と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

人間ドックのあとにレストランで

2014年01月07日 22時33分32秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 

幕張テクノガーデンビル24Fにある「謝明殿」で、昼食をとることになっている。

人間ドックのコースに入っているので。

クリニックは、このビルの2Fにある。

24Fからの眺望はなかなかである。

今日は、おかゆで、中国料理をいただいた。

で、思い出したのが、中国語をまったく勉強していなかったということ。

明日からまたやる。

ラジオ講座で。

地味に、渋く。

あ、ちなみに今日の最初の投稿記事

配偶者がいると長生きするって~♬

は、このレストランで書いていた。

ポメラである。

どこにでも持って行くので。

 

 

(^0^)

 

 

 

 

 

 

 

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「初心忘るべからず」・・・老後にも初心がある。

2014年01月07日 21時09分00秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

老後にも初心がある。

普通は、「初心忘るべからず」というのを、最初の志を忘れてはならないと使う。若い人へ訓戒をたれる場合にも好んで使われる。最近目につくのが、不祥事を起こした企業で経営トップが深々と頭を下げてお詫びの記者会見の時に、「初心にかえりまして。。。。」とやることである。ま、これでも間違いではない。しかし、もうちょっと世阿弥の「花鏡」は書いてある。(世阿弥は、能の大成者である。ご存じだろうけれども。愚生は、能も趣味の一つに入っているので、今日は世阿弥の言葉からちょっと書いている。)

しかれば、当流に、万能一徳の一句あり。
 初心不可忘。
この句、三箇条の口伝あり。
 是非初心不可忘。
 時々の初心不可忘。
 老後初心不可忘。
            (『花鏡』 奥段)

この言葉を書いた世阿弥は、人生の中にはいくつもの初心があると、云っている。若いときの初心、人生の時々の初心、そして老後の初心、それらを忘れてはならないということをである。

もっとも、世阿弥の時代は、7歳の稚児の時からデビューする。だからかわいいのである。声変わりをして苦労する時期もある。しかし、ずっとやっているとそれなりに風格もでてくる。名人が出てきたとか云われてしまう。それで、云われた本人も「そうか、オレはもしかしたら、名人とか、天才なのかもしれない」と思いこんでしまう。これは、学校秀才にも多いのかもしれない。愚生は、学校秀才と云われたこともないし、ただの劣等生であったからそういううぬぼれはなかった。当たり前である。そんなことを云ったら、BAKAがクチきいてらぁってことになっちまう。

もっとある。「極めた」と思った時が、危ないのである。人に指導をし、話をし、講演会とか呼ばれてくるようになると、アカンのである。

むしろこういう時期こそ、改めて自分の未熟さに気づくべきである。世阿弥のいう「まことの花」にはなれない。いつまでたっても、オノレは未熟だ、まだまだだと修行を怠ってはならないのである。自己満足をしていると芸道は、そこでおしまいになるのである。若い時の名人気取りを世阿弥は、「あさましき事」と云って戒めているのだ。

若いタレントでも、このあさましき事というのを実際やっている御仁はいるだろう。

誰だって、「すげぇ新人が現れた」とほめそやされたら、そうなっちまうだろう。しかしだ。オノレ程度の新人なんか、また来年やって来るものなんだ。つまり、新人というのは新しいからだ。なにか持っているかもしれないからだ。旧が新に変化するかもしれないからだ。

能は、伝統のもとに、いつでも同じことをしていると思われがちである。ちょっとそれは誤解である。世阿弥は、古い能に新作で勝負を賭けた天才である。能の源流である南都仏教で行われていた猿楽に挑んだのである。その功があまりに大きくて、現代は新作能がそんなには作られなくなってしまったが。

もうちょっと云えば、愚生の追求している民俗芸能は能よりも古い。それらを下敷きにして、能は発展してきたと思っているのだが。

元に返ろう。
だから、ある程度ものになったからと云って、安住してちゃならんということなのだ。

さらに、能楽師は、30代半ばに頂点に立たなくちゃならんとも云っている。30代というのは、芸能だからなのだが、学問とか研究者も同じではないのか。頂点というのは、ちょっと極端としても。でも、研究者とか学者というのは、世阿弥の云うように30代半ばが勝負だろうなぁと推測する。

ここからが問題である。後は落ちるだけである。ここに壁があるのだ。年齢という問題が行く先を遮る。

それでも世阿弥は云う。「老いの美学」があると。老いて後の初心がくるというのである。老いてこそふさわしい芸があるというのである。齢を重ねてしまったからと云って、芸は終わりではないのである。一生をかけて完成するものが、能だと云っている。衰えた肉体であっても、その先がまだまだあると考えたのだ。世阿弥は、父の観阿弥の芸をみて、「老木に残る花」を見たと書いているのだ。

このことは、生涯学習にも通じることである。たいしたもんである。さすが天下の世阿弥である。

愚生たちのような老いてもますます盛んに学んでいる「爺&婆」たちへの、最大の応援歌である。ありがたいものだよ。

どうです?

愚生たちの仲間になりませんか・・・

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配偶者がいると長生きするって~♬

2014年01月07日 18時43分36秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

配偶者がいた方が、ガンの治療で長生きするという記事を、人間ドックで内視鏡検査で待っているときに読んだ。1月7日(火)の胃カメラの内視鏡の直前である。10時頃だった。

特に男の方が、長生きするのだそうだ。

理由は簡単である。

その記事によると、「配偶者がうるさい」からだそうな。大笑いをしていた。声を出さずにである。基地外だと思われたらしょうがないので。まったく、そのとおり。だから感謝して、配偶者の小言を聞くべしである。
 
配偶者というのは、うるさいものなのである。ちょっと体調が悪いと心配する。酒を飲んでいる最中でも、これ以上飲んだら死んでしまうと徳利を取り上げる。野菜を食わないと、叱る。ご飯の咀嚼回数も問題にする。風呂に入らないと、箒で追っかけ回す。いびきがうるさいと云って、ほかの部屋に布団ごと逃げ出す。(あ、これは愚生のwifeのことではありませんぞ)

どうです、御同輩の方々。

独身の方々には申し訳ないが、「配偶者がいたほうが長生きする」という新しい定理は真実であろうなぁ。心の底からそう思う。
 
愚生なんか、60過ぎまで健康でこうやって生きていることはできないだろうと思っていた。推量の助動詞に助けられながらである。らん、らん、らめ(らんはらむと書くけど)である。(これがわからん方は、高校の古文文法をもう一回やりませふ)

つまり、wifeというのは、助動詞みたいなものであって、それ自体はなかなか目立たないが、しっかり古文の文章の中では柱となっているのである。しかも、助動詞の理解がないと、古文はまったくできなくなる。助動詞ほど、大切なものはないのである。

だから、助動詞を知識として理解し、大切に扱ってあげないとアカンと思うのである。

wifeという助動詞をである。

ふむ、ふむ。なかなかええことに気がつきましたなぁ、愚生は。しかし、助動詞は誤変換すると「女同士」とも、「女導師」ともなる。わはははっはあっははである。つまりジョのジョは、「女」なのだ。しかも、すこぶる経験豊かな、熟女である。ついでに、変換すれば、ジョは「恕」にもなる。こっちの方が怖いですなぁ。笑ってばかりもいられん。

そもそも配偶者が長生きするくらいに、生きていなはるwifeなら、若い女ではつとまらない。美人とか、かわいいだけでは勝負できないのだよ~ん。経験知がなくちゃならん。しっかり子供も産み、育て、家計を握り、配偶者とご自分の家庭を繁栄させなくちゃアカンのである。

その点、藤原道長の奥様はすごいと思う。繁栄させるという意味では、理想の助動詞でありますな。

今年も人間ドックでは、さしたる異常もなかった。これが一番である。なんの異常もなくすごせる。

そして、まだまだ配偶者の小言を聞きながら、生きていられる。このことが最大の感謝ですな。感謝。(小言を聞きたくなかったら、死んじゃうしかないので)

さ、幕張から、凱旋将軍のように帰りましょぉ。
そごうの三省堂書店に寄ってからだけど。

「本ばかり買って・・・」という小言の方がこえ~けど。






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去年の記事 270枚か。。。。

2014年01月07日 18時43分06秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
7日になった。。立ち直らなくちゃ

ワンコが亡くなったし、どうーもモチベーションが高まらない。師匠からの激励メールで昨夜は(正確には真夜中)、ちょっとはやる気になったが、いかんせん道楽学問であるからなかなか困難である...
 

 

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1月6日(月)のつぶやき

2014年01月07日 07時38分18秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

禁欲というのはもともとそういう意味だったんではないか。無理矢理に諦めて、貧しくなるということではなくて、別の領域で、もっとインテンシヴ(濃密さ・強度的)にできるから、結果として日常の領域では弱くなっていくんだということ、むしろより豊かになることだったのです。 『三つの鏡』

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君は先頭に立って走っているのだね?-それは羊飼い[群を統べる者から、指導者、統治者の意]としてか?それとも例外者としてか?第三の場合は逃亡者ということになろう。…第一の良心の問題。-偶像の黄昏-

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母神(御祖神(ミオヤガミ))が地上に降つたのは、偶然にも新甞の夜であつた

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――幻滅は鋼(はがね)のいろ。 髪毛の艶(つや)と、ラムプの金との夕まぐれ - 或る男の肖像

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死というものは、必ず、いつか、みんなにやって来るもの。でも、今をどのように生きて行くか、何をしたいか、生きることに本当に真剣になれば、死ぬことなんて怖くなくなるもんです。

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自然に対して畏敬の念を持って問いを発したなら、やはり畏敬と尊敬から生まれる答えを自然は返してきます。けれども、私が自然界に歩み寄って、まるで金庫の鍵をグッと開けるようなやり方で対したなら、結果として犯罪的な答えが返ってきます。 『三つの鏡』

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■「ふたりの人間のあいだの友情は、どちらかひとりの忍耐にかかっている。」
【部族名不明】

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ボロブドゥール遺跡 360度、外観や廊下まですべてレリーフが施してあります。 pic.twitter.com/swTN91RVDr

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今朝の呟きの「見る」は『明けゆく次元』のなかでは対象化認識といわれます。今までの哲学はこの対象化認識のなかで行われていたから限界が。なぜなら人の眼にする事のできない世界でありながら現実に存在する量子力学の世界があるからとこのご本は進みます。不思議とすうっと入ってきて楽しいのは何?

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『明けゆく次元』第一章学問と真理は次の文章ではじまります。「真理という言葉が聞かれなくなって久しい」。この冒頭にぐっと惹き付けられました。今朝「見る」という事について呟きましたが、考えたらこのご著書の影響。ツイートの直後に「実在を見る」という言葉が浮かんで気がついたのでした。

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私はこれから先の永遠を駄洒落で支えていくようにとの刑罰を受けており、そのためここに、元々何一つ希望を残すというのでもない雑文を一筆、非常に品よく、酷く緊張することもなく書いたのです。(ヤーコブ・ブルクハルト宛の手紙1889年1月6日)

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■「笑顔が神聖なものであり、みんなと分けあうべきものであることを、いかなるときも忘れてはならない。」【チェロキー族】

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犬は糞をするときに体の向きを地磁気に揃える(南北方向にする)という研究。70匹の犬の計7000回の脱糞を観察。犬が地磁気を感じるという報告は初めてらしい。blogs.discovermagazine.com/d-brief/2014/0… 原論文 frontiersinzoology.com/content/10/1/8…

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寝る前には、どうやったら頭のスイッチを切り替えられるか、熱心に取り組まないと、すぐに頭のフィラメントが切れてしまいそうになるんです。フィラメントがやせて細いんでね、すぐに熱くなって危ないんです。ぶちっと切れそうになっちゃう。

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デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国【ドイツ】【文化遺産】 pic.twitter.com/H0rbFhzmBw

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今の今まで、古事類苑がデータベース化されてて無料アクセスできるなんて知らなかった。しかも2007年からやってるっぽいし。ありがたいな。shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/inde…

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 今朝も4時に起きて、読書をせり。もっとも寝る時間が早いから、早く起きられるのだが。昨夜も、9時にはベッドの中に潜り込んでしまったから。

 しかし、いいものだな。早く起きて、まだ誰も起き出... goo.gl/RHVrhP


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/