と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

なぜ勉強をしなくてはならないのか

2008年09月28日 22時43分45秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 文藝春秋社の「教育の論点」という書籍に、冒頭「なぜ勉強をしなくてはならないのか」という章で、京都大学の中西輝政教授の「食べるためだけではない」という回答としての名文があります。

 これは実にいい文章です。昨日初めて読んで、ぜひここに紹介したいと思って書いています。この書籍はゆとり教育を推進した寺脇先生のことが書いてあって、その辺のことはこのブログには書きませんが、論争の本と見るとなかなかの本でした。しかも、なんと十円で売っていました。古本チェーンがセールをやっていて、引っ越すのだそうで、バーゲン中でしたから。それともう時代的には古い本になってしまったのでしょう。わたくしは、なんと30冊も買ってきました。それで300円。今、わたくしのクルマのトランクに入っています。経済小説とか、経営学者の本とか、Bushの戦争等々・・あります。当分退屈しませんね。(・-・)

 「しばらく面白くないことを我慢する」・・・・学校の勉強が面白くなるには、しばらく面白くなるまで我慢して勉強するしかないといわれる。楽器でもそうだと。あるいは、結婚もそうだと言われたのには笑ってしまいましたが。つまり、しばらく我慢していると、耐え難い部分も、耐えられるようになると仰る。
(^0^)/

 最初にともかくしばらくやってみようと思わせるものがあるかどうかであるとも。その「しばらく」が大切なのだそうです。なるほど、なるほどです。しばらく・・・が一生になります。しばらく国語をやってみようと思ったら、とうとう一生のものになってしまったのです。柔道も、そう、すべてそうでした。最初は「しばらくやってみようか」です。

 しかし、「日本には若い人を勉強から引き離そうとする誘惑にも満ちている」とも言われる。これは教育関係者としてまったく同感です。多くの生徒たちが勉強を好きになるのには、条件的に世の中が悪すぎるのです。子供たちに知る喜びや、学ぶことの快感から意識的に引き離そうとしている大人の社会の大改革こそ、必要だとも。

 学問というものをあまりに直截的に「食べること」につなげてしまった戦後日本社会の大きなツケがきているのかもしれません。わたくしは、むろんその食べるために学ぶということを否定するものではありません。ライセンスを取得することも重要です。また困難なライセンスをとることも貴重な体験です。しかし、多くの方々が一生懸命勉強してほしがるライセンスというのは、時代的変遷で実際食えるライセンスであるかどうかも危うい。それよりなにより、食えないと言われる基礎学問の分野をおろそかにしていていいのかなぁと、昨今の大学教育を見ていてそう思うのですが。

 それでも人は勉強をして「知るよろこび」を身につけなくてはなりません。「知ることは力になる」からです。人生の生き方として、入ってくる情報を筋道を立ててとらえ、大きな目標に向かって少しでも合理的な思考に基づいて身の振り方を選択し、その結論にむかって、大きな決断を繰り返していく。



 先生の言われていることが身にしみます。

 若いときに、知識の取得にどん欲になる、そういうこころの構造を作り給えということなのです。

 本当に、良い本を与えられました。ありがたい限りです。

 

 


コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/