と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

あこがれ

2008年09月07日 06時27分35秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昨日夜10時頃柔道の稽古を終わって、例の古本チェーンに帰り寄ってきました。まさか、柔道着で寄るわけには行かないですから、ちゃんとジャージに、Tシャツですよ。ただし汗だくだくでしたが。

 魯迅と、日本の論点、浅田次郎の蒼穹の昴、経営書と購入してきました。これで1000円くらいです。来週も勉強できます。そして思いました。なぜ書店の方のようにブログに本のことを書くのだろう?と。

 それは文化のリレー走者でありたいと思うからです。生徒のことを思うと、これも知らないだろうなぁ、あれも知らないだろうなと感じてしまうからです。無論、早熟の天才もいるだろうとは思います。校長なんか・・・と読書量を誇り、わたくしに勝負を挑んでくるような生徒を実は心待ちに待っているのですが。
(^0^)/

 高校の論語の授業で、高校の先輩で東北大学出の俊秀の先生に、原文の読みについてかみついたことがありました。湯川秀樹博士の兄上が京都大学の教授で貝塚茂樹先生と言われて、少年のくせしてわたくしは貝塚先生の著書をいくつか愛読しておったのです。温厚な先生は、まったく生意気な何にもわかりもしない坊主頭の高校生にゆっくりと後で研究室に来なさいと言われました。瞬間、しまったと思いました。叱られると思ったからです。
 
 国語の研究室まで行っても、ずっと先生と議論していました。先生も決してお叱りにはならなかった。いくつかの学説をあげられて、これはこれこれしかじかとやってくださった。わたくしのような愚昧な生意気盛りの少年を根気よく導いてくださった。

 それがCommunicationであります。交流と言ってもいい。ただ単なる教え・教えられる関係から突き抜けていた。

 もうひとつ、高校時代に文学に関してそれこそ早熟の天才だと思って尊敬していた同級生がおりました。Kといいます。なんか夏目漱石の作品みたいですね。

 わたくしは彼の足下にも及びませんでした。古今東西ありとあらゆる文学作品に通じていました。17歳くらいで。文芸部の部長でした。

 柔道部にも所属し、応援団にも所属し、かたや軟弱とバカにされた文芸部にも所属して自己満足していたわたくしでありました。懐かしい。

 で、Kは大学に進学しなかった。あえて農業の道を選んだ。価値ある生き方をしたいと。農民文学の先達がわが故郷にはたくさんいて、それでその道を選んだのです。

 ある意味うらやましかった。才能がある、それに自信があったからでしょう。自分の生き方を通してしまった。

 この意味で、作家の丸山健二氏をわたくしは非常に尊敬しています。孤高の作家です。当時芥川賞最年少と言われました。文壇と言われる東京でのうじうじとした狭い社会から離れ、信州で暮らし、価値ある作品群を問うてきた御仁です。デカイ犬を飼い、釣りを愛し、オフロードで疾走する。ランニングもやる。しかし、勉強は半端ではない。いろいろな読書に裏打ちされている。実力が違う。その辺の作家とは。

 自分に自信があるということは、それだけの努力に裏打ちされた時間を経験しているからです。

 努力もしないで、生き方にあこがれてはいけません。簡単に、芸能人になったり、オリンピックのアスリートになったりできるわけはないのですから。

 そんなことを思いました。
 
 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/