萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第70話 樹守act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2013-10-08 01:41:04 | 陽はまた昇るanother,side story
And summer's lease hath all too short a date.



第70話 樹守act.1―another,side story「陽はまた昇る」

木洩陽ゆれる道、あの場所が見えてくる。

去年の夏から何度も座った場所、けれど2ヶ月近く座っていない。
それでも前と同じ場所に佇んでくれるベンチに立ち止まり、周太は微笑んだ。

「久しぶりだね、…すこしのんびりさせて?」

ひとり微笑んで腰下すベンチは木蔭のもと、古い木肌が温かい。
光ふる黒藍色のジーンズの膝に紙袋おいて焦茶色の缶をプルリング引く。
ふわり、ほろ苦く甘い香くゆらされ唇つけて、ほっと一息つくと公苑の森を見渡した。

―もう葉っぱが色づいてきてる、ね、

9月下旬、もう秋は首都の真中にも訪れる。
シャツの衿ゆらす風は羽織ったカーディガンを透かして涼しい。
午前の樹々は朝露に瑞々しい、その黄色ふくんだ梢は甘く芳香を涼ませる。
夏終わる秋の初め、こんな季節に去年のベンチを想いだす、そして時の経過が俤から遠い。
そんなふう想えてしまう季と笑顔の記憶ごと紙袋を開いて、クロワッサンの香に周太は微笑んだ。

「英二…俺、やっぱり行くよ?」

SAT入隊テスト最終日、警視庁警備部警備第一課特殊部隊への異動が内示された。
この一週間で身辺整理を全て終わらせたら十月一日、SAT狙撃チームに配属される。

―ほんとうに行くんだ、お父さんと同じ場所に俺も…でもなぜ?

こうなると望んで選んだ進路だった、けれど自分には予想外でしかない。
それでも想定通りな「誰か」がいる、そんな現実に一週間前の声が響く。

『負傷の隊員は放置、』

客観的で冷静な声はインカムから命令を告げる、けれど自分は肯えなかった。
何も応えずに、入隊テストの受験仲間が流す血に手を動かして銃創を応急処置した。
それは人道的には正しい行動だろう、それでもSAT隊員としては失格だと言われて当然だ。

警視庁特殊急襲部隊 Special Assault Team 通称SAT

その任務はテロリスト制圧、立籠り事件の人質確保、そんな特殊事態へ対応する。
いずれも最優先事項は「被害者の安全確保」隊員の生命よりも任務遂行が重視されてしまう。
だから入隊テスト訓練であっても「放置」の指示は的確と言わざるを得ない、けれど、自分は嫌だ。

―だって同じなんだ、被害者も加害者も隊員も同じに生きてる、

SATの任務は被害者の安全確保、それは人命救助という意義のはずだろう。
それなら目の前で斃れる隊員も人命である以上、その救助と保全をしないことは矛盾する。
そう自分は信じて変えられない、この想いは自身の誇りと父の生命と、そして唯ひとりの為に変えない。

『被雷した樹木一本から発火したが警視庁の警察官により消火。巡回中で現場近くに居たため早期鎮火が出来たとのこと、軽傷者1名』

命令違反の日に見たテレビの横顔、あの焼焦げたウィンドブレーカー姿が忘れられない。
落雷による延焼から英二は山を護ろうとした、その為に左腕一本を犠牲に惜しまず奥多摩の森を救った。
そんな横顔はいつもどおり穏やかに微笑んで、山ヤの誇りと山岳レスキューの責務と「約束」に目映かった。

『周太、いつか奥多摩に引っ越そう?庭も家も全部、お母さんも一緒に奥多摩で暮そう、俺たちのふるさとを作ろう、』

幸せだった春の幸福な約束、あの約束は今も英二に変わらず生きている。
そして自分にも約束は息吹き返して、だから尚更に生命を援ける誇りを手離せない。

―誰に認められなくっても英二には恥じたくない、英二のおくさんなら…ね?

あの誇らかな山ヤと約束ひとつ抱きあえる。

そんな想いは自分の誇りで勇気で、燈火で、大切な宝物になってしまった。
だから二度と手離せない、どんなに謗られても否定されても信じていたい。
唯ひとり、あのひとが信じてくれる限り自分も信じることを永遠に続けたい。

『逢いたかったから走って来た…周太、』

ほら、最後に見つめあった瞳も声もあざやかなまま心映る。
あの泣顔を笑顔に変えられるのは泣かせてしまった自分だけ、だから帰りたい。
いつになるか解らない帰路の道、けれど帰る約束の標ならば今、残してあげられる。
そう祈るような約束に一週間を過ごしたくて紙袋のクロワッサンをとり、ひとくち齧った。

 パン買わせて。俺、朝飯まだなんだ。
 旨かったよ、今度一緒に買いに行こう?

卒業配置の朝、英二はこのベンチでこのクロワッサンを齧っていた。
コーヒーを飲みながらクロワッサンを頬張る横顔の隣で、自分は母の決断を想っていた。
そして食べ終えた英二に想い伝えて、ふたり一緒に生きようと英二は笑ってくれて、初めて約束した。

―この間も約束してくれたね、英二?

二週間前の夜の記憶がそっと鼓動を咬む、その痛みすら愛しくて周太は右袖を捲った。
ホリゾンブルーのニットから現われた素肌には一つだけ、けれど確かに紅い痣が花びら一つ描く。
この痣は一年前に初めて英二の唇が刻んだ、そして逢うたびごと接吻けて二週間前も、あの夜も愛しんでくれた。

『周太…ずっと好きだ、逢えなくても一緒にいるって信じてる』

逢えなくても一緒にいる、だから左腕を惜しまなかったの?

『必ず俺のところに帰って来て、周太』

必ず帰って来る、そう信じてくれるから奥多摩の森を護ったの?

『もう君だけだからお願いだ、帰って来て周太』

もう君だけだから、だなんて本当に想ってくれているの?

もう他のひとを抱いた今のあなたも本当に約束は一年前から変らない?
あの美しい山っ子を抱いて恋してしまった後なのに、それでも本当に自分だけと言うの?
そんな問いが廻ってしまうまま応えを求めている、けれど訊けない距離に想い唇あふれた。

「英二…ほんとうに俺だけが、すき…?」

ひとり声こぼれて、ふわりクロワッサンが口もと芳る。
この香に想い出してしまう一年前のキスは別離が寂しくて、けれど幸せだった。
お互い警察官だから次「必ず」逢える約束なんて本当は出来ない、そう想いながら再会の約束に微笑んだ。
英二の卒業配置先は山岳救助隊員に配備される青梅警察署、遭難救助や自殺遺体回収などハイリスクな管轄だから怖かった。
だから今も考えてしまう、今、自分の方こそ英二に同じ不安も恐怖も与えているかもしれない、それでも英二は再会を信じてくれる?

「…英二、俺だけを待っていてくれるの…?」

そっと名前を呼んで問いかけて、座るベンチの隣に空気を想いだす。
深い森と似た穏やかな香は英二の匂い、微かにふれる肩は自分より高くて厚い。
綺麗な笑顔が近寄せる吐息は少しほろ苦く甘い、あの綺麗な低い声の返事を今ほんとうは聴きたい。

『聲、聴きたいよ周太、君の聲を聴きたい』

記憶に求めてくれるあなたの声、あの声を今ここで聴きたい、あなたの聲で想い応えて?

そんな願い独り微笑んでクロワッサン齧って、さくり、甘く香ばしい香が唇ふれて充たす。
今もう逢えることの出来ない笑顔、聴くことのできない声、それでも香だけなら名残を見つめられる。
去年の夏の終わりに見つめあった別離と再会の約束、あのときと同じ季節に今は独り、同じベンチで自分だけ。
こんなふうに独りきり座る時が来るだろうと去年も解かっていた、けれど、こんなふうに想うとは知らなかった。

―英二、あなたにだけは恥じたくないから、帰って来られたら本当のこと話すから…英二も話してね?

記憶の香を口にしながら想い、そっとシャツの胸を掌におさえこむ。
この胸は本当は喘息の病状を抱え込んで、命令違反までして、それでもSAT入隊選抜試験に合格した。
こんなこと本来なら有得ない、それでも現実に合格したのは「異例」を生みだす隠された事実がある。
そう今では解かっているから話したい、もし自分が無事に帰って再会するならば話すべき罪と罰がある。

「…ごめんね英二、本当は知っているんでしょう…?」

想い独りごと微笑んで、遠い俤に尋ねてしまう。

―本当は全て知っているんでしょう?お父さんと似てるのも偶然じゃないんでしょう?

たぶん英二は真相をしっている、そんなふう想えてしまうのは俤が父と似ている所為かもしれない。
あの眼差しは父とそっくりな瞬間がある、そして英二の祖母の瞳は他人と謂うには父の瞳と似過ぎていた。
彼女は祖母と自分が似ていると微笑んで細かな点まで教えてくれた、あんなふうに初対面から解かるなんて普通ない。
そう想いだすごと解かってしまう、英二の祖母である顕子が何故、自分に祖父たちの記憶を語り謝って泣いてくれたのか?

『 La chronique de la maison 』

祖父が遺した小説を、たぶん顕子も持っている。
その一冊にはメッセージが書かれているだろう、その意味に顕子は泣いてくれた。
どんな言葉なのか今はまだ解らない、けれど、きっと顕子の唯ひとりの孫息子は全てを知っている。

「英二…あなたは誰なの…?」

また独りこぼれた想いに、ゆれる木洩陽が明滅する。
そして考えてしまう、英二と自分が廻り逢えたことは偶然だろうか必然だろうか?
こんなふうに思案する時間すら今まで足りなくて、だから今日ゆっくり考えたくてこのベンチに坐っている。

『 La chronique de la maison 』

祖父の遺作を自分に贈ってくれたのは、祖父の愛弟子で父の親友だった。
アンザイレンパートナーでもあった田嶋教授に父は自分の蔵書を託した、その一冊が祖父の遺作だった。
29年前まで父が持っていた一冊はフランス語でメッセージを綴られている、それを英二も見て知っている。
英二のアンザイレンパートナーである光一も英二より先に本を見た、そして光一はフランス文学に詳しい。

けれど二人とも、何も言わなかった。

―光一なら元から知っているほうが自然だもの、光一の本棚って仏文科だったお父さんの本がいっぱいで…持っていても不思議じゃない、

たぶん光一は、祖父の本を知りながら何も言わなかった。
そう仮定するならば「言わなかった」理由に考えられる事は一つ思い当たる。
その理由を裏付ける事実に七月のカレンダーの中旬、英二と光一が実家に留守番した夜がある。
あのとき二人が実家で「何」をしていたのか?それは祖父の小説に書かれている単語たちが示すかもしれない。

“Mon pistolet” 私の拳銃
“souterrain”  地下室
“enfermer”   監禁する、隠す

そして小説の冒頭と祖父のメッセージ、

“Pour une infraction et punition, expiation” 罪と罰、贖罪の為に
“Je te donne la recherche” 探し物を君に贈る 

そう書き残した祖父の真実を英二たちは見つけたのかもしれない。
もし発見したというのなら祖父の小説に記された事件が「現実」である証拠になる。
もし見つからなかったのなら創作に過ぎなかったと言えるはず、けれど、二人は何も言わない。

―掘り出してあっても跡は残ってるよね、

心裡に考え廻らせながらクロワッサンを齧り、缶のココアに口付ける。
芳ばしい小麦に唯ひとり想い、ほろ苦い甘さに父の笑顔と真実を探してしまう。
二人の繋がりは未だ明確には解らない、けれど確かめる方法ひとつ今の自分は知っている。
その可能性を考えながら簡単な朝食を終えると周太は左腕のクライマーウォッチを見、微笑んだ。

「ん…区役所も空いてるといいな、」






(to be continued)

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第69話 煙幕act.5―another,side story「陽はまた昇る」

2013-10-06 23:00:10 | 陽はまた昇るanother,side story
That all which we behold



第69話 煙幕act.5―another,side story「陽はまた昇る」


どうして自分は、咎められなかったのだろう?


「っ、こほっこふこっ…うっ」

シャワーふらす湯気に噎せだし、独り浴室を響く。
狭いユニットバスに咳あふれて、けれど個室のワンルーム空間なら誰にも聴かれない。
隠したい体の事情だから聴かれない方が有難い、その安堵と孤独のまま気管支から噎せてしまう。

―このまま発作が癖になったら嫌、そんなのだめ、

心言い聞かせながら呼吸を整えてシャワーを掌に受けとめる。
すぐ充たされ溢れる湯に唇つけて、ゆっくり飲みこむごと胸の迫り上げは収まりだす。
このまま止まってほしい、一過性であってほしい、そう願い叶うよう咳は鎮まって周太は息吐いた。

「…発作じゃない、よね…疲れてるだけ、」

ため息ごと膝崩れて、ゆっくり体が湯に沈みこむ。
シャワー降るまま座りこんだ湯船へ疲労が解けてゆく、その感覚に息つき微笑んだ。

「すこし疲れたから咳が出ただけ、これは昔からの癖だから大丈夫…大丈夫、」

独りごと自分に聞かせて不安を宥め、消してゆく。
こんなふうに疲労から咳込むことは昔から珍しくない、まだ喘息発作とは違う。
入隊テスト期間は2週間、その半分を終えた緩みから溜っている疲労が咳込ませるだけ。
そう納得させて湯のなか息吐いて、ゆっくり膝を抱え込みながら午後の記憶から考えだす。

―命令違反して注意も無いなんて、

今日、与えられた指示「放置」に自分は背いた。

今日、自分はテスト訓練のさ中に被弾した受験生を応急処置した。
あのときインカムを通した指示は無情かもしれない、けれどSATの任務なら当然だと納得できる。
犯罪被害者救出がSATの主務、その任務に隊員の無事を優先してはならないのは当然だろう、けれど自分は肯えない。

―お父さんを救けたかった、だから同じ仕事のひとを援けたくて…だからあんな命令は聴けない、

銃弾に斃れた「誰か」を救いたい、だから命令は聴けない。

あの春の夜、14年前の夜に父は一発の銃弾で生命を消した。
あのとき死なないで欲しかった、生きてほしかった、そんな父を救けたかった。
けれど逝った命はもう還らない、それなら父と同じ任務に生きる命を援けたくて今、ここに居る。

「だって…SATだって人命救助の為にあるんだ、だから援けたいんだ…」

シャワーふる湯船に声こぼれて、そっと瞳を熱あふれだす。
静かな湯のふるまま瞳の熱も融けて流れる、その孤独に今は安心してしまう。
こんなふう泣いてしまうほど自分は不安で哀しくて、悔しくて、それでも誇りを信じている。

―お父さん、お父さんは誰かを救けるためにSATに居たんでしょう?

父はSAT隊員として狙撃手を務めていた、それは事実なのだと現実から思い知る。
そんな事実確認を裏付けてしまう現実を今日、また一欠けらに気づいたのだろう。

『走るぞ、俺が援護する、』

あの声は眼差しは、確かに箭野だった。

第七機動隊銃器対策レンジャー第一小隊の先輩、箭野孝俊だった。
あの視線も声も1ヵ月1週間に聴き慣れている、あのとき救けてくれたのは箭野だった。
けれどSAT隊員の身長制限は170cm前後、だから身長180cmの箭野が入隊テストを受験する筈が無い。

―だけど箭野さんだった、だから…お父さんもSATに入れたの?

父は身長170cm制限を6cm超えていた、そして箭野も180cmありながら入隊テストを受けている。
こんな現実の一致に気づかされてしまう、きっと受験制限には「異例」という項目が存在している。
そんな一致に思い出させられる、自分自身も「異例」から多く取り巻かれて、そして今日も異様だった。

警視庁警察官採用試験に提出した書類の祖父母欄は経歴不明と書かざるを得なくて、それでも採用された。
けれど警察学校では交際相手の存在を隠した為に免職になった事例もある、それなのに家族状況を調べない筈がない。
だから解かってしまう、きっと「調べられた」結果として自分は採用決定されている、でも自分には何ひとつ確認すらされない。
そんな事実関係から自分が考えられる結論は一つだけ、自分が「湯原馨の息子」だという理由から採用された可能性しかない。

だから考えてしまう、警察組織における父「湯原馨」という存在は熟知され過ぎている?

―こんなふうにマークされている人なんて普通じゃない、なら、お父さんに何があったの?

独り湯のなか独り推論が立ち昇り、頭脳を廻るまま14年前から過去へと手繰られる。
なぜ父は文学者の道を逸れて警察官を選んだのか、なぜ祖父の友人という男の意見を選んだのか?
そんな「最初の選択」から父の意志を考えるままSAT隊員に父が「選ばれた」状況を推論に探していく。
こうした推論の疑問たちは全て、祖父が遺した小説に記された全てが事実だとしたら解答が見えて周太はため息吐いた。

「…もういちど読み直してみよう、ね…」

独り言こぼれる想いは、静かなまま鼓動を掴んで哀しみごと絞める。
あの小説に書かれた経緯が事実だとしたら?そう想うごと祖父と父と、曾祖父の生命に泣きたい。
そして誰よりも「彼」の心と想いと軌跡が哀して痛くて、切なくて、伝えてあげたい言葉を探してしまう。

―あのひとが一番たぶん苦しんでいる、きっとそう…

たぶん「彼」に自分は3度会っている、そんな推論すら今もう解かる。
2度め警視庁術科センター射場、3度めは新宿署東口交番の広場、そして1度めが過去に在るはず。

―想いだせないけど会ってる、きっと、

あの小説が本当なら会った可能性がある、それを確かめる方法は一つあるだろう。
そんな推論と方法を考えながら今日の「異様」にまた考えは戻って、ため息吐く。

どうして自分は今日、何も咎められなかったのだろう?

―なぜ命令違反をしたのに何も言われないの、

今日、与えられた指示「放置」に自分は背いた、けれど注意ひとつ与えれられていない。
そんな沈黙の意味から予測ごと溜息こぼれ落ちて、湯のなか独り膝を抱きしめ微笑んだ。

「不合格かもしれない…ね、」

入隊テストでも現場と同じ臨場に訓練は課される、だから指示への服従は当然だろう。
それなのに自分は服従しなかった、それを反抗的態度に問われて失格しても仕方ない。
そんな当然の判断を試験官もするだろう、だから命令違反について何一つ言われない?

―お父さんを追いかけて警察官にもなって、ここまで来たのに、

父が逝ってしまって14年間ずっと父の生きた軌跡を追いかけてきた。
父の生きた意味と亡くなった理由を知りたい、その為に多くを懸けている。
だから今もここに居る、それなのに「命令違反」で終わるだろう予測に独り言から微笑んだ。

「でも大丈夫、大学がある…ね、お父さん?」

父の亡くなった真実は最期に所属した世界、警視庁SATにあるかもしれない。
けれど父が生きた真実の核心は大学に在る、そう今なら解かるから失格しても道は消えない。
父の生きた真実の向こうに亡くなった真実がある、だからSAT隊員である軌跡を踏めなくても、きっと父に辿り着ける。

『君のお父さんは学問に愛される人なんだ、だから必ず学者の道に立つべき人だって信じている、どんなに遠回りでも帰るはずだ』

父のアンザイレンパートナーの声が、記憶から真実の鍵を示しながら泣いて微笑む。
あの言葉も瞳も眩いほど真摯の熱情が温かい、あんなふうに父を見つめてくれる人が今も生きている。
そしてきっと父は今も彼の心に頭脳に現在進行形のまま笑って、彼と共に生きる世界で命のまま輝いている。

「ね…おとうさん、生きてるね?」

そっと呼びかけた想いが瞳あふれて湯に融ける。
もう14年になる生きている瞳の記憶あふれて、14年間の涙が零れだす。

―お父さん、今なら銀河鉄道から手を振ってくれる?

『銀河鉄道の夜』

あの小説を初めて読んだのは14年前の春、父を亡くした直後だった。
父の殉職を話題に聴かされることが嫌で、だから本の世界へ逃げこんだ学校の図書室で借りた。
物語に描かれた宇宙を駆ける列車は死者が彼岸へ旅立つ乗り物だった、だから父の銀河鉄道を毎晩いつも待っていた。
屋根裏部屋の天窓の下マットレスから夜空を見上げ待ち続けて、けれど現れなくて、それでも父の欠片に会いたくて警察官を目指した。

父が生きていた世界に自分も立ったなら、父の記憶と想いを見つけられる。
そんな想いに警察官になる事だけを考えて生きてしまった、それは正直に言えば辛かった。
本当は誰かと競うことも争うことも好きじゃない、喧嘩も口論も嫌いだ、だから警察官の世界は知るほど辛かった。

―ほんとうは辞めたかった、ずっと、

ずっと本当は、警察官になんて成りたくなかった。

それでも警察官に成ったのは父の欠片に会いたかったから、唯それだけが理由。
もう二度と会えない父だと解かっている、それでも父の生きた軌跡を辿るなら再会出来ると信じたかった。
なによりも、父の現実を何ひとつ知らずに別離してしまった後悔が哀しくて辛くて、贖罪の想いに父の道を選んだ。
独りぼっちで父を死なせてしまった、そんな罪悪感に自分が幸せになる事は赦せなくて尚更に孤独と努力に引篭もった。

それでも警察学校で英二と出逢えた、そして孤独は消えて約束と再会した。

「…英二、」

大切な名前に微笑んで、また涙ひとつシャワーに融けてゆく。
ずっと13年間を孤独と努力だけに染めてきた自分、それでも英二が隣に来てくれた。
隣に英二がいてくれたから同期とも親しくなれた、そして光一と再会して美代と出会うことも出来た。
そんな時間のなかに警察官として生きて任務のさ中に青木樹医と出会い、父の願いと約束に再会した。

―…周、誰かを元気にするために生きるのは本当に綺麗なんだ。周はその為に樹医になろうとしてるね、それは立派なことだよ。
  そういう周がお父さんは大好きだよ?だから信じてるよ、きっと周太は立派な樹医になれる、必ず木の魔法使いに君はなれるよ

信じてるよ、そう父は言ってくれた。

冬の陽だまり、午前中のお茶を楽しむテラスで父と指切りした。
あの幸せな朝、新聞に樹木医の記事を見つけ父と母と夢の約束に微笑んだ。
幸福な約束の時間に切長い瞳は嬉しそうに笑って、涙ひとつ零し言ってくれた。

『周、きっと立派な樹医になれるよ?本当に自分が好きなこと、大切なことを忘れたらダメだよ?諦めないで夢を叶えるんだよ』

あの言葉を13年間忘れていた、「警察官になる」しか考えられないまま約束と逆の時間を13年ずっと生きていた。
それを後悔したくなる時は幾度もある、けれどもし13年間の孤独と努力と痛みが無かったら今と違う自分だった。
あの孤独な時間があったから隣に誰かいてくれる温もりが解かる、そして知った感謝はこんなに温かい。
いま警察官である立場から学ぶ時間は制限されて、だからこそ学問の喜びを真直ぐに抱きしめられる。

そして13年間の孤独と努力の時間があるから「彼」の傷すら、解かる。

―もし警察官になっていなかったら恨んでた、恨んで憎んで、きっと苦しかった、

祖父の小説が真実ならば「彼」は自分の家族たちを殺した。

曾祖父も祖父も「彼」に殺された、祖母の病没も「彼」が原因を作った、そして父の殉職も結局は「彼」だ。
そんな図式が祖父の小説一冊から見えてしまう、それは樹木医の夢だけに生きて来ても気付けたかもしれない。
けれど13年間の孤独と痛みと、警察官として生きた1年半が無かったら自分は、きっと「彼」を赦せず苦しんだ。

大切な存在が「殺された」哀しみを赦せず生きることは苦しい、それは父の殺害犯への想いに知った。
けれど赦せず裁けば遺志まで壊してしまう、そう教えてくれたの殺害犯本人の涙と笑顔と、掌だった。
そんな全てを今こうして抱きとめているのは泣いた13年間を昇華した1年半があるから、そう想える。
こんなふうに想えるから今、不合格になっても後悔は無い。

―きっと不合格になるね、そしたらもうSATでのお父さんは解らなくなる、ね…

今日の指示違反で自分は不合格になるだろう。
そして警察官である父を知るチャンスは消える、そのまま父のパズル一部は見つけられない。
それでも今日の自分が選んだ行動に後悔なんて無い、13年間の孤独と努力は無駄じゃないと胸張れる。
そんな想い肚から温まるまま膝を抱く手ひとつ解いて、指そっと軽やかに顎を敲くと周太は綺麗に笑った。

「おとうさん…俺ね、警察官になってよかったね?」

想い呼びかけて微笑んだ頬、また涙ひとしずくシャワーに温められ、ゆっくり解けてゆく。




SAT入隊テスト最終日、警視庁警備部警備第一課特殊部隊への異動が内示された。
身辺整理として一週間の休暇を賦与、後、十月一日付で異動の配属先は、狙撃班。







【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」】


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紅葉ふる黄金、秋原野×『立華時勢粧』

2013-10-06 21:50:00 | 文学閑話散文系
色彩、季と流れて 



紅葉ふる黄金、秋原野×『立華時勢粧』

こんばんわ、今日はコンナ↑とこに行ってきました。
北関東にある原野なんですけど、そこを流れる沢川は碧く綺麗です。
よく修学旅行の記念撮影場所にもなる原野、の、隣の原野なんですけど解かりますか?笑



橋を渡った向こうは起伏ゆるやかな黄葉の林間コース。
登山というほどキツイことは無いです、が、木の根道も多いので登山靴がおススメ。
根っこや段差もあるので膝が弱い方は特に気を付けて下さい、またエコバスも舗装路にあります。

広く深い森は下草に笹が多く繁っています。
ということは野生獣が隠れてしまうポイントが多いってコトです。
なので熊鈴つけて行く方が無難になります、現に7~9月はツキノワグマ遭遇件数=多数だとか。
そんな裏付けするよう植生は楢や椎の実が多く落ちて、彼らの豊富な食料庫なんだと納得でした、笑

今は黄葉と緑の交わす色相がきれいです、で、時おり紅葉×黄葉の楓に出会えます。



黄色主体の樹林帯で紅葉は目立ちます。
ちょうど今は黄緑から黄色、橙、朱色に真紅と色相は豊かでした。
華道で楓の紅葉は「真の一色」とも言われますが、そんな言葉通りの梢が見られます。

一色物と定て外の木草をまぜずして、楓ばかりを以て一瓶を成就す。名付て真の一色と云ふ。

貞享5年1968年『立華時勢粧』にて富春軒仙渓が記した言葉です。
この一文の前には「楓をもちて紅葉の長とす。是立花の賞翫極極の秘伝也」と書かれているんですけど要するに、
紅変する葉っぱのなかじゃカエデが一番綺麗だ、生け花の美的感覚にとっちゃ最高なんだよね、って話をしています。

この書籍タイトル『立華時勢粧』=りっかまようすがた、と読みます。
立華=立花・花の生け方、時勢・まよう=時の経過ごと変化する・移ろう、粧=飾る姿、って感じの意味です。
なので「季節ごと飾ってみる花の生け方」という意味の本です、いわゆる『華道テキストブック』ってタイトル、笑

日本の美ブログトーナメント



ずっと森を歩いて行くとアスファルトの道に出ます。
そのアタリから視界は拓けて、某原野の広やかな秋の色彩が現われます。



ココに行ったのは今日が初めてなんですけどコンナ↑色模様に驚いた、笑
原生の野原=原野、だから成行きの結果がコレだけども自然って凄いなーと。
昨日に決めて今日ちょっと行ってみたら、こんな光景に出くわす幸運でした、笑



昨夜UP「Lost article 天津風 act.16」加筆校正も終っています。
このあと第69話「煙幕5」を掲載予定、周太@SAT入隊テストの顛末です。

日曜夜に取り急ぎ、笑




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第69話 煙幕act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2013-10-05 21:30:54 | 陽はまた昇るanother,side story
Our cheerful faith



第69話 煙幕act.4―another,side story「陽はまた昇る」

黒から赤、それがスローモーションに斃れゆく。

見つめた真中を出動服姿の斃れる軌跡、すこしの飛沫が赤い。
ゆっくりに見える映像、けれど鉄と似た匂いが現実の視界を撫でる。
ただ見つめてしまう黒と赤の二色はサーチライトの影、どさり、人間が床に寝転んだ。

黒、赤、鉄の匂い、そして重たい音、視覚と嗅覚と聴覚に意識が引っ叩かれて、周太は駆け出した。

“「人」が撃たれた”

いま目の前で人が撃たれて斃れた。
そう認識した意識が全身を突き飛ばして真直ぐ駆ける。
それでも身体は銃弾とサーチライトを避けて駆け、斃れた体の傍に周太は膝つくと息呑んだ。

「…っ、」

右大腿部、もう出動服は赤い。

斃れた体は痙攣かすかに震えてマスクの瞳が強張っている。
いま斃れたばかりの体、それなのに血溜りは呼吸ごとじわり育つ。
広がる赤に震える黒い脚、その呻き声が聴覚を敲いて周太は自分の頬を撃った。

ぱんっ、

頬鳴って、呼吸ひとつ唇ひき結んで奥歯ぐっと噛みしめる。
もう肚を据えた視線は出血部の目視して胸ポケットに手をつっこんだ。
すぐ三角巾を掴んで引き出し横に四つ折ってゆく、その手を止めずマスク越し男へ告げた。

「止血します、それから場所を移ってすぐ手当てします、」
「やめろ、」

一言、けれど鋭い語調はマスク越しに周太を睨んだ。

「やめろ、今はテスト中なんだぞ?俺より自分の心配をしろ、指示通り走れ、」

今はテスト中、指示通り走れ。

その通りに入隊テストさ中で、今も訓練場を走る気配と発砲音が轟く。
サーチライトに燻らす蒼い硝煙は刺すよう喉突いて、気管支が噎せたがる。
その痛み飲下す耳元にイヤホンは指令と服従を命じて、けれど周太は止血帯を示し微笑んだ。

「巻きます、動かないで下さいね、」

瞳だけでも笑いかけ告げて血塗れた大腿部へ止血帯を当てる。
これで患部より心臓に近い動脈へ圧迫を加えて一時的に血流を止めておく。
この方法は直接圧迫による止血をするまでの補助的手段に過ぎない、けれど間違えばリスクがある。

―三角巾ちゃんと幅5cmより大きく折れてるよね、圧迫止血点はここ、骨に向かって加圧して、

心裡に確認しながら四つ折り三角巾を半分に畳み、ポイントへ帯のよう掛けて端を交互違いに通す。
そのまま三角巾の両端を握って掛けた帯と同じ方向へ、慎重に加減しながら締め上げた。

「…ぅっ、」

男の声が呻いて傷ついた脚がびくり反応する。
微かでも痛みの響く声に周太は息呑んで、けれど左腕の文字盤を冷静に見た。

「ん、」

時間確認に頷いてポケットからペンを出し、止血帯の端に現在時刻を書く。
本来なら傷標として荷札などタグを付けた方が良い、けれど今この状況下では無理だ。
そんな判断に素早くペン仕舞うと男を抱えあげ、いちばん近い物陰に移動し次を告げた。

「今から傷を直接止血します、痛いですけど動かないで下さい、」

言いながら取出した袋を破いて、すこし気恥ずかしくなる。
銃創の応急処置にはタンポンを遣う止血が現場では有効、そうテキストにも英二にも教わった。
けれどタンポン本来の使用目的を教わった記憶が恥ずかしくて、それでも冷静に患部を診ながら周太はそっと息呑んだ。

―貫通していない、盲管射創だ、

右大腿部の傷は一ヶ所だけ、逆側に貫ける出血が無い。
おそらく被弾した弾丸が大腿骨に当ってしまった、そんな事例が記憶のページに映る。
吉村医師が英二に託して贈ってくれた銃創処置のテキストブック、あの英文綴りを記憶に読んで患部を診ていく。
血塗れの底に開いた射入口は円く創縁は挫滅されて鉄の匂いが生温かい、いま現実に見る傷と匂いに手術室が蘇える。

―雅人先生、今から俺が手当てします、

心に呼びかけた向こう、奥多摩の手術室で見た横顔が頼もしい。
あの日は喘息の相談を受けてもらっていた、そこに被弾したハイカーが運び込まれた。
あれが雅人医師にとっても初めて一人での銃創処置だった、それでも落着いた処置は鮮やかだった。
あのとき自分も立ち会わせてくれた厚意が今ここで活きる、この感謝ごと周太は患部へとタンポンを挿しこんだ。

「うぐっ、」

痛みの声があがって鼓動が息を呑む。
応急処置する英二の姿を見たことはある、けれど自分が行うことは今が初めて。
この初めてに竦んで臆病が泣きかける瞳ひとつ瞬いて包帯を巻き、けれど突き飛ばされた。

「早く行けっ!テスト中なんだぞ、落ちても良いのかっ、行け!」

怒鳴りながら睨んでくる瞳が、黒いヘルメットのつば越し鋭い。
拒絶する眼差しは悔しさと屈辱に怒って、けれど案じてもくれている。

―自分のミスが俺を巻き込むことが嫌なんだ、いつも俺が英二に想うみたいに、

ずっと自分も英二に引け目を感じている。
自分が抱え込んでいる事情に英二を巻き込んで足を引っ張りたくない、そう卑屈になりそうな時がある。
だから今この男の気持は解かる、この感情全ては他人事じゃない、だからこそ懸ける自分の誇りに怒鳴りかえした。

「動くなっ!」

怒鳴った隙に一足飛び、周太は男の懐に飛び込んだ。
巻きかけた包帯を再び掴んで手を動かし、現実の危険そのまま訴えた。

「銃は出血が危ないんだっ、動いたら駄目だ!」
「いいから早く行けっ、もう十分だ!いらんっ、」

また怒鳴りかえされて拒絶の手が押し返す。
けれど踏ん張って周太は患部へと包帯を巻きつけ、相手を睨んだ。

「黙れ!銃創の死亡は60%が失血性ショック死だ、血が止まらないと死ぬんだっ!」

事例ごと怒鳴りつけた先、傷ついた眼差しが息を呑む。
いま彼にとってプライドも気遣いも拒絶の理由だろう、けれど全て今要らない。
その理由ごと構わず直接圧迫の包帯を施しながら周太はテスト仲間に怒鳴りつけた。

「死んだら誰も援けられないんだ!SATだって人命救助の為にあるんだ!だから俺は誰も死なさない、黙って手当されて!」

父がSAT隊員で居られたのは、人命救助の為と信じたから。

どんな事情があったのか未だ明確には解らない、けれど父は殺人の為に生きたんじゃない。
どんな理由でも愛した文学の道を捨ててまでSAT隊員であることを選んだ、そこに誇りはきっとある。
そう今この時に信じられる、だから自分もその誇りに今この手当てを止める事なんて絶対に出来ない。

―それに英二の左手を見たんだ、焼焦げた服もグローブも、

『巡回中で現場近くに居たため早期鎮火が出来たとのこと、軽傷者1名』

朝に見たテレビの横顔、あの焼焦げたウィンドブレーカー姿が、切ない、誇らしい。
落雷による延焼から奥多摩を、森を山を護ろうとして英二は左腕一本を犠牲に惜しまなかった。
あれは山ヤとしての誇り、山岳レスキューとしての責務、そして自分と交わした約束への真実だった。

『周太、いつか奥多摩に引っ越そう?庭も家も全部、お母さんも一緒に奥多摩で暮そう、俺たちのふるさとを作ろう、』

幸せだった春に笑ってくれた約束、あの笑顔は今も英二に変わらず生きている。

―もう英二は忘れたと想ったのに、あの夜にぜんぶ終わったって、

七月の終わり、アイガー北壁の夜に英二が光一を抱いて全てが終わったと諦めた、それで良いと思っていた。

この今立っている死線を自分は選んだ、だから英二が他の相手と幸せになる方が自分も楽で良い。
そう考えたから約束の全ては消えたのだと自分に言い聞かせてきた、未練を残さぬよう幸せな約束は全て諦めた。
けれど今朝のテレビに英二の真実を知ってしまった、あの左手に気づいてしまった、だから今もう退くなど出来ない。
あの幸せな約束は何ひとつ守れないかもしれない、再び逢うことすら叶わないかもしれない、それでも誇りだけは護りたい。

―だって俺は英二の妻なんだ、誰に認められなくても英二にだけは恥じたくない、

自分はあの誇り高い山岳レスキューの、妻だ。

男の自分が妻だなんて「変」だろう、けれど自分には唯ひとつの幸福だから構わない。
たとえ法に社会に認められなくても共に暮らせなくても、あのひとを愛して想って生きるなら誇らしい。
だから今この瞬間も恥じたくないから、山を人を救いに駆ける人の妻だと誇りたいから今、信じるまま叫んだ。

「死んだら駄目だ!あなたも俺も生きて帰るんだ、何があっても死ぬな!」

何があっても死ぬな、死んだら駄目だ。
そう目の前の男に叫んだ心が14年前の俤を映しだす。

―お父さん死なないで、

14年前の笑顔が今この場所を、SAT訓練場を新宿の路上に変えてゆく。
摩天楼を駆けてゆく制服姿、斃れる制服姿、そして赤い鮮血あふれだす。
春4月の桜ふる夜アスファルト冷たい路上、ガード下の出口付近の真中。

―死んだら駄目、お父さん、お父さん死なないで!

「死なないで!」

聲、現実の声になって応急処置する今を叫ぶ。

いま見つめているマスクの顔は初対面の瞳、けれど父と同じ世界へ志す。
こんな瞳を29年前の父もしていたろうか、14年前に斃れた瞬間を自分が救けたかった、死なせたくなかった。
そんな想いごと今この傍にいる命を救けたくて生きてほしくて、抱えこんで立ち上がりかけた背中を突き飛ばされた。

「ふせろ!」

低く鋭い声、そして発砲音が背後に起きた。

―今の声、

唯一言に一瞬で過らす声の記憶が、ひとつの笑顔を教えてくる。
けれど信じられない、そんな筈は無いと否定したくて伏せた肩越し振り返る。
見つめる向うサーチライトの廻照に眩しくて、それでも捉えたシルエットに声こぼれた。

「や…、」

呼びかけた名前、けれど呼吸ごと呑みこんで止める。
このSAT入隊テスト受験は極秘事項、だから既知でも互いの名前を呼んではいけない。
なにより今ここに居るはずが無い名前、そんな想いの真中シルエット振向いたマスクの瞳が笑った。

「走るぞ、俺が援護する、」

低い明朗な声が笑いかける、その涼しい瞳はシャープなのに優しい。
その瞳と声に途惑いながら、けれど伝えてくれる意図に周太は負傷者を背負いこんだ。
そのまま一緒に立ち上がり駆けだす隣、サーチライトに照らされた長身の姿に鼓動が引っ叩いた。

―どうして箭野さんが、

SAT隊員選抜の身長規定は170cm前後、それなのに、なぜ身長180cmの箭野がSAT入隊テストにいるのだろう?








【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」】

(to be continued)

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第69話 煙幕act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2013-10-04 23:31:00 | 陽はまた昇るanother,side story
And let the misty mountain-winds be free



第69話 煙幕act.3―another,side story「陽はまた昇る」

何気なく点けたテレビに、呼吸が止まる。

 昨夕17時、午後5時ごろ東京都奥多摩町にて落雷。
 被雷した樹木一本から発火したが警視庁の警察官により消火。
 巡回中で現場近くに居たため早期鎮火が出来たとのこと、軽傷者1名。

淡々と語られるアナウンス、映される霧深い山の姿、そして裂け折れた樹木。
剥きだしの年輪から若い低木だと解かる、その周辺景色から植生場所は尾根に近い疎林。
こうした場所は落雷の危険が高いと大学のフィールドワークでも教わった、その通りに樹木の裂目は炭化が傷む。

そして映った現場検証中の画像、白く染めぬいた「警視庁」の青いウィンドブレーカー焼焦げた長身を一人、周太は見た。

「…っ、」

息呑んだ手、マグカップひとつ握りしめる。

あの横顔は知っている、たとえ小さな画像でも見間違えるはずがない。
あの背格好もカーキ色した救助隊員制帽も、あの背に負う登山ザックも幾度も見てきた。
そして画面の端に小さくても映ってしまう左手、嵌めた登山グローブは燃え崩れた痕が生々しい。

「えいじ…っ、」

がたん、

立ちあがったテーブルの向こう、けれどテレビ画像は切り替わった。
もう消えてしまった山岳救助隊員の横顔、それでも意識は見た全て刻まれた。
いま見た山と人の姿と聴いたアナウンス、その全てが支配して鼓動が絞めあげられる。

―英二だった、訓練で奥多摩に行くって言ってた、あの左手、

『巡回中で現場近くに居たため早期鎮火が出来たとのこと、軽傷者1名』

本当は訓練中の巡回だ、軽傷者1名と言うけれど命に別条がないからそう言っているだけ。
左手「だけ」の負傷だから軽傷だと言っている、けれど、クライマーにとって左手は「だけ」じゃない。

「…どうして、」

言葉こぼれて立ち尽くす、もう視界ゆらいで頬ひとしずく伝ってゆく。
確かに長身は立っていた、いつものよう微笑んで現場の樹木を指さし説明する貌だった。
けれどウィンドブレーカーの青は焼焦げ黒ずんで、そして、左手グローブの燃え痕は明らか過ぎた。

「どうして…久しぶりの山で怪我しちゃうの、雷だなんて…ザイル握る手なのにレスキューの手なのに…どうして…」

こぼれる声が止まらないまま顎から一滴、ぽとりマグカップのなか融けた。
ふわり立ったココアの香に呼吸が戻されて、かくり膝の崩れるまま椅子に座りこまされる。
けれどマグカップ握りしめる手は硬く竦んで、湯気に見つめるダークブラウンへ懐かしい髪の色が映りこむ。

『周太、いつか奥多摩に引っ越そう?庭も家も全部、お母さんも一緒に奥多摩で暮そう、俺たちのふるさとを作ろう、』

ほら、幸せな笑顔がもう蘇えって笑いかける。
懐かしい自分の部屋、自分のベッド、そして暁時の幸福な約束。
今も同じ暁の時、けれど今は独りテレビ画像の窓から横顔を見つめて、遠い。
それでも唯ひとり見つめてしまう人はテレビ越しにすら約束と想い伝えて今、見つめてくれる。

『逢いたかったから走って来た…周太、』

最後に見つめた切長い瞳、端整な白皙の哀しい貌、そして一滴だけ零れた涙。
たった1週間前の別離で、けれど今もう遠い瞳はテレビ画面の彼方で焼け崩れた衣服を纏っていた。
あの姿から英二が何をしたのか解ってしまう、その心は聴かなくても今この鼓動を掴んで祈り、一節は響きだす。

Our cheerful faith, that all which we behold
Is full of blessings. Therefore let the moon
Shine on thee in thy solitary walk;
And let the misty mountain-winds be free

僕らの信じるところ、僕らの目に映る全ては
大いなる祝福に充ちている。だからこそ月よ
独り歩く貴方の頭上を明るく輝いてくれ、
そして霧深い山風も自由に駈けてくれ




今日もまた、扉のなか鎖される。

サーチライトと壁の陰翳にマスク越しの視界は昏い。
それでも今ひとつ温もりを抱いている、それは不安と安堵が廻りながら信頼は温かい。
あのテレビニュースに見た横顔、穏やかで誇らしい笑顔へ無事を信じて今、自分も超える場所を駆ける。

―さよなら英二、今日も行くね?

さよなら、そう一週間ずっと心告げてきたように今日も微笑める。

この訓練場に今日こそ斃れるかもしれない、それは望まないけれど解らない未来。
だから伝えられるうちに想いは告げておきたくて、けれど声はもう届けられない場所に居る。
それでも心だけならきっと伝えられる相手だと今もう信じてしまった、今朝、テレビ越しの瞳にもう信じている。

『周太、俺たちのふるさとを作ろう?』

あの幸せだった春の約束は、今もあなたに生きている。

だから焼け焦げたウィンドブレーカーを纏っても笑顔は変わらず輝いていた。
だから燃え崩れた登山グローブも後悔など欠片も無くただ誇らしげに佇んだ。

―英二、奥多摩の山と樹を護ってくれたんだね、約束だから、奥多摩は俺たち家族に大切だから、

奥多摩、東京都の山岳地域。

あの場所は自分と父の記憶が温かい、父と母の恋も眠っている。
そして祖父の記憶も山々は抱いていて、そこに祖母の足痕もきっとあるだろう。
父も祖父も山と文学を愛するまま奥多摩に親しんだ、そんな想いが実家の庭へ美しい森を映した。

懐かしい実家の庭の森、あの森のふるさと奥多摩を護ろうとした意志も心も幸せに誇らしい、だから今も生きて還る。

―さよなら英二、いつか帰るから待っててね、

マスクのなか独り微笑んだ耳元、いつもの指令がルートとスタートを示す。
その無機質な声に呼吸そっと一つリボルバー握り直し、周太は駆け出した。

殺人ゲーム、

それが特殊急襲部隊SATの訓練だと言われたら、反論なんて誰も出来ない。
そんな現実を一週間で思い知らされた、まだ入隊テストでも手加減など誰にも無い。
それほどSATの現場は死線を駆ける可能性がある、だから選抜テストから厳正で当然だろう。
もし事件が起きれば如何なる場合も出動させられる、そんな予測不能の死線に合格すれば立ち続けていく。

―お父さん、こんなこと本当はお父さん嫌だったよね、なのになぜ此処に来たの、どうして大学に残らないで、

駆けて、躱して、撃つ、そんな緊張たちの連続に父の軌跡を追いかける。
聴かされた29年前の父の現実は疑問が多すぎる、なによりも父が「採用された」事は異様だ。
もう事実だと確信が深くなる祖父の罪、その存在を最も知っている男が警察中枢に在りながら、何故?

―お祖父さんと何があった人なの?

疑問が過る、けれど視覚も聴覚も標的を捕えて脊髄が反応する。
相手の発砲気配に体は反転して躱しながら手は拳銃を撃つ、そして壁に隠れる。
すぐシリンダーから空薬莢を排出して予備弾を装填する、その手順も慣れてしまった。
こんなふうに父も入隊テストを課された時間がある、それも自分と同じ「異例」の異動だった。

普通、特殊急襲部隊SATへの異動は一般警察官として最低3年程度の経験者が該当する。
その期間に精神と肉体の両面から健全か選抜された者だけが入隊テスト受験の提案をされる。
けれど自分は警察学校から数えても1年5ヶ月しか経っていない、それも提案では無く「命令」だった。
そんな現実は父も同じだったと今はもう解かる、だって父のアンザイレンパートナーは29年前の晩夏を教えてくれた。

『本を寄贈に来てくれたのが会った最後になったんだ、あの後から電話が通じなくなった、手紙を送っても返事が無くて家にも行ったけど留守で』

父が母校に蔵書を寄贈したのは警察官2年目の晩夏、自分と同じ1年5ヶ月が経つ頃だった。
それだけでも「異例」だと解かってしまう、けれど父は自分以上に有得ない「異例」がある。

『俺と馨さんは同じ身長だったよ、体格のバランスが良いからアンザイレンパートナーに選んで貰えて』

そう教えくれた父のアンザイレンパートナーは、田嶋教授の身長は175cm優にあるだろう。
けれどSAT入隊の体格条件は「屋内や隘路での行動を制限しないため」に「170cm程」と規定される。
だから父の身長は体格制限を超えて選抜要件を満たしていない、それなのに父は「所在不明」になった。

『警察庁に入った同期にまで頼んで探したんだよ、でも馨さんは警察の内部でも所在不明だった。それが警察でどういう意味なのか教えて貰えなかった』

警察内部ですら所在不明になる、そんな異動先は限られている。
そして父の最期を考えたらもう、父がこの場所を駆けていたのだと解かる。

―警備部の任務に就いていたのに所在不明なんて、ここ以外に無い、

もう推定じゃない、事実だ。

そう解かるから疑問は育つ、そして父の沈黙が語りだす。
だから今も父の29年前と同じ時間を駆けるまま全神経は集中する。
この今しか見つめられない時間に父の真実がある、ひとつ洩らさず全てを知りたい。

その意志に駆けて躱して撃って、けれど視界の端と聴覚の向こう「異常」が起きた。

「…っ、」

息呑んだ視界に振り返る、その彼方で一人、被弾に斃れた。







【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」】

(to be continued)

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秋涼の細雨

2013-10-04 21:10:26 | お知らせ他


こんばんわ、ちょっとだけ小雨の夜です。
久しぶりに県立図書館に寄ったんですけど、相変わらず古い空気が良い感じでした、笑
あそこは銀杏の黄葉するとき当ると窓からの眺めがホント綺麗です、で、昔ドラマの撮影もしたのだとか。

昨日の「山塊7」「初衣の花12」加筆校正が終わっています。
このあと昼UPした「煙幕3」の後半を加筆していくトコです。

取り急ぎ、



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第69話 山塊act.7-side story「陽はまた昇る」

2013-10-03 19:45:15 | 陽はまた昇るside story
Shall e’er prevail against us, or disturb



第69話 山塊act.7-side story「陽はまた昇る」

遠い、けれど微かにも唸りだす。

白い闇の彼方に遠雷は産声あげる、その咆哮は小さく続きだす。
もう間もなく雨が降る、そんな観天望気に風は頬を冷やして吹き下ろす。

「もうじき来るな、」
「だね、オマエの予報的中だよ、」

からり笑って応えながら明るい瞳は岩陰を透かし、空を見あげる。
大きく張り出す岩の向うは霧が深い、この水蒸気が全て地に墜ちるだろう。
そんな思案と見つめる視界の先、白い礫ひとつ遮って下草を弾かせ鳴った。

からん、

小さな音、けれど追ってまた白い礫は落ち跳ねる。
そして続けざまの衝突音たちに氷の雫は豪雨と降りだした。

「やっぱ降雹になったねえ、ビバークこの辺にしといて正解だったね、」

軽やかなトーンが響く岩場の空間、光一は両脚の間隔を狭めて腰を下ろした。
地には座らずしゃがんだ姿勢で頬杖つく、その隣に英二も同じよう腰下し腕組んだ。
避雷の基本姿勢は両足を揃えてしゃがみ両耳を指で塞ぐ、もし地に臥すと体内を誘導電流が分流して死亡事故に至る。
それに則りしゃがんだ岩窟はオーバーハングが深く降雹や雷撃からも護られやすい、そんな地の利からも思案が廻ってしまう。

―みんなも避けられているかな、降りだすまで時間は少しあったけど霧が濃いだけ、動きも 

この降雹も30分程で止むだろう、けれど落雷の可能性が高い。
濃霧とはいえ穏やかだった山は急転して雹と雨音に叩きつけられてゆく。
こうした天候変化は珍しいことじゃない、それでも昨秋に本仁田山で聴いた言葉が浮んでしまう。

―…ここの雷撃死現場は標高920mあたりでした…どうやら地形や天候の条件もあるようですね。
 春先の陽射から一転して集中豪雨になりました、寒冷前線が通過したわけです…空には積乱雲が発生して…
 八王子で5ミリ位の雹が降りました…こうした気象条件では雷撃死の他には、低体温症や心臓発作も誘発されやすい

あのとき吉村医師が教えてくれた事例は春、4月26日に発生した界雷による事故だった。
今は秋、事例とは違う季節で濃霧の差はある、けれど急転と降雹は同じ気象状態だと考えた方が良い。
そうすると吉村が言った可能性を考えなくてはならないだろう、そんな思案と見つめる岩の軒先に咆哮が響いた。

「鳴りだしたね、」

低く笑って光一は右耳へ指を入れ塞いだ。
それに倣って英二も左耳を塞いで公務から尋ねた。

「国村さん、どの隊員もビバークポイント近くに落雷の安全圏はありますよね?」

雷鳴が聴こえれば既に落雷の危険域、豪雨が始まってからの退避は逃げ遅れになる。
積乱雲が見えたら安全圏に避難することが一番良い、けれど山では安全確保が難しい場所もある。
それでも隊員たち全員は大丈夫なはず、その思案に山育ちの山岳レンジャー小隊長は明朗で応えてくれた。

「こういう岩場か送電鉄塔やデッカイ木があるね、全員が解かってルート採ってるよ、」

山での落雷における安全圏は今居るような大きく張り出した岩陰や洞窟の奥、ただし酸欠に注意する。
次に、5%以内の危険はあるが比較的安全な場所は、5~30mの樹木頂点へ迎角45度の地点が保護範囲となる。
30m以上の樹木なら半径30m以内全域、これら樹木の場合はいずれも張りだす枝先から4m以上離れる必要がある。
送電鉄塔なら2m離れた所が保護範囲とされ、逆に5m未満の樹木や岩の周辺は保護範囲が無く側撃雷による死亡事故が多い。
そのため山頂や尾根上など疎林地帯は保護範囲が無く危険度高、テントもポールへ落雷して側撃電流に遭う可能性が強い。
こうした条件が落雷の安全確保にはある、そんな基礎知識を初めて現場に見つめながら英二は先輩かつ上官に尋ねた。

「どのチームも保護圏内の確保は出来そうですか?」
「だね、その辺も昨日チェックしたし、全員プロだしさ?」

からり笑って応えてくれる笑顔は2ヶ月前より頼もしい。
元から光一は簡単に動じない強靭がある、そこにまた責務と立場で研かれたのだろう。

―この1ヵ月半で変ったんだな、光一は…周太も、

思案にまた俤ひとつ浮んで、今、どうしているか偲ばれる。
自分は奥多摩山中の雹と雷鳴に囲まれて、この同じ東京の空でも周太は別世界に佇む。
さほど遠くは無い場所、けれど違い過ぎる今この瞬間の現実にため息吐いた口許、ふっと異様な味に小さく叫んだ。

「…来るぞ!」

落雷の起きる直前、地電位変化で口中に異常な味を感じることがある。
または髪の逆立ち、皮膚の突っ張り感が奔るなど体感に兆すケースも少なくない。
そんな一つの発生に両耳とも塞いで瞳を閉じる、そのとき咆哮が天墜ちて轟いた。

―落雷だ、

意識に単語が映るまま電撃音は皮膚から震わせ轟く。
振動する大気に雷鳴は次を降らす、その連続音が谺に山を共鳴する。
樹幹を震わす振動は地鳴るようで霹靂のフラッシュが瞑った視界にすら蒼い。
音と光の影が交錯してゆく時間にしゃがみこんで通過を待つ、その隣すぐ透明な声が呟いた。

「…山が吼えてるね、季が動く、」

本当に今、山が吼えている。

雷鳴、地鳴り、閉じた視界すら紫閃いて轟音が砕ける。
岩洞に護られた空間は仄暗い、けれど光も音も振動すら五感を貫く。
もうじき山に生き始めて一年、雷雲のさ中は初めての経験に全身が敲かれる。

―雷ってこんなに振動を起こすんだ、光も音も、雹まで、

視覚、聴覚、触覚、味覚すら地電位変化で変えられた。
地を敲く降雹と雷電は空と山の咆哮、そんな納得に肚底から揺すぶられる。
こんな荒天でも山岳レスキューに生きる限り登らざるを得ない現場もある、だから今ここに居る。

個人的に山行するだけなら悪天候を知りながら登るなどしない、遭難のリスクが高すぎる。
だから天気図を読む技術は山ヤにとって重要で、この荒天も予測の裡だった。
けれど山岳救助を公務に就く自分たちは荒天こそ山と人に呼ばれる。

―こういう現場でも駆ける時が来るかもしれない、今も、

雷撃音と雹瀑の飛沫が今、山を雷雲に包んで轟かす。
こんな時には誰もが動けない、人間だけじゃ無く野生獣すら避けて隠れる。
こんなふうに山懐は生きる命の全てを平等にしてしまう、こんなことも昨春の自分は知らなかった。
けれど今こうして五感全てに知ることが出来る、そして山岳レスキューにある心が肚にまた坐ってゆく。

「…よかったな、俺、」

独り言に微笑んで今、こんな時間にすら感謝が温かい。
術無くうずくまるだけ、そんな自分の等身大を今知らされて良かった、そう温かい。
今10分ほど前は「あの男」に対する怒りと哀切に裁断の傲慢があった、それすら霹靂の前には小さい。

―人間のやってることなんて小さいな、だから余計に肚立つんだ、俺は、

ことん、憎悪の納得と謙虚が静かなままに坐ってゆく。

馨も晉も山を愛していた、英国生活でも登山したと祖母へのエアメールで読んだ。
そんな馨だから山雷も遭ったと日記は記憶を遺して、そのとき隣に居たのは田嶋教授だったと今は解かる。
山を愛し文学を愛した二人は悪天候の時すら援けあえるパートナーだった、けれどアンザイレンを一人の男に裂かれた。

―あの男はこんな世界も知らない、全て知った貌の正義面して、

法の正義、

そんな人間的都合が晉と馨の人生を捕え、利用して、殺した。
それが小さい事だったと今こんな時間にこそ思い知らされて、行き場を失くして、苦しい。
だからこそ熾きてゆく冷酷を宥めるよう雷鳴は間隙を広くしながら降雹から雨音へ変わりだす。
もう口中は無味に戻り皮膚感覚も治まる、そして音も閃光も消えて開いた視界にテノールが笑った。

「雷サン行っちゃったね、イイ避雷訓練になっちゃったな、英二?」

いつもの明るいトーンに、ほっと肩の力が抜かれてくれる。
それでも岩陰の薄暮、底抜けに明るい目が覗きこんでパートナーは訊いてくれた。

「おまえ、雷サン鳴ってる間ずっと考えこんでたね?セッカクお初訓練なのにさ、」
「当り、ごめんな、」

見抜かれたな?
そんな素直な感想に微笑んで英二は立ち上がった。
隣も一緒に立ちあがり、くるり首ひとめぐり回すと真直ぐ明眸が笑ってくれた。

「あの男に怒ってたね?山を好いてくれてた晉サンと馨サンの為にさ、」
「うん、ごめん、」

逆らわず認めて微笑んだ肩を、ぽん、掌ひとつ敲かれた。
いつもどおり軽やかな仕草にまた力は抜かれてくれる、そんな想いに山っ子が微笑んだ。

「よし、ちょっと目つき治ったね?巡回行くよ、」
「そんなに俺、目つき変?」

訊き返しながら岩洞を出た視界、薄陽が瞳を細めさす。
降雹と豪雨に霧は解かれて、遅い太陽が雲透かして雫を輝かせる。
水きらめく梢から光が揺れて降る、その瑞々しさに微笑んだ隣から頬小突かれた。

「やっと別嬪笑顔になったね?さっきまで美貌の死神って貌してたよ、ホント麗しの魔王ってカンジ、」

死神、そんな表現に納得してしまう。
確かに自分の思考はそんな状態だった、そう認めて英二は笑った。

「そうだな、ちょっと死神だったと思うよ、俺、」
「ふん、気持は解かるけど思い詰めすぎないでね、」

さらり笑ってくれながら肩並べて歩いてくれる。
登山靴ゆれる木洩陽に山が晴れてゆく、その陽光に樹木も草も雫の光が充ちる。
はたり、零れる水滴から太陽のかけら輝いて今この瞬間が明るい、そんな光景に祈りたくなる。

―ここに連れてきてあげたい、必ず…周太、

あのひとを今、この瞬間に攫って来られるなら良いのに?

樹木を愛する人だから今、この瑞々しい光の時を見たら笑ってくれる。
水満ちる大気に息吹する木肌、滴らす雫に彩らす梢、光揺らす葉ひとつずつ。
いま呼吸する口許にすら香も光も澄んで優しい、この時間に佇んだ笑顔をただ見つめたい。

そう願うけれど今は叶わないと知っている、それを本人が望まないことも解かっている、だから哀しい。

「ほらっ、ボケッとしない!足場が緩いからね、」

また隣から声かけられて英二は足を止めた。
振り向いて見つめた真中、底抜けに明るい目が真直ぐ笑ってくれる。
その眼差しにある優しい厳しさに呼吸ひとつ笑って、平手一発また自分の頬を撃った。

ぱんっ、

小気味良い音が樹間を響いて意識が徹る。
軽く振った頭のクリアに英二は綺麗に笑った。

「ごめん、気合い入れたから大丈夫、」
「よし、ちゃんと山ヤの貌に戻ったね、行くよ、」

ぽん、また軽く肩叩いてくれながら並んで歩きだす。
たった30分ほど、けれど充たされた水分に山の土は軟らかい。
こんなとき滑落の危険が高くなる、そんな思案に歩く道すがら異臭が突いて声が出た。

「焦げ臭い、落雷この近くじゃないか?」

苦く、饐えた炭化臭が感覚を捕えてくる。
濡れた焚き木を燃やす香と同じ匂い、その臭気に鋭くテノールが言った。

「あそこだ!」

声に振り向いた尾根近く、蒼くかすかに燻り昇る。
あれは煙だ、そう認識した隣から救助隊服姿は駆けだして英二も続いた。

―火だけは熾きないでくれ、

落雷で山火事が起きることがある。

もし早期鎮火が出来なければ山ひとつ焼尽するかもしれない。
特に、道路も無い山深いポイントで出火すれば消防自動車も容易く入れず、鎮火は遅れる。
そうなる前に早く火を鎮めることが山火事を防ぐ、その知識に駆ける前を長身の背中は速い。

―山火事なんて光一は大嫌いだろうな、農業と登山の両方で、

山っ子、そう呼ばれている光一は兼業農家の警察官でいる。
その農作は奥多摩らしく山地の梅畑も含まれて、当然、山火事は忌避事項だろう。
なにより山火事は大樹をその星霜ごと灰燼に滅ぼす、そんなことを山っ子は赦せない。
その気持ちは自分も他人事じゃない、山ヤで山岳レスキューである一人として山を護りたい。
そして森林学に夢追う人を知っている、その人が今立つ場所を想うほど尚更に大樹も若木も護りたい。

―周太に見せたい、この山をこのまま見せたい、もう俺の故郷だから、

もう奥多摩は自分の故郷、そう肚から全身が想って走る。
ここで生きた時間は未だ一年に満たない、けれど心ひとつ抱いて登山ザックの背を追い駆ける。
その視界に蒼い煙の根元を捕えて、英二は腰しばった青いウィンドブレーカーを解き左腕に巻いた。
駆け寄った幹は裂かれ折られた底に朱いろ燻ぶらす、そこに濡れたウィンドブレーカーごと左拳を突っ込んだ。

「英二!」

至近距離すぐテノールが叫んで肩から抱きついた。
がっしり左上腕が抱えこまれて、けれど深めた拳に山っ子が怒鳴った。

「やめろっ!拳がダメになる無茶すんなっ、やめろ英二!」

怒鳴りながら強い力で引き離そうとしてくれる。
その声に腕に叫んでくれる通りだろう、けれど動かず英二は拳に叫んだ。

「消えろ!」

じりっ、左中指に痛覚が刺して人差指に広がる。
それでも抜かずに英二は煙見つめたまま怒鳴った。

「光一、このまま水掛けろ!」
「もうやるよっ!」

怒鳴り声返ってすぐ大型水筒からざぶり注がれる。
青い布ごと水濡れてゆく、冷感が腕を落ちて拳に透りだす。
冷たい、そう中指まで感じた時もう肌全てから火の気配は消えた。

「…消えた、」

ため息ごと拳をそっと抜いて、幹の中を目視する。
もう緋色は見えず煙すら居ない、それを確認して微笑んだ途端に左腕を掴まれた。

「馬鹿野郎っ!ナニ無茶やってんだよっ、ザイル握れなくなったらどうすんだ馬鹿っ!」

怒鳴り声に叩かれて見つめた真中、雪白の貌が唇噛んでいる。
この貌は青と白の世界、アイガー北壁で起きたオーバーハングの風にも見た。
あのとき知った感情と体感を想いながら英二は腰下し、ザイルパートナーに笑いかけた。

「ごめん、でも山火事なんて嫌だったんだ、もう奥多摩は俺のふるさとだから、」

笑って左腕を掴む手に手を重ねて、そっと引き離す。
そのまま解く青い生地は拳の先から黒く毀れて炭化が落ちる。
やっぱり山火はウィンドブレーカーを焼いてしまった、その予想に笑って全て布解く。
そして現れた登山グローブ嵌めた左拳の真中、中指と人差指の布は崩れて素肌が覗いた。

「光一、大丈夫だ、ほら?」

ゆっくり拳開きながら笑いかけた前、透明な瞳が拳を見つめてくれる。
竦んだ長い睫ゆっくり瞬かせて、底抜けに明るい目が安堵ごと笑った。

「大丈夫ってもね、赤くなってんよ?さっさと手当しちまいな、その間に俺は無事確認やっちゃうからさ、」

言いながら背後にまわり登山ザックからケースを出し、渡してくれると光一は無線を始めた。
渡してくれた救急用具ケースは遣い始めてじき一年になる、これを贈ってくれた医師の笑顔が懐かしい。
まだ一年も経っていない、それでも遠いほど多く見つめた時間たちごと開いたケースに幾つもの器具は並ぶ。
どれも遣いなれた自分の大切な救命道具たち、けれど、禁じられた部品たちも沈黙のまま共に納まっている。

“ Mon pistolet ” 私の拳銃

そう晉が記した一つの銃火器は今、分解されてケースの中に眠っている。
Walther P38と呼ばれる太平洋戦争の遺物、これを晉は戦後も一度だけ遣ってしまった。
そして生まれた連鎖は晉も馨も捕えこんで今、その根源に周太は独り立って向き合おうとしている。
だから想ってしまう、この拳銃があの日あの場所に存在していなかったなら今、誰もが幸せだったかもしれない。

だからこそいつか再び、これを組み立てる時が自分に訪れる?

―必ずケリ着ける事になるんだろうな、あの男なら、

未だ会ったことの無い男、自分の標的物は今、どこで何を想うだろう?
彼は自分の存在を少しだけは知って、けれど正体は未だ知らず安閑と高を括っている。
きっと自身の才能と運に揺るがないまま連鎖の成功を疑わない、そして、正義だと信じ込んで聳やかす。

それでも、いつか真実を知った時どんな貌をするだろう?そんな思案に微笑んで英二は感染防止用グローブを右手に嵌めた。






【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」】

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晴間の空、青×朱

2013-10-02 22:27:36 | お知らせ他


こんばんわ、雨・曇り・晴れと目まぐるしかった神奈川です。
台風の影響なんですけどね、こういう時って空が綺麗なんでちょっと撮って来ました、笑



いま第69話「山塊6」と「初逢の花9」の加筆校正が終わりました。
このあと第69話の続きか短編をUP予定です、

取り急ぎ、




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第69話 山塊act.6-side story「陽はまた昇る」

2013-10-01 22:42:41 | 陽はまた昇るside story
That all which we behold Is full of blessings.



第69話 山塊act.6-side story「陽はまた昇る」

無理心中じゃない、他殺だ。

そう声にした推定事実を、ゆっくりと山霧が消してゆく。
白紗に籠める静謐の底、ぱちり焚火は爆ぜて緋色の霧ゆらぎ金粉が飛ぶ。
ふたり並んで向き合う炎と霧のなか、ほっと溜息こぼれて透明な瞳が微笑んだ。

「世界的な学者で人格者、ソンナ男が母校の教授席に拘り続けた挙句の逆恨み心中ってコト、一部じゃ有名だってサッキ言ったけどさ?
ソレって『心中』に納得出来ないモンだから理由探しの推測ってヤツなんだって思うよ?ソンナ拘り人間が心中で名誉を捨てるなんて、変だ、」

ぱちっ、がらり。

また火の粉きらめいて薪を燃え崩れさす。
その音は霧の底に響いて冷気を温める、そんな緋色に英二は微笑んだ。

「光一が言う通りだ、デュラン博士みたいなタイプが心中なんて違和感がある。彼の論文とかWEBで読んだけど、確かにプライドが高い印象なんだ、
それでも文学に対する愛情は深いなって感じたよ、だから教鞭を執りたい意識も高いし出世欲も当然あって当たり前だと思う、だからこそ操りやすい、」

操りやすい、そう断言した前で透明な瞳が真直ぐ見つめてくる。
この眼差しに知られているまま英二は素直に笑いかけた。

「光一に惚れちゃった俺の同期、内山っているだろ?あいつもプライドが高いし出世欲が高いから、色々と拘り易いとこあるんだよ。
あいつをサンプルに考えるとさ、晉さんへのライバル意識を煽られたらデュラン博士がパリ第3大の教授職に拘るのも当然だろうって解るよ、」

話しながら薪をくべ直す手許、火影ゆらり熱を掠める。
その熱さも炭郁らす煙も馴染んでしまった、そんな年月を想いながら言葉を続けた。

「あいつが周太によく話しかけるって俺、いつも嫉妬してたろ?あれはさ、周太が同期の首席で特別扱いも多いから内山も気にしてたんだ。
だから初任総合の時には内山、しょっちゅう俺に話しかけてきたよ、俺がクライマー枠で正式任官した事で幹部候補生だって認識したからだ。
7月の遠征訓練の前に俺、内山と呑みに行ったろ?あの時あいつ自身が言ったよ、キャリアと出世競争するのは俺と自分だからって言ってきた、」

 地域部長の声掛かりって聴いて俺は正直なところ羨ましいよ。
 きっと宮田なら、昇進試験も順調に合格するだろうって思う。それは俺もやりたいことだ、
 俺はノンキャリアでも出世して見返したいって気持ちがある。だから宮田のことライバルだと思ってるよ?
 たぶん同期のなかでキャリア達と出世競争の土俵に立てるのは、俺と宮田だけになると思う。だから俺は宮田のこと信用したいんだ。

七月のあの夜、そんなふうにエリート指向の同期は笑って共同戦線を申し出てくれた。
あの言葉たちと笑顔はデュラン博士と晉の関係を知るサンプルになる、そう考えるままを言葉にした。

「あいつが俺をライバルって考えるのは俺の祖父を知ってる所為もあるんだ、光一も知ってるけど祖父は検察庁の次長検事だろ?
司法のトップにいた男の孫っていうのも内山がライバルとして認める理由なんだ、だから訊いてきたよ?なぜ東大受けなかったのかって、
そういう発想はさ、ライバルに認めるなら自分と同じ最高学府に相応しい男であるべき、っていうプライドの拘りがあるから出る訳だろ?」

 宮田は本当に宮田次長検事のお孫さんかもしれないって思ったんだよ、だから一度、サシ飲みで話してみたかった。

そう笑った内山の貌は「同レベル」への親近感があった。
ああいう感覚はエリート指向が高いほど強い、それは祖父や父の知人達の姿に知っている。
きっとデュラン博士も同じような貌をしていたろう、そんな過去を想う前からテノールが言ってくれた。

「東大クンが英二と同レベルでライバルしたいのと同じに、デュラン博士も周太の祖父サンと同じに母国最高の大学教授職を拘って当然だろね?
ソコントコ突つかれてプライド刺激されたらさ、周太の祖父サンを好きな分だけ焦って悩んで、変な思い込みにも操りやすいかもしれないね、」

相手を好きだからこそ並びたくて、焦って、煩悶してしまう。
そんな心理は自分も実体験から知っている、その想いに英二は笑いかけた。

「そういうの俺も解かるんだ、周太や光一に追いつきたくて俺も焦って悩んでたから訓練とか必死でさ、昇進も嬉しいなって思うよ?
自分もそうだから解かるんだよ、デュラン博士が操られた気持ちも、内山が光一に惚れた弱みまで遣って俺とライバルしたがるのも解かるよ、
内山のヤツ、光一の事で弱みと借りを作ったから俺は出世競争の敵には回せない、これは信用証書だって言うから一筆書いてもらったよ、ほら、」

笑って手許の手帳をページ繰り、隣へと差し出し見せる。
そこに書かれた文書を眺めて光一は瞳ひとつ瞬かせ、大笑いした。

「あははっ、コレをあの東大クンが書いたんだね?シッカリ拇印まで押しちゃって立派な証書だな、」

“ 2012年7月X日 私、内山由隆は宮田英二殿に対して国村警部補への恋慕で泣いた秘密の借りがあります。[拇印] ”

日付と名前、あとは俺には泣いた秘密の借りがありますって書いたら?
そんなふう呑んだ夜に自分は内山へ言って、この手帳に一筆残してもらった。
その几帳面な達筆は言われた通りのまま明確に綴ってある、そんな文面に英二は微笑んだ。

「こんなの書くほど真面目でプライド高い男なんだよ、だから思いつめやすいし頭良い分だけ考えこむからマインドコントロールされやすいんだ。
こういうのデュラン博士も同じだったと思うよ、それを『あの男』なら気づいて利用するのは簡単なんだ、そういうの晉さんも気づいていたんだよ?
友人って顔して近づいてくる男が何を考えているのか気づいたから、絶対に馨さんは近づけないよう気を付けていたんだ、田嶋教授が言うように、」

“ その人が来る時はいつも馨さんが居ない時ばかりだったんだ。で、私が代りに茶汲みしてたんだよ ”
“ デュラン博士と先生と3人だけの時はまだ良いんだけどさ、警官サンが来る度にナンカしら私は失敗したよ ”

さっきレコーダーから聴いたばかりの証言たちが、ひとつの意志を30年から超えさせる。
東京大学フランス語フランス文学研究室、そこで廻らされた二人の攻防と堕ちた友情とプライドのリンク。
その全てを晉は独り負わされたまま最期、最も信頼したかった親友でライバルと諸共に「殺された」道程を英二は言葉にした。

「デュラン博士が東大に来るたび『あの男』も来れたのは、有名な学者だから警護があるって建前でスケジュールを把握したんだと思う。
マインドコントロールはいわゆる聞き上手を遣ったと思うよ、相手から惹きだした話から相手の求める事を応えるフリして吹き込む遣り方だ、
たぶん博士の研究成果を褒めたと思う、発表のタイミングが晉さんが一歩速くてデュラン博士と似ている論題のものを調べて、それを褒める。
それからパリ第3大の教授職を思い出させるんだ、そうすると教授職を認められないのは晉さんが似た論文を出す所為だって考えたくなるだろ?」

晉とデュランは同じ分野を専攻する学者同士だった。
専門が同じなら当然のこと研究テーマも類似するだろう、それを偶然とするか作為と考えるか?
それを利用したマインドコントロールを解く向かい、怜悧な瞳は真直ぐ見つめながら教えてくれた。

「二人ともメインは韻文の研究なんだよね、作詩の背景とか調べてさ、作者の意志に忠実な翻訳や解釈をするっていうので有名だったワケ。
で、湯原博士は和訳と英訳の両方で天才だったからオックスフォードにも招かれたし、仏文の和訳で名文って少ないから実績がデカいらしいね、」

どこの言語を母語とするのか?

それは文学者にとっては素質であり天与の運かもしれない。
こうした替え難い要素にすらデュランは苦しんだ、その痕跡に英二は問いかけた。

「デュラン博士は亡くなる前日の日記で晉さんのこと『私の愛するサムライ』って書いてる、この『侍』は日本の立派な男って意味だろ?
あまりに友を見つめ愛しすぎた、心を重ねすぎて学問までも重なった、もう晉は自分だ…そんなふうに書いたのは生まれた国ごと羨んでるかな?」

生まれ落ちた国、母語にした言葉、その国境で晉とデュランは何を想うのか?
異郷に生まれて出逢った学者たちの想いと最期に思案する隣、山っ子が微笑んだ。

「だね、デュラン博士からすると不運って思ったんだろね、日本人に生まれていたら実績を作り易くって教授になれたのにって恨み節。
だけど周太を見てると解かるよね?和訳と英訳の両方で名文を創れるのがキッカケで、周太は東大の研究生にタダでなれたちゃったんだろ?
その才能ってジイさんからオヤジさんに流れて周太も受継いでる、3代続けて翻訳の天才って余程のモンだからね、運の問題だけじゃない、」

運の問題だけじゃない、それは事実だろう。
そう想えてしまう裏づけに祝福と哀切の二つから英二は微笑んだ。

「前に光一、湯原の家は砲術方だって調べてくれたけどさ、最新の技術を知るため西洋の本も読んだよな?だったら翻訳はお家芸ってことなんだ、」
「だね、」

短く応えて光一は薪ひとつ炎へとくべた。
からり軽やかな音から火の粉きらめいて黄金が舞う、その光が温かい。
また山の大気は冷えこんでゆく、そんな天候変化に深呼吸ひとつで任務の意識へ替えた。

「いま寒冷前線が通ってるな?霧で見えないけれど上空は、積乱雲が発達しているかもしれない、」

観天望気に見あげた頭上、濃やかな白に視界は遮らす。
この不分明に瞳細めた向かい、光一も空を仰いで直ぐ無線機を取出し告げた。

「界雷と降雹の危険アナウンスやるよ?第2小隊全員と奥多摩交番、奥多摩の山小屋全部だ、」







(to be continued)

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華燈火act.3―morceau by Dryad

2013-10-01 00:05:15 | morceau
A ce bel œil adieu je n'ai su dire,
Another sky of Y



華燈火act.3―morceau by Dryad

梢の風に光ふる、その明滅がページを揺らす。

ぼんやり座りこんだベンチは葉擦れだけが流れて、森閑の静謐は優しい。
古い住宅街の一角にある自分の家、けれど穏やかな森の深みが鎮まらす。
ずっと生まれた時から馴染んだ庭、それなのに今、木洩陽ふる音も違う。

「…来てくれたから、かな…」

ひとりごと零れた唇に、太陽のかけら揺らす風が接吻ける。
そっと撫でる光の温もりは懐かしい、それは夜の時間と似た瞬きと消えてしまう。
この瞬きを掴まえられたら幸せだろうか?そう想った途端シャツの襟首を熱が逆上せた。

「っ…あ、ばかっ僕なにかんがえてるのだめっ」

誰もいない庭、けれど恥ずかしさに自分で叱責してしまう。
それなのに遠い夜と同じ香が頬を撫でて、記憶の瞳が自分を見つめる。

―…おまえが好きだ、

ほら、もう声まで蘇えってしまう。
きっと今朝の現実に声を聴いたから今、こんなふう声が蘇える。
だから眼差しも記憶から見つめてしまう、あの切長い瞳が膝のページに明滅する。

―…おはよう、朝早くごめんな?急だけど俺、
  明後日まで奥多摩の訓練に行くことになったんだ。それで今、ここから庭見させて貰おうと思って、

今朝の声、今朝の笑顔と眼差し、それから陽に透けるダークブラウンの紅い髪。
樹影に佇んだ長身は異国の物語に生きる紅髪の騎士だと想わされた、あの横顔の陰翳が心響く。
本当は明日この庭を見に来てくれる約束だった、けれど今朝、ほんの30分だけ佇んで山に行ってしまった。

「明日、楽しみにしてたのにな…」

また言葉こぼれて葉擦れの光に消えてゆく。
この庭に親しい人を招くことは嬉しい、だから明日は楽しんで貰おうと想っていた。
夏の終わりの茶を点てようとも考えて、新しい論集も見てもらいたくて、書棚が増えた屋根裏部屋も見せたかった。
けれど明日は来てくれない、それは彼の立つ任務に大切な訓練のためだからと解っていても、それでも肩透しに寂しい。

―僕のこと本当は顔合わせるの嫌なのかな…後悔しているのかもしれないし、ね…

ずっと考えていた思案に、ため息こぼれるままページひらり風めくられる。
やっぱり彼は後悔しているのかもしれない、あの夜は寂しさの過ちだったと後悔して、だから避けている?

『おまえが好きだ、』

ほら、あの夜の声は記憶から微笑んで、けれど今はもう過去。
そう想うまま鼓動が軋んで痛む、それなのに懐かしい夜が告白を始める。

『今夜だけ俺の恋人になって?』

今夜だけ、あの夜だけ、だから今はもう過去になって後悔しているの?

『唯一度だけあれば全て忘れられる、だから今夜だけ恋人になる幸せを俺に贈って?おまえに恋した全てを今夜に懸けて失恋したい、』

唯一度で全てを忘れたから、だから今朝も何も言わずに行ってしまったの?

『今夜もし叶えてもらえなかったら恋は終われないから、迷惑になるから二度と連絡しない、』

迷惑じゃない、連絡が来ないなんて嫌だ、だからあの夜を自分は選んだのに?

『俺と友達でいたいって想ってくれるなら今夜だけ、唯一度の恋人になって?』

ずっと傍にいたいから友達でいたい、だから、あの夜だけでも願いを叶えてあげたかったのに?

『今夜だけは俺に恋してよ?俺だけの恋人として君を抱いて幸せになりたい、今夜だけは幸せになりたいよ…俺を嫌いじゃないなら、』

嫌いなわけなんて、ないのに?

「どうして…今夜だけはなんて、言ったの?」

独り聲こぼれて音になる、けれど応えてほしい人は行ってしまった。
本当は応えてほしいことが心あふれている、あの夜からずっと答えが欲しい。

どうして今夜だけはと願ったの?
どうして自分を一夜だけの恋人にしたいと望んだの?
どうして自分を抱いて幸せになれるの、どうして自分を選んだの?

どうして、男のあなたが男の自分を望んで、恋したと告げて、唯一夜で全てを忘れたの?

「どうして?…僕は男なのになぜ恋してくれたの、どうして僕だったの…どうして僕を」

訊きたい、どうしてなのだと教えてほしい。

あの夜で彼は終わったのだとしても自分は違う、それが何故なのか教えてほしい。
あの夜に自分が見つめた全ては夢じゃない現実、けれど朝にはもう夜の全てが消えていた。
脱がされたはずのシャツを自分は着ていた、整えられたベッドで自分は目覚めて、隣のベッドは空だった。

『おはよ、寝顔ほんと可愛いな、二日酔いとか大丈夫?』

笑いかけられて起きあがった向こう、ソファに居たのは夜の前と同じ笑顔だった。
すっきりとしたビジネスホテルの一室、ネクタイ姿も美しい彼は端整に座っていた。
いつも通りに彼は笑って新聞を読んで、一緒に朝食をとって、そして行ってしまった。

全部、夢だったのかな?

そんなふうに彼の笑顔と部屋の状況に想えて、何も訊けなかった。
体はすこし軋むよう怠くて、それも昨夜に呑んだ缶ビールの所為だと独り納得してしまった。
それなのに夜、風呂の灯りに見た肌は無数の薄紅の花が咲いて、全身を触れられた痕跡はあざやか過ぎた。

「…どうして何も言ってくれないの、僕には…はじめてだったのに、」

あの夜、自分は初めて人と肌を重ねた。

ずっと好きな女の子が自分にはいる、初めてのキスも彼女だった。
ずっと出逢った時から想い育まれて、仲良しのまま同じ大学に進んで、恋を意識した。
そして二十歳を迎えた成人式に想いを告げあえて、初めてのキスをして、恋人同士と微笑んだ。
けれど体を重ねることはまだ一度もしていない、結婚を考える相手だからこそ触れないで大切に想ってきた。

だから、あの夜が自分にとって初めての大人の恋だった。

「どうして英司…どうして何も言ってくれないの、あれから一度も、何も…どうして、」

どうして?

どうして彼は自分を抱いたのだろう?

あんなに美しい青年、あんなに優秀で有能で、幹部候補生との噂も高い男。
そんな彼を自分は羨ましいと想った事がある、同じ警察学校生として憧れて尊敬していた。
もう今の自分は警察を辞している、それでも同期生であり友人であることは誇らしくて嬉しい。

なによりも唯、好きだ。

「英司、僕は…あなたを好きなんだ、ただ好きなんだ…だから初めてなのに僕は…こわかったけどぼくは」

唯、好きだ。

あの青年が好きだ、真直ぐで美しい彼を好きだ。
ずっと父の死を泣いてきた自分、その想いごと時間を傍で支えてくれた。
そんな全てが自分には宝物だったから、だから初めての肌すら許して彼に応えたいと願った。

それなのに彼は全て忘れてしまった、今日なのに、彼は何も言わず30分だけ過ごして行ってしまった。

「どうして…好きな人まで裏切って僕はどうして、どうして…どうしてなの、英司…?」

想い、あふれて声に零れてしまう。

あの秋の夜からずっと訊けない想いが、今日だから止まらない。
あれから時を経るごと解らなくて離れない、あの夜に彼は何を望んだのか、自分は何を求められたのか?
あの夜の瞳は誠実だった、真直ぐ自分を映して願ってくれた、だから全身を委ねてしまった夜は忘れ得ぬまま離れない。

けれど彼は忘れてしまった、今日だから明日、せめて明日一日を一緒に見つめたかった願いすら叶わない。

『おまえが好きだ…唯一度だけあれば全て忘れられる、だから今夜だけ恋人になる幸せを俺に贈って?』

あんなふうに言ってくれた心はもう、どこにも無いの?

あんなふうに言った通りあなたは忘れて心は消えて、あの夜に生まれた自分の想いだけが置き去りにされる。
あの夜が初めてだと自分は告げて、それを知りながら自分を抱いて刻んだ想い、その全てが消えてくれない。
こんなことになるなんて想わなかった、それでも後悔しないと決めた心から刻まれた想いの雫が頬を墜ちる。

あの夜があなたの終わり、けれど自分には始まりになってしまったのに?

「英司、僕は…忘れるなんて出来なくて解らなくて、だから明日は…あしたは」

あの夜が明けた朝、あの朝の続きを知りたかった、だから明日、あなたと時間を見つめたかった。



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