と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

去年の記事 笑い話を一席

2014年01月04日 18時28分40秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
退路を断たないこと(アマチュアとして生きて)

仕事にはプロの仕事と、アマチュアの仕事があります。一日の時間を一定に区切って、その時間だけやっているというのは、アマチュアの仕事でありまして、殆どの人がこれに該当しています。8時間...
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

林修先生【情熱大陸】

2014年01月04日 10時07分33秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

現代文と小論文指導のエッセンスが詰まってますなぁ。

さすが東台ですわな。東台。(変換ミスではありませんよん)

数学もやっていたからできるんですねぇ。チャートで現代文と論文を指導ってのもなかなかです。

それと書斎の本の分類の仕方もなかなかです。

現代文の読み取り方も、同文が出てきたら、すかさず線をひく、同意語はマーク、定規で丁寧に読み取りをするってぇのもいいもんだなぁ。数学的発想ですよ。

それと灘高校の生徒たちのノートも、面白かった。東台でもトップクラスで合格するのは、字が汚いけど、学習スタイルができているのだそうな。そういう生徒はやはり自分流というのが可能になっているんだそうな。なるほどねぇ。なるほど。でも、字が汚いほうがいいとは言っていなかったけど。字が汚いと東台入れる?。。ううううう(^0^)

 

 

オレは、もう現役の教師ではないが、楽しかったですな。

 

 

林修先生【情熱大陸】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

林 修先生がダメ文章を劇的添削!50文字で魅せるテクニック

2014年01月04日 09時35分14秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

林 修先生がダメ文章を劇的添削!50文字で魅せるテクニック

 

これ面白かったですねぇ。

(^0^)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月3日(金)のつぶやき

2014年01月04日 07時14分19秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 鬼面劇というものを史料を中心として毎日のように追いかけている。よって、「仮面」ということを意識することが多い。多いというよりも、毎日の出来事なのだ。つまり、仮面というのは顔であって、たとえば他... goo.gl/KQiUfn


アジア隣国との友好的な関係を求めるなら、日本に外交国防についての主権を認めて欲しい。伝統的に右派は「従属の代償としてのアジア軽視」を要求し、左派は「善隣外交の代償としての対米自立」を求めてきた。靖国参拝は前者のシグナルである、というものです。

と~ま君さんがリツイート | RT

もうひとつは「侵略国としてアジア隣国に謝罪する義務」です。日本人はこの二つの義務を同時に履行することは「無理」だと感じています。だから、どちらか一つにして欲しいと。対米従属を求めるなら、アジア隣国に謝罪を続ける義務からは解放して欲しい。

と~ま君さんがリツイート | RT

ねぼけた頭で「靖国神社参拝」についての朝日新聞の原稿を書き上げました。靖国神社参拝は「東京裁判史観」が日本人に求めた「二つの義務」を拒絶したいという意思表示です。義務の一つは「敗戦国として戦勝国に従属する義務」。

と~ま君さんがリツイート | RT

たくさん経験をしてたくさん苦しんだほうが、死ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。逃げていたんじゃあ、貧相な人生しか送れませんわね。

と~ま君さんがリツイート | RT

公私別・段階別の時間講師依存率(2013年)。昨年のデータだと,こんな感じっす。私立高校では,学校に出入りする教員の3割が,細切れで授業をするだけの「バイト先生」じゃん。 pic.twitter.com/LzDy8gXaPo

と~ま君さんがリツイート | RT

現実のところ,非正規→正規のルートは広くない。25~34歳の正社員の初職をみると分かる。tmaita77.blogspot.jp/2013/07/blog-p… でも沖縄は,比較的こういうルートが開けているんだよな。再チャンレジの地は南にありか。

と~ま君さんがリツイート | RT

公立小学校の時間講師依存率マップ。細切れの授業をするためだけに雇われている,時間講師の比重が増している。2013年の東京でみると,広義の教員の10.2%(10人に1人)が「バイト先生」。2位は岐阜の9.6%,3位は滋賀の8.1%なり。 pic.twitter.com/zZPzFDrGfE

と~ま君さんがリツイート | RT

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人事部採用担当者からはまったく評価されない、「趣味で勉強」

2014年01月04日 06時32分58秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 

履歴と学歴ロンダリング

 

 

 履歴書というのがある。就職の時に書いた記憶がある。あの中に学歴欄がある。今、オレが就職しようとしても、学歴欄が書き切れないということになってきた。生涯学習だからナンボでも書けるのだ。しかし、普通は高校と大学の学部を書く。それが書き切れないということは、まず就職面接の時に人事部の採用担当者からは警戒されるだろう。日本の場合は、大学院文化というのが無いからだ。大学院に行った理由とか、それが問題にされるだろう。学校が好きだとか、社会的な適応性に若干問題があるとか、いろいろ指摘するつもりなら、いくらでも言うことができる。基本的に悪口文化だからなぁ、我が国は。また、純粋に学問のタメだけだということになると、旧制帝大以外は、ちといかがなものかというのが定番なのだと聞いたこともあるから。情け無いけど、それが日本の実情であろう。学部卒を現場で鍛える(TPOで)という会社の、あるいはいろいろな組織の新人育成方針があるとも感じている。民間会社にいたことがないので、なんとも言えないのだが。

 先日、拙ブログにも書いたのだが、学歴ロンダリングというのも問題としてある。どうにも寂しい話題である。学部進学の時に受験に失敗した大学の大学院を受けて入学するというものである。正確には学歴詐称というのであって、受験に失敗したから偏差値が上位の大学院に進学したというのをロンダリングというのはいかがなものかと思っているのだが、なんだか最近そういう意味でも使われているようだ。そんなの人の勝手じゃないかと叱られてしまうから、これくらいにしておくが。しかし、これもまた就職試験の時に、人事部の採用担当者からは警戒されるだろう。日本の大学院文化というのは、学部からの内部進学が当然であるから。ロンダリングしてきた外部からの人間は、警戒されるだろう。オレのように、生涯学習でやっている分にはそんなのカンケェーねぇのだけど。偏差値もへったくれもまったくそぐわないのだから。そもそも研究者とか学者というのは、険しい道であるのだろう。想像するしかないのだが。こっちもオレは経験したことがないから、クチをつぐんでいるしかない。(~だろう、だろうが多いねぇ、いつにもまして)

 しかし、これからを生きていかなくちゃならん若い人には、それどころではないはずである。

 履歴と学歴が就職に影響するというのは、しょうがないことなのかもしれない。基礎資格に、あるいは受験資格にそういう条件が記載されていたら、受験そのものができない。たとえば、看護師になるのに、そのような学校を出て資格試験に合格していないとならないというのに文句をつけても、そりゃアカンっちゅうものである。

 そのような意味で学校というものが作用しているというのは、いかな愚昧なるオレでもよく理解している。好き勝手な勉強ばかりしているけど、だからこそ、今の学歴社会がよーく見えるということなのかもしれない。オレの場合は、学歴ロンダリングっていうのは、当てはまらない。その必要がない。就職するために勉強しているのではないから。さらに履歴書も書く必要がまったく無い。だいいち提出する先が無い。もう終わったからである。だから、世間の評判とかまったく気にする必要が無い。職業の評判とか、大学の評判というやつである。

 話は変わるが(いつも変わってばかりだけど)、箱根駅伝が昨日終わった。あれに出てくる大学がたくさんある。運動に強い大学のオンパレードだ。あれを見ながら、かつてはお屠蘇を昼間から呑んでいたものだった。

 40代後半の時に、知人達とそうやって正月から新年会と自称して呑んでいた時があった。数人とである。

 話題は、箱根駅伝に出ている大学の価値とか世間の評判ということになっていったのだ。酔っ払っているから、まぁまぁ辛辣な話題になっていった。酔っ払いの戯言であるのだが、しゃべっていたことはここには書けないくらいにみっともないことであった。しかも、走っている大学の卒業生もいたからしまつに負えない。いいのか?そんなことまで言って、と思った。思ったので、そう言った記憶もある。

 お互い酔っ払っているので、相手にされていなかったが。しかし、酔っ払っているからというだけで片付けていいのかという問題が、あの時の自称新年会にはたくさんあったと思うのである。

 つまり学歴と実力ということである。 

 箱根駅伝に出てくるからには、実力があるから出てくるのであって、大学名で出場してくるのではない。あるいは伝統校だから出てくるのでは無いのだ。伝統校のご出身で、自分の母校だけをひいきして解説している某有名人の解説を聞きながら、オレは大笑いをしていたのだが。もっと言えば、偏差値教育とは無縁の世界が箱根駅伝である。そもそも箱根駅伝は全国大会ではない。関西とか九州の大学が出ていない。オレ自身も見たことがない。山形にいたときにである。知らなかったのだ。

 18歳の時に上京してきて見るようになったのだ。テレビで。テレビのチャンネルも多くてびっくりしたものだったが。もっとも、中高生時代はテレビを見ることもあまりなかったが。なんといっても劣等生だから、勉強についていけなくて、四苦八苦していたからである。

 箱根駅伝を見ていると、いつも履歴、あるいは学歴、そして実力というようなことを考えるのである。

 これもあれだな、自由で気ままな生活を送ることができるようになったらだなぁと思う。感謝である。感謝。

 

 さ、今日も人事部採用担当者からはまったく評価されない、「趣味で勉強」の駄文書きをしまひょ。

 じゃぁね~。

 

 (^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/