
その影響力を利用している、けれど敬愛も憧憬も二人に見ているから自責に嘔吐感も迫り上げた。
そんな自分の体の正直に願ってしまう、いつか利用が終わる日を迎えられたら?
いつか自分も唯「山」に生きることが出来るだろうか?
―雅樹さん、あなたのように俺でも生きられますか?光一やあなたみたいに、
光一のように雅樹のように生きてみたい、唯ひとり想い自分の信じた場所で笑っていたい。
その場所をこの奥多摩に山に選びたくて、それなのに利用しか出来ない自分の歪に自分で吐気こみあげる。
こんな中途半端の狡猾は逆に卑怯だろう?そんな想いにもオレンジの香あまく優しいまま空仰いで、木洩陽に笑った。
「決めたんだ、もう、」
もう自分は決めて選んだ、それなら潔く最期まで貫くしかない。
光一の真直ぐな背中に憧れて山ヤの警察官になった、けれど憧れても羨んでも自分は自分の生き方しか選べない。
同じ職業、同じ立場、同じ山の世界、そしてザイルパートナー、それでも違い過ぎる自分達なのだと今なら認められる。
あんなふうに純粋な生き方を自分は選べない、憧れても辿りつけない、だけど自分の行先も思ったより悪くないかもしれない。
“清廉潔白な検事は美しいな、だが泥の中でも立てる男の方が美しいと私は思っている。泥が無ければ草も生えん、醜いようで役に立つものだ、”
そんな言葉に笑った祖父の貌は、歪じゃなかった。
銀杏の黄金ゆれるテラスの安楽椅子で老人は孤独だった、けれど端正な佇まい美しかった。
もう九十を迎える老いた顔、それでも瞳は怜悧に澄んだまま強くて悔しいけれど惹きこまれた。
そんな貌は大好きだったもう一人の祖父にどこか似ているようで、だから行先ひとつに道は一つじゃ無い。
―俺には光一や雅樹さんと違うルートがある、同じ場所を目指しながらでも違う、
樹間かすかに見つめる滝の音、その滝へ辿りつくルートは今この道だけじゃない。
山ですら目的地への道は一つじゃなくて、だから人間の数の分だけ違うルートがあって良いだろう?
そんなふう想えるまま一歩踏みだして枯藪を漕いで、背に無線の会話を聴きながら見あげた山肌上方、一条の瀑布が光った。
「あれが速滝か、」
名前に仰いだ先、水音かすかに風から伝う。
いま11月の風は冷たく澄みわたる、その清澄に水流の透明きらめき山を灌ぐ。
落差40メートル3段の滝、2段20メートルに最上段は20メートルの大滝が遠目にも秋の陽光きらめかす。
「きれいだ、」
素直な想い微笑んで見上げる先、白銀の崩落は永々と流れゆく。
普通のハイカーなら峰集落跡までしか辿れない、けれど今もう自分は遠目でも見ている。
幻の滝なのだと聴いていた、そんな幻が今この現実に自分の視界を映して真直ぐ山を降りそそぐ。
「…幻でも本物、か、」
幻の滝、そう呼ばれても滝は現実に水を轟かす。
この水の姿に肚深くから名前ひとつ揺らいで、浮上する想い微笑んだ。
― Fantom だな、速滝も俺も、
“Fantom”
幻、幻影、幽霊、過去の残像、そんな意味のフランス語を個人特定に遣っている。
それを知った最初の鍵は今と同じ11月だった、そのヒント見つけた日が今は遠い。
知ってしまった秘密と罠と過去の現実たち、あの全てを超えたくて今ここに居る。
自分もあの滝と同じ“Fantom”現実に在りながら姿見せず、けれど確実に行きつける。
(to be continued)
![にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ](http://novel.blogmura.com/novel_literary/img/novel_literary80_15_darkgray_4.gif)
![にほんブログ村 写真ブログ 心象風景写真へ](http://photo.blogmura.com/p_shinshoufukei/img/p_shinshoufukei80_15_darkgray_3.gif)
blogramランキング参加中!
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1664_1.gif)