今朝は、おおちょんぼをしてしまった。
なんと、いつも持ち歩いているショルダーバッグを持たないで、駅に行ってしまった。大笑いである。定期券もない。学生証もない。一円しかはいっていない財布もない。なんにもない。ないないづくしである。
我ながら、情けなくなってしまった。完全にあふぉ~である。ちょっと早めに在籍校に行くつもりだったので、舞い戻って、自家用車に切り替えた。おかげで、快適なドライブを楽しんだ。しかし、まぁ、あふぉ~である。家に帰って配偶者にも、笑われてしまった。しょうもない、じーさまですなぁ。オイラは。
こういうときは、つまり車の時は、分厚い本を持っていくにかぎる。車に4冊ほど積んで出かけた。30代のころに、在籍校の隣町の高校の教員をしていたので、抜け道もよーく知っている。ま、今回は時間もたっぷりあるから、王道を行くのだ。つまりゆっくり行くのである。焦らないで。これが一番です。一番。
ラジオを聞きながら運転していた。そしたら、ニッポン放送だったが、宮崎駿の「風立ちぬ」という作品を特集していたのだ。いろいろな角度から実に詳しく分析していた。非常に興味がわいた。好きだったというせいもある。なかなか好ましいアニメがたくさんある。彼の作品には。
気になったのが、宮崎駿がこの「風立ちぬ」を遺作としているのではないかという指摘であった。彼が号泣していたというのだ。映画の発表会かなにかで。非常に気になる。もしかして、もう見られなくなるのかもしれないと思ったからである。
彼のアニメは、独特である。しかも、精霊を感じさせてくれるというその一点において、独特である。そういう視点から見ると、実に優れた作品が多い。好きになるわけである。
森の中の描写とか、空の描写とか、実に印象的である。
ラジオで言っていたが、宮崎駿の世界は、日本の家族にとって、失われた故郷を思い出させるものであって、夏休みに映画館で宮崎駿のアニメを見るのは、民族大移動と同じ体験をさせてもらっているという指摘はおもしろかった。
確かに、そうかもしれないなぁ。ほんとうにそう思う。
こんな人はもう二度と現れないのかもしれない。さらに午後から、宮崎駿を研究してきた方から、いろいろとご指導をいただいていた。もう、今日は宮崎駿で、一日中過ごしていたのである。ありがたい限りである。しかも、「風の谷のナウシカ」について、非常にあたらしい発見もさせていただいた。自立ということをである。詳しくは書けないが、あそこまでのめり込めないと、作家論というのは書けないのだろうなぁとしみじみ思った。
愚生にはムリである。
ムリだということでは、論文も出せるかどうか、その前に試験があるのをすっかり失念していた。こんなこっては、ムリですなぁ。試験が通らないと、論文提出も許可されないのだ。厳しいねぇ。
ムリでもいいから、駄文だけは書いていきましょう。そんなことを思った。それでいい。オレの場合は。ちょんぼばかりやっているんだから。
17:57である。在籍校から、さっき、エントリー許可をしていただいた大学学会に論文を送った。書き上がったからである。15枚。落選するかもしれない。ま、それはそれでいい。思うとおりにならないのも、また人生であるから。
ちょんぼの多い人生でありますがね。
(^_-)-☆