2014/01/16 ザ・ボイス 青山繁晴
【青山繁晴】様々な人生、子育てや結婚、フェミニズムについて[桜H26/1/17]
趣味でやっていることだから、全部
昨日塾から帰ったら、なんと夜の11時であった。いろいろあって。ま、それをここに書くわけにはいかないが、そろそろ潮時かもなぁと思った。あ、問題を起こしたんではないですぜ、オレ。それにミーティングだったし。
そもそもwifeは塾に行くのを大反対していた。みっともない。退職してまで・・・という論理の展開であったのだ。それはそれで、オレも認める。退職校長のする仕事であるかないかということでは、オレも首をかしげざるを得ない。さらに、オレは他にも働く場所がある。在籍している大学とは違う大学である。こっちだけでも十分なんだけど、楽しいから塾に行っているっていうのは本音でもある。あまり、拙ブログには書かないのだが、そっちでもやっていることはやっているのだ。
みっともないと言うのなら、在籍大学で勉強しているのだって、イエスである。ずいぶん周囲に云われた。オレをスカウトしに来られた方は、中退せよとまで云ったっけ。即刻、こっちで働いてくれっていう寸法である。みっともねぇじゃぁないかとまで云われた。
そんなことは、どうでもいいことである。
もうオレは論文書きさえさせていただいていれば、それでいいのである。なんのために、大学院に行っておるのだ?と聞かれた時には、「論文書き」と答えることにしてもう2年たった。あちこちにずいぶん書かせていただいた。これからも書かせていただく。それがオレの生きがいであって、それだけなのである。それに在籍大学は、家から近い。中退しても、社会人講座で来ることはできるから、実にいい。来年以降も中国語とか英語とか学ぶことができる。楽しみである。
で、それだけなのだ。趣味だからである。自己満足しているってぇだけのこと。
しょうがないじゃぁないか。
定年で追い払われたのだから。
わははっははっは。
「アテにしないこと」
これをやらなかったらどう思われるかとか、人に迷惑をかけているかとか、そういうのを全く思わないのもいかがなものかとは思う。独立独歩、好き勝手、オメェはオメェ、オレはオレ。
ま、そういうのもいいと思う時がある。それくらいの覇気が欲しいということでもある。
しかし、モノには限度がある。それをやっちゃぁおしめぇぞ!ってやつ。これは戒めとしては有効である。法規を守らないというのは最低であるし、人倫の道に外れてもアカンのである。当たり前である。
愚生も人のこたぁ言えない。
失敗や、挫折を何度も乗り越えてきたからだ。そういう繰り返しで定年まできた。なんとか退職させていただいたけれども、よくぞできたなぁと感慨深い。
なぜそう思うかというと、「他者評価」と密接に結びついているからである。評価の無い人生はない。いつも評価されて人間は生きているからである。悪口が良い例である。オレの良いこと・長所は誰も言ってくれない。欠点指摘は誰でもする。ついでに言えば、自分の欠点は分からない。分かっていても気がつかない。否、分かろうともしない。どうです?そこのあなた様。そうでしょ?・・・・オレもそうだから。
だから、欠点を指摘してくださる方を神様だと思うことである。
アリガタヤ、アリガタヤと感謝することである。
愚生なんか、合掌までさせていただくことがある。
怒り出す人もいたけどねぇ。これまで。それくらいで怒るようでは、ただのアホだと思っているから、相手にしないけど。わはははは。
基本的に、他人のことについては「アテにしないこと」である。他人からは相手にされなくて当たり前であって、そもそも他人ではないかと思うことである。だから、ゼッタイの理解なんて無いのだ。他人だからである。なんでも分かってくれる筈だとか、そんなのあり得ないではないか。
***ということについて、友人知人から教えて貰っていると、相手にも都合というものがあるから、忘れられることがある。中国語とか、英語とか、歴史とかである。それは仕方の無いことである。約束をしても、忘れられる。当たり前である。他人だからだ。もっとも、忘れられるという程度の価値しか無いのが「オレ」だというだけのことである。ゼッタイに忘れたくないというだけの存在価値がオレの方に無いからである。その辺りの石ころと一緒なのである。それを厳しくオノレの心に戒めとして置いておくことである。
そういうときは、相手を責めないことである。
本当に、価値の無いつまらねぇ人間だと思っているから、オレのことをワスレテしまうのであるから。せいぜい価値を高めて、忘れられない人間になりたいものである。相手の手帳にメモして書かれるくらいでないと、アカンですな。オレにはそんな方がだれも周囲にいないのだけれどもねぇ。
あ、wifeに忘れられてしまったら、こいつは致命傷だな。
あはははっははっはは。
(笑っている場合じゃぁねぇなぁ・・とほほ)
好きなように生きている
固定化されるということを警戒するのが、愚生の生き方であった。エビのように柔軟に生きるということである。これをモットーにしてきた。定年退職したのだから、もうどうでもいいような話である。タノシミで塾の講師もさせていただき、大学も楽しみで通学し、たまに他の大学で講義する。こういう生活にマンゾクしているのだ。しかし、これが3年目に突入しようとしているのだ。
心情的には固定化しているのだ。変化を怖れてしまう心理。これってあまりいい傾向では無い。通学している大学の方は、今年で年限がくる。ダメだったら去らねばならない。なにもそれを怖れているのではない。去ること自体は最初から予定されていたことだし、能力も無いということも自分のことだから知っていたから、慌てない。当たり前である。今更気取ったってどうしようもないからだ。
塾の講師も気にいっているのである。まったくタノシミでやらせていただいている。収入は度外視である。カネが欲しかったら再任用をしていたからだ。しかし、これも固定化しつつある。愚生の潜在意識として。アカンな。塾の講師で余生を過ごす気持ちは全くないからだ。ま、今のように一週間に2時間程度ならムリなくできるっちゅうもんだけど。
それなりに工夫をしていくことである。さしたる仕事ではないけれども、仕事は仕事。微々たるカネでも、カネはカネ。貰っている以上は、それなりのことはやらなくちゃならないからだ。
そこにおもしろさが加わってくると鬼に金棒である。
そういうことでありたいものである。
今日は、これから大学に通学する。
駄文書きをさらに徹底する。もう目標は決まったからだ。資格取得ではない。私家版でもなんでも、研究のまとめをするつもりだからだ。だとすると字数制限は無い。好きなように書ける。これでいいのだ、これで。後はなにを世に憚ることがあろうか。
もっとも、好きなように生きている実に怪しいじじいだからなぁ。
わはははっはは。
今日は図書館に行って、駄文書きである。
もう、目標は決まったから。私家版でもなんでも3年間の学びをまとめてみようと思う。
尊敬する安部... blog.goo.ne.jp/tym943/e/025a9…
元気で働いていられるだけ、きーみは仕合わせですよんとダジャレを飛ばしていた。
されど、あっちはあっちで愚生のような自由気ままな「怪しい爺」生... blog.goo.ne.jp/tym943/e/40c25…
タイトル見て気持ち悪くなった。→「100人超がいじめ認識・天童の中1死亡 生徒アンケート、教職員も調査へ」。“同校長は「これまでの学校生活に問題はなく、いじめも確認されていない」。”headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140119-…
監督マニュアルには記載されていなさそうです。そんな時は本部に問い合わせを。 RT @kei_roku: 用紙汚損ですね( ̄▽ ̄)
以前、隣の受験者が臭いという苦情を受けて、対応に困ったことが・・・
【予告】2月18日(火)から第3展示室特集展示「和宮ゆかりの雛かざり」を開催します(~3/30)。幕末の動乱期、波乱にとんだ生涯を送ったことで知られる和宮。今回の特集展示では、和宮所用として伝来した有職雛(ゆうそくびな)と呼ばれる種類の雛人形や、江戸上野池之端にあった(続)
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CiNii 論文?-? 上杉・織田氏間の交渉について(II 中世社会の展開と近世社会の成立,近世社会の成立と展開,所理喜夫先生退職記念号) ci.nii.ac.jp/naid/110007003… #CiNii
都立高教諭、部活生徒2人にキス21回…懲戒免 : 社会 : (読売新聞) yomiuri.co.jp/national/news/…「児童のテストの答案などが入ったかばんを盗まれた多摩地域の小学校の女性教諭(58),生徒に学校内でキスをした区部の都立高校の男性教諭(30)」。東京