今日も授業を拝見させていただきました。実に勉強になります。
昨日は保健の授業。今日は国語で竹取物語でした。夏休みに小学生の日本語暗唱教室で(BeCom様の主催)小さい子への指導も拝見していたので、わたくしなりに比較しながらでした。
高校ですから、文法的なことも出てきますし、プリントも高度になる。わたくしが感心したのは、先生の説明と、プリント、自分のノートを上手に使い分けて情報収集をまさにしているという生徒たちの学習スタイルでした。保健の授業もそうでした。学習ノートを実にうまく使っている。筆記用具も実に考えて使っていました。いろいろな知識を総合化していくのが、一番いいのだと思います。もっとも、これはわたくしの同級生からの受け売りですが。大学の教授をやっていますので、情報収集は流石であります。
自分なりに、どういう学習スタイルで情報収集と整理をしているか?ということが生涯の学習スタイルを決めると思います。学校が終わってからも、勉強は一生続くのですよ。逃れられませんよ。
たとえば、ノート。
あとで見直したときに、すぐわかるようにしたいものです。なんでもかんでも雑記帳のように書きなぐっていると、なにがなんだかわからなくなります。それで頭に入る人もおるのでしょうけど。それならそれで結構ですが。
ただし、整理魔になって、情報収集のみが目的になっては困りものです。
昼食を食べながら、佐高 信という評論家の読書ノートをひっくり返していました。「男のうた」という本からの抜書きの箇所にふと目がとまりました。(教育的には食べながら何かしてはいかんのですけど)
宅島徳光の書き込みがありました。すっかり忘れていました。メモをとったことすら。
海軍中尉。1921年03月~1945年04月09日。福岡市博多区生まれ。
「いまでは指輪も まわるほどやせてやつれた おまえのうわさ くちなしの花の 花のかおりが旅路のはてまで ついてくる くちなしの白い花」
昭和20年04月09日に遭難した海軍中尉の宅島徳光が大学ノートに書きつづった恋人への切ない想いが「くちなしの花」。彼はこの花が好きだっただけでなく、戦争末期、口には出して言えない心の記憶としたかった。戦没学生の遺稿集「きけわだつみのこえ」にも収録され、今では英語、中国語、韓国語の翻訳本もできた。その大学ノートに書いてあったのが下記の詩。
俺の言葉に泣いた奴が一人
俺を恨んでいる奴が一人
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんな併せてたった一人
こんな抜書きを見つけたのです。変色したインクの中にうずもれていました。いいなぁと思いつつ。字が乱暴なのには呆れましたが。
久しぶりに読書ノートを読み返してみました。いいものです。現在進行形でそれは進められていきます。しかし、年齢とともに忘れ去られていくのが、情報の運命かもしれません。しかし、こうやって形に残しておけば、後で見つけたときはなかなかうれしいものです。
見つけやすいように、索引をつけたりしていこうと思っています。
さ、今日も時間いっぱいになりました。
おしまいにします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuma_wel.gif)
昨日は保健の授業。今日は国語で竹取物語でした。夏休みに小学生の日本語暗唱教室で(BeCom様の主催)小さい子への指導も拝見していたので、わたくしなりに比較しながらでした。
高校ですから、文法的なことも出てきますし、プリントも高度になる。わたくしが感心したのは、先生の説明と、プリント、自分のノートを上手に使い分けて情報収集をまさにしているという生徒たちの学習スタイルでした。保健の授業もそうでした。学習ノートを実にうまく使っている。筆記用具も実に考えて使っていました。いろいろな知識を総合化していくのが、一番いいのだと思います。もっとも、これはわたくしの同級生からの受け売りですが。大学の教授をやっていますので、情報収集は流石であります。
自分なりに、どういう学習スタイルで情報収集と整理をしているか?ということが生涯の学習スタイルを決めると思います。学校が終わってからも、勉強は一生続くのですよ。逃れられませんよ。
たとえば、ノート。
あとで見直したときに、すぐわかるようにしたいものです。なんでもかんでも雑記帳のように書きなぐっていると、なにがなんだかわからなくなります。それで頭に入る人もおるのでしょうけど。それならそれで結構ですが。
ただし、整理魔になって、情報収集のみが目的になっては困りものです。
昼食を食べながら、佐高 信という評論家の読書ノートをひっくり返していました。「男のうた」という本からの抜書きの箇所にふと目がとまりました。(教育的には食べながら何かしてはいかんのですけど)
宅島徳光の書き込みがありました。すっかり忘れていました。メモをとったことすら。
海軍中尉。1921年03月~1945年04月09日。福岡市博多区生まれ。
「いまでは指輪も まわるほどやせてやつれた おまえのうわさ くちなしの花の 花のかおりが旅路のはてまで ついてくる くちなしの白い花」
昭和20年04月09日に遭難した海軍中尉の宅島徳光が大学ノートに書きつづった恋人への切ない想いが「くちなしの花」。彼はこの花が好きだっただけでなく、戦争末期、口には出して言えない心の記憶としたかった。戦没学生の遺稿集「きけわだつみのこえ」にも収録され、今では英語、中国語、韓国語の翻訳本もできた。その大学ノートに書いてあったのが下記の詩。
俺の言葉に泣いた奴が一人
俺を恨んでいる奴が一人
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんな併せてたった一人
こんな抜書きを見つけたのです。変色したインクの中にうずもれていました。いいなぁと思いつつ。字が乱暴なのには呆れましたが。
久しぶりに読書ノートを読み返してみました。いいものです。現在進行形でそれは進められていきます。しかし、年齢とともに忘れ去られていくのが、情報の運命かもしれません。しかし、こうやって形に残しておけば、後で見つけたときはなかなかうれしいものです。
見つけやすいように、索引をつけたりしていこうと思っています。
さ、今日も時間いっぱいになりました。
おしまいにします。
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