講話(安全教育)をしてくれということであった
人間ドックで二日間家を留守にしたから、なんだか家のありがたみがよくわかる。ただ起きて、ただご飯をいただき、ただテレビを見て、ただ家人としゃべっているだけなのだが、これが実に快適なのだ。なんということもないことを、世間話をしているだけなのだ。テレビのニュースを見ては、かわいそうだとか、なんでまたあんなことをして・・とか話しているだけだ。くだらない日常だと言われるかもしれない。確かにそうだろうと思う。
朝からバリバリと働いているモーレツサラリーマンが、幕張の高層ビルにはたくさんいたし、それなりに尊敬申しあげる。しかし、愚生はもうそういう世界に戻ることはできない。もっとも、エリートサラリーマンとか、モーレツなんとかっていう世界とも無縁でありましたなぁ、愚生なんか。
引退をしたからである。後輩諸君が活躍している元の職場に出かけていくことくらいみっともないことは無いと思っているから。
実際、迷惑だろうと思う。だから、愚生は可能なかぎり、元の職業の方々と会わない。今はそれどころではない。「郷土史」の世界で良くしていただいているから、楽しくてしょうが無いのだ。事実、どこに旅をしても、たとえ大学の行き帰りであっても、道祖神が道ばたにあると楽しくなってしまう。それを信仰していた地元の方々にお聞きすることも自然にできるようになってきた。論文を書いて、いろいろ発表させていただいたものをお送りしたりして、年賀状もいただいた。前の職業とは一切関係ない方々からである。こういうのが実に楽しい。
世界が広がってくる。
老後は、こうやって過ごすのが愚生にはあっているのでしょうなぁ。
しかし、まったく関係を断ったわけではない。昨日人間ドックのすべてのコースが終わってヨレヨレと歩いていたら、着信履歴があったので、かけ直してみた。そしたら、前の職業関係の方から電話だった。前の職業関係の総本山からだった。いろいろ話をしていた。安全教育のことであった。こちらも愚生は災害文学というような観点で、研究発表をさせていただいたから好きな分野である。交通安全で、バイクの乗り方を指導していたから。なんと大型オートバイを5台も自分で買ったくらいだから。(^0^)
講話(安全教育)をしてくれということであった。愚生のようなじじいでもよろしければと快諾した。少しは、世のためになることをしないと、アカンですからなぁ。大学院なんか入って、テメエのことしか考えていないと友人・知人にはかなり責められたから。去年。反省していますけどね。
二年間くらいやってくれと言われた。どうなるかわからないけど、やれというならやるしかない。人間ドックの結果は良好だったし。別に断る必要も無い。ま、そうやって話をしていることで、またどっかの大学で研究発表をするかもしれない。それが愚生の唯一の生きがいだからなぁと思う。思うだけでなく、実際行動に移しているからだ。物好きなじーさまですよ。それにこんなじーさまが、パワーポイントを使うと若い人がどよめく。意外だ!とお声がかかる。使えるのか?じいさん!と激励の言葉もいただく。わはははっははである。
今月の17日に前の職業時代でご縁をいただいた先輩達と、ちょっと一献やる。退職した校長先生たちとだ。全員大先輩である。ようやく愚生もお仲間に入れていただくこととなった。こういうつきあいも拒否しちゃアカンのである。ただし、こだわらないことである。いつまでもメソメソしていたらこれまた無明を生きることになるからだ。
人間ドックが終わったばかりだというのに、また酒を呑むのかとwifeに顔をしかめられたが。ふふふふ。仕方ない。ご理解をいただくしかない。「亭主元気で留守がいい」なのである。愚生なんかいない方がいい。清清するだろう。Wifeは。亭主なんて、いるだけで邪魔だから。
明日から、在籍大学のゼミが始まる。明日は、修士課程の方が研究発表をされる。楽しみである。中世文学だからである。
金曜日は師匠のゼミ。クラスメイトとも会うことになる。忘れられていたりして。あ、違った。最初から眼中に無かったのだったな。じじいにクラスメイトと呼ばれたら身の毛もよだつだろうから。わははははっは。
土曜日は、郷土史の会で千葉市に行く。千葉パルコの隣である。古文書講座もある。楽しみである。原稿も書かなくちゃならん。郷土史の原稿も。
楽しみが多くて、じじ~になったという自覚が無い。ほんとうにしょうもねぇ年寄りでござんす。・・・・・♬♬♬♬
これから香取神宮に行ってくる。
もう参拝者も少なくなっただろうから。
本当は、香取神宮の近くにある旨いそば屋に行くのが楽しみなんで。
(^-^)/