And summer's lease hath all too short a date.
第70話 竪杜act.4-side story「陽はまた昇る」
眠りの底深く、遠く響く音が呼ぶ。
…こんっ、っく、こんっ…っこほっこんっ
あまり聴き慣れない音、けれど夏の頃に聴いた吐息かすかに混じる。
この記憶と重なる吐息は何だろう?そんな自問に息呑んで英二は眠りを醒ました。
「周太?」
呼びかけて起きあがったベッド、けれどシーツには誰もいない。
もう窓は明るみだして夜から朝になる、まだ薄い暁の部屋は自分しかいない。
それでも耳元から響く音にイヤホンだと気づいた時、盗聴器越しの咳音は強まった。
「…っ、周太、」
息呑んで掌をイヤホンに当てて、遥かな気配を読み取らす。
いま響く音は咳きこむ音、その頻度が多く深く酷くなってゆく。
この音にある意味が鼓動から迫り上げるまま、ベッドから降りデスクライト点けた。
―喘息発作が来たのか、それとも一時的な風邪の咳か?
廻らす思案にファイルを開き呼吸器疾患のページを広げる。
克明に調べこんだ肺気腫と喘息の項目を目視は追う、その耳元を咳が痛む。
このまま喘息発作にならないでほしい、そんな願いの向こう懐かしい声が響いた。
“周、ずいぶん咳が酷いわね、大丈夫?…周?周、起きて周…周太、しゅうたっ、”
深いアルトヴォイスは優しいまま、取り乱して泣いてゆく。
この声に鼓動ひっぱたかれて英二は唇噛みしめた。
―あの美幸さんが泣いてる、周太が目を醒まさないから、
恐らく周太は今、高熱による昏睡に入っているのだろう。
この2週間の緊張と疲労が実家でゆるんでしまった、それは今までの蓄積もある。
そんな状態が音だけでも解かって、解かる分だけ焦慮に灼かれる想いがファイルの文字を追う。
せめて今の状況から可能性を見つけてあげたい、そう願うのに左手は携帯電話を開いて、強く握る。
「…っ、」
電話したい、今すぐに。
そう願う祈る、けれど今もし電話すれば盗聴器を晒すことになる。
そして今の自分が電話して駈けつけたら、きっと我慢なんてもう出来ないだろう。
なによりも今はもう、自分勝手に職場を離れて飛び出していくことは自分の立場に許されない。
『だからイメージポスターのモデルにも選ばれたんだよ、要するに警察庁だってオマエを利用してるワケさ、オマエが利用したってオアイコだ』
昨日、光一と話したばかりの自分の立場は「利用」の対象になる。
それは周太を救うためには欠かせない、だから今ここで失うなど出来はしない。
それでも今この時に苦しんでいる音と声は盗聴器を超えて、この鼓動ふるわせ締めつける。
“…っ、ええ私よ、周太が目を開けないの…顔が真っ赤で咳が止まらなくて、どうしたら…はい、ええ…お願い英理さん、”
懐かしい声は泣きながら電話する、その相手の名前に少し安堵できる。
たぶん着信履歴から咄嗟に電話も出来たのだろう、そんな推測が解かる分だけ切ない。
―救急車を呼ぶこと想いつけないくらい動揺してるんだ、馨さんの時を重ねてるかもしれない…でも姉ちゃんに電話してくれて良かった、
姉の英理は優しく聡明で冷静な判断が常にできる、それは弟の自分だからよく知っている。
そんな英理だから美幸を姉のように慕って親しい、その親睦が美幸と周太を援けてくれるだろう。
―姉ちゃんならお祖母さんに連絡するだろな、そしたら家のドクターを呼んでもらえるから救急車より安心だ、
あの姉に任せれば大丈夫、姉が知ったなら祖母も援けてくれると安堵できる。
けれど止まない咳と掠れる呼吸音と、動かなかった携帯電話に心また罅割れだす。
「…どうして俺を呼んでくれないんですか、美幸さんまで…こんな時までなぜ、」
狭い単身寮の部屋、独り問いかけに声は返らない。
何を食べても味がしない、この感覚は2週間前も味わった。
2週間前、周太がSAT入隊テストに発った日も英二は味覚を失った。
ボストンバッグと登山ザック携えたスーツの背中、あの幻を食卓にすら追うから味も解らない。
あの日と同じに今日も朝から味がしなくて、それは夕食の今も同じに顔だけは何事もなく食卓に笑う。
「高田さんと同じこと、俺も後藤さんに言われましたよ?水楢の樽は最高って、」
「やっぱ皆に言ってるんだな、後藤さん。俺さ、山岳会の集まりでソレ言われながら付合って呑んで、後藤さんの前で撃沈、」
可笑しそうに笑って懐かしい人の話をしてくれる。
その話題にも後藤の体調が気になって、また食事は味を無くす。
―後藤さんの風邪そろそろ治ったよな、手術が決ったら連絡もらえるけど…娘さんに話せたのかな、
後藤は今患っている肺気腫に外科手術を選んだ。
執刀医は吉村医師だから心配ないだろう、それよりも後藤が娘に話せたのか気になる。
そして今朝、盗聴器越しに知ってしまった周太の急変が気懸りで仕方ない。
それでも穏やかに着く食卓で同僚たちの会話は明るく交わされる。
「あのとき高田の介抱、ほんと大変だったよ?タクシーの運転手さんに謝った回数とか解らない、」
「ほんっと浦部ゴメン、ほんと良いアンザイレンパートナーだって感謝してっから、俺、」
「ははっ、どっちがビレイヤーか解らんな?」
「黒木さん、ソレ言わないで下さいよ?ほんと俺、反省したんだから、」
「もっと黒木さん言って下さい、そういえば国村さん来ないですね?小隊長同士かな、」
「ああ、会議室で食いながらミーティングだ、合同訓練があるからな、」
いつもより遅めの食堂には山岳レンジャー第2小隊の同僚しかいない。
もう異動して3週間になる空気は時ごと馴染んで、今も昨日と同じに会話を楽しむ。
そんな気楽な空気にも本音の焦るまま自室に戻りたくて、それでも食卓の親睦は外せない。
―こんな時でも俺って笑えるんだよな、立場とかもあると尚更に…いま周太の具合どうなんだろう、
心裡ため息吐いて、その想いごと英二は飯ひとくち呑みこんだ。
目覚めから気になり続けている周太の容態、けれど誰からも電話連絡は無い。
業務時間中は盗聴器越しの気配すら聴けず気になっている、それでも笑顔でいる横から高田が言ってきた。
「宮田さん、広報課の同期から俺にも問い合わせ来たぞ?」
「問い合わせ?」
訊き返しながら気持ちを食事に戻す。
そんな想いに微笑んだ斜向かい、端正な笑顔が教えてくれた。
「それドキュメンタリーの件ですよね?決定する判断材料にって、」
その話、もう知ってるんだ?
こんな情報の速さに少し驚かされてしまう。
もしかしたら今朝まで知らなかったのは自分本人だけかもしれない?
そんな情報スピードに警察組織の狭さを感じさせられる横から高田が笑った。
「おう、それだよ。浦部のとこにも問い合わせ来たんだ?」
「昨日の午後に来ましたよ、事務が終わった業後すぐでした。宮田さんって評判すごく良いそうですね?」
明るい端正な貌が答えてくれる、その笑顔こそ評判が良いだろうに?
そんなふう言い返したくなるのは昨日知ったばかりの「メール」がある所為だろう。
それに今朝の件が引っ掛るから尚更に自分勝手な嫉妬は熾きて、それでも英二は穏やかに笑った。
「ありがとうございます、でも俺って初任教養の最初は問題児だったんですよ?」
これは事実、だから隠すよりも自分から言ってしまう方が良い。
そんな計算と意図に笑いかけた向う、端整な瞳ゆっくり瞬いた。
「宮田さんが問題児って意外だな、それとも冗談ですか?」
「本当ですよ、馬鹿な理由で学校を脱走なんかしてます、」
穏やかに笑って事実を告げて、ふっと痛みが走る。
いま言ってしまった「脱走」に纏わる記憶、それが今は傷む。
―あのとき2度も周太に救われたんだ、3回も脱走した馬鹿な俺なのに、
警察学校を脱走した事は、3回。
最初の脱走は、携帯電話を取り上げられてレンタルビデオ店まで電話を掛けに行った時。
あのとき強盗犯に遭遇して人質の一人にされた、あれが初めて犯罪現場を見たときになる。
その現場まで迎えに来てくれたのは担当教官の遠野と場長の松岡と、そして周太の3人だった。
その次は単純に腹が減ったから寮を脱け出した、それは偶然に見つけた遠野教官が不問にしてくれた。
そして3回目、付合っていた女に騙されて自分は脱走した。
『どうしても行くなら、辞めてから行けよ!』
あのとき真直ぐ叫んでくれた声が、懐かしい、愛おしい。
あのとき周太の瞳は涙を隠していた、それを自分は気づけなかった。
自分の事を誰よりも真摯に見つめてくれていた、それなのに自分は愚かだった。
騙すような女だと気づきもせず立場も責任も誇りすら放棄して、脱走して、そして教場の仲間を巻き込んだ。
―遠野教官も教場の皆も裏切ったんだ、誰より俺は周太を裏切ったんだ…それなのに周太は助けてくれた、
辞めてから行け、そう言われた通りに自分は辞職の一筆を書き置きした。
けれど周太が公にならないよう隠してくれた、そして秘密で遠野教官に見せて庇ってくれた。
その真心に縋りたくて周太の部屋をノックして、あのとき自覚した憎悪と孤独と倦怠から自分は救われた。
そんな周太を裏切り脱走していた1時間、あの1時間がもし与えられるなら今、周太の許に帰りたい。
「宮田、戻ってこい?」
ぽん、肩を軽く叩かれて英二は瞳ひとつ瞬いた。
そして認識する視界の真中、黒木の鋭利な瞳すこし和んで見つめてくれる。
その眼差し困ったような笑みと、他2名が既に離席していることに英二は困り笑った。
「すみません、俺、考えごとにハマりこんでましたね?高田さんと浦部さんは?」
「いま食い終って席を立った、」
いつもの落着いた声で応えてくれながら、黒木は湯呑を取った。
ゆっくり口つけて啜りこむ、その膳が空になっているのを見て英二は頭を下げた。
「すみません、俺がぼんやりしてるのに付合わせて、」
黒木は自分に合せて今、まだ食卓に着いてくれている。
そんな気遣いに頭下げた英二に、低く響く声はすこし笑ってくれた。
「大丈夫だ、俺が待ってもらってる態になってる、」
「え、」
答えに見た自分の膳は全て空になっている。
考えごとしながらも食事の手は止まっていなかったらしい?
こんな自分の器用に呆れ半分と微笑んだ向かい、凛々しい笑顔ほころんだ。
「ずっと考えごとしてる癖に、ちゃんと浦部たちと会話して飯も食ってたぞ?まったく呆れるほど器用だな、優秀過ぎて嫉妬も起きん、」
落着いたトーンのまま、けれど昨日より親しい瞳で笑ってくれる。
そんな先輩の貌になんだか寛いで英二は微笑んだ。
「ありがとうございます、でも今、黒木さんに戻れって声かけてもらわなかったら俺、ずっと座りっぱなしでした、」
「ソレも見ていて面白かったかもな?さて、」
低い声すこし笑って席を立ちあがる。
一緒に立ってトレイを下膳口へ置いて、食堂の出口に向かうと黒木は言ってくれた。
「休みの前に飲むかって言ってたが、今から少し飲むか?」
明日は非番、だから自主トレーニングはあっても業務は無い。
そんな幾らか気楽な日程と、それ以上に言葉少なくても気遣いがある。
本当は今も周太の容態が気懸りで、けれど気遣いを無駄にすることは自分を赦せない。
―ずっと周太の様子を聴いてたい、だけど俺が今するべき事は違う、
黒木と酒を呑むこと、それは公的立場にも山ヤとしても必要になる。
第2小隊のNo.2であり経験豊かな男、そんな黒木に学び親しむことは経験に欠ける自分の杖だろう。
そうして培う時間と信頼が「いつか」に繋がる鍵をも造る、その計算と願いに英二は綺麗に笑いかけた。
「はい、どこで呑みますか?」
「とりあえず30分後に自販機前で、」
さらっと告げて黒木は廊下を歩いて行った。
その広やかな背中はカットソー越しにも強靭しなやかに頼もしい。
あの背中が負っているもの見てきたものを今夜、幾らか聴けるだろうか?
そんな想い微笑んで歩き自室の扉を開くと明るい部屋、デスクの椅子からテノールが謳うよう笑った。
「お・か・え・り、俺のアンザイレンパートナー、お話あるんで待ってたよ?」
(to be gcontinued)
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第70話 竪杜act.4-side story「陽はまた昇る」
眠りの底深く、遠く響く音が呼ぶ。
…こんっ、っく、こんっ…っこほっこんっ
あまり聴き慣れない音、けれど夏の頃に聴いた吐息かすかに混じる。
この記憶と重なる吐息は何だろう?そんな自問に息呑んで英二は眠りを醒ました。
「周太?」
呼びかけて起きあがったベッド、けれどシーツには誰もいない。
もう窓は明るみだして夜から朝になる、まだ薄い暁の部屋は自分しかいない。
それでも耳元から響く音にイヤホンだと気づいた時、盗聴器越しの咳音は強まった。
「…っ、周太、」
息呑んで掌をイヤホンに当てて、遥かな気配を読み取らす。
いま響く音は咳きこむ音、その頻度が多く深く酷くなってゆく。
この音にある意味が鼓動から迫り上げるまま、ベッドから降りデスクライト点けた。
―喘息発作が来たのか、それとも一時的な風邪の咳か?
廻らす思案にファイルを開き呼吸器疾患のページを広げる。
克明に調べこんだ肺気腫と喘息の項目を目視は追う、その耳元を咳が痛む。
このまま喘息発作にならないでほしい、そんな願いの向こう懐かしい声が響いた。
“周、ずいぶん咳が酷いわね、大丈夫?…周?周、起きて周…周太、しゅうたっ、”
深いアルトヴォイスは優しいまま、取り乱して泣いてゆく。
この声に鼓動ひっぱたかれて英二は唇噛みしめた。
―あの美幸さんが泣いてる、周太が目を醒まさないから、
恐らく周太は今、高熱による昏睡に入っているのだろう。
この2週間の緊張と疲労が実家でゆるんでしまった、それは今までの蓄積もある。
そんな状態が音だけでも解かって、解かる分だけ焦慮に灼かれる想いがファイルの文字を追う。
せめて今の状況から可能性を見つけてあげたい、そう願うのに左手は携帯電話を開いて、強く握る。
「…っ、」
電話したい、今すぐに。
そう願う祈る、けれど今もし電話すれば盗聴器を晒すことになる。
そして今の自分が電話して駈けつけたら、きっと我慢なんてもう出来ないだろう。
なによりも今はもう、自分勝手に職場を離れて飛び出していくことは自分の立場に許されない。
『だからイメージポスターのモデルにも選ばれたんだよ、要するに警察庁だってオマエを利用してるワケさ、オマエが利用したってオアイコだ』
昨日、光一と話したばかりの自分の立場は「利用」の対象になる。
それは周太を救うためには欠かせない、だから今ここで失うなど出来はしない。
それでも今この時に苦しんでいる音と声は盗聴器を超えて、この鼓動ふるわせ締めつける。
“…っ、ええ私よ、周太が目を開けないの…顔が真っ赤で咳が止まらなくて、どうしたら…はい、ええ…お願い英理さん、”
懐かしい声は泣きながら電話する、その相手の名前に少し安堵できる。
たぶん着信履歴から咄嗟に電話も出来たのだろう、そんな推測が解かる分だけ切ない。
―救急車を呼ぶこと想いつけないくらい動揺してるんだ、馨さんの時を重ねてるかもしれない…でも姉ちゃんに電話してくれて良かった、
姉の英理は優しく聡明で冷静な判断が常にできる、それは弟の自分だからよく知っている。
そんな英理だから美幸を姉のように慕って親しい、その親睦が美幸と周太を援けてくれるだろう。
―姉ちゃんならお祖母さんに連絡するだろな、そしたら家のドクターを呼んでもらえるから救急車より安心だ、
あの姉に任せれば大丈夫、姉が知ったなら祖母も援けてくれると安堵できる。
けれど止まない咳と掠れる呼吸音と、動かなかった携帯電話に心また罅割れだす。
「…どうして俺を呼んでくれないんですか、美幸さんまで…こんな時までなぜ、」
狭い単身寮の部屋、独り問いかけに声は返らない。
何を食べても味がしない、この感覚は2週間前も味わった。
2週間前、周太がSAT入隊テストに発った日も英二は味覚を失った。
ボストンバッグと登山ザック携えたスーツの背中、あの幻を食卓にすら追うから味も解らない。
あの日と同じに今日も朝から味がしなくて、それは夕食の今も同じに顔だけは何事もなく食卓に笑う。
「高田さんと同じこと、俺も後藤さんに言われましたよ?水楢の樽は最高って、」
「やっぱ皆に言ってるんだな、後藤さん。俺さ、山岳会の集まりでソレ言われながら付合って呑んで、後藤さんの前で撃沈、」
可笑しそうに笑って懐かしい人の話をしてくれる。
その話題にも後藤の体調が気になって、また食事は味を無くす。
―後藤さんの風邪そろそろ治ったよな、手術が決ったら連絡もらえるけど…娘さんに話せたのかな、
後藤は今患っている肺気腫に外科手術を選んだ。
執刀医は吉村医師だから心配ないだろう、それよりも後藤が娘に話せたのか気になる。
そして今朝、盗聴器越しに知ってしまった周太の急変が気懸りで仕方ない。
それでも穏やかに着く食卓で同僚たちの会話は明るく交わされる。
「あのとき高田の介抱、ほんと大変だったよ?タクシーの運転手さんに謝った回数とか解らない、」
「ほんっと浦部ゴメン、ほんと良いアンザイレンパートナーだって感謝してっから、俺、」
「ははっ、どっちがビレイヤーか解らんな?」
「黒木さん、ソレ言わないで下さいよ?ほんと俺、反省したんだから、」
「もっと黒木さん言って下さい、そういえば国村さん来ないですね?小隊長同士かな、」
「ああ、会議室で食いながらミーティングだ、合同訓練があるからな、」
いつもより遅めの食堂には山岳レンジャー第2小隊の同僚しかいない。
もう異動して3週間になる空気は時ごと馴染んで、今も昨日と同じに会話を楽しむ。
そんな気楽な空気にも本音の焦るまま自室に戻りたくて、それでも食卓の親睦は外せない。
―こんな時でも俺って笑えるんだよな、立場とかもあると尚更に…いま周太の具合どうなんだろう、
心裡ため息吐いて、その想いごと英二は飯ひとくち呑みこんだ。
目覚めから気になり続けている周太の容態、けれど誰からも電話連絡は無い。
業務時間中は盗聴器越しの気配すら聴けず気になっている、それでも笑顔でいる横から高田が言ってきた。
「宮田さん、広報課の同期から俺にも問い合わせ来たぞ?」
「問い合わせ?」
訊き返しながら気持ちを食事に戻す。
そんな想いに微笑んだ斜向かい、端正な笑顔が教えてくれた。
「それドキュメンタリーの件ですよね?決定する判断材料にって、」
その話、もう知ってるんだ?
こんな情報の速さに少し驚かされてしまう。
もしかしたら今朝まで知らなかったのは自分本人だけかもしれない?
そんな情報スピードに警察組織の狭さを感じさせられる横から高田が笑った。
「おう、それだよ。浦部のとこにも問い合わせ来たんだ?」
「昨日の午後に来ましたよ、事務が終わった業後すぐでした。宮田さんって評判すごく良いそうですね?」
明るい端正な貌が答えてくれる、その笑顔こそ評判が良いだろうに?
そんなふう言い返したくなるのは昨日知ったばかりの「メール」がある所為だろう。
それに今朝の件が引っ掛るから尚更に自分勝手な嫉妬は熾きて、それでも英二は穏やかに笑った。
「ありがとうございます、でも俺って初任教養の最初は問題児だったんですよ?」
これは事実、だから隠すよりも自分から言ってしまう方が良い。
そんな計算と意図に笑いかけた向う、端整な瞳ゆっくり瞬いた。
「宮田さんが問題児って意外だな、それとも冗談ですか?」
「本当ですよ、馬鹿な理由で学校を脱走なんかしてます、」
穏やかに笑って事実を告げて、ふっと痛みが走る。
いま言ってしまった「脱走」に纏わる記憶、それが今は傷む。
―あのとき2度も周太に救われたんだ、3回も脱走した馬鹿な俺なのに、
警察学校を脱走した事は、3回。
最初の脱走は、携帯電話を取り上げられてレンタルビデオ店まで電話を掛けに行った時。
あのとき強盗犯に遭遇して人質の一人にされた、あれが初めて犯罪現場を見たときになる。
その現場まで迎えに来てくれたのは担当教官の遠野と場長の松岡と、そして周太の3人だった。
その次は単純に腹が減ったから寮を脱け出した、それは偶然に見つけた遠野教官が不問にしてくれた。
そして3回目、付合っていた女に騙されて自分は脱走した。
『どうしても行くなら、辞めてから行けよ!』
あのとき真直ぐ叫んでくれた声が、懐かしい、愛おしい。
あのとき周太の瞳は涙を隠していた、それを自分は気づけなかった。
自分の事を誰よりも真摯に見つめてくれていた、それなのに自分は愚かだった。
騙すような女だと気づきもせず立場も責任も誇りすら放棄して、脱走して、そして教場の仲間を巻き込んだ。
―遠野教官も教場の皆も裏切ったんだ、誰より俺は周太を裏切ったんだ…それなのに周太は助けてくれた、
辞めてから行け、そう言われた通りに自分は辞職の一筆を書き置きした。
けれど周太が公にならないよう隠してくれた、そして秘密で遠野教官に見せて庇ってくれた。
その真心に縋りたくて周太の部屋をノックして、あのとき自覚した憎悪と孤独と倦怠から自分は救われた。
そんな周太を裏切り脱走していた1時間、あの1時間がもし与えられるなら今、周太の許に帰りたい。
「宮田、戻ってこい?」
ぽん、肩を軽く叩かれて英二は瞳ひとつ瞬いた。
そして認識する視界の真中、黒木の鋭利な瞳すこし和んで見つめてくれる。
その眼差し困ったような笑みと、他2名が既に離席していることに英二は困り笑った。
「すみません、俺、考えごとにハマりこんでましたね?高田さんと浦部さんは?」
「いま食い終って席を立った、」
いつもの落着いた声で応えてくれながら、黒木は湯呑を取った。
ゆっくり口つけて啜りこむ、その膳が空になっているのを見て英二は頭を下げた。
「すみません、俺がぼんやりしてるのに付合わせて、」
黒木は自分に合せて今、まだ食卓に着いてくれている。
そんな気遣いに頭下げた英二に、低く響く声はすこし笑ってくれた。
「大丈夫だ、俺が待ってもらってる態になってる、」
「え、」
答えに見た自分の膳は全て空になっている。
考えごとしながらも食事の手は止まっていなかったらしい?
こんな自分の器用に呆れ半分と微笑んだ向かい、凛々しい笑顔ほころんだ。
「ずっと考えごとしてる癖に、ちゃんと浦部たちと会話して飯も食ってたぞ?まったく呆れるほど器用だな、優秀過ぎて嫉妬も起きん、」
落着いたトーンのまま、けれど昨日より親しい瞳で笑ってくれる。
そんな先輩の貌になんだか寛いで英二は微笑んだ。
「ありがとうございます、でも今、黒木さんに戻れって声かけてもらわなかったら俺、ずっと座りっぱなしでした、」
「ソレも見ていて面白かったかもな?さて、」
低い声すこし笑って席を立ちあがる。
一緒に立ってトレイを下膳口へ置いて、食堂の出口に向かうと黒木は言ってくれた。
「休みの前に飲むかって言ってたが、今から少し飲むか?」
明日は非番、だから自主トレーニングはあっても業務は無い。
そんな幾らか気楽な日程と、それ以上に言葉少なくても気遣いがある。
本当は今も周太の容態が気懸りで、けれど気遣いを無駄にすることは自分を赦せない。
―ずっと周太の様子を聴いてたい、だけど俺が今するべき事は違う、
黒木と酒を呑むこと、それは公的立場にも山ヤとしても必要になる。
第2小隊のNo.2であり経験豊かな男、そんな黒木に学び親しむことは経験に欠ける自分の杖だろう。
そうして培う時間と信頼が「いつか」に繋がる鍵をも造る、その計算と願いに英二は綺麗に笑いかけた。
「はい、どこで呑みますか?」
「とりあえず30分後に自販機前で、」
さらっと告げて黒木は廊下を歩いて行った。
その広やかな背中はカットソー越しにも強靭しなやかに頼もしい。
あの背中が負っているもの見てきたものを今夜、幾らか聴けるだろうか?
そんな想い微笑んで歩き自室の扉を開くと明るい部屋、デスクの椅子からテノールが謳うよう笑った。
「お・か・え・り、俺のアンザイレンパートナー、お話あるんで待ってたよ?」
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