と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

健全なふれあい

2008年09月17日 20時29分28秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 このブログでは表現に注意しなくてはならず、しかも特定思想信条の宣伝、宗教活動、団体活動、政治的な範疇に属することはノーコメントにしています。書いてはならないのです。ある意味いたしかたないことですが。

 かつて中学校時代にともに過ごさせていただいた優秀な生徒だったO君という方がブログを書いていまして、訪問が楽しみでなりません。毎日行っています、性懲りも無く。お互い、本名で書いているから、実に面白いのであります。今日は、飯岡のおせんべいの思い出を書いていたので、懐かしくなりました。もしかしたら一緒に練習試合に行ったときの思い出ではなかろうか?なんて思ったからです。そんなことで、心情的な安定を感じてしまいます。

 柔道の保護者会のおかぁさんが、県銚の卒業生で、しかも中学校でやはりわたくしとともに同時代を過ごさせていただいた方で、この方もこのブログの存在を知っておられた。母校ですから、どうなっているのだろうと興味を持っていただくだけで、本当にありがたい限りであります。

 しかし、一番こたえるのが医療関係者に、相手が生徒であった方がおられる時です。参ります。実に参る。覚えていますか?から始まります。参ったと思います。全部覚えているからです。こちらも、あちらも。部活も一緒だったら目も当てられない。しかも、こちらは病気ですから、それで入院とかしているわけですから、カルテも読まれているし。実に参るのです。幸い、注射も痛くないし、親切にしていただくので、ありがとうございますと心から感謝申し上げるのですが、笑われてしまう。なんで笑うのでしょうか。今度入院でもすることになったら、聞いてみましょう。もっとも、丈夫なので病院から断られますかな。

 コミュニケーションということを大切にしないといけません。黙っていると誰にも理解されないし、相手を理解することもできないということを言いたいのです。社会人になったら、とくにそうです。

 高校に進学するというのは、そういう意味で社会性を身につけるためと言ってもいいのだと思います。

 県銚には、知らない中学校からたくさんの生徒が入ってくるからです。そして、その中の幾人かが生涯の友人になったりするのです。

 独立した個人である私と、他の独立した個人である他人が、「ある一時だけ」感情と時間を共有している、というふれあいを「健全なふれあい」といいます。べったりと一日中くっついていたのではたまらない。論理療法というのを勉強したことがありましたが、今でも大切な考え方だと思っています。しかし、「有縁を度す」という言葉もこの療法の方々は大事にしておられた。身近な人を大事にするという考え方でもありました。

 そんなことを昼休みのひと時、思ったしだいです。

 時間がきました。また、明日。
 


 

 

 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/