地蔵院を出ると両側に10軒あまりの露店が建ち並ぶトンネル(屋根付き通路=元祖アーケード街?)があります。 ここを抜けると、四国88カ所51番札所石手寺です。
店では石手名物やきもちや手作り仏壇用ほうき、じゅず、お子様向けのくじなどが売られていました。
石手寺山門の手前から露店を見たところ
アーケードを抜けると、石手寺の山門です。 大わらじがつるしてありました。
石手寺は今年県下の初詣所の中で一番人出が多かったとか。 この日も大勢の参拝客でにぎわっていました。
境内。
線香の煙がただよっています。 向こうに見えるカラフルなものは折り鶴です。 何かの祈りを込めて供えるのでしょう。 長机が用意され、その場で折っている人もいました。 近くに行って確かめたら良かったかな? そこかしこに積まれている段ボール箱は?
本堂は階段を上った奥にありました。 手前には弘法大師やら、わたしには分からない仏様やらの絵。 ???
石手寺の建物の大半は重要文化財だと言うことです。
三重の塔
塔の入り口には大きな看板があって「イラク侵攻」「四川省 ビルマ災害」「スマトラ沖地震」などの文字が見えました。 ここの住職さんは、宗教者として積極的に平和運動や海外支援に関わっているということを聞いたことがあります。
興味深いことがいっぱいあって、見所もいっぱいあるのですが、わたしたちは先を急ぐことにしました。 駐車場近くのお店で焼き餅を買いました。 3,4人待つ人の列ができていました。 わたしは作る人の手元をぼんやりと見ていましたが、写真をとっておけばよかった~。
最後に向かうのは藤野町にある円福寺です。 松山から今治に抜ける山道をひたすら走ります。 奥道後温泉を抜け、石手川ダムをぬけると静かな山里の集落があります。 円福寺は少し山に登ったところにありました。
駐車場にはマイクロバスが停まっていて、まもなく白装束のお遍路さん姿の一行がバスに乗り込みました。 あとはわたしたちだけになりました。 石手寺まで一緒だった親子連れは来ませんでした。 別のお寺に行ったようです。
円福寺本堂。 今までで一番小さいかな? はでな飾りは何もなく、ごく普通のしめ飾りがつるされているだけです。
広々とした庭も石仏の他は何もなく、地面はきれいに掃き清められていました。
何もないことが返ってすがすがしく、信仰の場らしい静謐な空気が流れているように思いました。
さあ、帰ります。 うでまくり
というのは、明星院から円福寺までは、おおざっぱに言って山の周囲をぐるっと半周したような広い道を来たのですが、今からは円の直径に当たる道、つまり山の中を突っ切って帰ろうとしているからです。
事前に地図で見たところでは、中程あたりはつづら折れのグニャグニャ道です。それでも「坂は急だけどそんなに悪い道じゃない」という弟の言葉を信じて走ってみることにしました。
思ったよりも狭い道。 途中、釣り堀や猪料理を食べさせてくれる店などがありましたが、民家はほとんどありません。 のどかな山道をのんびり走っていくうちに道はどんどん狭くなって、とうとうこんな道に。
道幅は、車1台がやっとの広さです。 道の両側は植林された杉林でうっそうと薄暗いです。
心配性の母が、しきりにさびしいだの暗いだのと言っております。
だらだらと上り坂が続いたかと思うと、急勾配の下り坂になりました。 おまけに、地図で見たあのつづら折れ。
うぉー、 (きついカーブ)
ひゃあ (スピードが出すぎ)
運転手がこうなので母の不安は増すばかり。 こんな所でパンクでもしたらとか、脱輪でもしたらとか、谷底へ落ちたらとか、母はそんなことばかり考えていたに違いありません。
と、向こうに動くものが。
え? こんなところに野良猫? 猫がこんなに群れるのか? なんだか一瞬バカなことを考えてしまいました
カーブの先に野生の柿の木があって、その周りを走っている生き物。 よくみるとそれはさるでした。
おおっ、カメラ カメラ・・・・
しかし、カメラを構える間もなく猿たちは山の中へ逃げてしまいました。 はあ~松山市にも猿がいるのねえ。
そして、母の不安がピークに達する頃、ようやく開けた田んぼや住宅が見えてきました。
・・・・・こうしてちょうど良い頃合いに実家に帰ることができました。 なかなか楽しい小冒険ドライブでした。