と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

文武両道こそ君子の儒道

2008年09月23日 20時19分31秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 中学生のみなさんは、自分なりの学習法というのは確立しておられるのでしょうか?はたまた、できていないのでしょうか。

 密かに心配しています。

 たとえば英単語を覚えるにしても、各中学校別に先生方の指導方針というのがあるのでしょうから、違いがあって当然です。方法論は別として、基本は何かということを考えた場合、繰り返ししかないような気がします。小テストも、なにもすべては力わざでやるしかないと。

 それを避けて安易な道を探し始めたらろくなことはない。

 わたくしは、薄いノートをかなりの数持っていて、メモするタイプです。たとえば、ableという単語から派生する単語をばんばんメモしていって、関連する形で記憶していきます。ま、専門外ですから、これくらいにします。しかし、言いたいことは、年取っても勉強ですよということなのです。県銚の先生方の勉強ぶりにはわたくしのようなものは、もうついていけません。素晴らしいものです。教師は、勉強、勉強、また勉強なのです。ですから、県銚に来たいと思っているみなさんは安心してください。力がつきますよ、本当に。県銚の先生方は、知識・識見・力量共に県下トップクラスですから。

 学校というのは、力を身につけるところなのです。それは、体力ばかりではありません。知徳体のバランスのとれた本当の力です。
 
 ですから、部活だけやっていればいいという学校、反対に勉強だけやっていればいいという学校では、少なくとも県銚はありません。

 全人的な発達を願っています。

 
バランスのとれた調和ある人間になっていただきたいとこころから願っています。

 そのためにカリキュラムに工夫を凝らし、学校一丸となって、先生方と共に努力しているわけです。

 ☆

 なぜこんな書き出しから始まったかというと、
貝原益軒の「慎思録」を今日は手に入れることができたからです。講談社の学術文庫です。原典はまだわが茅屋にはありませんが。

 第五巻に、「文武両道こそ君子の儒道」とあります。
 

 学問はするけれど、武道に関心のない学者は役に立たない学者と言える。こういう人物は柔弱であって、大事業を立つることはできない。これに反して、武術はよくするが、学問をしない者は、そう夫と言ってよい。このような人々は野卑で、義理を知らないのである。以上は、一方に偏している人々である。文武は彬彬として偏してはならない。文武両道が備わり整って、一方に偏しない人こそは、君子の学問をなし得る人といえるのである。(伊藤友信先生訳)


 これです。
 一方に偏ってはならんのです。
 
 文武両道とは、単純なものではないということがここからもご理解いただいたと思います。簡単に、単純に部活と勉強の両立を言っているのではありません。そんな意味で使っている学校が多いからこそ、わたくしは言いたいのです。

 
文武両道は君子になるための道、と。

 また明日。(明日は会議ばかりで書いている時間があるかどうか心配ですが)

 

 

コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/