病を見ずに「ヒト」を診たいと想うのです

2008年01月26日 | Weblog
ぼくには「この症状にはこの治療法」という考え方が

そもそもありません。

「どのような問題のために、どのような症状が現れているのか。」

同じ症病名でもけっこう違うからです。

同じ傷病名でも個々のケースで治療的な介入をすべき「勘所」がけっこう違うので

通り一遍のマニュアルに縛られ、盲目的にマニュアルどうりの手順をなぞるのでは

効果が薄いと考えています。



保健医療では「傷病名」に対して点数が付くようで、

とにかく何らかの「病名」をつけなきゃいけないようです。


そして、それを受け取る側(治療サイド)に目の前の患者さんの状態を

正確に把握する力がないと悲しい事が起こります。


33歳で脳出血から半身に麻痺を負ったAさん。

一命を取りとめ、懸命にリハビリに励むAさん。


うちの治療院に来た時、彼は一生懸命に「歩いて」いました。

また以前のように動けるようにと、一生懸命に「歩いて」いました。


いま彼は、見違えるように回復しています。

私は彼に一般的な麻痺の患者さんへのリハビリとしてはちょっと過激な内容を

あえて処方しました。

だって、それ位できる状態だったし、

それが出来ないと「軽い介護を受け続ける」程度にしか

回復が見込めないと思えたからです。


彼はとても子沢山。

まだまだ隠居はできません。

バリバリ働いて、子育てせにゃならんのです。

彼の仕事は「歩ける」だけでできるような「やわい」仕事ではありません。


なのに「歩け」?


目の前の「ヒト」を診ましょう。

目の前の「ヒト」が「ヒト」として、社会復帰するする事を

より高いレベルで実現するために。


Aさんとの治療やコンディショニングを通して、

いろいろ考えさせられるところが多々ありました。

その一つが、「病名診断」に対する問題点です。


Aさんは脳へのダメージを負ったせいで

半身が思うように動かない半身麻痺です。

でも、幸い軽度です。

何とか「歩く」事ができます。

何とか「字を書く」事ができます。


父親として「復活」するために、

ただひたすら「歩いていた」Aさん。


軽度なので「ここまで回復すれば大したものだ!」って

後は生活する中で自然と治るのを待つか、

自分で努力してね

って

そんな治療家サイドの怠慢を感じてしまうのは僕のエゴだろうか…


いま、彼は「走る」事ができます。

いま、彼は「ジャンプする」事ができます。

いま、彼は「上手に字を書く」事に挑戦しています。


わたしには、彼がただ歩いているだけでここまでの回復が「自然と」起きたとは

どうしても思えないのです。


自分自身、何が言いたいのか

正直うまくまとめられません。



ただ、

わたしはこれからも、病を見ずに「ヒト」を診たいと想うのです。

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