教えるというもの=できない子への配慮
今日は、これから銚子の千葉科学大学で授業をさせていただくために、出かける。教授法をこれまで、9回(1回90分)ほどやってきて、今日はひとつのまとめに入る。愚生のポリシーである、教育もまた方法への理解なしには成り立たないというのがあるからである。そこには、むろん愚生のような成績の良くない生徒達への優しさがなければならないのだ。できない子への配慮があるかどうか、それが教師の命運を分けるような気がしてならない。そのことが、学生さんと対話を重ねてきたことの中核である。
ブログとか、Facebookでは、楽しくおかしくやっているが、あれは愚生の仮面に過ぎない。(ホントか?)本質は、ろくでもない、シニカルな、ただのじいぃでしかない。見た目もだ。まったく、まったく。
それに、オレは他人に自慢できるようなモンもなにもない。学歴もお粗末だし、血筋もよくない。ただの平民である。わははははである。カネもねぇし、さらに決定的なことは、髪の毛がない。一本もない。別に自虐的に生きているというのではなく、事実そうなのだから、しょうがない。
いくつか出ている大学で、学部の時に、苦学して卒業したというのが、一番決定的なことだろうなぁ。つまり遊びながら、女と同棲を繰り返したり、良いクルマ乗ってナンパしてみたり、学生運動にうつつを抜かしたり・・・というような村上ワールド(と、書くとまた叱られるけど)みたいなものとは、真逆にいたからで。
しょうがねぇんだ。貧乏体験しかないから、オレには。いじけていたのかもしれない。それはマジに認める。皮肉屋になったのは、そういう個人的体験があるのだろう。根底に。
だから、こういうオレのようないじけた生徒を、決して見殺しにしちゃいけませんぜ!というのが根底にあるのだ。世の中には、苦しい生活を余儀なくさせられている人がいるのだ。
自分は、保護者のカネで、遊学できることを当然と考えていてはならぬのである。
城西国際大学の学生というのがどういう学生であるのか、オレはまったくと言っていいほど知らない。院生でクラスメイトと呼べるのは、たった一人であるし、だいいち、オレにクラスメイトと呼ばれたら迷惑だろう。当たり前である。だから、いっさい書かない。この手の老年学生日記ブログみたいなものでは、学校生活をフォト付きで面白おかしく書くのがセオリーだろうけれども、オレはやらない。
彼ら、彼女たちへの将来への配慮からである。先生方のお名前も一切出していない。当然だ。ご迷惑をおかけしたくはない。
配慮ができないというのは、致命傷である。教育を語る資格なしである。
さ、時間です。銚子に行って参ります。
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