午前中から院生室にいる。誰もいない。
今日は午前中から院生室にいる。誰もいない。実によい環境である。可能ならば、毎日院生室に来て、ここで生活したいくらいである。(^_^)
しかし、こんな生活もあと一年しかできない。困ったもんだ。もっとも進級できたらという条件付きであるが。可能ならば単位取得できて、満期退学くらいは最低でもしたい。論文は評価を伴うし、それに愚生は研究者にはなれないから、郷土史の分野でチャレンジしていくしかない。さらに、さらに、愚生は生涯学習者でもある。否、こっちの方がメインだ。だから、一度学んだ中央仏教学院に入り直してさらに課程のレベルを上げてみようかと、今は思っている。
なにかの形で学ぶことに関わっていないと、オレは確実に呆ける。
退職して、wifeと毎日朝から晩までずっとにらめっこしていたのでは、短命で終わる。わははっははである。やることはあるのだが、あまりおもしろくないのだ。それはwifeにとって気に入らないからだ。つまりパーフェクトにできないのだ。家事が。
皿の洗い方も気に入らないのでは、これは困る。それでも、なんとかおだてて、使ってくれればいいのだが、できないのだ。wifeは。
人を褒めて育てようという意志がないとアカンのでっせ。
旦那は褒めて育てましょう!
マジに。
(^_^)
今日は、院生室で論文を書いて、午後には大学から千葉市に出かける。宴会がある。5時からだ。二次会もあるだろう。今までの経験から。その前に郵便局に行って、カネを支払ってくる。西本願寺の聖典集をyahooオークションで買ったからだ。6000円が、1000円程度で落札できた。感謝である。ありがたいものだ。
なんでそんなもんを買ったのかというと、中央仏教学院の通教生であった時の教科書であったからである。かなり昔の時だから、今はもう無いのだ。もう一度買い直したいと思ったからである。入学できれば、また3年くらいは勉強できる。論文書きができる。スクーリングで京都にも行ける。
どこまでも生涯学習は続けるつもりである。
なぜなら、オレにとってこれで終わりは無いからである。
棺桶に入って初めて終わるのだろうなぁ。
可能なかぎり、長生きしていきたいものであるけれども。