萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

soliloquy 風待月act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-24 04:12:10 | soliloquy 陽はまた昇る
恵みの木



soliloquy 風待月act.3―another,side story「陽はまた昇る」

まるい実は、あまやかな香に季節を知らす。

この香は春の花とよく似て、春よりも瑞々しい。
あまく爽やかに風もそまる、懐かしい記憶がそっとふれていく。

この香は留めておくことが出来る、色んな方法で。
氷砂糖や蜂蜜と一緒に焼酎で漬けこむと、食前酒にも薬酒にもいい。
あまく砂糖で煮込んで、甘露煮にすれば茶席の菓子にも、デザートにも使える。
それから、これは手間がかかるけれど梅干しにしたら、何年でも保存が出来てしまう。

…ほんと良いよね、梅って…

ストレートな想いに、梢のまるい実たちへ微笑んでしまう。
この梅の実は、台所を守る立場からも好ましいから。
いつも菓子にも料理にも使えて、長く重宝する。

そして梅の花は雪にも咲いて、春告げる。
奥多摩の梅も美しかった、この庭でも春に香って茶席にも季節を告げてくれた。

こんなふう梅は、春と夏と2度の季節に恵みをくれる。
どちらの梅の季も、あまやかな香に包まれ愛おしい。




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第53話 夏衣act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-23 23:04:04 | 陽はまた昇るanother,side story
時をまとい、今



第53話 夏衣act.3―another,side story「陽はまた昇る」

遅い午後の光ふる部屋は、やわらかに明るく優しい。
すこし窓を開くと風ゆるやかに吹きこんで、緑の香が空気を染める。
見下ろした庭の梅の木たちが、どこか重たげな風情なのは実の豊かさだろう。
今日か明日には摘み取りたいな?考えながら勉強机に座ると周太は、4通の書類を広げた。

1通のコンピュータ化された戸籍全部事項証明書。
この戸籍の平成改製原戸籍を1通、それから紙面タイプの除籍謄本を2通。

こうした戸籍証明の請求は、戸籍に記載されている者の直系であれば出来る。
この請求のために、まず自分の全部事項証明を取得して父との親子関係と、原戸籍で父と祖父の関係を明示した。
その上で祖父の除籍謄本、それから曾祖父の除籍謄本を取得して書類を揃えてある。
この4通の書類を勉強机に広げると、隣から英二は笑いかけてくれた。

「ちゃんと全員が繋がるように請求してあるな、周太、」
「ほんと?…抜けているのとか無いかな、改正があったからそれも貰ってきたけど…」

心配になって訊いて見上げると、切長い目が受けとめてくれる。
微笑んで長い指に書類を取りながら英二は訊いてくれた。

「川崎は電算化されたの、平成19年?」
「ん、そう…お父さんが亡くなった後だった、ね、」

頷いて、すこし寂しい気持ちになってしまう。
戸籍全部事項証明書は同一戸籍内全員の身分関係を公証し、戸籍が電算化されていない自治体では戸籍謄本という。
この川崎は2007年6月1日に施行され、それ以前に死亡等で除籍された場合は全部事項証明には記載されない。
それに父も該当する為に、戸籍全部事項証明での父は周太の親としてしか記載が無い。

…これだと、最初からお父さんがいなかったみたい…

一通の書類に、寂しさが込みあげてしまう。
この電算化前の、平成改製原戸籍の謄本を見ればちゃんと父は載っている、そう解っているのに寂しい。
こんなふうに自分は泣き虫すぎる、女々しいと言われても仕方ない。この哀しい溜息がこぼれた隣から英二は言ってくれた。

「改正前に亡くなった人のことも載せたら良いのにな、元の戸籍通りにさ。なんか寂しいよな、」

どうして英二は、言わないでも解かるのだろう?

こんなふう解ってもらえるのは嬉しい、いつでも受けとめて貰えると信じてしまえる。
この信頼が温かで嬉しくて、周太は微笑んだ。

「ん、そうだね?…ありがとう、」
「思った通りに言っただけだよ、周太?」

さらっと笑って英二は、周太と一緒に机の書類を見てくれる。
まず曾祖父の除籍謄本を見て周太は、ひとつ溜息を吐いた。

湯原 敦  出生地 山口縣阿武郡萩町
妻 紫乃  出生地 山口縣阿武郡萩町

「曾おじいさん達、山口の人だったんだ…ね、英二?」

つぶやきに微笑こぼれて、周太は英二を見上げた。
切長い目が穏やかに笑んで受けとめてくれる、いつもの眼差しが嬉しくて周太は続けた。

「それなら夏みかんの砂糖菓子も、山口のものかな?…あの夏みかんの木、曾おじいさんが植えたっていうし、」
「うん、そうだな、」

頷いてくれる優しい笑顔に、ほっとする。
そして自分のルーツがすこし解かったことが嬉しい、その想い素直に周太は笑った。

「俺の親族って、お母さんしかいないでしょ?他に誰もいない…だから自分のルーツみたいなのだけでも、知りたかったんだ。
それに俺、この家に残っている習慣とか好きだから、それが何所から来たのかも知りたくて…きっと、どれも山口から来たんだね、」

これで山口県のことを調べたら、きっと家の風習の意味などが分かるだろう。
あとでパソコンを開いて見ようかな?そう考えながら周太は、次に祖父の除籍謄本を広げた。

湯原 晉  出生地 神奈川縣橘樹郡川崎町
妻 斗貴子 出生地 東京府東京市世田谷区

「見て?お祖母さんって、世田谷の人なんだね?英二と一緒だね、」

こんな同じがあったんだ?

なんだか嬉しくて見上げると、切長い目は凝っと書類を見つめていた。
その横顔が考え込むようでいる、なにかに英二は気がついたのだろうか?
不思議に思いながら書類に目を戻すと、1つの欄に視線が止められた。

死亡地 フランス国パリ市第5区

「…あ、」

この死亡地には、フランス最高峰の学府がある。
そこで祖父の晉は死んだ、その事実を示す文字に1人の人物がうかびだす。

『東京大学文学部仏文学科教授 湯原晉 パリ第三大学Sorbonne Nouvelle名誉教授』

前にWEBで「湯原晉」を検索した結果、祖父と同姓同名の人物は何人かいた。
そこから5人が祖父の年代に適合した、建築家、鉄鋼の技術者、温泉旅館の主人、あと大学の先生が2人。
そのうち最も立派に想えた人が、湯原晉文学博士だった。

そのひとが自分の祖父だと言うのだろうか?

「…英二、」

隣に佇む名前を呼んで、その袖を握りしめる。
見上げた視線に今度は応えるよう、切長い目が温かに笑んだ。

「どうした、周太?」
「あのね、俺…お祖父さんが誰なのか、解かったかもしれない…」

告げた言葉に端正な貌はすこし首傾げて、英二は見つめてくれる。
そして綺麗な低い声は穏やか尋ねてくれた。

「俺にも教えてくれる?」
「ん、」

短く頷いた周太に英二は微笑みかけてくれる。
その温もりに少し寛いで、周太は自分の考えに口を開いた。

「あのね、前に俺、おじいさんのこと調べたって話したでしょ?名前と年代で…英二と光一が北岳から帰ってきたときだよ?
あのとき俺、5人いるって答えたよね?それで大学の先生が2人いるって…そのうち1人がね、フランス文学の先生なんだ、」

ひとつ言葉を切って周太は、隣の婚約者に微笑んだ。
隣から覗きこんでくれる瞳には、真直ぐ周太を映している。この鏡を見つめて周太は推測を続けた。

「その先生はね、東京大学の仏文学科の教授で、パリ第三大学…ソルボンヌ・ヌーヴェルの名誉教授なんだ。
それでね、この死亡地のパリ市第5区って、パリ第三大学のキャンパスがある場所だと思うんだけど…このひとなのかな?
書斎の本、フランス文学ばかりでしょう?他の本棚もフランスのが多くて、それにお父さんもフランス語を話せたんだ…ね、このひとかな?」

あなたはどう想う?

そう見つめた先の切長い目は、思慮深い。
どこか深い森のよう湛えた静謐に佇んで、英二は考えてくれている。
この賢明な婚約者は何て答えを出すだろう?そっと見守るなか端正な唇が開いた。

「うん、そうだな?これだけ一致していると、その方が周太のお祖父さんだって可能性は高いな、」
「…そう、」

ぽつんと声がこぼれて、瞳の奥に熱がせりあげた。

ずっと探していた答えが今、いくつか見つかったかもしれない?
自分の家が何所から来たのか、祖父がどんな人なのか、答えを見つけられた?
この答に心ゆるんで涙ほどけだす、この涙に自分の本音にまた気づかされる。

…ほんとに寂しかったんだ、俺

血の繋がるひとは母しかいない。
この世界に沢山の人がいるのに、血縁者は母と自分のふたりきり。
それが本当は心細いと思っていた、あの14年前の夜に父を失ったときからずっと。
だってもう母まで失ったら、本当に自分は世界で独りぼっちになってしまうから。

だから、せめて家のルーツと祖父たちのことを知りたいと思った。
たとえ亡くなった人でも存在を身近に感じたら、きっと孤独の寂しさも和らぐだろうから。
けれど調べる余裕も知識も無くて、相談する相手もいなかった。

「あのね、英二…俺、本当は寂しかったんだ。お母さんと2人きりで寂しくて…だから知りたかったんだ、家と家族のこと」

ぽつり、本音が素直にこぼれだす。
ほら、今は隣で本音を聴いてくれる人がいる。
この幸せを見上げて周太は、もう片方の掌でも英二の袖を握りしめた。

「俺、理系でしょ?それで戸籍とか思いつかなかったんだ…でも、警察学校で法律のこと勉強して、戸籍を遡る方法を知ったから。
だけど、俺ひとりは不安だったの…どんな人か解らないし、どんな事実が出て来るかも解からないから…だから英二と見たかったんだ、」

握りしめたカットソーの袖を、また握りしめる。
見上げた瞳から涙ゆっくり頬を伝う、その温もりに周太は微笑んだ。

「俺のお祖父さん、見つけられたかな?…こんな立派な学者さんなのかな、お祖父さん…庭を奥多摩の森にした人は、この人かな?」

言葉と一緒にこぼれる涙に、長い指を伸ばしてくれる。
やさしく涙を拭って、椅子ごと抱きしめて、なめらかな頬よせ英二は笑いかけてくれた。

「うん…きっと、立派な優しい人だったよ、周太のお祖父さんは。たぶん今頃、孫に探してもらって、喜んでるな?」

かけてくれる言葉が温かい。
こんなふう英二は欲しい言葉を与えてくれる、いつも変わらずに。
この温もり嬉しくて、この優しさに応えたくて、周太は綺麗に笑って恋人を抱きしめた。

「ありがとう、英二…ね、コーヒー淹れるね?そしたら庭の梅を一緒に摘んで?お菓子やお酒を作るんだ、」
「周太のコーヒー久しぶりだな。梅を摘むのって俺、初めてだよ?」

優しい笑顔が近寄せられて、唇に温もりふれてくれる。
ふれる唇がやわらかな熱に包む、ほろ苦く甘い香がそっと交わされて、離れていく。
こんなふうにキスされると嬉しくて、けれど気恥ずかしくて首筋から熱が昇りだす。
こんな明るい時間から恥ずかしいな?羞んで周太は椅子から立ち上がった。

「先に下、行ってるね?コーヒー支度してるから…あまいもの欲しい?」
「お母さん帰ってきたら、お茶するんだろ?そのとき一緒に食べるから、」

きれいな笑顔で母を気遣ってくれる、こういう些細なことが幸せになる。
この幸せに微笑んで周太は部屋の扉を開いた。



木洩陽ふる梢は、生まれる風の通り道。
涼やかに吹く風へと梅香る、甘酸っぱい芳香が馥郁と流れだす。
この香が自分は好き。嬉しく微笑んだ向こう、高い枝から長い腕は実を摘んでくれる。
この14年は周太1人か母と2人で摘んできたけれど、背が高い人がいると仕事が速い。

…なにより、すきなひとと一緒なのが嬉しいな…

うれしく微笑んで周太は低い枝の実を摘んだ。
まるい実が毎年通りかわいくて嬉しくなる、樹を見て周太はそっと笑いかけた。

…今年もありがとう、すごく良い実だね?大切にするね、

いつも実をくれる古い梅の木は、なんだか家族のよう想えてしまう。
嬉しい気持ちで見つめる樹に大事なことを思い出した。
梢を見上げると周太は、婚約者に声をかけた。

「英二、いちばん高い実は、ひとつ残しておいてね?…木守りだから、」
「木守り?」

手を動かしながらも興味深そうに英二は訊いてくれる。
その質問に頷いて周太は、丸い実を籠に入れながら答えた。

「いちばん空に近い実はね、神さまへのお供物で木守りって言うんだ…そうすると、また沢山の実を付けてくれるの、」

幼い頃に父から教えられた、古い農耕儀礼。
これもずっと護ってきた大切なこと、この考えも曾祖父の故郷から伝わったのだろうか。
そんなことを考えかけたとき、綺麗な低い声が楽しそうに笑いかけてくれた。

「そういえば、夏みかんの時も1つ残したよな?あれも木守りなんだ、」
「ん、そう。同じだよ…りんごとか他の木も、同じようにするんだ、」

なんてことはない、他愛のない会話。
けれど、こんな時間こそ穏かな幸せが嬉しい。

…ずっとこんなふうに、一緒に過ごしていきたいな

そっと願いが心に響いてしまう。
この願いがいつか叶いますように、そんな祈り微笑んだとき古い木の軋む音がした。

「周、ただいま。梅の実を採ってたの?」

母の声と姿が、開かれた門から現われてくれる。
久しぶりに会う姿が嬉しくて、周太は門の方へと踵を返した。

「おかえりなさい、お母さん…出来たら今日、すこし梅酒とか漬けようと思って、」
「あら、良いわね。甘露煮も作るのだったら、ゼリーよせにして欲しいな、」

嬉しそうに母がリクエストしてくれる。
こういう要望はなんだか嬉しい、嬉しいまま周太は頷いた。

「ん、明日のお茶菓子にするね?…新宿でケーキ買ってきたの、お茶にしよう?」
「ありがとう、周。英二くん、」

楽しげに黒目がちの瞳を笑ませて、英二にも声をかけてくれる。
脚立から降りた長身がこちらに向いて、綺麗な笑顔がほころんだ。

「おかえりなさい、お母さん、」
「ただいま、英二くん、」

黒目がちの瞳が笑ってくれる、こんな笑顔を母もするようになった。
ふたりきりが本当は寂しかったと、周太と同じよう母も想っていたのだろう。
けれど母の想いはそれ以上に、息子の自分を心配していたからだと知っている。
だから今日も思う、今日は少しの間しか一緒に過ごせないけれど、1つでも多く母に笑ってほしい。
このあと異動したらもう、こうして家に帰る自由も解からないから、尚更に。

「お母さん、英二、コーヒー淹れるね?」

そっと想いを心に納めて、周太は愛する家族へと笑いかけた。
こんな日常的な言葉も幸せだと、今、じんわり温もりが込み上げてしまう。
この言葉は小さい頃から母に言ってきた、それが幸せな事だったと今更によく解かる。
幸せは、こういうありきたりの言葉に鍵があるのかもしれない?

「お母さん、旅行の支度先にしてきても良いかな?」
「ん、してきて?…そのほうが出掛けるまで、ゆっくり出来るね、」
「ありがとう、そうさせてもらうね。あ、今回は日光の保養所に行ってくるわ、」

楽しげな笑顔で答えながら、母も一緒に飛石を歩いてくれる。
明るい表情は年齢を忘れたよう若々しくて、幼い頃いつも見ていた幸せな母を思い出す。
そんな笑顔にふと気付かされる、母は今、母自身の人生を探している時なのかもしれない。

父の死から14年が過ぎた。
あの春の夜に時間が止まったのは、自分も母も一緒だったと今、改めて思う。
静かで穏やかな時間は深くなっていく涙の池に沈みこんだ時間、その底で母と自分は見ていた物は別だった。

―…やめなさい、周。警察官は止めて、

警察学校入校の書類を前にした、あの瞬間の母。あのときへ今も罪悪感を抱いている。
あのときが、初めて母に反対された瞬間だった。それまで母は助言しても、真っ向から反対した事は無かったから。
きっと反対されると解っていた、泣かれると解っていた、けれど哀しくて苦しくて。
ほんとうは「やめる」と言ってあげたかった、けれど父を想うと言えなかった。

亡くなった父を受けとめるために、生きている母を哀しませる。
それは唯の自己満足と言われても仕方ない、親不孝だと責められたら何も言い返せない。
それでも止められない自分は、ほんとうに愚かな意地っ張りだと解っている。

だからせめて、1つでも多く母を笑顔にしたい。
こんなことで罪滅ぼしになるなんて思わない、ただ母の記憶を幸せな笑顔で温めたい。
そして願っていいのなら、再び生きて家に帰ってきたい、そして母の幸せを援けたい。
それが父も願っている事だと、あの手帳に教えて貰ったから。

「お母さん、あとで見てほしいものがあるんだ、」

あの手帳を母に、見てほしい。そして父の想いを伝えたい。
その願いに笑いかけた先、穏やかな黒目がちの瞳が笑ってくれる。

「お母さんもね、周に見てほしいものがあるのよ?コーヒーの前に部屋に来てもらっても良いかな?」

母も見せるものがある?
なんだろうか、考えながら周太は素直に頷いた。

「ん、良いよ?…じゃあ梅を台所に置いたら、部屋に行くね、」
「ええ、お願いね、」

笑顔で答えると、母は玄関ホールから2階へと上がって行った。





(to be continued)

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one scene 或日、学校にてact.13 ―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-23 05:51:17 | 陽はまた昇るanother,side story
言われたことが、



one scene 或日、学校にてact.13 ―another,side story「陽はまた昇る」

目覚めると、かすかな鉄の匂いがする。
この匂いは知っている、立籠事件の時と、この間の雲取山で感じた血の匂い。
なにがあったのだろう?不安こみあげて隣を見上げると、あわい朝陽のなか切長い目が笑ってくれた。

「おはよう、周太。俺の花嫁さん、」
「おはようございます、…あの、怪我とかした?」

尋ねた先、英二の目がすこし大きくなる。
どうしたのかな?何があったのかな?疑問と見つめた周太を、長い腕は抱きしめた。

「怪我はしてないよ、でも言ったら周太、怒るかも?」

怒るようなことって何だろう?
不思議に思いながら周太は素直に訊いてみた。

「怒るようなこと?…でも血の匂いだよね、どうしたの?」
「じゃあ言うけど、周太、」

すこし悪戯っぽく切長い目が笑いかける。
そして綺麗な低い声が、正直に教えてくれた。

「女の子になった周太に処女を貰った夢、見たんだよ。それで鼻血を噴いちゃったんだ、」

しょじょをもらったゆめってなに?

言われた言葉に理解が追いつかない。
けれど追いついた途端に首筋から一挙に熱が昇って、ほら額までもう熱い。
恥ずかしくて仕方ない、けれど訊いてみたくて周太は何とか口を開いた。

「…あの、やっぱり女の子のほうがよかった?…あかちゃん生めるし…」

もし自分が女の子だったら?

そうしたら英二の子供に恵まれるかもしれない、そして家族を贈ってあげられる。
社会的に認められやすい結婚が出来る、それなら英二の母親も受容れやすかったろう。
このことを時おり考えてしまう、本当に自分が女性だったら英二は、今より楽な生き方を選べたのに?
そんな想いに心裡ため息が零れて、瞳に熱が籠りだす。このままだと泣いてしまいそう?
泣きそうな瞳を閉じて唇も結ぶ、その唇に優しいキスがふれた。

「男でも女でも、周太が好きだよ。どっちが良いとか無いな、」

キスの唇が微笑んで、切長い目は真直ぐ見つめてくれる。
きっと本心を言ってくれている、そう解るけれど周太は遠慮がちに訊いた。

「…ほんとに?」

確認したくて訊いてしまう、不安だから。
男同士で伴侶となることはリスクが多い、だから自分の性別へ自信が揺らぐときがある。
この揺らぎが瞳から熱をこぼれさす、また自分は泣いてしまう?恥ずかしくて伏せかけた顔に、婚約者は頬よせてくれた。

「ほんとだよ、だって男同士だから寮で隣になれたんだろ?そうじゃなかったら、こんなに好きになれなかったかもな、」

頬よせて笑って、唇を重ねてくれる。
ふれるキスが優しくて、ほろ苦い甘さが心ほどいて涙ひとつ零れた。

「俺が男で、良かった?…ほんとにそう思ってくれるの?」
「うん、思う。風呂だって一緒に入れるしさ、いろいろ都合が良いこと、いっぱいあるだろ?」

綺麗な低い声は、笑って告げてくれる。
その言葉が嬉しくて、こんなふうに受けとめて貰えることが温かい。
嬉しい想いに微笑んだ周太に、綺麗に笑って英二は言ってくれた。

「まあ、もし女の子だったら、周太のセックスの負担が少なくて良いなっては思うけど。そしたらもっと出来るだろ?」

こんなときなんてこというのこのひと?

言われた単語が恥ずかしい、きっともう顔は真赤だろう。
それでも訊いてみたくて周太は口を開いた。

「…もしかして、そういう理由で、そんな夢みたの?」
「うん、きっとそうだな。夢でかなりしちゃったし、」

さらっと即答して「本当だよ?」と切長い目が微笑んだ。
この即答も眼差しも恥ずかしい、恥ずかしくて睫伏せていると英二は幸せそうに教えてくれた。

「女の子の周太もすごく可愛かったよ?同じように色っぽくて、喘いでる顔もきれいで。喘ぎ声も可愛くてさ、俺、誘惑されっぱなし。
だから何回もして、周太もいっぱい感じてくれてさ。すげえ幸せだったよ?それで興奮しすぎたかな、鼻血ふいたのって。ね、周太?」

そんな夢かってにみないでくれますか?

そして、そこまで正直に申告しなくていいです、恥ずかしすぎますから?
それに、女の子になってもそんなにまで自分はえっちだと思われてるってこと?
こんなの本当に恥ずかしくて分からない、恥ずかしいまま素直に周太は言葉を投げつけた。

「えいじのばかえっちへんたいっ、なんてゆめみてるの?そんなことばっかいうなんてしらない、」

恥ずかしくて布団に顔隠そうとするのに、抱きしめられて動けない。
こんなの恥ずかしすぎて困る、どうしよう?そう困っている顔にキスが降らされた。

「可愛い、周太。夢でも同じように恥ずかしがってたよ?どっちも可愛い、大好きだよ、」
「やっ、はずかしいったらえっちへんたいちかんっ、そんなゆめみるなんてばかっ」
「睨みながら真赤なんて可愛すぎだよ、そういう貌すると誘われちゃうんだけど?今夜はいっぱいさせて、周太?」
「…っあさからそんなこというなんてへんたいばかっ」

こんなに罵っているのに、ふれるキスは優しい。
やわらかにキスは額に頬にふれて、幸せをくれる。
そして唇にキスは降りて、やさしい熱が唇から交わされだす。
こんなキスされたら幸せで抵抗できない、ほどかれた想いに見つめると英二は綺麗に笑ってくれた。

「周太のこと好き過ぎて俺、ばかで変態なんだよ?だから今夜は責任とってよ、周太?」

綺麗な笑顔でねだってくれる、こんな貌されると弱いのに?
こんなこと言うのに笑顔は綺麗なだんて、なんだか反則でずるい。

けれど言われたことの全てが、幸せなのも本当で。



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one scene 某日、学校にてact.13 ―side story「陽はまた昇る」

2012-08-22 04:30:01 | 陽はまた昇るside story
もしも言ったなら?



one scene 某日、学校にてact.13 ―side story「陽はまた昇る」

「…マジなんだ、」

ひとりごとに溜息吐いて、英二は掌で鼻から口許を押えこんだ。
ティッシュボックスに手を伸ばし、鼻から下を拭うと紙は鮮血に赤くなる。
やっぱりこれは現実なんだな?デスクライトに溜息こぼして顔の血を拭いとった。

鼻血を出すなんて、生まれて初めてだ?

まさか23歳にもなって鼻血を噴くとは思わなかった、思春期の時もなかったのに?
もしシャツを着ていたら血染めにしたかもしれない、上半身が裸で都合が良かった。
それにしても、こんな予想外の事態に我ながら可笑しい。コットンパンツの脚を組んで英二は笑った。

「周太のせい、かな?」

ほんと君には振り回される、こんなこと無かったのに?
そんな想いと見たベッドには素肌の体が、ブランケットに包まれ眠っている。
この素肌に1時間ほど前まで指と口で触れていた、あの熱がまた頭に昇りかけてしまう。
この熱っぽさだけが鼻血の原因では無いのだけれど?英二は椅子から立ち上がると、ベッドに腰掛けた。

ぎしっ…

静寂に軋む音を聞きながら、そっとブランケットを捲って見る。
デスクライトの光に晒された素肌はなめらかで、きれいな体のラインをあわく見せていく。
規則正しい寝息に眠る顔に微笑んで英二は、横向きの体を静かに仰向けさせた。

「…やっぱ胸、無いよな?」

ほっと吐息こぼして、静かに英二は笑った。
やっぱり夢を見ていたらしい?そんな自分が可笑しくて笑ってしまう。
だって見た夢の内容があんまりにも、有りえない。有りえない夢に英二は恋人へと笑いかけた。

「ね、周太?周太が女の子になった夢、見ちゃったよ…どっちでもすごく可愛いんだね?」

女性の周太を抱いて、体ごと愛しつくす夢を見た。

女性でも変わらずに可愛くて奥ゆかしくて、同じように恥ずかしがりで艶やかで、綺麗だった。
そして夢のなか処女を貰って堪能して。おかげで初めての時みたいに興奮した、それで鼻血なんか噴いたのだろう。
こんな夢を見て鼻血を出すだなんて、よっぽど欲求不満かもしれない。
このところ周太を抱いても体を繋げるまではしていないから。

“おまえ、あんま解ってないと思うんだけどね?ヤられる方の負担って結構キツイんだよ、腰とかマジくるらしいね?
だからエロい俺でも、コンナ躊躇してるんだろが。それをさ、平日の朝っぱらからって、無理させてんじゃない?”

このあいだ光一に言われたことに、反論の余地はない。
そして光一が心配した通り周太は雨のなか倒れた、蓄積した疲労に低体温症を起こして。
あれ以来、ベッドに時を過ごしても口と指で愛撫するだけに留めている。
それが本音は無理しているから、あんな夢を見てしまう。

―周太が女の子なら、今よりもセックスの負担が少ないから、もっと…

こんな動機から恋人が女性化した夢を見てしまった?
そんな自分に呆れてしまう、どれだけ自分はしたくて仕方ないのだろう?
こんなには以前は体のことに執着しなかった、むしろ本音は淡白な方だったろう。
けれど、この恋人の前にはもう、そんな以前の自分は脆く消え果てる。

「周太?どうして周太には俺、こんなにしたくなるのかな…?」

静かな囁きに笑って、そっと布団に体を入れる。
ふと不安になって弄ると、ふれた掌の感触に英二は微笑んだ。

「…ちゃんとあるね、周太?」

言って、可笑しくて笑いがこみあげてしまう。
こんな心配になる自分が可笑しい、そんなに欲求不満な夢を見る自分が不思議だ。
ほんとうに自分はこの恋人をどれだけ求めるのだろう、愛しむのだろう?
こんなになっている自分に少し不安にすらなる、あと1週間で初任総合の研修は終わるから。
そうしたらまた離れて暮らす日々が始まる、そのとき自分はどんな感情に投げ込まれるだろう?

「…それでも離さない、傍にいさせて…」

想い囁いて、眠る唇にキスをする。
ふれる唇がオレンジの香に甘くて、ほしくて深いキスになる。
深めていくキスにも恋人は目覚めない、抱きしめる裸身も素直に添って眠っている。

「ほんと周太は、眠りが深いね?…いろいろしたくなるから、いつも困るんだよ?」

ふっと笑って抱き寄せる体が、撓むよう凭れてくれる。
ほんとうは今すぐに、眠ったままでも愛してしまいたいと体の芯から声は上がりだす。
けれど今夜は、明日がある。予定に自分を宥めて英二は、眠る恋人に笑いかけた。

「周太、明日の夜は好きにさせてね?」

明日は久しぶりに川崎に帰る、ふたりきり夜を過ごせる。
そのためにも今夜は我慢した、二晩も続けたら体に負担を掛けるから。
でもこの我慢を言い訳にして明日、箍を外してしまわないよう気を付けないと?
そんな自戒に微笑んで瞳を閉じた。その瞼へと夢に見た姿が映りこんで、英二は恋人を抱きこんだ。

「ほんとに周太、女の子でも可愛いね?どっちでも好きだよ…愛してる、」

こんな夢にも本音を見てしまう、結局は「君を好き」それだけのこと。
女でも男でも「君を好き」唯ひとりであることに変わりは無い。

こう想っていることを、もし言ったなら君は、何て言うのだろう?




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第53話 夏衣act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-21 23:47:07 | 陽はまた昇るanother,side story
衣、記憶、過去と瞬間



第53話 夏衣act.2―another,side story「陽はまた昇る」

アスファルトの照り返しが眩しい。
一昨日までの雨に空は洗われて、光線はダイレクトに新宿の街へふる。
真直ぐな陽射しに気温は上がっていく、ほっと暑さに溜息ついたとき安本が言ってくれた。

「周太くん、上着を脱ぐと良いよ?遠慮しないで、熱中症とか困るだろ、」

人好い笑顔の提案に周太は微笑んだ。
この笑顔に会うのは8か月ぶりになるけれど、前と変わらず温かい。
こんな実直に明るい笑顔を父も好きだったろうな?そんな想いと周太は素直に返事した。

「すみません、ありがとうございます、」
「こちらこそ、ありがとう。俺に気を遣って、ちゃんと着てくれてるんだろ?でも遠慮しないで貰うほうが嬉しいよ、」

笑いながら安本は、自身も腕に掛けたジャケットを示してくれる。
本当に裏表が無さそうな笑顔と態度に、周太は素直にスーツのジャケットを脱いだ。
その隣から英二が鞄を持ってくれる、いつもながら優しい婚約者に周太は笑いかけた。

「ありがとう、英二、」
「どういたしまして。安本さん、言っていただく前から俺、脱いじゃって済みません、」

率直に謝って英二は綺麗に笑いかける。
そんな笑顔に安本は、楽しげに笑ってくれた。

「いや、構わないよ。それにしても宮田くんは、本当に良い笑顔だな。周太くんも、」
「ありがとうございます、安本さんの笑顔も良いですよ、」

さらっと答えて英二は、和風ダイニングの扉を開いた。
まだ10時過ぎなのに週末らしく、もう早いランチタイムの客が入っている。
きっと人気がある店なんだろうな?そう眺めながら案内された個室の席に着いた。

「良い店だな、宮田くんは何度か来てるんだ?」
「はい。父と一緒だと、昼はここが多いんです、」

きれいに笑いかけて英二はメニューを差し出してくれる。
受けとりながら安本は楽しげに言ってくれた。

「今日はご馳走させて貰うよ、好きなものを好きなだけ頼んでくれ、」

人の好い笑顔が気さくに提案してくれる。
けれど周太は申し訳なくて、つい遠慮を口にした。

「ありがとうございます、でも、悪いです…俺、前もご馳走になりましたし、」
「いや、良いんだよ。ご馳走させてほしいんだ、」

答えながら安本は温かに目を笑ませた。
そして懐かしそうに微笑んで、父の旧友は教えてくれた。

「湯原と約束したんだよ、いつか息子さんと呑ませてくれってね。まあ今日も酒抜きだけどな、俺にとって大事な約束なんだ。
息子と飯を食うの憧れなんだけど、俺は娘ばっかりでさ。だから湯原に約束させたんだ、息子がいる幸せを俺にも分けろってな、」

そんな約束を父は、してくれていた?

―…俺はね、湯原くん?君のお父さんと約束していたんだ。息子さんが大きくなったらな、ここで一緒に飲ませろよ、ってね。
 だから俺は驚いたんだよ。だってなあ、宮田が君を連れてきたんだから。しかも同じ警察官だ、驚いて、懐かしかった

いま告げられた約束に1月の記憶が、後藤副隊長が話してくれた「約束」が重なりこむ。
こんなふうに父は親しい友人たちに「息子と呑む」約束を幾つもしてくれていた、その想いが温かい。
この約束の存在が示してくれる父の真実と本音、そして父の友人たちの温もり。
この全てが温かい、眼の底にじむ熱に微笑んで周太は素直に頷いた。

「ありがとうございます、じゃあ遠慮なくご馳走になりますね?」
「ああ、そうしてくれたら嬉しいよ。宮田くんも好きなだけ頼んでくれ、」

楽しそうに笑って英二にも奨めてくれる。
それに端正な笑顔を見せて、綺麗な低い声は可笑しそうに笑ってくれた。

「俺の好きなだけは相当ですよ?」
「お、ガタイが良いだけあるんだな?いいぞ、今、覚悟したからな。存分に食ってくれ、」

人の好い笑顔が頼もしいトーンでメニューを示してくれる。
それに英二も笑って「じゃあ遠慮なく、」とオーダーを選び始めた。
こんな2人の姿を見ていると「もしも」の考えが心に映り出してしまう。

もしも父が生きていたら、こんなふうに英二と食事をしてくれたのだろうか?
こんなふうに父も明るく笑い合って、大切な人と楽しい時を過ごしてくれた?
そんな想いに父の真実がそっと響いて、あの雨の夜に告げられた言葉が浮んでくる。

―…お父さんは愛する人の時間を捨てたかった訳じゃない、だから優しい嘘を吐きたかったんだ
 本当は愛する家族と離れたくなかった…だから自殺だと思われたくなくて『殉職』で嘘を吐いたんだよ

きっと英二が言ってくれた通りだった、父は約束を守る人だったから。
それも大切な友人との約束なら、きっと父は叶えたかったに違いない。
だから、いま聴かされた安本の約束にも教えて貰える、そして心から断言できる。

…お父さん?本当は死にたくなかったね、生きていたかったんだね?

いま確信に心が温かい、温もりが瞳の奥に昇ってしまう。
けれど瞳ひとつ瞬いて納めると食事を決めて、英二にオーダーを任せた。
そしてオーダーを受けた店員が扉を閉めると、周太は安本の目を真直ぐ見て尋ねた。

「安本さん、教えてください。父は、あのときボディーアーマーを着ていましたか?」

あの雨の夜から考え続けた「真相」は、いま目の前に座るひとが一番知っている。
このひとこそ14年前の夜を全て見ていたはず、父と最後の任務にパートナーを組み、父の最期を看取った人だから。
そして自分と母を検案所で迎えたのは、遺品を渡したのは、全てが安本だった。

…お父さんの警察官としての顔を、いちばん長く見ていたのも安本さんなんだ

父と安本は警察学校の同期で、同じ教場だった。
卒業配置も共に新宿署に配されて、機動隊にも一緒に配属されたと前に教えてくれた。
そのあと父は警備部へ安本は新宿署刑事課へと分れてしまった、この分岐が14年前の「殉職」を生み出した?
もし同じように園遊会の警邏に就いたとしても、警備部SATではなく新宿署所属だったら父は、死なずに済んだのに?
そんな想いに見つめる向う側で、人の好い笑顔は穏やかに口を開いた。

「ああ、もちろん着ていたよ、活動服の中にね。あの日、湯原は御苑の園遊会で警護に当ってくれた。だから当然、着ていたよ」

答えに、肩から力が一息に消えた。
そして瞳の奥から閉じこめた熱が、ゆっくり解かれていく。

「…ほんとですね?…撃たれた時も父は、ボディーアーマーを着ていたんですね?」
「もちろんだ。真面目なやつだからね、君のお父さんは。でも、それでも銃弾は防げなかったんだ、」

穏やかでも明確なトーンが、肯定してくれる。
真直ぐで実直な眼差しが「本当だよ」と見つめてくれる、その目に周太は真実を見た。
その真実を周太は、父の最期を見つめた目へと問いかけた。

「それなら、父は、あの夜も生きたいと、家に帰りたいと思っていた。そう考えても良いのでしょうか?」

いちばん父の近くにいる友人で警察官、そのひとから聴かせてほしい。
どうか父の最期を見た、あなたの口から父の真実を教えてほしい。
そんな想いと見つめる安本の目は、温かに笑んだ。

「もちろんだ。あの夜も湯原、俺に周太くんの写真を見せてくれたよ。それでな、桜の花びらを2枚、手帳に挟んでいた、」

…桜の花びらを、2枚?

あの日、父は桜の園遊会の警護だった、そのとき咲いていた桜だろうか?
それを「2枚」手帳に挟んでいたのは、その理由は自分が想う通りだろうか?
この推測に祈るよう見つめる先、実直な目は真直ぐ周太を見つめて、言葉を続けた。

「あの夜もね、湯原と新宿署のベンチに座って休憩していたんだよ。俺はコーヒー、あいつはココア。いつもの定番だった。
あのときも手帳を開いてな、君の写真と、桜の花びらを3枚見せてくれたよ。花吹雪があって3枚、ちょうど掌に乗ったって言ってた。
湯原、きれいだろって笑ってな、1枚を俺にくれたんだ。きっと2枚は周太くんと、お母さんへの土産にするつもりだったよ、あいつ」

話しながら懐かしそうな眼差しが、周太を見つめてくれる。
その目は真直ぐ温かに誠実で、すこしだけ父と似ていて、寂しげで優しい。
その目に懐かしさを見つめる向うから、安本は教えてくれた。

「あの日も湯原、大切な息子と奥さんのことを想いながら任務に就いていたんだ。本当はあの夜、君に話すべきだった。
でも、言えなかったんだ。その手帳も、写真も、花びらも、遺品として渡せなかった。でも今日、受けとって貰えるだろうか?」

ワイシャツの胸ポケットから安本は、白い封筒を取りだした。
受けとった封筒はすこし古びて、けれど丁寧に保管されていたことが解かる。
そっと開けてみた中には、焦げた穴の開いた手帳が納められていた。

「それは銃弾の痕なんだ、中に写真と花びらもある、」

安本の言葉がほろ苦くが香る、それは14年間の涙の潮だろうか?
その苦さに覚悟して、周太はひとつ呼吸すると手帳を開いた。

…お父さん、

写真には弾痕の穴と、血痕。
桜の花びらにも黒い染みがある、けれど綺麗に押花になって。

「この血は、父のものですね?」

落着いた声が自分の唇から出てくれる、けれど瞳の奥は熱い。
それでも熱を堪えて見つめた先、父の友人は正直に答えてくれた。

「ああ、湯原の血だ。あいつ、手帳ごと胸を撃たれてな。惨くて渡せなかったんだ、あいつの気持ちも伝えられなかった。
あいつの帰りたい気持ちが銃弾に壊されたみたいで、悔しくて哀しくて。だから俺が預らせて貰ったんだ、いつか君に渡そうって、」

いま、告白される14年前の真実に、心が納得へ温められる。

生きていたい、けれど命を懸けても尊厳と誇りを貫きたい。
この矛盾の狭間に佇んだ父は14年前、一瞬で信念に殉じ逍遥と死に赴いた。
大切にしていた息子の写真ごと胸を撃たれて、家族への想いと一緒に逝ってしまった。

「写真、いつも持ってくれていたんですね、父は、」

いま見つめる古く壊れた写真と押花に、父の真実が微笑んでくれる。
その微笑に重なるよう、穏やかに微笑んだ父の友人は言ってくれた。

「そうだよ、いつも持ってた。しょっちゅう俺に自慢してたよ、可愛くて優秀で、すごく良い子だって。奥さんのお蔭だってね、」

…ね、お父さん?俺のこと、お母さんのこと、愛してるね?

そっと心裡に、確信が温かい。
いま聴かされる父の素顔に、あの夜の真実の想いが温かい。

もし罪が無かったなら父は、きっと生きることを選び、大切な約束たちを叶えたかったろう。
あの夜も妻と息子と約束したよう庭の桜を眺めたかった、奥多摩に行く約束も叶えたかったはず。
いつも安本や後藤に約束していた通りに、大人になった息子を連れて友人たちと酒を酌みたかった。

あの瞬間まで父が遺した約束は全て、父の真実の願いと、真心だった。

きっとそうなのだと思える、父の願いと選択の矛盾を、その信念の強靭が見える。
この最期を見つめた人の言葉から、あのとき「殉職」を選んだ父の真実が自分を見つめて微笑んでいる。
まるで父が友人の姿を借りて、笑ってくれているように。

「教えて下さって、ありがとうございます、」

素直に微笑んで周太は手帳を閉じ、頭を下げた。
そして俯けた瞳から熱はこぼれ、心の奥から涙あふれだす。

…おとうさん、生きていたかったね?

想いに涙こぼれて、スーツの膝に跡を刻みこむ。
あとから後から温もりは落ちて止まらない、顔が上げられない。
こんなに泣いてしまうと思わなかった、けれど、この涙に本心を気づかされていく。

自分が知りたいと一番に願った父の真相は何か?
自分は何を見つけたくて父の軌跡に立ったのか、それを今、自覚する。

“父の笑顔は真実だったのか?” 自分たち母子と、家族と共に生きて父は幸せだったのか?

それを一番に知りたかった。
知らない父の姿を見つけたいのも本当、父の苦しみを受けとめたいことも本当。
けれど本当に一番に探していた答えは「父は幸せだったのか?」それを知りたかった。
自分と母が愛した父の、美しいあの笑顔は真実だったのかを知りたくて、だから父の軌跡を追う道を選んだ。

ね、お父さん?
お父さんの笑顔は、本当の笑顔だったんだよね?
あの笑顔は本当に幸せで、俺のこと、お母さんのこと、愛して幸せだったよね?

そんな呟きが心を廻って、温かい。
そして父の想いが覚悟が、肚の底から熱くなる。

幸せだから生きる道を選びたくて、けれど、信じた道のために選べなかった。
人間としての尊厳の為に父は贖罪を選んだ、男の誇りを示すために命を懸けて、父は死んだ。

そんな父の立っていた道を、やっぱり自分は見に行きたい。
父の真実が「生きることに幸せな笑顔」だったなら、尚更に自分は知りたいから。
だから今、ここで流れる涙に懸けてこの瞬間、自分も覚悟に微笑みたい。
父と同じように男としての誇りを懸けて、尊厳を護るために覚悟したい。

…お父さん、俺、やっぱりSATに志願するね?

そっと心呟いて微笑んだ、その視界に涙こぼれ落ちる。
閉じた手帳を膝の上で封筒に戻す、そこにも涙おちて浸みていく。
ただ静かに零れていく涙に顔があげられない、そんな肩を温もりが包んでくれた。

「周太、おいで?」

綺麗な低い声が微笑んで、体を支えながら立たせてくれる。
長い指の掌に肩が包まれている、ほっと俯いたまま安らいだ隣から、英二は言ってくれた。

「安本さん、中座をすみません。すぐ戻りますから、待っていて下さいますか?」
「もちろん、遠慮しないでくれ、な…、」

穏やかに答えてくれる声が、かすかに詰まっている。
いま安本も泣いているのだろうか?そう気づいて少し動かした瞳に、向かいの席が映りこむ。
そこには組んだ掌に半顔を埋めるようにした安本が、微かに目を潤ませていた。

…このひとも心から、お父さんを想ってくれる

ことん、心におちる呟きに、周太は大切なことを思い出した。

今日は必ず安本に礼を言おう。
父を看取ってくれたこと、父の遺志を護ってくれたことに、きちんと礼を言いたい。
その想いを抱いて周太は婚約者に支えられて、手帳の封筒を胸ポケットに廊下を歩いた。
そして奥の洗面室に着くと、静かに英二は把手に手を掛けてくれた。

かたん、

木造の引戸は開かれて、長い指は閉めてくれる。
そして空間がふたりになった途端、周太は広やかな胸に抱きついた。

「…っえいじ!」

ただ一声、名前を呼んで涙あふれだす。
大好きな名前が引金のよう、涙も嗚咽もあふれでて周太は温もりに泣いた。

「うっ…う、うっ…あ、…っ、」

ほら、こんなふうに泣きじゃくる自分は、泣き虫。
こんなに泣き虫で弱い自分、けれど受けとめてくれる胸は温かい。
この温もりだけが世界の全てのよう想えるほど、すがる胸はひろやかに頼もしい。
この胸にすがりついて泣いてしまう心ごと、温かな腕はしっかり抱きとめて、やさしく背を撫でてくれる。

「泣いて、周太…俺がいるから大丈夫、」

綺麗な低い声が言ってくれる、その声も微かに詰まっている。
この腕のひとも共に今、父を想い泣いてくれる。会ったことが無くても惜しんで想ってくれる。
こんなふうに父を真直ぐ受けとめてくれるひと、その人が自分の伴侶として今、傍にいる。
ずっと孤独だった13年の冷たい時間、けれど超えた今、頼もしい懐に衣のよう包まれ温かい。

…この今が、この瞬間が幸せだ

この今の幸せが温かで嬉しくて、涙は安堵に流れだす。
そして降り積もる父への想いに、今、周太は心から泣いた。



庭の紫陽花は、盛りを迎えていた。
まだ日中の陽射しふる緑は濃く輝いて、花あざやかに色彩を見せている。
群青、紫紺、青、水の色、爽やかなトーンは緑陰に涼やかに揺れていく。
それから薄桃に白の明るい花たちは陽に華やいで、可憐な姿に輝き魅せる。
どれもきれいだな?そう見ながら庭を歩いて、一株の花の前に周太は足を止めた。

「周太、この赤い花も紫陽花?」

綺麗な低い声が隣から訊いてくれる。
この花こそ今日、唯ひとりの恋人に見せてあげたかった。
想ったよう咲いてくれていた花に嬉しくて、周太は綺麗に笑った。

「ん、紅萼紫陽花って言うの…好きな花なんだ、」
「きれいな花だね、周太。きれいな色で、姿もすっきりしていて良いな、」

綺麗な笑顔を見せながら、白い指が紅い花にふれてくれる。
ほら、やっぱりこの掌には似合う花だったな?この花は父も好きだった、それが英二に似合うことが嬉しい。
嬉しく眺めて周太は花鋏を手渡した。

「好きなのを選んで?床の間に活けるのに、ちょうど良い感じの…あと、書斎にも」
「これなんかどうかな、周太?」

笑いかけて訊いてくれる花枝は、自分も良いかなと思うものだった。
こんなところも一緒だと嬉しくて気恥ずかしい、すこし首筋が熱くなるのを感じながら周太は頷いた。

「ん、良いと思うよ?」
「ありがとう、周太、」

綺麗に笑って英二は、そっと鋏を枝に入れた。
ぱきん、潔い音が空響いて紅の花は白皙の手に納められる。
そんな様子も美しくて見惚れてしまう、ほっと微笑んだ周太に、ふと英二は尋ねた。

「周太、さっき区役所で戸籍と除籍を取ったよな、全部事項で。何に使うんだ?」

とくん、鼓動がひとつ心轟かす。

さっき家への帰路を区役所に寄り道した、そのときの事を英二は言っている。
証明書申請を出したとき英二は、ちょうど電話をしていた。それでも書類に気づいたらしい。
この証明書を取得した目的を言うのは、何となく気が引けてしまう。けれど言わないわけにはいかない。

『秘密も一緒に背負って』

低体温症に斃れた夜、そう自分は約束をした。
だから今も話すべきだろう、周太は隣を見上げて真直ぐに告げた。

「お祖父さん達のこと、知りたいんだ。それで戸籍とか見たら何か解かるかもって…俺、名前しか知らないから、」

自分の戸籍全部事項証明には両親と、両親が出生した時の戸籍筆頭者が記されている。
同じように祖父の除籍謄本には配偶者である妻の記載と、祖父の両親として曾祖父母も記されている。
そして曾祖父の書類なら川崎に移る以前の住所が書いてあるはず、辿れば家のルーツが少し見えるだろう。
この書類たちがあれば祖父達や家の事が少し解かるかもしれない?そんな一縷の望みに今日は区役所に寄った。

こんなふうに調べることを英二は、なんて思うのだろう?

「俺、親戚も無いし、きょうだいもいないでしょ?…だから、せめてお祖父さん達のことくらい知りたいって思って。
まだ今なら時間もとれるから、異動の前に調べようって考えたんだ…今日は第4土曜だから区役所も12時半まで受付てくれるし」

正直に告げて、周太は婚約者を見つめた。
そしてこの告白に周太は、おねだりを重ねて微笑んだ。

「英二は法学部だよね、だったら戸籍や除籍の詳しい見方知ってるよね?…お願い、協力して?」

この協力のためにも今日、区役所に行きたかった。
今日を逃したら次はいつ英二と書類を見られるか、解からないから。
このお願いを聴き入れてくれるかな?そう見上げた先で英二は穏やかに微笑んだ。

「うん、お願い聴くよ?周太、」

穏やかな笑顔で答えて、紅の花枝を持つ手を伸ばしてくれる。
その花ごと抱きよせ額をつけて、切長い目が瞳のぞきこんだ。

「ちゃんと約束通り、話してくれたね。ありがとう、周太…」

綺麗な微笑を瞳うつして英二は、唇をキスに重ねた。
やさしい触れるだけのキスに瞳を閉じて、そっと離れる温もりに睫を披く。
そうして見つめる想いの真中で、きれいな笑顔は不思議な色に笑いかけた。

「周太、家に入ろう?水切りをしたら、書類、見せて?」

提案してくれながら掌を繋いで、玄関へと英二は歩き出した。




(to be continued)

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one scene 某日、学校にてact.12 ―side story「陽はまた昇る」

2012-08-21 04:43:07 | 陽はまた昇るside story
言っておくけれど、



one scene 某日、学校にてact.12 ―side story「陽はまた昇る」

汗の匂いと明るい喧騒、それから機械音。

トレーニングルームは今日も人が多くて、誰もが真剣でも楽しげに体を動かしている。
こんなふうに器具を使ってのトレーニングは7ヶ月していない、いつも山の現場で訓練しているから。
だから機材は勿論のこと、ふれる熱気と匂いも何となく懐かしい。この懐かしさに自分の居場所は「山」になったと気付かされる。

―こういうトレーニング、初総が終ったら次は、いつやるんだろ?

ふと浮かんだ思いに首傾げながら、ランニングマシーンを走っていく。
いつもなら山道のアップダウンと凸凹を駆けるけれど、今は平坦を走るから楽だ。
こんなとき既に日常になっている山岳訓練のキツさが懐かしくなって、もう山の世界が心映りだす。

久しぶりに山に行きたい、雪山の世界に触れたい。
来月は北岳と谷川岳で練習をして、それからマッターホルンへ訓練に行く。
その他にも海外の遠征訓練に参加する予定になっている、但し山岳救助隊の状況次第では変更になるだろう。
なにより英二自身の所属が青梅署のままなのか?いつ異動になるのかは解からないのだから。

―それでも訓練の予定は、あまり変わらないだろうな?

そんな独りごと心に呟いて、ランニングマシーンが時間と告げる。
測定値をチェックしてからセッティングをクリアにすると、英二は隣に笑いかけた。

「周太、腹筋やりたいから協力してくれる?」
「ん、いいよ、」

気軽に微笑んで素直に付いて来てくれる。
ほら、こんなふう素直に微笑んでくれる、それが嬉しくて仕方ない。
一年前の周太は笑わないで、殻に籠ったような雰囲気が切なくてならなかった。
それが今はもう、こんなふう笑ってくれるのが嬉しい。嬉しくて英二は笑いかけた。

「周太ってさ、ほんと笑顔が可愛いね、」
「…こういうとこでいわれてもはずかしいからやめて…でもありがとう」

恥ずかしげに俯いて、けれど赤い頬で微笑んでくれる。
こんな表情が可愛くて見ていたい、こんなにも自分は目が離せない。
こんなに見てばかりいる今に、ふと来月からの日常が不安になりかけてしまう。
もう今月で初任総合は終わり、来月には青梅署と新宿署に分かれてしまうから。

―それでも、電車で1時間で逢えるんだ、

心に思って、自分に笑ってみる。
だって初任科教養の卒業式はもっと辛かった、だから今は笑えてしまう。
もう今は婚約者の立場がある、逢いたければ逢いに行く権利を、この最愛の恋人から与えられたのだから。
そんな想い微笑んで英二はフロアへと膝立てに座り、腹筋の体勢で周太と足を合わせあった。
ふたり絡ませ合い抑えこみ合う足に、嬉しくて英二は恋人へ微笑んだ。

「なあ、周太?こうして足を合わせるのとか、なんかいいよな?」

言って、我ながら可笑しい。
こんなことで「合わせる」だけでも自分は嬉しいんだ?そんなふう笑っていると周太は頬まで赤くした。

「…いまはくちよりからだをうごかすときですから、」

なんだか可愛いトーンで言って、さっさと腹筋運動を始めだす。
こんな照れ屋のところが可愛くて、つい言っておきたくなる。

合わせたいのは、全てだよ?

この体も君と合わせていたい、心も重ねて合わせたい。
そして人生も合わせて君と共に歩きたい、どうか離れず傍にいて。
ずっと傍にいて見つめていたいから、君と視線を合わせて見つめて、幸せな笑顔を見たい。

そしてどうか願うなら、ずっと君の幸せに合わせられるように。




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第53話 夏衣act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-20 23:43:27 | 陽はまた昇るanother,side story
※念のため後半R18(露骨な表現は有りません)

花よ、季の訪いに



第53話 夏衣act.1―another,side story「陽はまた昇る」

蛇口の水が、すこし温くなった。

花活を濯ぐ水にも季節めぐり、もう夏は始るのだと肌に知らす。
この水温だと朝晩と水変えした方が良い、明日の朝も寮を出る前に変えていこう。
それなら朝も水切りした方が良いかな?考えながら周太は紫陽花の茎に花鋏を入れた。

ぱん、

小気味いい音が洗面台に響いて、茎は水底へ散る。
この洗面台が広いから水切りしやすくて良かった、借りた桶が置きやすくていい。
川崎の家だと浴室の一角と庭の水場、あとは水屋に花を切るスペースが造られている。
その便利さに慣れて他所との比較を考えたことが無かったけれど、こんなとき改めて「家」の認識をするきっかけになる。

…曾おじいさんが造った家だけど、設計もしたのかな?

家は築90年ほどだと聴いている。
建てられた頃と今とは造りは変わっていないのか、それは母も知らない。
すこしずつ手直しをしながら住み続けている事だけを、父は話してくれた。
自分でも訊いたことは無かったけれど、父は家のことを話さないまま亡くなっている。

…それどころか何も知らない、お父さんのこと、家のこと

ふっと自覚に哀しくなって、溜息こぼれてしまう。
例えば、父が英文学を学んだことは知っている。けれど、どこの大学を卒業したのかは知らない。
それに茶の湯も父から手ほどきを受けたけど、その流派が何かは教えて貰っていない。
なによりも、祖父母と曾祖父母のことを何も知らないことが寂しい。

学校で夏休みの話になる、そうすると決まって「お祖父さん、お祖母さんの家に行く」と皆は話す。
けれど自分には祖父母は居ないから、両親に祖父母のことを訊いたことがあった。
母は両親の記憶に微笑んで嬉しそうに話してくれた、でも父は何も話さなかった。
ただ寂しそうに「みんな昔に亡くなってね、」とだけ言って微笑んで。

それでも過去帳から名前だけは解かるから、手懸りが何もないわけじゃない。
これだけでも自分なりに考えて探して、祖父だけは事跡が調べられる可能性を掴んでいる。
まだ確信は持てないけれど、該当しそうな人が絞れそうだから家に帰ったら確かめたい。
そのため明日は出来れば12時までには川崎に戻りたいけれど、間に合うだろうか?
そこまで考えた時、ふと疑問が心に映りこんだ。

…でもお父さん、どうして何も話さなかったのかな?

まだ子供には話せないような事情があったのだろうか?
けれど母にも父は話していない、だから「子供だから」という理由は成り立たない。
それとも妻にすら隠したいような、何か秘密の事情があるということだろうか?
このことも「やさしい嘘」に含まれているの?

なぜ?

疑問が起きあがって、思考の迷路に踏みこみかける。
それでも手は動いて花活に紫陽花を入れ、切り落とした茎をゴミ箱に納めると桶を濯ぐ。
水の感触が手に気持いい、丁寧に濯ぎ終えて周太は蛇口を閉じた。

きゅっ、

小さな音がたって水が止められる。
布巾で桶を拭って用具入れに戻すと、花活けを携えて廊下に出た。
まだ窓の空は青い、けれど雲には金色が映え始めている。きっと梅雨の晴れ間らしい、きれいな夕暮れになるだろう。
久しぶりに夕映えを見ようかな?考えに微笑んで周太は部屋の扉を開いた。

「…きれい、」

ほっと呟いた向こう、まばゆい雲が窓に移ろっていく。
すこし上空は風があるのかもしれない、明日の天気はどうだろうか?
出来れば雨は降らないでほしいな?思いながらデスクに座ると周太は花を整えた。
青い萼紫陽花と白い西洋紫陽花、それに岩躑躅の緑の枝。6月らしい花をすっきり活け込んで、周太は微笑んだ。

「ん、いつもより多いけど、良いね?」

久しぶりに部活に出た英二の分も一緒に貰ってきたから、いつもより花が多い。
ふたり違う紫陽花を選んだけれど、併せて活け込んでも綺麗に納まっている。
英二が選んだ花のすっきりとした姿と色に、青い制服姿を見て言葉がこぼれた。

「英二って、背中がすっきりしてるから…なんか似合うよね?」

ひとりごとに花を見つめて、ふっと首筋が熱くなる。
ほら、花を見ては俤を想ってしまう。こんなこと英二と出逢う前は無かった、だから本音が透けてしまう。
こんなふうに花を見て俤を探すほどに、本当は傍にいて見つめていたいと願っている。
こんなに誰かを見ていたいと、一緒にいたいと思える相手がいることは幸せだろうか?

「…ほんとに毎日、一緒にいられたら…ね…」

ふっと独り言に本音こぼれて、小さく周太は微笑んだ。
これから夏を迎えて秋になれば、一緒にいる時間を作る自由すら消えるだろう。
その時を想うと切なくて、哀しみが浸してくる感覚に「幸せ」は消されかかる。
それでも毎日を一緒に過ごせる日を、いつか迎えられることを信じていたい。
英二と出逢えてからの時間は間違いなく、幸せだったから。

だから、幸せな時の記憶を見つめていたい。
どんな現場に立っても温もりを忘れなければ、希望を見いだせると信じている。
そして父の真実と想いの全てを、残さず拾い集めて無事に帰りたい。

…きっと、大丈夫。帰ってこれる

想い微笑んで立ち上がると、周太は窓辺に歩み寄った。
鍵を外し窓を開く、ふっと吹きこむ風は緑ふくんで懐かしい。
久方ぶりの晴れた夕風は、どこか遠くの雨を香らせ涼やかに吹きこんでくる。
この香に雨の夕方と夜の記憶がよみがえって、すこし周太は首を傾げこんだ。

父の殉職は「自殺幇助」が真相。
これに向き合った雨の記憶に考え込んでいる。

これは梅雨の初めだった、この答に3つのヒントが辿り着かせてくれた。
この真相に気になる事が幾つかある、この数日それを自分だけで考え続けてきた。

父が殉職という名の自殺を選んだ理由は、2つある。
ひとつめはSAT狙撃手として犯した合法殺人の罪を自裁するため。
ふたつめは「自殺」と家族に悟られないよう「他殺」に見せかける、優しい嘘を吐くため
この理由が本当なのか?それを確かめたい、特に2つめの真相には知りたいことがある。

あのとき父は、ボディアーマーを着ていたのだろうか?

ボディアーマーは防弾チョッキ、防弾ベストとも呼ばれる。
これは銃弾や爆発の破片物から身を守るベスト状の身体防護服で、警察官も着用をする。
これを着ていても銃弾は貫通するケースもある、それでも発砲命令が下される現場であれば当然着用するだろう。
少しでも危険を防ぎ身体と生命を護る、それが人として警察官としての考え方なのだから。
だからもしあの夜も父が着用していたのなら、あの時も父には「生きる」意思があったことになる。
けれど記憶を辿っても父が着用していたのか解らない。

あの14年前の夜、検案所で面会した時は白布で父の体は覆われて、顔しか解からなかった。
家に連れ帰った時には制服は脱がされて白衣姿、葬儀の時は礼装姿で横たわっていた。
そんなふうに父が亡くなった時の服装を、自分は目撃していない。

父は現場に向かうとき、ボディーアーマーを着用したのだろうか?
もし着ていたとしたら父は「生きて帰りたい」意思が幾分は残されていたと信じられる。
けれどその事実は自分には解らない、どうしたら調べることが出来るだろう?
その答えについて数日、ずっと自分ひとり考え込んでいる。

―…やさしい嘘は吐かないで、すべて話して、俺と一緒に生きてくれる?

あの雨の夜、英二はそう願ってくれた。
けれど自分だけで考えられる所までは向き合いたい、それくらいのプライドは自分にもある。
これは自分と父の問題、息子として父を放りだせない本音に従いたい、そんな意地と誇りに懸けて選んだこと。
だから幾らか答えを出してから英二には話したい、そう思って14年前の真相を解く鍵を見つめている。
そんな想いと見つめる空は、あわく光が赤みを帯びていく。きれいな光の色に見惚れるなか、微かな電話の声が聴こえてくる。

「…うん…ごめん……だな……わかった、よろしく…ん…」

壁を透かす綺麗な声は、大好きな声。
いま英二は光一に電話しているのだろう、もう18時過ぎて勤務時間も終わった頃だから。
きっと明日の外泊日に青梅署に戻らない事を謝っている、そんな予想に小さく周太は微笑んだ。

…ごめんね、光一。寂しい想いさせるけど…だけど、明日の後はチャンスが少ないから、許して?

そっと心裡に謝って、周太は窓からベランダに降りた。
見上げる北西の空は明るい夕映えに美しい、あの空のした光一は今、隣室と電話で繋がれている。
本当は明日も光一に英二を返してあげたいとも思う、少しでも多く2人の時を過ごして絆深めてほしい願いもある。
そうして2人が繋がっていくことで、信頼する幼馴染に英二を援けてほしいと祈っている。

けれど、もう6月が終わってしまう。
この初任総合の期間もあと1週間で終わる、英二と共に過ごす日々が終わりを告げる。
だから今、すこしでも多く英二と一緒に過ごしていたい、1つでも多く幸せな記憶が欲しい。
それが今の自分の本音で、祈りにすらなっている。

「ごめんね、光一。明日と明後日は、俺に下さい…」

祈りは言葉になって、夕風にこぼれおちた。
ゆるやかに吹きぬけていく夕去る風は、静かに梢揺らして空を駆けていく。
この風は奥多摩にも懸けていく?そんな想いに見上げた空は、ゆっくり色彩を変え始めた。

地平線に近づきだす太陽は、黄金色あざやかな光芒に沈みこむ。
連なる雲の波に光がおどる、朱橙に薄紅、金色かがやき棚引いていく。
蒼穹の青は濃くなり勝り、群青の深みが夜をひくよう染まりだす。どこか風も夜の気配を含んでゆく。

「きれい、」

空に微笑んで周太は手すりに凭れた。
いつも金曜の夜は本当を言うと寂しかった、英二は青梅署に戻ってしまうから。
それが山岳救助隊の多忙のためと解っている、もう本配属になった英二にとって当然の判断なことも承知している。
それでも本音は寂しくて、ほんとうは「一緒に家に帰って?」と何度も言いたいのを呑みこんだ。
けれど今夜は寂しくは無い、明日は一緒に帰れるのだから。

…うれしいな、やっぱり

本音の心に微笑んでしまう、好きな人と一緒に家に帰れるのだから。
こうして外泊日に一緒に家に帰ることは、初任科教養のとき以来になる。
5月に1度だけ英二は家に帰ってきたけれど、金曜は青梅署に戻って土曜に帰ってきた。
だから同じ場所から一緒に帰るのは想い交してから初めてのこと、明日が決ってから楽しみにしてきた。
楽しみな想いのまま微笑んで、ひとりごとが風に和んだ。

「ん…ずっと離れないでいられるって、良いな」

明日は新宿に出て買物をして、昼は父の同期である安本と食事する。
そのあと家に帰って英二と庭を見たい、紅萼紫陽花が咲いていたら茶花に活けようかな?
それから夕食の支度をしながら英二に料理も教えたい、そういえば明日こそ母は家に居るだろうか?

いつも母は英二も一緒に帰るときは、夕方から友人と旅行に行ってしまう事が多い。
それは英二と周太に気を遣っている事と、母子の「離れる練習」の為だと自分も解ってはいる。
けれど本当は母とも一緒にいたいと思っている、でも母から「もう大人よ?」と言われたら言い返せない。
そんな考えにポケットの携帯が振動して、見ると案の定、メールの着信ランプが点灯していた。
きっとそうかな?考えながら開いた画面に母からのメールが現われた。

From:湯原美幸
subjeci:明日の予定です
本 文:おつかれさま、周。明日のことだけれど、夕方から温泉に行ってきて良いかな?
    いつものお友達から誘われたのよ、でも午前中だけ出勤で夕方までは家に居ます。
    お茶は一緒に出来るし、日曜のお昼過ぎには戻るから許してくれるかな?(^^)

なんだか一生懸命に言い訳しているみたいな文面が可愛らしい。
絵文字でまでねだってるの?そんな感想に思わず笑ってしまう、そして仕方ないかなと想えてくる。
この「いつものお友達」との旅行は、周太が生まれる前まで恒例だったらしい。そして14年前の春に再開する予定だった。
その再開は延期され続けていた、けれど去年の周太の誕生日に、ようやく延期はピリオドを打って母は約束を果せた。
あのとき母の時は再び動き出したのだと、息子の自分が一番知っている。

「…ん、」

小さく頷くと周太は、母のメールに返信を作り始めた。
涼やかな夕風吹くなか壁に凭れて、短い文章を作ると読み直す。

T o:湯原美幸
subjeci:明日の予定
本 文:お母さん、おつかれさまです。明日、気を付けて行ってきてね。
    今回はどこの温泉に行くの?また会社の保養所なのかな、行き先を明日でも良いから教えてね。
    お茶菓子買って帰ります。

読み直し終えて送信ボタンを押す。
送信完了の確認に微笑んで、また携帯をポケットに仕舞いこんだ。



デスクライトの灯りのなか、救急法のファイルに書き込みをする。
もうページには沢山メモが書かれている、この2ヶ月ほど毎晩を英二に教わって学んだ軌跡がこんなに残された。
この書き込みをきっと自分は、今この瞬間の記憶と一緒に懐かしく見つめるのだろうな?
そんな想い微笑んでペンを止めたとき、綺麗な長い指がペンを抜きとった。

「周太、今夜はここまでにしよう?」

綺麗な低い声が微笑んで、長い指はファイルも閉じてしまう。
伸ばした腕が青い花と白い花にふれて、清澄な香がこぼれだす。
こぼれた香に気付いて英二は、嬉しそうに笑ってくれた。

「きれいに活けてくれたね、周太、」
「ん、ありがとう…気に入ってくれる?」

活けた花に気付いてもらえると嬉しい、嬉しくて周太は微笑んだ。
微笑んだ先で幸せな笑顔は咲いて、英二は頷いてくれた。

「もちろんだよ、でも周太がいちばん綺麗だけどね、」

そんなこと言われると気恥ずかしいのに?
そう困っているうちにも英二は手際よく机を片づけてしまう。
かたん、ちいさな音にファイルは書架に仕舞われて、ペンは筆箱に仕舞われる。
そんな仕草も綺麗だと見惚れていると、長い腕が周太の体を椅子から抱きかかえた。

「ほら周太、もう寝よう?」

綺麗な低い声が笑いかけてくれる、その眼差しがどこか艶っぽい。
こんな目で見られると緊張してしまうのに?そう見つめ返しながら、なんだか言葉が出てこない。
それでも何か応えたくて、周太は小さく頷いた。

「はい…寝るね?」
「素直で可愛いね、周太は、」

微笑んでベッドに抱き降ろすと、英二はデスクライトを消した。
ふっと夜の闇が部屋を満たして、視覚から静謐にとり囲まれる。
暗さに慣れない瞳をゆっくり瞬いていると、ベッドのスプリングが少し沈んだ。

ぎしっ…

かすかな軋みを聞いて、体が温かい腕に抱きしめられる。
なにかいつもより熱い体温に鼓動がひとつ、とん、と心を敲いて首筋に熱が昇った。

「周太、緊張してる?…かわいい、」

きれいな低い声が耳元に響いて、やわらかな熱がうなじに触れた。
この感触が何だか知っている、ちいさな吐息こぼして周太は恋人に尋ねた。

「あの、英二?…なにしてるの、寝るんじゃないの?」
「寝るよ、周太…もうひとつの意味でね、」

綺麗な低い声が艶含んで、熱い腕に抱きしめられる。
体温に燻らされるよう深い森の香がたって、香と熱に包まれていく。
こんなのなんだか緊張して、けれど魅惑される?なにか不思議な想い途惑って周太は口を開いた。

「もうひとつのいみってなに?…あ、」

質問に唇かさなって、キスに閉じこめられる。
ふれあう熱に瞳を閉じると、唇のはざま入りこむ甘さが熱い。
熱い甘さに意識が奪われてしまいそう?惹きこまれていく想いのなか胸元のボタンが外された。

「あ、」

思わず零した声に、また唇が重ねられる。
長い指がボタンを外していくたびシャツは寛げられて、夜の空気が肌に忍びこむ。
いまされている事の意味に心締められてしまう、途惑いと歓びとが入り混じる、どうしたらいいのだろう?

これからすることが「もうひとつの意味」なの?
ここは本当は恋愛禁止なのに、またしてしまうの?

本当はダメだと解っているのに、けれど拒みきれない自分がいる。
だってこんな熱い指でふれられたら、どう止めたいのかも熔かされて解からない。
それでも掌は恋人の胸を押し返して、なんとか唇は声を出した。

「えいじ?あの…もうひとつの寝るいみって、」
「セックスする事だよ、」

問いかけに即答した薄闇に、端正な貌は艶然と微笑んだ。
思ったとおりの答えに体が縛られる、こんなふう応えられたら息も止まりそう。
けれど何か言わないと押し流されそうで、周太は唇を動かした。

「そうなの?おれ、ふつうにねむるんだっておもって、」
「俺は普通に、周太を体で愛そうって思ってるよ、」

綺麗な笑顔が見つめて、誘惑の台詞を告げてくる。
こんなに堂々と言われて見つめられたら、もうどうしていいか解らない。
そんな途惑いのまま切長い目を見つめていると、長い指はシャツの最後のボタンを外した。

「お願いだ、周太。今、周太を感じさせて?…気持ちよくして、って命令してよ、」

命令をねだりながら、闇にも白い指が肩に掛けられる。
そっとシャツが肩すべり墜ちていく、指の温もりが腕を伝っておちていく。
素肌ふれる夜の気配に首筋から熱が昇ってしまう、きっともう顔も赤くなっている。

どうしよう、ほんとうにしてしまうの?
そんな途惑いごと長い腕に抱きしめられて、シャツが手から抜かれた。
そのまま長い指がウエストのボタンを外す感触に、心が震えて途惑いが深くなる。
このままだと本当に恋人の時が始まってしまう?それが良いのか解らなくて周太は、そっと英二の指にふれた。

「まって、えいじ…もうあしたかえるんだし、ね?」
「待てない、」

ひとこと答えて、端正な唇が重ねられる。
深くされるキスが熱くて甘い、こんなキスをする想いが伝わってしまう。
もう委ねてしまえば良い?それが愛する人の望みなら、叶えてしまえば良い?

…いま、幸せにしてあげたい

途惑いの狭間に、本音が小さくつぶやいた。
ほんの数時間前に夕映えのなか想っていた、その前も、それよりずっと前から想うこと。
ずっと願う唯ひとつの祈りは「唯ひとりの恋人の綺麗な笑顔を見つめていたい」だけ。
もうこの想い正直になってしまいたい、周太は力を抜いて恋人に微笑んだ。

「英二、お願い…きもちよくして、英二の笑顔を見せて?…愛してるなら言うこと聴いて、」

言うこと聴いてくれる?
そんな想い見つめた先で、幸せに笑顔が咲いてくれる。
ほら、こんなふう笑ってくれる顔が嬉しくて、ずっと見ていたい。
そんな祈りの真中で、綺麗な低い声が言ってくれた。

「お願い聴いたよ、周太?愛してる…」

想いつげて、端正な唇の熱がキスふれる。
このキスが誘うまま身を任せて、この想いごと抱きしめられていたい。
そして与えられる想いと記憶をどうか、この心と身に刻みこんで、希望を与えて?

そんな想いに抱きとられていく心と体に、ふっと清澄な花が香った。
闇に慣れ始める瞳には、白皙の肩が映りこんで素肌を抱く。
なめらかな白い肌にも花の香がふれるようで、森の香に融けあい深くなる。
肌の熱と香に包まれていく、甘い感覚が幸せなままに静かな夜へと華やいだ。

夜の静謐と香が想いごと包みこむ、まるで衣のように。




(to be continued)

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one scene 或日、学校にてact.12 ―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-20 04:32:37 | 陽はまた昇るanother,side story
言ってくれる?



one scene 或日、学校にてact.12 ―another,side story「陽はまた昇る」

清々しい香は、青と白の花に生まれだす。

すっくりと青い萼紫陽花と花冠の重たげな白紫陽花。
青と白の取り合わせは涼やかで、夏の花らしい香が美しい。
2種類の花を和紙に包んで抱きあげると、鞄を持って周太は立ちあがった。

「お待たせ、英二」

笑いかけた先、浅く腰掛けた机から長身が立ち上がる。
こちらを向いた端正な貌はきれいな笑顔ほころんで、嬉しそうに言ってくれた。

「きれいだね、周太、」
「ん、きれいだね、紫陽花…家でも咲いてると思うんだ、」

きっと実家の庭では紅萼紫陽花も咲いているだろう。
薄紅の花も紫も、それから山紫陽花も良い頃だろうな?
明日の外泊日には帰られる庭、そこに見るだろう花に微笑んでしまう。
けれど切長い目は少し悪戯っぽく笑って、長身を屈みこませると綺麗な低い声が囁いた。

「…周太が、きれいだね?」

そんなことこんなばしょでいわれるとこまるのに?

ほら、もう首筋が熱くなる、すぐ額まで真赤になってしまいそう。
それは言われたら嬉しいけれど、でも恥ずかしくなってしまう、自分は男なんだし?
こんなところで真赤になったら変に思われそう、どうしよう?困って周太は廊下へと踵を返した。

「待ってよ、周太、」

ほら、嬉しそうな声。
後ろから革靴のソールが付いて来てくれる。
こんなふう困って逃げ出しても英二は、いつも付いて来てくれる。
だから安心して逃げ出すこともしてしまう、こんなの本当はワガママだって解っているけれど。

…でも真赤なところ見られるの恥ずかしいし…藤岡も小林さんもいるのに

同期の藤岡はもう、英二と周太の事情を知っている。
けれど初任科教養の小林さんは勿論知らないから、きっと変に思ってしまうだろう。
でも知っていても知らなくても、こんな赤面症なところは見られてもあまり嬉しくない。
そんなふう黙々歩いて、けれど靴音はすぐ隣に並んで切長い目が周太を覗きこんだ。
「周太、赤くなってくれるんだ、ほんと可愛い、」

覗きこんでくれる切長い目は幸せそうに笑っている。
こんな目をされると弱いのに?そんな想い素直に周太は、困りながらも微笑んだ。

「ん…あの、あまりはずかしがらせないで?みんなのまえであかくなるのこまるから…」
「ごめん、周太。つい言っちゃうんだよ、怒らないでくれる?」

すこしだけ困ったよう、けれど幸せな眼差しのまま英二は言ってくれる。
こんなふうに自分の言ったことに一喜一憂して、こんな貌をしてくれるのは嬉しくない筈がない。

…好きな人に構ってもらったら嬉しいんだから

心に本音こぼれて笑いかけてしまう、その視線の先で白皙の貌が綺麗に笑った。
ほら、まだ何も言っていないのに?笑いかけただけで嬉しそうに笑ってくれる。
こういうのは嬉しい、そう英二を見上げたとき逆隣から声をかけられた。

「おつかれさま、湯原。華道部も今、終わったんだ?」

声に振向くと精悍な笑顔が立っている。
よく話す同期の姿に、周太は笑いかけた。

「おつかれさま、内山。茶道部も終わったとこ?」
「ああ、すこし長引いたんだ。関根が質問して熱心でさ、」

笑って答えながら、内山も並んで歩いてくれる。
教えてくれた答えに少し首傾げて周太は訊いてみた。

「関根、なんの質問だった?…もしかして今も質問中?」

たぶん「英理は茶の湯も好き」と教えた所為だろう、関根が茶道部に熱心なのは。
そういえば英理から「こんどのデート、お茶席がある庭園に誘ってくれたの」とメールが来ていた。
きっと関根は明日のデートの為に今日は一生懸命だろうな?そんな推測を考えていると内山が教えてくれた。

「当たり、あいつまだ先生に稽古みて貰ってる。質問は茶花についてだったよ、意外と花好きなんだな?関根、」

整った顔が少し可笑しそうに、けれど実直なまま笑っている。
確かに内山が言う通り、闊達な関根が花に興味を持つのは意外だろう。けれどその理由の見当がつく。

…お姉さんが花が好きだから、関根は知りたいんだろうな?

好きな人のことは知りたいと思う、それは自然な希求。
好きなひとのことを知って、好きな人を喜ばせる方法を知りたい。そう自分もいつも想う。
そうして喜ばせることが出来たなら、もっと好きになって貰える?そんな期待ときめかす欲張りな自分がいる。
だから本当はずっと考えている、明日の外泊日は英二も一緒に帰るから、何をしたら喜んでもらえるかを考えてしまう。

…夕飯、何が良いかな?

つい、今の会話と関係ないことを考えかけて、周太は瞳ひとつ瞬いた。
こんなことでは内山に申し訳ないな?気がついて口を開きかけた時、綺麗な低い声が微笑んだ。

「関根、茶花にも興味持ったんだな。姉ちゃんが花、好きだからかな、」

隣から英二が笑顔で答えてくれる。
英二も同じ理由を考えていた?こんなことも嬉しく思っていると内山が英二に笑いかけた。

「そうだったな、宮田のお姉さんとお付き合いしてるんだよな、関根。すごい美人なんだってな?」
「たしかに姉ちゃん、美人かな、」
「宮田が言うってことは相当だろな?宮田の姉さんなら当然、美人だろうって思うけど、」

楽しそうに笑って内山は話している。
それに英二はいつもの笑顔で相槌を打っていく。

「そっか?褒めてくれてるんなら、ありがとな、」
「褒めてるよ、だって宮田って正真正銘の美形だって俺も思うし、」
「へえ、内山もそういうこと言うんだ?」

可笑しそうに答えながら英二は笑っている。
この間も談話室で英二は、内山の質問に答えて話していた。
ふたりは初任総合の研修に入ってから会話が増えている、やっぱり英二は内山と話すことも好きなのかもしれない。

…内山は出世したい、って言ってたし…英二は同期の出世頭だから、お互いに大事かも?

たぶん内山なら順調に昇進するだろう、根が真面目だし東大卒という学歴からもキャリア組と同格になれる可能性が高い。
そして英二は卒業配置期間にも関わらず本配属になった、能力と適性を高く評価され、既に実績を作り立場を築き始めている。
きっと英二は警視庁山岳会から嘱望されるまま出世する、そうしたら内山には同期として英二とサポートしあってほしい。
だから今、こうして2人が親しくなることはお互いのために望ましいだろう、きっと2人だけで話す時間がある方がいい。
それに自分も早く花を水切りしてあげたいし?そんな考えに周太は、ふたりに笑いかけた。

「俺、花の水切りしたいから、先に行くね?じゃあ、」

笑いかけると周太は、すこし足早に歩き出した。
この機会に英二が内山ともっと話せる仲になると良い、少なくとも内山は英二を好きみたいだし?
そう考えながら歩く廊下は、17時過ぎた今も陽射しあふれて、窓の空は真青に明るい。

…もう夏なんだな、

陽射しに季節を見つめて、そっと周太は微笑んだ。
今年迎える夏は、特別な夏になる。そんな予感にふわり紫陽花の香が頬撫でた。
この香は夏の庭を想い出さす、きっと庭の菜園は夏野菜が生り始めているだろう。

「…ん、献立は夏っぽいのが良いね?」

ひとりごと呟いて微笑んだ、その隣から空気が動く気配がした。
窓から風が吹きこんだ?そう振向いた先から白皙の貌が綺麗に笑いかけた。

「周太、それって明日の晩飯のこと?」

どうしてえいじったらここにいるの?

内山と話しながら後から来ると思っていたのに?
驚いて周太は、懐っこい笑顔へと首を傾げこんだ。

「…そうだけど、英二?内山は?」
「ちょうど関根が追いついたんだよ、だから俺は周太を追いかけてきた、」

楽しげに端正な顔は笑って、長い腕をこちらに伸ばす。
そして周太の体を引き寄せると、軽々と横抱きに抱え上げてしまった。

「周太、もう俺のこと置いて行かないでよ?」

そう言ってくれる切長い目は可笑しそうで、けれど縋るよう見つめてくれる。
こんなふう言ってくれて見つめられたら嬉しい、それでも周太は宥めるよう婚約者に言った。

「でも…だって内山と話す時間も大事だよ、英二?」
「それはそうだな、周太、」

肯定してくれながら名前を呼んでくれる。
呼ばれて腕の中から見つめた先、切長い目は綺麗に笑いかけてくれた。

「だけど周太、周太と一緒にいる時間が俺には、いちばん大切だよ?だから傍にいさせて、」

ほら、そんなふう言ってくれる?

本当は言ってくれること、どこかで解かっている。
けれど大好きな声で聴きたい、言ってくれると期待する分だけ。

そして言ってくれる瞬間が、自分には愛しくて。




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soliloquy 風待月act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-19 07:58:09 | soliloquy 陽はまた昇る
微睡に緑ふる、



soliloquy 風待月act.2―another,side story「陽はまた昇る」

風が、ページを捲った。

白いページに緑の翳が明滅して風吹きぬける。
眠りかけた視界に光は瞬いて、周太は瞳ひとつ閉じて瞠いた。

「…ん、眠りかけてたね?」

ひとりごと微笑んで、膝の本を指で押さえこむ。
捲られたページは先に進められて、まだ読んでいない世界を開いている。

さっきはブナ林の生まれて1歳の樹木について、だった。
けれど淡い微睡みをまたげば、ブナはもう20歳になっている。
ほんのひと時の眠りで本のなか、時は19年も過ぎ去ってしまった。

…なんだか浦島太郎みたいだね、

心想うことに傾げた首元を、ふわり梢の風が吹きよせる。
爽やかで甘い葉擦れの香が頬撫でる、白いページに光と影を踊らせ風はふく。
やさしい薫らす風に視線を上げると、梢の向こうに太陽は明るい。
白い光線ゆらめく緑は透けて、木の葉は紋様を風に象っては移ろっていく。

「…きれい、」

そっと溜息ついて、風に樹の織りなす造形を見る。
こんなふう自然は美しさを見せてくれるけれど、これは意図も無く造られる?
それとも何か、人間では解からない意志があって刻まれるもの?

そんな考え廻らせていく時間は楽しくて、木洩陽ふる時はゆるやかに吹いていく。
このベンチは自分の特等席にしているけれど、こんな緑薫らす風に考える。

この風は去年も吹いていただろう、けれど1年前の自分はこのベンチを知らない。
ならば去年この場所には、誰が座って緑の時間を楽しんでいたのだろう?
それとも誰もいない空間を、ただ葉擦れの風は吹きぬけていたのだろうか?

「…きもちいいよね、ここ、」

ひとりごとこぼれて、そっとベンチに掌ふれる。
このベンチがこの場所にあるから今、自分は木蔭で寛ぐ時間を与えられている。
もしここにベンチが無かったら、この木蔭で本を読もうとは思わなかったかもしれない。

…そうしたら今の、きもちいい時間は無いよね?

そんな考え廻らす心に、温かな想いが目を覚ます。
このベンチを作った「誰か」は知らない、けれど全く知らないひとではないから。
この「誰か」は顔も知らない、けれど、座り心地の良いベンチを作る人だと知っている。
その声を聴いたことは無い、けれど気持ちの良い風が吹く場所を選べる人だと解かる。

ここにベンチを作ってくれた人は、どんなひとだろう?
そのひとは今、心地よい時間を過ごしているだろうか?

この今の瞬間を贈ってくれたひと、良い時間を過ごせていますように。
そんな願いが、緑の光ふるベンチで生まれていく。

「周太、」

きれいな低い声に、意識が目の前に戻された。
声のほう見ると陽ざしのなか、きれいな笑顔がこちらへ歩いてくる。
まばゆい光ふる道を大好きな人は進んでくる、樹木ふらす木洩陽を透かして、優しい笑顔ほころんで。

ほら、涼やかな風が吹く、森の香が大好きな人から吹いてくる。
ここは都心の真中、けれど奥多摩の森を映した樹木の世界、ここだけは緑あふれる清明な場所。
ここは喧騒も遠い静謐が、やさしいベンチに緑の蔭を創り、吹く風は安らいで。

そして優しい緑陰に、寛ぐ時間は生まれだす。




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one scene 某日、学校にてact.11 ―side story「陽はまた昇る」

2012-08-19 04:35:01 | 陽はまた昇るside story
言ってまわりたいほどに、



one scene 某日、学校にてact.11 ―side story「陽はまた昇る」

清々しい香が机から昇って、青い花が立つ。
花活に挿していく萼紫陽花は花冠ゆらして、すっくりと咲いている。
この花も家の庭に咲くのかな?ふと懐かしい想いと見ている隣から、笑いかけられた。

「英二、きれいに活けられたね、」

黒目がちの瞳が花を見つめて、うれしそう笑ってくれる。
褒めて貰って嬉しい、うれしくて英二は微笑んだ。

「そうか?なんか家で活けるのとまた違うよな、ここのって、」
「ん、家のは茶花だから、活ける考え方も違うんだ…ここは生け花だし流派も違うから、」

話しながら周太は白い花を手にして、手籠へと活けていく。
艶やかな緑の葉に映える白紫陽花は、清楚な色香が瑞々しい。
そんな様子が活ける人と似ているようで、つい見惚れてしまう。

―清楚な雰囲気の花って、特に似合うんだよな、周太…かわいい、

いまクラブ活動の時間なのに、ぼんやりしてしまう。
いま隣に座る人の横貌が綺麗で、花活ける手元が綺麗で、ぼんやり見ていたい。
どこか露含む花を見つめる横顔は、長い睫が頬に翳おとして微笑が和やかに美しい。
花の枝を挿していく手は優しくて、慈しむよう花冠を支える仕草も優雅で様になる。
やはり幼い頃から花に親しむ風格が周太にはある、こういうタイプは今どき女性でも珍しいだろう。

―父さんも言ってたな、女性でも中々いない、ってさ

春3月、川崎の家に父は来訪した。
あのとき父は心底から微笑んだ。周太の袴姿や茶の設え、仕草などに見惚れていた。
そして見事な春の庭に寛ぎ楽しんで、庭の主への素直な賛嘆を英二にも姉にも語っている。
あんな様子から解ってしまう、きっと父は周太のような、自分の手を動かして持て成す人を愛したい。

―だから母さんのことを愛せないんだよな、父さんは

母は「相手を寛がせる」という考えはない。
いわゆるお嬢さま育ちの母は、人から尽くされることに馴れている。
だから例えば、茶を淹れても母は「そうすべきと教えられた」からしているに過ぎない。
けれど周太の場合は「いちばん美味しいように、飲む人が寛ぐように」と想って淹れてくれる。
これは些細な違いのようで、大きな違い。それを自分も身をもって知っている、だって周太の作るものは何でも温かいから。
そんな周太の純粋な優しさは華道部でも顕れて、皆と同じ花材を遣っても周太の花はどこか気品があふれ優しい。
さらり感想が口をついて、英二は隣へと笑いかけた。

「周太が活けると、ほんときれいだよな?」
「ん、ありがとう…花がきれいだからだよ、」

笑いかけた先、頬を薄く染めながら黒目がちの瞳は微笑んでくれる。
ほら、こんな恥ずかしがるところ淑やかで「花が」と言うところが奥ゆかしい。
こんな貌が可愛くて自分は好きだ、たぶん父も好意を持って見ただろう。父と自分は好みが似ているから。
そんなことを思い廻らしていると周太は、気恥ずかしげに口を開いた。

「英二が活けると、凛々しくていいね…俺、好きだよ?」

好きだとかって嬉しいです、もっと言って?

また恋の奴隷モードになって見惚れてしまう、なんでも褒めて貰うのが嬉しい。
もっと構ってよ?そんな気持ち正直に英二は笑いかけた。

「好きって嬉しいよ、もっと褒めて?」
「…そういわれるとなんかはずかしい…でも、素直な活け方で素敵だと思うよ?」

羞んで頬染めて、素直に言って微笑んでくれる。
こんな貌でこんなこと言われたら、ほら鼓動が心引っ叩いて、ときめきだす。
そして考え出してしまう、

―今日って金曜日だよな?いろいろしても今夜はOKだよな?

ほら、こんなこと花を活けている時に考えるなんて?
けれど今日はせっかくの金曜で明日は外泊日、だから周太を寝かさなくても大丈夫。
だから金曜の夜は楽しみで、けれど土曜は離れるのが寂しいから尚更に今夜は色々したい。
だからって花を活ける時にこんなこと考えるのは、不謹慎だと解っている。
こんな自分は煩悩まみれの俗人で、光一に言われたことを思い出す。

『色魔変態ケダモノ痴漢っ』

あれを言われてから、じき2ヶ月になる。
なんだか随分と前のようにも感じられるな?そう首傾げた隣から、楽しげな会話が聴こえてきた。

「へえ、湯原が活けるとなんか違うよなあ?なんだろ、きれいだな、」
「ん、そう?…ありがとう、藤岡のも自然な感じで良いね?」
「ほんとですね、藤岡さんのお花ってナチュラルで、寛げそうです、」

声の種類が3つある?

1つは大好きな声、1つは聴き慣れた声。
そして聴き慣れない可愛い声が混じっている。

―しかも女の声だ、

もしかして?
そんな予想と一緒に振向いた先、見覚えのある笑顔が周太に笑いかけていた。
この笑顔は前に廊下で見た、こっちは壁から伺うよう覗いて「やっぱり女の方が良いのかな」と凹まされながら。

「嬉しいこと言ってくれんね、ありがと。そっちは可愛い感じだなあ、」
「ありがとうございます、目指すは湯原さんの活け方なんですけど、なかなか、」
「自分の好きなように活けたら、いいと思いますよ?…花が一番きれいに咲けるように、って、」

大好きな声の答えに、ふっと意識が惹きつけられた。
いま周太が言ったことが好きだ、微笑んで英二は隣に話しかけた。

「花が一番きれいに咲けるように、って良いな?花のこと気遣うとこ、好きだな、」

君のそういうところが好き。
花にも人にも優しい、純粋な君が好き。

この想い素直に笑いかけた先、また首筋から薄紅が昇りだす。
ほら、そんなふう羞んでくれるとこ、ときめくのにな?
こんな時にときめくと少し困ってしまうのにな?
そう見つめた脇から、可愛い声が言ってくれた。

「湯原さんは、宮田さんと話す時がいちばん良い笑顔ですね?」

結構、良い子だな?

そんな心裡の声に自分で自分が可笑しい、あんまり単純すぎるから。
こんなふうに一瞬で評価を替える自分は、ちょっと馬鹿だ?

けれど周太との仲を認められたら、やっぱり嬉しい。
だって本当は、世界中に言ってまわりたい位に想っている。言って、独り占めしてしまいたい。
それが同性同士の恋愛ではリスクが高いと解っている、けれど本音は隠す必要なんか無いって思っているから。
だって全部を懸けて愛している、誇らしいほど想っている、だから言ってまわることを本当は赦してもらいたいのに?

“このひとを幸せに笑わせられるのは、自分だけ。だから手を出さないでくれる?”




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