21:49である。
塾から帰ってきた。今日も楽しかったなぁ。大学受験の英語と、ちゅーぼーの数学と国語だった。男子である。(^_^)3 フムフム。愚生は男子専科である。というより、女子に嫌われているのだよん。イケメンじじいなんだけどねぇ、自称。わはははっははは。
大学受験の高校3年生は、日本史関係をねらっているから、山川出版の歴史手帳を今年は買ったのだが、使っていないのであげちゃった。もう9日にもなって、手帳の役にたっていないからだ。そう、愚生は本当に思いきったことをするなぁと思う。正直にいうと、有楽町の三省堂で買ったら、字が小さくてじじいの愚生にはきついのだよん。見えないんだもん。田舎の書店にはなかなか売っていないのだが。去年は吉川弘文館の手帳を使っていたのだけど。明後日千葉に行くから買い直しだと思っていたんだ。ま、これもあの高校生には役に立つだろう。感激していたし。
いらねぇと思ったら、愚生は本当に捨ててしまうのだ。もっとも逆もいっぱいあったなぁ。いらねぇって言われて、捨てられたこと。捨てられっぱなしの人生だった。フンフン。
で、塾から帰ろうとして、思い出した。
今月末に、民俗舞踊の取材旅行に行くので、休暇を願うことを。論文に書かなくちゃならんので。
そこで、黄色いメモを渡しながら、思わずホンネを言ってしまった。
「駄文を書かなくちゃならないので、働いている暇がないので」って。嫌みなじじいですなぁ。もっとも、愚生の嫌みは、真底いや~な嫌みである。これからは、嫌みじじいと改名したほうがええのかもしれない。それほど、愚生はダメなじじいである。わかっているのだけど、これまで随分虐げられてきたからなぁ。わはははっはは。
帰ってきたら、家人がまだ風呂に入っていなくて、これからになる。残業で遅かったのだそうな。
ま、それもありか。
最近は、夜の勉強をまったくしないから、早く寝ているのだ。朝早く起きて読書しているのだ。だから、夜遅いのはかなわん。
まるっきり、健康オタクのじじいでござりまするよ。
明日も学校にいきまひょ。
寒いらしいが。
明日も。
そう言えば、今日、院生室で、毛糸の帽子をかぶって打鍵していた。クラスメイトが入ってきて、なんでソンなモノをかぶっているのだ?とお聞きになったのだ。さぶーいっしょ、と申しあげたのだが、お若いからわかんねぇーのだ。アタマが薄いと、寂しい・・・ではなくて、寒いのであーる。
明日も、てっぺんから寒いのかなぁ。
おおおおおお、ヤダ。
それでは、最後にしますが、じゃぁね~!
いろいろと多忙ですわい
学会提出用の査読論文をほぼ終了。明日、一日見直しをして、メールでお送りしたいものである。最初から完成はないと思っているが、(本当に道程であるから)されどあまり酷いものも書けないから...
ええ・・・・・歌ですな。
死んじゃうなんて、あり得ないですなぁ。
みんな同世代で、死んじゃうのだなぁ。
やしきたかじん / あんた
『荊楚歳時記』について、日本への伝来の仕方なんてことを書いていた。相手が相手だけに、書くスピードが遅くなっている。国訳大蔵経とか参考にしているので。しかし、書けるのかね?こんな案配では。まだ157枚しか書いていないし。できなかったら、そのときはそのとき。中退するしかない。(>_<)ゞ
ふうううう、疲れたな。14:00だ。ちょうど。
これからゼミがある。修士課程のゼミに聴講生で参加させていただいている。
ありがたいこと限りなし。
こんな愚生でもやることがあるってことは、実にありがたいことである。
そして、なんと言われてもいいから、この大学で勉強をさせていただくのだ。
じじ~い学生としてである。
ほんとうにありがたいではないか。
しかも、家から近いのだ。
死ぬまで通学できるってぇもんだ。
わはははっはは。
ま、いい加減に来ないでくれと言われるまで、図書館や生涯学習センターに来ますけどね。杖ついてでも、ま、クラスメイトたちは、この大学の先生になっているだろうし、こっちもじじいとしては実に楽しみですよん。どうなっていかれるのかちゅうことだけど。まさか講義を受けさせていただくわけにはいかんでしょうけれども、相手にされていないから。わはははは。
明日は、師匠のゼミがある。
楽しみですわな。
まったく。
楽しみといえば、今日は、塾のアルバイトがある。これはちゅーぼー達と勉強をする。
数学と英語だ。(あ、国語を忘れていた!)
待っていてねぇ~っちゅうもんだ。
これじゃ、まるっきりラクテンじじいですがな。
ラクテンがひっくりかえって、転落にならんように気をつけましょ。
くわばら、くわばら。
生の拠りどころ
「おのれの生の究極の拠りどころとは何か?」ということを書いたのが、漱石の「行人」という作品である。
主人公の長野一郎は、それで苦悩することになる。今朝、大学に(在籍校)来る時に電車の中で考えていたのだ。そもそも、長野一郎は「人間の心を知ることはできるのか?」という疑問点から出発している。これも、愚生には楽しい話題である。
一郎は、「おのれの生の究極の拠りどころ」を失った「宿無しの乞食」である。おのれのなじみうる世界を持てないでいる。「自分のしていることが、自分の目的になっていないほど苦しいことはない」と一郎はいう。つまり、自分の生の究極の拠りどころとは、「自分の目的の喪失」であると一郎は言っているのだ。一郎は、なんのためにこうやって生きているのか、なぜこのような在りようをしているのかについて、分からなくなっている。
どうだろうか?
我々だって、本当に「おのれの生の究極の拠りどころ」を持って生きているのだろうか。愚生は、そんなことばかり考えてきて、もう62歳になっちまったのだ。つまり、愚生も無いのである。「究極の拠りどころ」っていうやつが。
Hさんという友人が、一郎に聞かれる。一郎はおのれの不安をHさんに聞かないではいられなかった。古くからの友人であり、議論も積み重ねてきたからである。
しかし、ここに一郎の錯誤がある。おのれの生の究極の拠りどころという問題設定は他者から聞き出すような性質のものではないからである。つまり知的な世界で対応できる代物ではなかったということを、愚生は最初に申し上げておきたい。
Hさんはうまいことをいう。(と、言ってもそれは漱石大先生が言っていることだが)「頭痛を知らない人が、割れるような痛みを訴えられた」と書いているのだ。さすがである。そんなことは考えてもみなかったっていうことである。
だから、一般的な答えとか、心理学者のような答えを提示しても、それらは一郎の問いに答えたことにはならない。内実のない、剥製の議論を延々とやってしまうことになる。「意味のない、口先だけの論理(ロジック)」だということになってしまう。
どんなに数多くこのことについて議論しても、一般論から出ていくことはできないだろう。一郎の問いは、愚生のような軽薄な人間の接近を拒否しているからである。
だったら、この一郎の問いをそのまま一郎に押し返してやればいいという方もおられるだろう。それも一理ある。禅はこういう手法をとる。まず座って自己を見つめよ、と。
そうではなくて、あくまで論理として扱うのならば、このことは論理思想の根源的な課題である。それをずっと考えてきたが、困難な歩みであった。そしてまだまだ解決がついていない問題でもある。一郎はいう。「ひとの心は外から研究はできる。けれどもその心になってみることはできない」と。これである。このことが、他者を阻害するのだ。
我々は、他者の真実の姿を知ることはできない。しかし、少しでも他者に近接することは可能である。模索するということにおいて。一郎そのものにはなりきれないということを、我々は知っている。それでも、我々は一郎になり代わろうとする。
「おまえ、ひとのこころがわかるかい」と一郎は弟の二郎に聞く。どうだろうか?夫婦とか、恋人であっても本当にわかりあっているのだろうか?誤解の積み重ねであったのかもしれないということを、考えてはならないのだろうか。
我々は、人はどっかで心が通じ合っているのかもしれないという期待のもとに生きているだけであって、自ら選んでそのような誤解をしているだけではないのだろうか。
妻に対しても、自分の子どもたちに対しても、心底理解できているかとなると、愚生は自信を持って答えることはできない。
すべての人間関係もそうだろう。絶対の信頼関係というのはあり得るのだろうか。走れメロスのような美しい物語は、愚生には不可能である。メロスだって、一度は疑惑に取り込まれている。絶対の信頼というのは美しい。しかし、本当に絶対なのであろうかとも思う。
思ってはならないことなのだろうか。
ましてや、メル友、FB友っていうものに、愚生が疑問を感じるのも仕方ないことなのだろう。
ああああああああああ、けふは寒いですな。寒い。
こんなことを書いているからだなぁ。
わはははっはは。
人間ドックで二日間家を留守にしたから、なんだか家のありがたみがよくわかる。ただ起きて、ただご飯をいただき、ただテレビを見て、ただ家人としゃべっているだけなのだが、これが実に快適なのだ。なんとい... goo.gl/UpLqZC
#言語 #エチュケッ #語学 RT @808Towns: 欧州言語の家系図。つまり、英語が話せたら、フリジア語が一番覚えやすい。独語が話せたらオランダ語が一番覚えやすい。フランス語が話せたらルーマニア語が一番覚えやすいってこと! pic.twitter.com/OvNepwNKoY
朴政権“日本包囲網”は大失敗 靖国共闘に米政府「NO」 共同会見で質問拒否 - ZAKZAK zakzak.co.jp/society/foreig… @zakdesk
韓国旅行で詐欺冤罪の恐怖… いきなり逮捕、知らぬ間に起訴され罰金支払う - ZAKZAK zakzak.co.jp/society/foreig… @zakdesk
冷酷な現実(これは一箇の冗語法とも響く!)として、物事の過酷な教訓として、戦争は、純粋な存在をめぐる純粋な経験という形で生起する。しかも、幻想という覆いが燃え上がり、まさに閃光を放つその瞬間に生起するのである。-全体性と無限-
我々は触覚が病的なほど鋭敏になる状態を知っている。そういう状態になると、何か固いものに触れたり、掴んだりすることを無闇と怖がるものである。そういった生理的習性をとことんまで論理的に翻訳し直してみるがよい。あらゆる現実に対する本能的憎悪、といったものに帰着するはずだ。-反キリスト-
法隆寺阿弥陀三尊像:光明皇后の母である橘三千代の念持仏と伝えられ、白鳳期に製作された厨子に安置されている。丸みを帯びた柔和な顔立ちに、白鳳期の特徴が伺える。twitpic.com/8mswig
「大学学長の85%「学力に課題」…私大は9割超」。
単純に私立は推薦やAOの比率が高いからかな。→“私立が93・7%で最も高く、国立(57・6%)、公立(61・5%)を大きく上回った。”yomiuri.co.jp/national/news/… pic.twitter.com/5Izw81V4oI
私が頭、心、感覚とよんでいる三つの性質があります。思考、意欲、感覚と呼んでもおなじことですが、その3つのバランスが、たえず新しくつくられることが、なによりも大切なんです。 『芸術と政治をめぐる対話』
レーシックは海外でも見直しが、、、。“@Todaidon: @itoshunya 米国では、『Diagnose and adios』という洒落言葉があります。意味は大きな病院で診断しても、(初期治療が奏功しなければサヨナラ),
レーシックは『Operate and adios』
高齢者もわかるよ RT @StrawberryLance 保育園の先生が親がネグレクトしてるかどうかは子どもの歯をみればわかると言ってたのを思い出した RT @tmaita77: 地域データだけど,虫歯と貧困の関連がうかがわれる。 pic.twitter.com/TVRQyiflzI
東大合格者の勢力図に異変 全国の高校「地頭力」ランキング - SankeiBiz(サンケイビズ) sankeibiz.jp/econome/news/1… 「長引く不況の影響で、「地元・国立・安全」志向が一段と進んだ大学入試。東大合格は中高一貫伝統校の復活が鮮明になってきた」。
某教授は,韓国調査への参加を学生に強要し,「金が無い」というと「有利子の奨学金を借りろ。海外調査の経験があれば就職も有利になるし,絶対返せる」とか言っていた。立派なアカハラだ。
アカハラで准教授戒告 福教大が懲戒処分 #西日本新聞 nishinippon.co.jp/nnp/f_sougou/a…「担当する2科目の授業で「成績に反映させる」と発言し、授業とは直接関係のないイベントとその練習への参加を特定の学生に強要」。調査の補助の強要,学会手伝いの強要など,よくあるんだよな。
この人物は、徹底していた。タレントとか、司会者とか、そういうことだけを徹底的に考え抜いていた。そして、知人とはそのことだけを議論した。徹底的にで... blog.goo.ne.jp/tym943/e/894bf…