花ふる蔭にて、
第43話 花想act.1―another,side sotory「陽はまた昇る」
万朶の桜があふれていた。
立哨する園内からは、華やかなさざめき声が風に乗ってくる。
いま観桜の園遊会は酣となっているのだろう。
…何時かな?
そっと左手首を見ると、制服の袖口から11時前とデジタル表示が覗いた。
もうじき交替になるだろう、すこし姿勢を正すと見慣れた長身の先輩が来てくれた。
「おつかれさま、湯原。もう上がってくれ、交替しよう」
珍しい制服姿で佐藤が笑いかけてくれる。
刑事課勤務の佐藤は普段、私服のスーツ姿だから周太は初めて制服姿を見た。
やっぱり背が高いとかっこいいな?少しだけ羨ましく想いながら周太は敬礼をした。
「おつかれさまです、佐藤さん。まだ5分ありますけど…」
「構わないよ、湯原。お父さんの法事なんだろう?なのに無理に出て貰ったんだ、もうあがってくれ、」
今日は父の命日で、菩提寺でお経をあげて貰う。
ちょうど今日明日が非番と週休に当ったから、法事と墓参の後は実家に帰る予定でいる。
けれど昨夜から花見が都内で集中して警邏人数が割かれ、この観桜会にかかる人数も午前だけ不足した。
それで当番勤務明けのまま周太は、この新宿門付近の警備に配置されている。
すこし急に決まった任務だけれど、予定の変更は要らなかった。だから大丈夫なのに?周太は佐藤に笑いかけた。
「お気遣い済みません、ありがとうございます。でも、佐藤さんこそ大丈夫ですか?昨夜も、お忙しかったですよね、」
「大丈夫だ、湯原のおかげで仮眠とれたから。湯原こそ、当番明けで疲れただろう?でも助かったよ。ありがとう、」
快活な笑顔で佐藤が交替を促してくれる。
ここは素直に従った方が良いだろうな?素直に周太は頷いて佐藤と交替の手続きをした。
すべて済まして歩いていく道にも、花は万朶と咲き誇っている。この場所で今日咲く花に、周太はちいさく微笑んだ。
…14年前の今日、お父さんも、ここで警邏していたんだ…
あの日の自分は小学生で、母と一緒に和菓子屋に桜餅を買いに行った。
夜になったら父が帰ってくる、そうしたら家族3人いっしょにココアと桜餅で庭の夜桜を楽しむ。
それからテラスの窓辺に座って、いつものように父の膝に乗って本を読んでもらう。
そんな楽しい春の夜になるはずだった。
けれど、父の笑顔は帰ってこなかった。
「…おとうさん、」
ちいさな呟きと一緒に涙ひとつ頬伝う。
もう14年、それなのに哀しみは色褪せてはくれない。
あの日の朝に父とした約束は自分にとって宝物で、いつもどおりの幸福が大切だった。
だから断ち切られてしまった約束に、心の糸まで一緒に絶ち切られ13年が過ぎ去った。
それからは、毎年ずっと母と2人きり今日を迎え、今日を送りだしてきた。
母子2人きり互いの涙を見せられず、孤独を2つ並べてただ、亡くした幸せを偲んできた。
けれど今日この14年目の春は、きっと今までと違う「今日」になる。
今日は、英二が帰ってきてくれるから。
…お父さん?英二に逢わせてくれたのは、お父さんだよね?
今日からは3人になる、だからもう寂しくは無い。
だから今日この公園で警邏に立つことを、穏かな心で引き受けることが出来た。
こんなふうに今、明るい心でいられるのは大切なひとが隣にいてくれるから。
幸せに微笑んで見上げた向こうに、新宿門が見えた。
「…きれいだね、」
新宿門も桜が満開だった。
紅色においやかな一重咲きがきれいで嬉しい、花の梢を見あげ周太は微笑んだ。
「ん、…陽光、って名前、」
この桜は名前も良いなと思う。
ここは門の外からも桜が見えるから、閉門後に来たら夜桜がきれいかもしれない。
明後日は日勤だから、勤務後に見てみようかな?夜の花を想い見上げる横顔に、大好きな声が呼びかけた。
「周太、」
きれいな低い声が名前を呼んでくれた。
うれしい想いと振向いた視界には、華やぐ花のもと黒いスーツ姿が映りこんでくれる。
桜に佇んだ端正な姿に、周太は大好きな名前を呼びかけた。
「英二?…」
薄紅の花の天蓋のした、やさしい綺麗な笑顔が咲いた。
黒衣まとった長身が、桜霞のむこうから歩いて来てくれる。
…ここまで、迎えに来てくれた
ここに今日、来てくれたことが嬉しい。
嬉しくて素直に笑った時、ふわり風がブラックスーツのジャケットを翻した。
裾ひるがえす風は中空に昇っていきながら、梢ゆらし花をふらせた。
「…あ、花が、」
思わずあげた声のむこう、薄紅の花びらが舞いふっていく。
やわらかな青の空ふる桜色は風誘われて、ゆるやかな花の風に変わりだす。
やさしい風が頬撫でて、そっと涙の痕を消してくれる。
やさしい花の風の掌は、この日に逝った優しい父の面影に重なってしまう。この想い素直に周太は微笑んだ。
「桜、今日、満開になったんだ…ね、英二?やっぱり、今日だから咲いてくれたかな、」
「うん、お父さんの亡くなった日だからだ、って俺も思うよ?」
きれいな笑顔が優しく頷いてくれる。
このひとに同じよう想ってもらえるのは嬉しい、嬉しくて周太は笑いかけた。
「ん、…英二がそう言ってくれると、嬉しいな?あ、」
一陣の風に誘われて、紺青色の制帽が空に舞った。
…おとうさん?
ふと心に浮かんだ笑顔と一緒に、桜と制帽は中天へと昇っていく。
あの制帽を、14年前の今日この場所で、同じ制服姿の父も被っていた。
あのとき父の衿元を留めたボタンは今、この制服の胸ポケットに納められている。
この今日を父と同じ場所に立つ、この想い抱いて朝からずっと、ここの桜を見あげていた。
きっと14年前に父も見ていた光景を、いま自分が見ている。そんなふうに「今日」の父の軌跡を見つめていた。
そんな今の瞬間に、制帽は桜の風に脱がされて空に舞っていく。
…お父さん、どうして制帽を、脱がせてくれるの?
不思議な想いと父への問いかけに、花に舞う紺青色を見あげてしまう。
そうして見つめる想いの真中で、黒い袖に包まれた長い腕が空へ伸ばされた。
白皙の長い指先に紺青色が掴まえられる、そして制帽を綺麗な笑顔が手渡してくれた。
「警邏、お疲れさま。もう交替だよな?」
「ん、ありがとう…さっきね、交替の引継ぎしたから、署に戻ろうって思ってたとこ」
このひとが掴まえて渡してくれる、それがなんだか不思議なまま嬉しい。
そして黒いスーツ姿によせてくれる「今日」への気持ちが温かい、制帽を受けとると周太は微笑んだ。
「英二、スーツで来てくれたんだね?」
「うん。俺は初めてだしね、やっぱり、礼は尽くしたいから。でも、ネクタイはして来なかったけどね?」
ほら、こんなふうに真面目で誠意を示してくれる。
こんなところが自分は好き、嬉しい気持ちで一緒に歩きながら周太は尋ねた。
「明日から、山だったよね?…荷物はどうしたの?」
「国村が明日、持ってきてくれるんだ。墓参りだと荷物じゃまだろ、って言ってくれてさ、」
「そう、よかったね…今度も荷物、重たいよね?」
「そうだな、山では1泊だけど予備もあるし、訓練だからね?それなりの荷重がないとダメだろ?」
愉しそうに笑って明日からの山行を話してくれる。
積雪期登山は装備も重たく、少なくとも30kgにはなるらしい。
そして英二と光一の場合は山岳救助隊として訓練の一環であるために、大人1人分の重さは背負っていく。
ふたりは60Kg以上の荷物を背負ったまま雪山を歩き、雪壁も登攀していく。それは普通なら難しいだろう。
…そんなに体力があったら、俺なんて敵いっこないよね、
同じ男として羨ましい、前はそんな嫉妬が苦しかった。
けれど、自分にも誇りと夢の可能性を見つけた今は、嫉妬も焦燥感も減っている。
この嬉しい余裕に周太は微笑んだ。
…青木先生と、美代さんのお蔭…誰よりも、英二のお蔭、
もし英二と出逢えていなかったら。
あのラーメン屋の主人を自分は復讐にかられ殺害していた。
そして青木樹医と出会うことも無く、美代と友人に成ることも出来なかった。光一との再会も無い。
そうして孤独は増々冷たく硬くなって、心ごと縛りあげて、母のことも絶望の哀しみに突き落としただろう。
そうなったら、自分はどうしていただろう?
…自ら、命を、絶ったかもしれない…
この今に与えられている温もりを想うとき。
この今と違う方向の分岐点に待ち受けた奈落が、どれだけ酷いものなのか想う。
だからこそ今が大切で愛しい、この今を与えてくれた隣の存在が大切で愛しくて、守りたい。
だから今日も、このひとの無事を守りたい。微笑んで周太は隣を見あげた。
「英二、どこで待っててくれる?…クリスマスの時の、カフェ?」
新宿署の近くでは待たないでほしい、「カフェ」で待っていてほしい。
どうかお願いだから言うこと聴いて?そんな想いで見つめた先で、素直に切長い目は頷いてくれた。
「うん、そこで待ってる、」
「ん、待っててね…お昼、なにが食べたいか考えておいてね、」
答えながら安堵の溜息が心にこぼれてしまう。
もう、新宿署には英二を近づけたくはない。あの場所に英二が来ることは危険すぎるから。
あの危険から少しでも遠ざけてしまいたくて、周太は英二に笑いかけた。
「全速力で着替えて、走って行くから。ちゃんと待っててね?」
「そんなに俺に、早く逢いたいって想ってくれるんだ?」
きれいな低い声で返されて、首筋が熱くなってきた。
もちろんその理由もあるけれど。
そんな心の声に尚更熱が昇りながら、気恥ずかしいまま周太は微笑んだ。
「ん、逢いたい…だから、すぐ行くね?」
大切な婚約者に笑いかけて、制帽を被ると周太は踵を返した。
歩きながら操作した携帯を右袖に落としこんで、そのまま新宿署へと入って行く。
まず保管庫に行くと携行品返却の手続きをとり、独身寮へと周太は向かった。
すこし急ぎ足で歩きだす、そのとき視界の端に映った者に心止められた。
やっぱり、来た
なにげなく壁際に寄りながら、制帽を目深くかぶりこんだ。
すこし俯きかげんになってPフォンを取出すと、左掌で操作をしながら瞳だけ動かし回廊むこうを窺っていく。
制帽の蔭から透かす視線の先、身形の良い50代の男と鋭い目をした40代の男が話している。
むこうからは死角になって見えない、けれど此方からなら様子がうかがえる。
…あの2人は、やっぱり仲間…2人とも、父を知っている、
この新宿署を父に纏わる人間が監視している。
きっと周太がここに卒配されたことも、この「監視」と無縁ではないだろう。
この新宿署は若い頃の父が勤務し、最後に斃れたのはこの管轄内だった。
この管轄内のガード下で父は狙撃され死んだ、その直前に父はここで射撃指導をしている。
だから、最後に父が立った警察組織の場所は、この新宿署内だった。
…だから今日、ここに、「亡霊」が現れる…そう思っている、あの人たちは
12月、父の亡霊が新宿署長の前に現われた。
2月には警視庁拳銃射撃競技大会で、父の亡霊を別の人間が目撃している。
そして4月の今日は、父の命日。
ほんとうに父の「亡霊」が存在するならば、今日ここに現れる。
そんなふうに父の関係者達は考え、今日、ここに来るだろう。
…「亡霊」の正体を知りたいから、だから来たんだ…英二の正体を知るために、
父の「亡霊」の正体は、英二。
だから英二を、新宿署には近づけたくなかった。
いつもの英二は明るい華やかな雰囲気で、全く父と似ていない。
けれど憂悩を抱いたとき、英二の笑顔は父そっくりになる。
そんな「似ている」を利用して英二は、父の関係者達を炙りだそうとしている。
もう、それを英二にさせたくない、危険すぎる。だから「カフェ」に、英二を留めたかった。
…けれど英二が作ってくれた「今日」の機会は、生かしたい
そんな想いを見つめながら、そっと右袖から自分の携帯を掌に滑りこませた。
この制服の袖は小柄な周太には少し長い、お蔭で手許へと物を隠すことが出来てしまう。
もう携帯のセッティングは済ませてあるから、ボタン操作1つで写真が撮れる。
…上手く、撮れますように、
右掌の指の隙間にレンズが覗くよう持つと、シャッターを切った。
ちゃんとシャッター音は響かない、けれど微かな振動から画像撮影が出来たと解る。
ほっとして心裡で微笑むと、静かに周太は独身寮へと歩き始めた。
…よかった、音、鳴らなかった
この携帯は自分で少し、いじってある。
元は市販の携帯だからシャッター音は鳴る、けれど無音になる設定を自分で作った。
こんなときに使おうと改造しておいたけれど、やっぱり役に立つらしい。
…工学部に行ったこと、無駄にはならない、ね
父の軌跡を追うためには、工学部がいちばん役立つ。
そう想って決めた進路だけれど、その選択は間違っていないだろう。
そんなふうに義務と責任で決めた学部だから、大学院進学の話も断って未練はない。
でも、この間の公開講座は、全く違う世界だった。
あの1時間半すべてが、冒険するような高揚感のなか過ぎていった。
あんなふうに学問を面白いと、愉しいと思ったことは初めてのこと。
どんなに忙しくても大変でも、学び続けたいと願ってしまう。
だから通年講座の話は本当に嬉しかったし、受講許可証が届いた時は幸せだった。
あれは実家に届いている、今日帰ったら忘れず鞄にすぐ入れよう。そんなことを考えながら周太は自室の扉を開いた。
「…ん、」
扉を鍵かけて、すぐに右袖から携帯を出して確認する。
そして映しだされた画像に、ほっと周太は溜息を吐いて微笑んだ。
微笑んだ先の画像には、2人の男たちが映っていた。
どうしても携帯だから画像の精度は良くはない、それでも役立つ可能性は充分にある。
…英二のおかげで、1つ手駒が受けとれた…けれど、
けれど、英二を危険に晒す手駒は、自分は欲しくない。
それでも作ってくれた以上は受け取らないといけない、どんなに哀しくても貴重であることは変わらない。
この哀しい貴重な画像に保護ロックを掛けてから、周太は携帯を鞄に入れた。
「急がないと、ね、」
ひとりごと呟いて、周太は上着と制帽をハンガーに吊るした。
それから支度しておいた着替えを持って、当番明けの風呂へと向かった。
通りにも桜の花が風に舞っていた。
花ふるなか鞄を持って走っていく先に、カフェの窓が見えてくる。
きれいな窓の向こうでは、端正な横顔がコーヒーカップを持って寛いでいた。
…待っていて、くれた?
たしかに今は座ってくれている。
けれど、ずっと座って待っていたのかは、まだ解らない。
どうか待ってくれていたのなら良い、願いと一緒に周太はカフェの扉を開いた。
「お待たせ、英二…ごめんね、待たせちゃって、」
「大丈夫だよ、周太?」
きれいな笑顔で迎えてくれる、そんな英二の様子に変わったところは無い。
向かいのソファに座りながら英二のカップを見ると、周太は切長い目を見つめた。
「あ、コーヒーだいぶ飲んじゃったね?…待たせたから、」
「気にしないでいいよ、周太も何か飲む?それとも、昼飯の店でなんか飲む?」
大好きな笑顔が優しく訊いてくれる。
この笑顔をすこしでも疑うことが哀しい、けれど守りたい想いに微笑んで尋ねた。
「ん、…あの、そのコーヒー貰っちゃダメ?」
もし、断られたら、どうしよう?
そんな哀しい予想をしかけたけれど、素直に英二はカップを差し出してくれた。
「俺ので良いなら、どうぞ、」
いつもの笑顔で渡して貰えたことが嬉しい。
まずは小さな安心に微笑んで、周太は英二のカップを受けとった。
「ありがとう、」
そっと口付けると、コーヒーがぬるい。
けれど濃いめの味もカップの温度も、水で薄めたのではないと解る。
この温度と味が示す時間経過に、ほっと息吐いて周太は笑った。
「ぬるくなっちゃったね?…待っていていくれて、ありがとう、」
ずっとここで英二は待っていた。
新宿署には一歩も足を踏み入れていない、そう示すコーヒーのカップを返すと切長い目が微笑んだ。
「うん、待ってたよ?」
きれいな笑顔は、いつも通りに明るく華やいでいる。
そんな華麗な容貌とうらはらに、不器用なほど実直な英二は嘘が嫌いで思った事しか出来ないし言わない。
けれど責務なら口をつぐむ事も厭わない。そのことは英二自身の遭難事故を黙秘する責務を、完璧に守りぬく態度から解る。
だから確信してしまう哀しみがある、笑顔の奥で周太は身を切る痛みになぶられた。
…だから、婚約者の責務としてなら、きっと英二は嘘も貫ける
実直なまま責任感が強い英二は真面目すぎるほど職務に取組んで、結果、すでに出世の道も掴んでしまった。
こうした強い責任感を英二は、何よりも周太に対し抱いてくれている。
だからこそ英二を疑ってしまう、周太のために危険を犯すのではないかと、怖い。
…怖い、けれど…止められない、
ほんとうはコーヒーの温度なんて細工の方法はあるだろう。
だから本当は英二はずっとカフェにいたのではないかもしれない、それでも。
もし周太が確認する可能性を考えて、コーヒーの温度から計算してアリバイを英二が作り上げているなら。
それだけ緻密に取組もうとする意識と、実行する能力が英二にはあるということだろう。
そうした才能が英二にはあることは、父の殺害犯探しの時に思い知らされている。
…英二はレスキューだけじゃなく、警察官としても優秀。だからアリバイも裏工作も巧い、緻密で冷静で…
たしかに自分は同期の首席だった。
けれど本当は英二の方がはるかに賢明で、冷静緻密な頭脳を持っている。
この天賦の才に自分は敵わない、英二が本気で構築したならアリバイも嘘も自分には破れない。
…けれど、それ以上に気持ちが解かるから、止められない…
なにより、英二が周太を守るために危険も冒す意志を抱いたなら、止める方法なんて自分には無い。
もし自分と英二が逆の立場なら、自分だって同じように嘘を吐いてでも英二を守りたいと願うから。
そうしたら自分は、英二に何を一番に願う?
この答えに周太は、そっと心で微笑んだ。
…もし自分が英二なら、信じてほしいと願う…だから、
だから、信じよう。
英二が嘘を吐くことさえ厭わず自分を守ろうとする、その意思を信じよう。
その嘘と意志のむこうにある真実と想いを、ただ真直ぐ見つめて信じていけばいい。
そう信じて自分も英二を守ればいい、そして2人無事に父の軌跡を見つめ終えて「いつか」を迎えたい。
きっと「いつか」を2人で迎えてみせる、そんな覚悟を心に抱いて周太は外の花風に微笑んだ。
「英二、見て?窓の外、すごい花吹雪だよ?」
「うん、きれいだな?出よう、周太。花びら、掴まえたいんだろ、」
優しい笑顔で立ち上がってくれる。
こんなふうに自分の好きなことを知って、楽しませてくれようとする。
この優しい真心を、自分は見つめ信じて共に歩きたい。
「ん、押花にしたいな。行こう?英二、」
微笑んで一緒に立ち上がると、周太は先に外へ出た。
まだ花寒の風に薄紅の花が踊っていく、この花を運ぶ風に願い祈りを見つめながら掌を伸ばした。
ふわり、伸ばした掌に花が1輪舞いおりて、心から周太は微笑んだ。
「ありがとう、」
この花は自分の願いが叶う徴。
そう信じて周太は、そっと手帳に花を挟みこんだ。
花ふる街を歩きだすと、カーディガン透かす風がすこし冷たい。
やっぱり薄着だったかな?そう想って直ぐ小さいくしゃみがでた。
「大丈夫?周太、」
すぐ気がついて切長い目が心配そうに覗きこんでくれる。
やさしい眼差し見つめながら英二は、ジャケットを脱ぐと周太に着せてくれた。
「ありがとう、英二…でも、英二がシャツだけになっちゃうよ?」
「俺は大丈夫だよ?いつも寒い所で生活しているし…周太、ちょっと昼の前に寄り道するよ?」
笑いかけながら英二は、周太の手を繋いで笑いかけてくれる。
どこにいくのかな?考えながら素直に付いていくと、いつもの店の扉を英二は開いた。
「いらっしゃいませ、お久しぶりです、」
「お久しぶりです、見せて貰いますね?」
「はい、ごゆっくり、」
懐かしい店員の笑顔に英二は笑いかけて、そっと周太の掌を曳いて階段を上がっていく。
もしかして、また服を買ってくれるつもりなのかな?そう気がついて周太は困って首傾げこんだ。
けれど困っているうちに周太は、綺麗な木造の鏡の前に立たされた。
「きれいな色がいいな…これ、どう?」
「…あ、ん、…」
英二は楽しげにジャケットを選んで合わせてくれる。
ほんとうに楽しげな笑顔になんだか申し訳ない、困りながらも周太は声を掛けようとした。
「あの、…」
「あと、これな?スーツになってるから、便利だよ。うん、周太、かわいい、」
もう貰い過ぎなくらいに、たくさんの服を英二はプレゼントしてくれている。
この今着ている服も靴から鞄まで全て英二からの贈り物ばかり、これ以上は申し訳ない。
遠慮がちに周太は口を開いた。
「あの、えいじ?…ほんとに、悪いから、ね?」
「悪くないよ、周太?」
やさしい笑顔が心から「悪くないだろ?」と笑いかけてくれる。
それでも困って見上げていると、綺麗な低い声が楽しそうに言ってくれた。
「婚約者に服を買って、なにが悪いの?ありがとう、って言ってほしいな?」
…こんやくしゃってそういうものなんだ?
そう言われたら嬉しくて、気恥ずかしい。
けれど幸せで、言ってくれる婚約者の想いが温かい。
こういう気持ちは素直に受け取りたい、想いのまま周太は頷いた。
「…ん、ありがとう…これで良いの?」
頷いて微笑んだ周太に、綺麗な笑顔が幸せに咲いてくれる。
こんな笑顔見せてくれるなら嬉しくなるな?微笑んで見上げた先で英二が言ってくれた。
「うん、良いよ。周太、他に欲しいものある?」
これ以上を望むなんて?
けれど本当は欲しいものがあって、それは何所にも売っていない。そんな想いを抱いて周太は笑いかけた。
「ううん、…気を遣わせて、ごめんね?」
「気を遣っていないよ、俺がしたいだけ。恋人には、自分好みの服を着てほしいから、」
「…ん、ありがとう、」
話しながらも気恥ずかしくなって、首筋が熱くなってしまう。
熱くなる頬を気にしながら周太は、選んだ2着とも抱えてくれた英二と階下へ降りた。
「これはタグを外してください、すぐ着ますから、」
「はい、かしこまりました、」
快く引き受けて店員は濃いグレーのジャケットからタグをとってくれる。
濃い色に、あわいブルーのストライプが映えてきれい。
そのブルーを眺めているうちに支度が済んだジャケットを、英二は周太に着せてくれた。
「これで寒くないな?うん、似合うよ、」
「ん、…ありがとう、」
素直に礼を言って周太は微笑んだ。
きれいな色と軽い着心地がやさしい、選んでくれた人の想いがなにより優しくて嬉しい。
嬉しい想いと見つめた先で、店員から紙袋を受け取った英二が笑いかけてくれた。
「お待たせ、周太、」
「ん、」
店の外へ出ると、植込みの桜が風に揺れている。
あわく晴れた空ゆらめく花枝から、薄紅いろが穏やかにこぼれだす。
…きれい、
万朶の桜ふる姿が、やさしく心ふれていく。
花は素直な喜びになって心ふりつもる、こんな想いで桜を見られる今幸せに温かい。
ゆるやかな風に舞う花びらが嬉しくて、周太は掌で受け留めた。
「ね、上手に受けとめられたよ、俺、」
「うん、見てたよ?」
やさしい綺麗な声が笑いかけてくれるもとで、周太は手帳に花びらを挟みこんだ。
ひらいたページにも花びらが降りてくれる、木からの贈り物のよう嬉しくてそのままページを閉じた。
うれしい想いに花の梢を見あげると、そっと長い腕が惹きよせてくれた。
「ん…英二?」
なんだろうな?
不思議で見あげた先で幸せな笑顔が華やいでいる。
桜よりきれいな笑顔だな?そんな想いで笑いかけた唇に、きれいな唇が重ねられた。
…あ、
そっとふれるだけのキス。
やさしい花の香をはさみこんだキス、おだやかで甘い香が融けあっていく。
ふれて、静かに離れて切長い目が周太に微笑んだ。
「キス、桜の香だったよ?」
桜より綺麗な笑顔に、言われてしまった。
こんなの嬉しいけれど気恥ずかしい、嬉しいと困ったに挟まれて首筋が熱くなってくる。
「…はずかしいからそういうこといわれるの…ここそとだしはずかしいから…」
きっと頬も真赤だろうな?こんなに恥ずかしがりな自分が困ってしまう。
青木樹医も赤面する性質だけれど、自分ほどは酷くないかもしれない。
この今も真赤で困るけれど、それ以上に本当の気持ちを伝えたくて、周太は婚約者へと笑いかけた。
「でも、…うれしい、逢いたかったから、」
「俺こそ、ずっと逢いたかったよ。だからキス、我慢できなくなっちゃった、」
伝えた想いに英二は幸せそうに笑ってくれる。
この笑顔がうれしい、首筋を赤くそめながら周太は微笑んだ。
「ん、…ほんとうはね、俺も、その…したかったの、」
「そんなこと言われると、ほんとに困るよ?」
桜のもと微笑んで、やさしい手が掌繋いで惹いてくれる。
ふたり花ふる道を歩いて英二は、一軒の瀟洒な店の扉を開いてくれた。
気軽で美味しい昼食を終えると、いつもの花屋に英二は寄ってくれた。
ふたりで訪れるのは久しぶりになる、あの女主人はどんな顔をするのだろう?
すこし緊張しながら店先を覗くと、ラナンキュラスの丸く可愛い姿と清楚な芍薬が迎えてくれる。
それから、耀くような純白の小花がきれいな花枝は、自分が好きな花。
きれいで可愛い花たちが嬉しくて周太は笑いかけた。
「かわいいね、きれい…ここに連れて来てもらって、よかったね?」
この花屋の主に束ねて貰えるなら、きっと花も幸せだろうな?
やさしい女主人の掌を想った周太に、やわらかい声が掛けられた。
「こんにちは、この子たち、かわいいでしょう?」
すっかり馴染んだ笑顔が優しく笑いかけてくれる。
やっぱり今日も素敵だな?気恥ずかしく想いながらも周太は声の主に笑いかけた。
「こんにちは。あの、この間は花束、ありがとうございました、」
公開講座の翌日、この店に美代を連れてきている。
そのとき可愛いミニブーケを作って貰って美代に贈った。あのとき美代の笑顔がうれしかった。
そして女主人の笑顔も周太は嬉しかった、楽しかった記憶に微笑んむと彼女も笑ってくれた。
「こちらこそ、良いお嬢さんに花を連れて行ってもらえて、うれしかったわ。今日は、ひとりなの?」
「いえ、あの…ふたりです、」
なんだか気恥ずかしくなりながら、周太は後ろを振り向いた。
振向いた先で切長い目が微笑んで、周太の後ろから花のなかへと英二が現われた。
「お久しぶりです、こんにちは、」
「あ、…」
綺麗な低い声のあいさつに、彼女の目が一瞬大きくなる。
けれどすぐ柔らかに微笑んで、いつものように彼女はあいさつしてくれた。
「こんにちは、ご来店ありがとうございます。今日は、どんなお花をご用意しましょうか?」
「50代の男性に感謝の花束を、2つお願いします、」
「2つですね。別々の方でしょうか、どんな雰囲気の方でしょう?」
「同じ方宛です、笑顔がとても美しいひとです、」
綺麗な低い声がいつものようオーダーを告げていく。
真白なシャツに漆黒のスーツ姿が映える長身は、花々の彩に華やいでいる。
こんな姿は見惚れてしまうな?綺麗な婚約者に見惚れながらも周太は、女主人を見た。
「では、芍薬をメインにいかがでしょう?」
白い花をとってくれる掌が、宝物あつかう仕草に美しい。
やさしい面差しの花を愛するひと、慈しむよう花持つ掌が美しいひと。
このひとは本当に花を愛している、そんな雰囲気が子供の頃に読んだ神話の女神を思い出させた。
…花の神さま、フローラ…クロリス、っても言うな?
とても素敵だなといつも見惚れてしまう、そう美代にも話したら「ほんとね?」と同意に頷いてくれた。
あの日は実家で母と3人朝食を楽しんでから美代と新宿に出た。
雪の御苑を珍しい植物を見つけながら散歩して、大学受験のテキスト選びに書店へ行った。
それからこの花屋によった後、遅めのランチを一緒にしてから美代をホームまで見送った。
そんなふうに半日を、植物の話題と受験勉強の話で美代と一緒に楽しんだ。
…公開講座も勉強会も、みんな楽しかったな。研究室とか…
あんなふうに好きなことを、好きなだけ話せる相手は良いなと思う。
そう互いに思って友達でいることが嬉しい、こんど会うときは受験勉強の話題が増えるだろうな?
考えを巡らしながら花と彼女の掌に見惚れているうち、上品な花束が2つ出来上がった。
「いかがでしょう?」
「きれいですね、」
英二も楽しそうに花へと笑っている。
ほんとうに綺麗な花束だな?そう見ていると彼女は周太にも笑いかけてくれた。
「お花。こんな感じで、いいかしら?足し引きあるかな?」
「あ、とても素敵です…いつも、ありがとうございます、」
不意に声かけられて、どぎまぎしてしまう。
けれどなんだか嬉しい気持ちで周太は、花束を1つ彼女から受け取った。
ガード下は相変わらずの人波に洗われていく。
誰もが無意識に歩いていく道の、一点に周太は婚約者と共に立った。
「…お父さん、」
ちいさな声で呼びかけて、白い小花を1輪だけ花枝から摘んだ。
かがみこんで、すり抜けてくれる雑踏のはざま白い花をそっと供える。
供花の純白は、アスファルトの黒い道に小さな星のよう輝いた。
「周太?この花、あのときの花束にも入っていたね。なんて言う名前の花?」
きれいな低い声がおだやかに尋ねてくれる。
白い花を見つめたまま微笑んで、周太は静かに答えた。
「ダイヤモンドスター。ホワイトスターとも言うんだ…信じあう心っていう意味の、希望の星の花だよ?」
14年前、斃れた父の血を飲んだ黒い道。
ここにこそ、どうか希望の花は純白に咲いてほしい。
どんなに昏い道が父の軌跡であったとしても、希望こそ星のよう心明るく照らしだすように。
いまこの隣立つ愛するひとは、きっと自分たち親子の希望の星。
このひとを想い信じる心を希望にして、どんな真実を見つめても父を信じ続けたい。
どんなに昏く哀しい現実が父の姿であったとしても、優しい父を信じたい。
「いい意味と名前の花だね、」
「ん、…この花もね、俺は好き。父も母も好きだから、喜ぶね?」
ふたり笑いあって、純白の花を見つめた。
新宿のガード下、白い星の花は輝いている。
星の花ひらく脇の壁際には、純白と緑の花束が清楚な香に咲いてた。
昏い都会の真中で、白い花たちは優しい想いのまま明るく道を照らしだす。
(to be continued)
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