と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

塾から帰ってきた

2014年01月14日 22時16分49秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

塾から帰ってきた。
22:05である。
まぁ、いいか。これも趣味でやっているようなものだからなぁ。

これで、若い人との接点がないとすこぶる寂しいからだ。
在籍大学では、なかなか友人ができないから。
さみしい老人でございまするよん。

笑ってばかりいるのは、その寂しさをごまかしているからだなぁと思う。マジに。

なんかだんだんと楽しいことが消え失せていくのだ。体力が無くなっているからだとも思うのだが、ど~もそうでもないらしい。

ひねくれているからだろうと思う。

これは当たっているなぁ。それに将来展望が全くない。今日、学事出版様に原稿をお送りしてしみじみそう思った。教職員向けの挨拶集の原稿である。これを書いていたのである。拙ブログに出すわけにはいかないので、控えるが。それは現役の高校の管理職向けの書籍なのである。そこに書かせていただいたのだ。毎年のように書かせていただいている。そして、薄ら寒い心境になってしまったのだ。

こだわっているオノレ自身を発見してしまったからである。

現役生活に。

アカンなぁ。

まだまだ俗世間にこだわっている自分を発見してしまったからである。

そんなことを云ったら塾もそうだな。非常勤講師をさせていただいている大学もそうだ。教育というテリトリーの中で生きているだけであるからだ。なんとも、なんとも。

さみしい人生でありまするよ。

今日も寒かった。

明日は雪がふるっていうけど、ホントかな?

明日の朝、雪が降っていたら諦めましょう。

明日は、夕方まで原稿を書いているだろうけど。

お休みなんしょ。

(^-^)/

 

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去年の記事 竹馬を。。。。

2014年01月14日 18時43分51秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
竹馬を杖にも今日は頼むかな

西行の聞書集に実に良い歌があります。竹馬を杖にも今日は頼むかな 童遊びを思ひ出でつつ(竹馬の竹を今日の私は杖に頼るなんて、随分年をとったものだ。子どものころにこれに乗って走...
 

 

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フィットネスクラブから帰ってきて,隠遁ということについて原稿を書いていた。

2014年01月14日 16時57分15秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

お昼前にフィットネスクラブから帰ってきて、昼食をいただき、それから爆睡して、起きて漱石の「行人」を読み、原稿を書いていた。隠遁の思想ということをよく考えるからである。

そういえば、拙ブログでも九十九里浜にて隠遁をしていると書いてある。自己紹介の部分に。(これはまるっきり虚偽申告です=(^-^)/)

むろん愚生は正式に出家した人間では無い。名利から離れ、俗世間を完全に捨てた人間でもない。まだまだ俗世間で生きている俗物でもある。女性については見たくもない、お酒も飲みたくない、カネも要らない(ついでに云えば、髪の毛も要らない)なにもかも要らない、すべて自己の救済のためには邪魔だとしているわけでもない。着ているモノすべてを路傍の乞食さんに与えて、比叡の山に戻った増賀上人のごとき人間でもない。当たり前である。悟っていないからだ。わはははははっは。

隠遁というのは、寺院制度の中で生きている組織内僧侶のことを指すのではない。こういう僧侶は官僚と一緒である。官位というものがあって、出世することが目的であって、それと完全なる隠遁者とは違うものである。

生きる究極の目的というものを志向しはじめると、死ぬか、基地外になるか、宗教に走るしかないと漱石も書いている。主人公の一郎に云わせている。ちなみにこの「行人」という作品は実にひねくれた作品で、主人公一郎が、妻の直という女性を誘惑してくれと、弟の二郎に頼んだりしているのだ。父親についても、軽薄でのんきで、世間的な成功はしているものの、究極の生きる目的などというものは考えていないただの駄目親父として描かれている。愚生はすくなくともそう思った。

隠遁というのは、俗世間を捨てることである。体制内世界を離脱することである。さらに、鳥さえも通わぬ辺境の地に行くことである。もっと云えば、彼岸にあるところの原郷世界を志すことである。俗世間を無視して、現在の世俗から離脱して行くことは、彼岸の原郷世界に到達することを目的とする。

隠遁者は、辺境世界に出ていくことによって、俗世から離脱しようとする。されど、辺境世界に到達したとしても、隠遁者は、現実世界の範囲内で生きているものでもある。つまり不徹底なのである。その不徹底さこそが、さらに隠遁者を隠遁に駆り立てる。

究極の人間の生の拠りどころを求める以上、辺境の世界に憧れるのは仕方がないのであろう。

古典にはそのような生き方をした人が多く書かれている。官僧と云われる組織内僧侶とも違う隠遁者のグループである。「~~~入道」と呼ばれる人々である。生まれた時からの僧ではない人々である。途中まで俗世間の人間として、それなりに生きてきた人々である。多武峰少将入道如覚、三河入道寂昭、古曾部入道能因らである。特に右兵衛尉西行が有名である。他にも、前長門守入道寂超、伊賀大進入道寂念、壱岐入道寂然らの所謂「大原三寂」をはじめ、神祇少輔入道空仁、右兵衛尉入道西住らである。

官人であった時期を持っている人々である。官人からの隠遁者なのである。隠遁後もある程度官人たることを背負い続けている人々である。彼らは原則として僧官位を持つことはなかった。それゆえ、官僧の周囲にとどまっているいわば「外部の人間」である。完全なる僧侶ではなかったのである。

ところがである。

隠遁して、俗世間を捨てれば捨てるほど、そして、その志が崇高であればあるほど、周囲に愚生のような一般大衆が集まってきたのである。オノレ一人の救済を求めて隠遁したのにもかかわらずである。たき火で焼いた焼き味噌で日々を過ごしたいと思っても、周囲の人々が放っておかないからである。大衆それぞれの救済の可能性が増大していくからである。いくら来ないでほしいと云っても、人々は隠遁者に帰依する。結縁をいただくことによって、隠遁者の得た功徳に預かることができるからである。だから、皮肉なことに、隠遁すればするほど、布施が積まれ、弟子が集まり、人々から尊敬されることになる。

俗世を捨てたつもりであっても、人々に有形無形に取り囲まれていたのでは、隠遁したことにはならない。辺境の地にもいないからである。

隠遁することは、人々によって捨てられる存在でなければならない。卑賤視されて、石もて追われる存在でなければならない。

出世したりしていては、話にならんのだ。「~~せんせ」とか云われて尊敬を集めておいて、「隠遁者」を気どっていたら話にならんのである。

川の渡し守となったり、馬の飼育をしていた玄賓僧都とか、唖のふりをしていた静円供奉等々の乞食や博徒、遊女あるいは聖のような体制外で生きていくことであったのだ。

だから、愚生なんぞは偽物である。

まだまだである。

俗の中で生きているからである。

捨てきれていないからである。

 

 

ここまで来たのだ。

なんにもいらねぇではないか。

なんにもないところからスタートして、これでくたばるのである。捨てるものさえないではないか。

わかっちゃいね~のだなぁと思う。

そもそも自分のことがよく分かっていね~からなぁ。とほほほ。


(^_-)-☆

 

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ふうううう、原稿をお送りした。

2014年01月14日 10時25分53秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

ふうううう、原稿をお送りした。二本である。学事出版様である。

今日は、こちらの原稿もあったから大学には行かなかったのだが、良かったよん。これで。10:19である。午後からは郷土史の原稿を書かなくちゃならない。これもメールで原稿をお送りしなくちゃならない。

かえって生きがいになっているのだなぁ。

こういうのが。

これからあまりにも寒いので、気分転換にフィットネスクラブに行ってくる。夜は、あるいは夕方には行けないからである。夜は、楽しみの塾があるからである。中学生が愚生を待っていてくれるからである。

それに、寒いと外を歩く気にもならない。だいいち、血圧に悪い。そもそもじじいなのだから、健康は大事にせんとアカンですな。まったく。

そして、帰ってから昼食をおいしくいただいて、感謝の生活を今日も過ごしていくのだ。それが愚生の義務である。義務。

じゃぁね~~~~~~。

(^_-)-☆

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低い自己評価

2014年01月14日 08時36分22秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

役割ということを考えることがある。

家事についてである。あるいは、外でカネを稼いでくるということである。これって誰が決めるのかねぇ?って思っているのだ。

神様?

わははっはは。それでは話にならない。

しかし、誰が決めるのかね。自分で決めるのかね。それとも、他人が決めるのかね。どうなんだろうか。

よしんば自分で決めるとしても、他者がそれを許してくれないということも考えられるではないか。たとえば料理である。愚生がやりたいと思っても、愚生の料理をした後片付けが面倒だということで、嫌われるのだ。それは普段管理をしているwifeがいやがるからである。

それには評価が密接に関わる。高い評価ならば、自分で役割を決めても問題がないだろう。しかし、低い評価なら問題外になる。

もっとも、こりゃぁ愚生も人のことは云っていられない。評価されてなんぼの世界に住んでいるからである。

ま、こんなことを云ってられるのも、隠居じじいをやってられるからである。のんびりじじいである。

今朝は、5時ちょうどに起きて読書していた。折口信夫を読んでいた。全集、全巻で6000円で買ったからである。もったいないのと、そもそも好きだからである。さらに云えば、折口信夫は民俗学の教科書でもある。

柳田国男もそうだ。

やることがいっぱいあるのだよん。

今日、大学に行こうと思ったが、中止した。寒いからだ。なんという柔弱な人間だろうかと、反省をしている。ま、今晩は塾のアルバイトがあるから、体力温存である。

これが愚生の評価である。

自己評価である。

わはははは。

たいしたことはないなぁ。。。。

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1月13日(月)のつぶやき

2014年01月14日 08時28分46秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

放送大学大学院修士の口頭試問が昨日終わったそうだ。全員で8名。朝、10時から18時まで。昼食も無し。昼休みも無し。一人の持ち時間は決まっているものの、オーバーする人が殆どであったそうだ。夜は、飲... goo.gl/6zquKi


「人生で一度は見たい世界の絶景」っていうテレビ番組を昨日録画していたので、今朝見た。昨日フィットネスクラブで見ていた。歩きながら。マシーンで。で、その続きを今日になってから、見ていたのだ。

... goo.gl/QYhAfE


おくの細道は、それこそ奥が深い。暗唱させられた方も多いと思う。愚生も教員時代は、やらせたけど(^_^)。

舟の上に生涯を浮かべ・・・なのだか... blog.goo.ne.jp/tym943/e/b24dc…


受験勉強ツール、進化中 いざセンター試験 - 朝日新聞 (asahi.com) t.asahi.com/doyh「英単語カードの代わりにめくるのは、スマートフォンの勉強用アプリ。離島にオンライン予備校」とな。ICT化の波はこういう部分にも。

と~ま君さんがリツイート | RT

【祝:成人の日】新成人の皆さん、がんばってくださいん!私も、子どもの頃から「学校」がスキやった。その好きなこと、夢をずっと追っていきます。東京新聞:さすが、超一流のスポーツ選手は、プレーだけでなく、言葉でも…: tokyo-np.co.jp/article/column…

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『教育社会学研究』の論文は,Cinniで全文みれる(昔のも)。すごいサービスだな。

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CiNii 論文?-? 教育歴の分化と非行発生-一九四二年コーホートの追跡的研究- ci.nii.ac.jp/naid/110001877… #CiNii 松本良夫先生の論文。1967年の『教育社会学研究』第22集。

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「大学の教育は役に立たない」と口々にゆうてる企業の人たちが「卒業できず中退したら就職内定取り消し」と同じ口でゆうてる不思議がよくわからない卒論〆切24時間前です

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死というものは、必ず、いつか、みんなにやって来るもの。でも、今をどのように生きて行くか、何をしたいか、生きることに本当に真剣になれば、死ぬことなんて怖くなくなるもんです。

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@tmaita77 @Hiroki_Komazaki 若い人はこれから究極のマイノリティーになるんだろうな。さらに自分たちに関係ない借金を払って行かなくてはならない、合法な奴隷制度みたいだね、自分の子供には何と言って育てるべきなのか思案中だが、良い答えはなく orz

と~ま君さんがリツイート | RT

ブログ更新。データえっせい: 47都道府県の子どもたち2012(総合) tmaita77.blogspot.com/2014/01/472012… 最終回の第4回は総合診断。9指標をもとにした総合カルテ,総合スコアのランク表も掲載。

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【英語法座】英語で仏さまのお話しを聴きませんか?築地本願寺では英語法座を開催しています。毎月最終土曜日(12月と3月を除く)、時間は17時30分STARTです。どなたさまでもご自由にお聴きいただけます。ぜひご来院ください。

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■「いのちあるものすべてにいたわりを。」【オマハ族】

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日本コトバの会の生きたコトバの4原則(1)正しく、(2)わかりやすく、(3)切れ味よく、(4)ふさわしくは、どんな話や文章でも評価の大原則になる。法律でも悪い法律は悪文である。正しくないから、わかりやすく言えず、持って回った書き方をして、現実に相応しくないことを押し付けるからだ。

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午後である。14:10。図書館にいる。原稿書きをしている。専用のパソコン席である。毎日のようにここに来ているが、どうも年金生活になって居場所を失った人にも都合のいい場所になっているのかもしれない... goo.gl/2VWYlB


たかじんのそこまで言って委員会2013/12/22 goo.gl/APYxzf


それにしても、愚生は、中年太りと全くご縁が無い。
スタイル抜群である。
腰もくびれているし。
胸筋も動くのでっせ。
マジに。

あ、そんなのアンチエイジングを心から嫌っている愚生のい... goo.gl/zG7dKI


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彼が

2014年01月14日 07時21分15秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

盟友が、これまでの大学院生活をブログで書かれていた。彼は、現在四つめの大学院修士生活を送っている。もうそれも修了であろう。仕事もお持ちである。彼にとっては三つめの大学院である武蔵野大学大学院で愚生は彼と同学年になった。愚生も仕事をしながら学んでいた。人間学という領域をである。人間学、死生学、老年学、グリーフケア等々を中核とした勉強であった。思えばユニークな勉強をさせていただいたものである。

彼は大学院で学んでいるような人間は変人が多いのかも知れないということも書かれていた。指導教授からそう云われたからということである。世間的にはそう思われるのだろうなぁと感じた。一般的には、学部、修士、博士とそれぞれ一つだろうから。しかも圧倒的に学部卒が多い。

愚生も人のことは云えない。大学の学部を出てから、やはり仕事をしながら、専門学校で浄土真宗の勉強をしている。放送大学大学院でも学んでいた。つらつら思うに、この放送大学大学院で学んでいた経験が愚生の余生を決定したと思っている。選科生だったけれども、楽しかったのだ。幕張のかつて勤務していた教育センターのとなりにあったのだ。放送大学そのものが。食堂にもかなり通ったし。外部の人間でも入ることができた。

通教という方法がこれを可能にしてくれたのである。放送大学がそのことを教えてくれたのである。インターネットや、衛星放送が可能にしてくれたのである。そうか、こういう方法もあったのかと初めて気がついたのである。これが決め手であった。

学歴がほしいのではないから、仕事しながら学べるのは実に良かった。「実力」がほしかっただけである。研究者を目指すのならば、旧帝大にはかなわないから、そういう学歴を目指すべきであろう。旧帝大でも、灯台がいい。人脈が違う。そういう世界で生きていくのならばである。だから学歴ロンダリングなんていうことが出てくるのである。

愚生は、山月記のように地位とか名誉とかがほしくて基地外になるというような人生を選択しなかった。そもそも、最初から地位とか名誉なんて不要であった。ただの高校教師で終わってしまった。しかも田舎教師である。なんということも無いただのじじいである。でも、恥じてはいない。自慢もしない。ひたすら実力がほしいだけである。

それだけである。それだけ。

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/