歴史番組 第2回「幕張 昆陽甘藷(かんしょ・昆陽イモ)の話」
これだけは書きたいと思った。だから実に文章が堅いが、許されよ。それだけ真剣であったのだから。
とうとうこの日がきた。今日は、3月11日である。大震災のあった日である。
ずいぶん前から、テレビやマスコミで取り上げられていたから、こんなボキでも関心を持って見ていた。
悲惨であった。実に悲惨であった。
もう二度とあんな体験はしたくない。ましてや、九十九里浜に住んでいるボキも人ごとではない。九十九里浜では14名の尊い犠牲者が出たからである。あまり報道されなかったが。
あの日は、利根川の堤防近くにいた。仕事は代休日で休みであった。だから、車であるところに出かけようとしていて、その途中であった。花粉症だったので、大手の薬局チェーンでマスクを買おうとして立ち寄って、支払いを済ませて出ようとした瞬間であった。デカい揺れがきた。
薬局にいたお客さんたちが、全員店を出ていった。だが、広い駐車場に置いてあるお客さんたちの車が、バウンドしている。壊れそうな勢いで。ボキの車も例外ではない。30センチは飛び跳ねていたような気がした。さらに、女性客の大勢は立っていられなかった。地べたに座りこんでいた。ボキもである。
大きな電柱が、倒れそうになっていた。その電柱の方に、倒れそうになりながら近づこうとしていたご婦人がいたので、ボキは「そっち行ったらアブねぇ!」と思わず絶叫したくらいである。
利根川の向こう岸には、鹿島の工業地帯が見えていた。普段なかなか見ることのできない光景である。ところが、ここからも煙が上がっていた。
なんだか恐ろしい状況であることが、ボキでも理解できた。
ちょっとだけ収まったかなと思ったので、車に乗った。周囲の状況を確認しようと思ったからである。
田舎道である。周囲に家が殆どない。ちょっと走って尋常ならざる状況であることが理解できた。家々の屋根瓦が落ちていた。殆どである。さらに塀も崩れているではないか。
最終目的地であるべき某宅に行ってみたら、そこはもっとひどかった。家が傾いていた。瓦も崩れ落ちていた。家の主人と話しをして、これはもうダメだと判断して、自宅に戻ることにした。瞬時に判断した。
携帯もつながらない。友人達と会おうとしていたのであるが、その友人達もどうなったかこの時点ではまったくわからない。もう、これ以上この町にとどまることはできないと思った。
消防の車が大騒ぎをしながら、町内を走っている。
このまま利根川沿いの道を走ったらかなり危ないと思った。津波がここまで来たらかなり危険である。利根川を逆流してである。低地が一番危ない。だから、房総丘陵の上に出て、そこから居住地ならびに代休で休みになっている勤務先に戻るしかない。
低地である利根川沿いの道から、房総丘陵に駆け上がる坂道もぐらぐら揺れていた。さらに、丘陵の上に上がってから電柱が今にも倒れそうになっている。あまりも危険なので、脇道に逃げた。車ごとである。
房総丘陵は、岩盤からなっているのは知っていたから、たぶん大丈夫だろうと思っていたからである。
かなり運転してから自宅に戻り、損壊の程度を確認した。それから下着や着替えを用意した。防寒着も持った。食料も持った。つまり代休日になっている勤務先で籠城するためである。しかし、それから長期間にわたって食料も、ガソリンもかなり危険な状況に陥るとはこの時点で思ってもみなかった。
勤務先まで行く途中に、この大震災で犠牲者となられた九十九里浜飯岡町(現在旭市)がある。国道を走っていたのだが、まさかこの町に津波が来るとは思ってもみなかった。
時間の差だけで生命を失った方々がおられたのである。
勤務先でも大揺れであった。管理者であるから、当然籠城しなくてはならない。幸い、代休日であったから関係者はナンバー2の管理者と、事務職員一人のみである。奇跡的に、停電が勤務先だけなかった。このあたりだけ、電源が別であったのだ。
テレビで状況を確認した。なんたる現実であろうかと思った。俄には信じられなかった。九十九里浜でこれだけ揺れているのだから、かなりの被害が出ているだろうと予想できた。
ところが、この夕方の時点で足下の九十九里浜で甚大な被害がでていたのである。14名の方々が飯岡町で流されていたのである。
停電していなかったから、Twitterを使って、所属している学校の全生徒に伝達を試みた。あらかじめそういう用意はしていたからである。
被害状況、学校のこと、教室のこと、これからのこと等々を生徒に発信していた。伝わらない生徒には、こんなことを校長がつぶやいているからと伝達してくださいという意味を含めて。
これを日本教育新聞が見ていてくれた。
後日、取材があった。
そういうことであった。
籠城は、ナンバー2の管理者(教頭)と共に、過ごした。古い校舎であったから、いつ崩れるかと心配していた。殉職もあり得たからである。
次の日から、後処理に追われたが。
だから感謝しているのである。多くの方々に支えられて今があることを。
そして、勤務先は、防災教育とともに、今も健在である。しかも、新校舎も千葉県から建てていただいた。防災教育のメッカとして。
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今日は、これだけは書きたいと思った。
だから実に文章が堅いが、許されよ。
それだけ真剣であったのだから。
「こんなことしているボキって、ホントにいい奴だな」と思う。それだけでボキの生命力が向上していくから。「いい奴」→「人柄の良さ」であるから・・・・?・・・・ホンマか
結局... goo.gl/bFA5o1
人間に対する不信や、支配欲や、そしてなによりも流動するものへの恐れの気持ちがあるところには、贈与の霊の動きはおこらない。一言でいえば、「死への恐れ」があれば、たちどころにそれは、見えないものとなっていく。~「Not I, not I...」
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