と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

意欲と転落の門

2008年09月09日 19時10分57秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
2008,09,09 Tue 11:19

 上記の数字はつくばみらい市福岡小学校のホームページ更新時間です。たいしたものです。運動会の練習でお忙しいだろうに、本当に毎日更新されている。かなわないです。しかも、広告塔とかについては小学校ですから、関係がない。純粋な情報発信なのだろうと思っています。モチベーションが相当高いのに違いありません。意欲ある組織にはかなわないです。

 さきほども日課にしている授業観察に行きました。今日は地歴公民でした。静かな時間が流れていきます。カリカリと筆記用具の音が心地よい響きです。

 学校はこうでなくてはなりません。

 意欲と努力は一体なのでしょう。経験からしてそう思います。しかも自分から湧き出でる泉のように、意欲が、努力があれば諸事万端うまくいきます。

 しかし太宰治の津軽にも出てくるように、教室の周囲に実は勉強していることがわからないようにするというのが、なんとなく伝統的に日本の秀才にはある。これを衒いというのでしょう。なにも恥ずかしがることはありません。堂々としていればいいのです。わからないことをそのままにしておくほうが、もっと恥ずかしいですよ。

 わたくしは、県銚の先生方も含めて周囲の人みなわが師だと思っています。専門の方の力量をあなどってはいけない。生意気盛りの高校生の時には、いろいろな人に議論をふっかけましたが、身の程知らず。今、思えば顔から火が出るほどです。世の中、優れた人はごまんといる。うぬぼれて、自分ほどすごい人間はいないと思ったときから、転落の門が開くのです。

 学ぶことです。
 周囲の人すべてに学ぶことです。
 傲慢になったらおしまいですよ。

 県銚の生徒にはいないと思いますが、中には今までさんざんお世話になった保護者の方に悪態をつくのがいます。自分の学力の向上、体力の向上にともなって、周囲が愚者に見えてくるときがあるんです。社会人になってもそういう人はいますが。仕事が変わるといっぺんにそっくり返る人が。

 周囲が愚者に見えてきたら、意欲の減退期が来たと思うことです。つまりそれは自分の向上がなくなる時。なんと言っても自己満足しているんですから。

 どうか転落の門に入って、どっかの穴に落っこちないようにしてくださいね。
 わたくしのこころからの願いです。




 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/