群馬大学 片田敏孝教授講演
「想定を超える災害にどう備えるか」 -3.11 東日本大震災の教訓に学ぶ-
今日は、上記のことで講演をお聞きした。県立の文化会館である。午後からである。
愚生の居住地も東日本大震災で14名の方が亡くなっているから、非常に興味関心のある講演である。片田先生は、「津波てんでんこ」という教えを釜石の学校に指導をされていて、後に「釜石の奇跡」と産経新聞から讃えられた先生でもある。
1 釜石市、こどもたち一人の犠牲もなし
3000人の小中学生が助かったのである。
死者18554人。正確には、死者15883人、行方不明者2671人。釜石には16メートルを超える津波が押し寄せてきた。釜石だけでも、888名の死者、行方不明152人、関連死92人という惨状であった。
揺れが長ければ、長いほど地割れが大きく、当然海の盛り上がりも大きくなる。釜石の子どもたちは、揺れている最中から走り始めた。中学生達も、逃げながら小学校の生徒達に声をかけて逃げ始めた。最初、老人福祉施設に逃げた。ここは市の設定したハザードマップの外側である。しかし、子どもたちは、さらに高いところに逃げた。小学生を連れて、保育園の子どもたちを連れて、さらにお年寄り達をおぶったりして。
片田先生たちは、
① 精一杯の避難を
② 助けられる人から、助ける人へ
③ 子どもたちが、自分の行動をどう判断していくのか
と、いうことを指導されていた。
特に②である。若い親たちは、町から出て外に働きに出ているし、町は子どもと老人のみになる。昼間は。だから、小中学校での避難訓練は、リヤカーを使って避難者を支援する訓練とか、率先避難者になる小中学生を養成していた。震災当日は、そうした中学生たちが、小学校低学年の子どもや、老人達を助けて高台へ、高台へと走った。この映像は、多くのマスコミで報道もされた。保育園の園児達を中学生が抱きかかえて逃げた。
14の小中学校の生徒が3000人。小学校一年生が自分の判断で逃げた。これからくる津波にどう対処したらよいかを、判断して。
根幹に、子ども達は、海近くのこういう土地に住んでいるということがどういうことなのかということを考えていたから、根本的なことが違っていたのである。
海に近いということは、自然の力にもふれるということである。
災害の時にしっかり逃げられるということ、これが大切である。「正しく怖れる」ということである。その時だけしっかり逃げる。釜石に住むための「お作法」であると片田先生は言われた。
そうなのだ。愚生も、この九十九里海岸をこよなく愛している。自然に恵まれ、海や山の食物に恵まれている。食品自給率日本一である。だからこそ、根本的なところで、どのように自然とつきあっていくかということが大切であると愚生もまた思う。
「その日、その時に対応できる人間であれ」と片田先生は何度もおっしゃられた。
まさに「生き延びることのできるものは、生き延びよ」と言ったレヴィー・ストロースである。
③については、自分の行動をどうやっていくのかということから教えていったと言われていた。「自分一人でも生き延びろ!」ということでもある。津波がきたら、母に電話する。母の帰ってくるのを家で待っている。そういう子どもは、あの津波では間に合わなかったし、助からない。自分一人でも、逃げる子にしなくてはならないということでもある。
親や、教師の要求に対する返事をしているだけの子どもは、これは要求への反応をしているだけで、じゃ、どうしたらいいと思う?という質問への回答はできていない。「内発的な避難意識」を育成することであるとも言われていた。
これこそ、愚生の標榜する「対話の教育」である。
津波てんでんこというのは、津波から子孫を残すための智慧である。
明治3年の津波の時には、6500人いた住民が、4000人亡くなった。ある町は、1859人が全滅をした。なぜか。それは、じいちゃんを助けるために、家に戻って、一緒に死んでいったお嫁さんとかいたからである。それはそれで尊い行動である。しかしながら、家族もろとも亡くなっていったというあまりにも辛い体験があったからこそ、この言葉は生まれたのだ。
逆に、津波てんでんこは、日常から一人ひとりが自分の命に責任を持つということを教えてくれている。当時、釜石の小学六年生だったある男の子は、義足だった。友人達4人と一緒に逃げるときに、彼は「ぼくはいいから、先に行け!」と友人達に言ったという。ここらあたりで、愚生はもうたまらなくなった。ナミダが出てきた。
結果的には、4人とも助かって、今は中学校で仲良く勉強しているという。
36の津波の石碑が釜石にはあるという。繰り返されてきた、津波からの教訓が彫ってあるのもある。これこそ、祈りである。先祖たちからの「贈与」である。智慧の贈与である。
忘却というのは、人間の性である。でないと、今現在、暮らしていけないではないかというのもわかるような気がする。愚生だって、被災地に住んでいるからこそそう思う。こころ穏やかに、暮らしていきたい。当たり前である。
しかしながら、我々は伝えていかなくてはならない。
学校だけが防災教育をやっていればいいという暴論を吐くつもりはない。教育が大切だと思うからである。つまりそれは、地域全体で、我々大人たちが、伝えていかなくてはならないことでもあるのだ。
民俗学でいろいろな先人達の智慧にふれることがある。
それもまた、伝統を後世に伝承してくださっているのである。
オレだけは、大丈夫。
オレだけは死なないと油断していてはならんのである。
非常に感動した講演であった。
時間にして、2時間30分。
このような企画を立てていただいて感謝している。あらゆる方々にである。