夢にも思わなかったこと様々
昨日、喉が痛かったのだが、早く寝たらだいぶ調子が良くなった。あまり具合がよくないうことが無いので、鬼のなんとかというやつだ。だから誰も同情してくれんのだ。当たり前だな。当たり前。喉が痛くなったということが、今日最初の「夢にも思わなかった」こと、である。
もっとも、愚生だって、力尽き、なよなよと崩れ落ちることはいくらでもあったのだ。一番は失恋。あ、これはずーっとそうだな。さらに、出世が遅かったこと。もっとある。株式でソンをしたこと。倒産の憂き目にあうとは思いもしなかったな。柔道もそう。まさか、30代前半で4段をとって、そのままになるとはこれも夢にも思わなかったなぁ。夢にも思わなかったというと、校長になったこともそうだよ。よくもまぁ愚生程度で、と今でも不思議である。なりたい人は一杯いるだろうに。もうひとつある。学級担任を生涯やりたかったのに、途中から管理職になってしまったので、この目標がつぶれてしまった。亡母が生涯学級担任であったので、ある意味憧憬していたのだった。葬式にもかつての教え子がたくさん来てくれたしなぁ。ありがてぇよん。そういう教師になりたかったのだ。
欲を出さないことだ。好きな女性ができたら、オノレの顔をしみじみ鏡で見ることが肝心である。あああ、よくもまぁこんな顔をつけてなにをかイワンヤと反省すべきである。どの面下げて好きでーすって言うのだと反省することである。似合わないではないか。馬鹿でもあるまいし。
だから仮面が必要なのである。能面のような美しい仮面。オノレの心を隠してくれる仮面。
つまり仮面は、オノレとは違った人間を演じることができるのだ。これは楽しい。100年の人生を何倍も生きることができる。(そう、愚生は100歳まで生きる予定なのだ)
今、大学院生をやらせていただいている。これも院生という仮面をつけているからできるのだろうなぁと思う。愚生のようなじじいとは違う実に溌剌とした美男・美女達と勉強をさせていただいている。在籍校の社会教育講座にも愚生は顔を出して、師匠の講義を拝聴させていただいているが、愚生より先輩の方々に「うらやましい余生だなぁ」と言われたこともある。これもまた夢のような話である。
今日は、これから師匠のゼミがある。今年度最後になる。本当にお世話になったものである。感謝である。そして、来年度は3年生に突入する。仕上げの年度である。ここまでくることができようとは、それこそ「夢にも思わなかった」ことである。
夢から覚めたら、全てが瓦解していたというようなことにだけはならないようにと願っているが。
わはははっはである。
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