徐々にお屠蘇気分が
一月二日である。徐々にお屠蘇気分が抜けてきた。もう、である。三日くらいはお屠蘇気分でもいいんだろうけど。現役の仕事人間ではないからなぁと思う。毎日が、日曜日だ。そういう感覚はまさかと思っていたが、気をつけないとホントに「毎日が日曜日」から脱却できなくなる。しかも、意識していないと今日が何日で、何曜日かということもわからなくなる。だから始末に負えない。
この暮れから正月にかけてNHKスペシャルを相当数見た。録画である。なかなか工夫された番組が多く、録画の価値がある。どうやって作られているか、特に、時代考証についてどうやっているのかを、師匠から教えていただいてから見る目が変わったからである。「富士山信仰」が特に良かった。それと明日あたりに「水俣病」のがある。これも録画をする。貯まったら、BRにはき出すからこれもまた保存の意味でなかなかいい。視聴覚教育ですな、これでは。まるきり。あ、思い出した。オレ、義務教育にも在職していたが、最後の八年目は、市の教育委員会で視聴覚教育事務局にいたのだったなぁ。懐かしい。
今年は、夜遅くまで起きているのではなく、十分な睡眠をとって朝早く起きようと思う。そして余生の余技である駄文書きと、読書をする。頭の働きのためにはいいのだろう。もともと悪い頭を、夜更かしで浪費する必要はない。
実は、さっきまで、富士山信仰を扱った「ETV特集 富士山と日本人 中沢新一が語る1万年の精神史」(録画)を見ていた。内容はなかなかおもしろい。自然と人間の循環性というか、日本文化は自然とどうやって折り合いをつけるかということが重要なことであったということがテーマであるのだろう。だからこそ、生と死の循環性とつながるというのが、東大で宗教学を学ばれた中沢新一センセの結論であった。確かに、そうだろう。この間の東日本大震災でも、富士山大噴火でも、日本人は生きてきた。くじけることはなかった。これがアジアの他の國ではどうだったろうかと思ってしまった。堪えられるのだろうか。
たぶん、日本人だけが、大災害と折り合いを上手につけて生きていけるのだろうと思った。災害を文学にしてしまうのだ。日本人というのは。
九十九里浜津波供養塔という原稿を書かせていただいたけれども、その写真を撮りに九十九里浜をクルマであちこちと出かけていた。あの時もそんなことを思っていた。
オレも含めた日本の庶民には、生きる智恵があるのだなぁと思った。
今年もこんなことの繰り返しで、過ごしていくのだろう。
ありがたいことだ。