フィットネスクラブから帰ってきた。今日も快調だった。
やる前に血圧を測った。上が127、下が76だった。
ま、良しとしよう。最近徐々に血圧が乱れてきたから。
ストレスもないのに血圧が上がっていたら、マジに馬鹿みたいだよ。
なんもすることがないのだから、血圧が上がるはずがない。
かえってそれがストレスかな?
なにもすることがないっていうのが。
わははっはははっはは。
トレーニングは、歩くマシーンを30分。
自転車をこぐマシーンを30分。
これ以上はやらない。激しいのは苦手である。ほら、愚生は性格が穏やかだから。
(^0^)
若いころは、ホンマに100キロのバーベルを持ちあげてうれしがっていたのだから、馬鹿丸出しである。それでいて、決して体力自慢なだけではなかったのだよ。
繊細な心情も持ち合わせていたのだよん。
風立ちぬの堀辰雄に感動して、素敵なじょせーと軽井沢あたりに行ったら会えるかもしれないとか、高校生の時は考えていたのだ。本当に馬鹿丸出しである。なにを考えていたのだろうと、心底情けなくなるのだ。
それにしても、愚生は、中年太りと全くご縁が無い。
スタイル抜群である。
腰もくびれているし。
胸筋も動くのでっせ。
マジに。
あ、そんなのアンチエイジングを心から嫌っている愚生のいう台詞ではないですな。
年取ったら、それなりにじじいとして、赤い羽織着て静かにしていればええのですよ。納まるところに、かわいらしく座っていればええのだ。それがじじいの宿命でありますから。
孫も増えそうだし。ダンダンと、ああダンダンと。たくさんの孫に囲まれて、愚生はニコニコと笑いながら生きていくんでしょうなぁ。
片手にパソコン持って。
わはははっはははは。
今日も一日快調でした。
駄文は、158枚になりましたし。
マンゾク、マンゾク。
明日は図書館が休館だから、大学に行って、駄文を作ろうっと。
夜は塾もあるけどね。。。
今日からはまたまた新生「と~ま君」
概説的にものを考える方と、そうではなく、自分のオリジナリティを求める方とボクの周囲には二種類の方がおられる。このことに最近気がついてきて、人間観察にはとても楽しい日々を過ごしている...
就活のことで、疑問に思うこと
あのぉ~~~と、おそるおそる切り出すしかないんだけど。就活の問題です。大学生の。なんだか就職するためだけが学問する目的なんですかねぇ。不思議な国だと思うんですが。我が日本って。...
午後である。14:10。図書館にいる。原稿書きをしている。専用のパソコン席である。毎日のようにここに来ているが、どうも年金生活になって居場所を失った人にも都合のいい場所になっているのかもしれない。それはそれでいいのだ。居場所が無かったら、図書館で本も読んでいたらいい。
配偶者が困るのなら、それくらいは許してたもれ。いいじゃぁないか。図書館にいるくらい。家に居た方がもっと困るでしょうから。いない方がいいのだ。
なにも酒場のミニスカートをはいたわけぇねーちゃんを追いかけているわけでもないし。本くらい、いいじゃないかと思うのである。
それに、悪いことをしているわけでもない。
犯罪に手を染めていたら、こりゃアカン。そりゃそうだ。
かえって健康的である。やはり人間は知的な存在である。知的な欲求が無くなったら、相当危険である。
だからうぬぼれることなかれ、である。
慢心が一番怖いのだ。
その点、愚生はいい。最初から、慢心のこころが忍び寄ってくる可能性がまったくないからである。慢心している暇があったら、勉強しなくちゃアカンですからな。それほどバカだからだ。劣等生そのものである。
もっとも、愚生は自分でいろいろ工夫しながら本を読んでいるから。さ、これから原稿を書く。
終わったら、Fitness Clubに行く。
楽しみ、楽しみ。
(^_-)-☆
おくの細道は、それこそ奥が深い。暗唱させられた方も多いと思う。愚生も教員時代は、やらせたけど(^_^)。
舟の上に生涯を浮かべ・・・なのだから、一生は舟の上にあるというようなものである。ちっぽけな舟なのかも知れないなぁ。壊れそうな。否、いつでもその舟は壊れるものである。だから大事に乗らなくちゃアカンですなぁ。間違っても大酒・大飲・不純異性交遊あたりで、その舟を壊さないこってすよん。
馬の口とらへて老いを迎ふる者・・・馬と共に、老いていきたいものである。
日々旅にして旅を栖とす。・・・・これですよ、これ。日々は旅のようなもので、あっという間に過ぎていってしまう。
古人も多く旅に死せるあり・・・・愚生もそうでありたいものだよ。
片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ・・・風に誘われ、漂泊の思いで生きてきましたなぁ。海浜にさすらって。しかも今、住んでいるところは、九十九里浜でありますから、なおの事であります。
つまらない一生だったなぁなどと思わないで、サラサラと生きて参りますよ。
(^-^)/
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家
表八句を庵の柱に掛け置く。
[現代語訳]
月日は永遠の旅人であり、来ては過ぎる年もまた旅人のようなものである。絶えることなく行き交う舟の上に人生を浮かべる船頭、馬の口をつかまえて老境を迎える馬借(馬方)などは、毎日が旅であり旅を自らの住処としている。昔の人も旅の途上で死んだ者は多い。私もいつの頃からだろうか、千切れ雲が吹き飛ばされる風情に誘われて、さすらいの旅に出たい気持ちを抑えられず、須磨・明石など近くの海辺をさすらったりしていた。去年の秋、ようやく隅田川のほとりにある深川芭蕉庵の家に戻り、古巣を払いのけたりなどしている内にその年も暮れた。
春の空に霞が立ちこめるようになると、白河の関(現在の福島県にあった関所)を越えたいと思い、気持ちを急き立てるそぞろ神がついて狂おしい心境になり、旅の神(道祖神)の招きにもあって取るものも手に付かなくなってしまった。旅の準備をするために、股引きの破れを修繕して、笠の紐をつけかけ、足を健脚にする三里のツボにお灸を据えたが、まずは松島の月の風情が心に浮かんできて抑えられない。今の小さな庵は人に譲って、弟子の杉風の別荘にまずは移った。
草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家(この小さな草庵も遂に住民が住み替わることになったが、新しくやって来る住民一家にはお雛様を飾る小さな女の子がいるらしい。今までの男だけの家とは打って変わって、ひな祭りを家族で祝う明るい家へと変わっていくのだろう)
この最初の句を書き付けた『表八句(第一紙の表に記した八句)』の懐紙を庵の柱に掛け置いて、旅立つ前の挨拶とした。
「人生で一度は見たい世界の絶景」っていうテレビ番組を昨日録画していたので、今朝見た。昨日フィットネスクラブで見ていた。歩きながら。マシーンで。で、その続きを今日になってから、見ていたのだ。
海外旅行なんて殆ど行っていないから、全部憧れである。これから行くつもりであるが、ブログに旅行に行くことを書くと空き巣に狙われるというから、ナイショである。(^_^)
再任用をやらなかったのは、旅行に行きたいからでもあったから、これはこれで大事にしたいことである。道祖神の招きをいただいて、あてもない旅を重ねていきたいものである。そして、人生の終焉をむかえたいものだと思っているのだ。
その終わり方については、度々考えることがある。病気で死ぬのかもしれない。あるいは、一番避けたいのは事故だ。これはきつい。なんでかということもいろいろ考えたことがあった。痛いからか? 違うなぁ。痛いのは病気だってそうだけど。消滅してしまうのというのが、一番堪えるからかなぁ。オノレ自身というものが。(^_^)3 フムフム。まだまだわかんないのである。まだまだ。
死と生について深く学びたいものである。
そうなのだよん。
もう、競争社会からは卒業したのだ。だからである。少しは、自分のことを考える時間があってもいいではないか。死ぬことをこれからはおおいに見つめていきたいのだ。文学であり、哲学であり、宗教学である。若いときから、こういうのを追求してきた。だから、今の愚生がある。民俗学みたいなものをやっているのも、愚生のような庶民が死をどうやって受け入れてきたのかということに、エラく関心があるからである。
さ、今日も午後から図書館に行く。
午前中は、家人と買い物である。
いろいろあるのだ。じじいをやっていると。
わははははっは。
今日は、原稿のオファーをいただいたので、そちらの債務を返済しないとアカンのです。債務って、本当の債務ではありませんぞ。原稿の債務です。教員の挨拶集に毎年書かせていただいているのです。拙ブログも、... goo.gl/m9lCCD
さらさら、サラサラ・・・・と書き進めて、原稿書き一本は終わった。童顔の美少女、ジャンプの高梨沙羅ちゃんである。沙羅ちゃんのように世界一のジャンプっ... blog.goo.ne.jp/tym943/e/7e2a6…
コンピュータの専用席があるから、実にいいものである。税金でこういうものを作ってくださっているということがありがたいなぁ。
郷土史の原稿の枠はできた。もっとも、こっちは既にできている14万字... goo.gl/JpfpJc
去年の記事 去年も同じように blog.goo.ne.jp/tym943/e/c1461…
放送大学大学院修士の口頭試問が昨日終わったそうだ。全員で8名。朝、10時から18時まで。昼食も無し。昼休みも無し。一人の持ち時間は決まっているものの、オーバーする人が殆どであったそうだ。夜は、飲み会もあったと彼のブログに書いてあった。うれしくなった。うまくいったようだから。
生涯学習仲間が、大学院4校目でそれにチャレンジしていた。40代で現役の銀行マンである。総合職でもある。最初は、経営学関係の修士を目指した。MBAってやつ。
MBAとは、経営管理修士のこと。ビジネススクール(大学院)を卒業することによって得られる資格。ロースクールと異なり、大学をどのような学部を卒業していようとも、GMATなどの試験要件で合格すればビジネススクール(大学院)に入学することができる。
と、インターネットには書いてあった。愚生にはご縁の無い世界だが、驚愕するのは、彼の学びの意欲である。それから、教育学、人間学とそれぞれ別の大学院で修士を合計で三つとった。そして今回の放送大学大学院。立派に銀行マンをやりながらである。時間の生み出し方もそうだが、学習方法が秀逸である。仕事中は絶対にできないし、しかも総合職である。非常な工夫がそこにはあるのだろう。
来月、5校目の大学院を受験されるという。
こちらは愚生の母校である。仏教学をやられるとのことだ。実は、愚生も憧れているのだ。仏教学。(^-^)/
ただし、学部からやるか、修士からやるか迷っている。
問題がある。
それは、wifeを説得できるかということである。また、カネの無駄だと言われそうだから。無駄だと言うなら、なんでもそうだ。愚生の場合は。わはははっは。