本来ならエコノミークラス症候群で死んでいたのだ。命を儲けたのである。儲かったのである。拾ったのである。捨てかかった命をもう一回預かったのである。だからボキは充実した老後を送っていきたいのだ。
まったくボキはクチの減らないジジイである。昨日も塾に新規の入塾者が来た。ボキが塾にいることを知っていて、入ってきた。お試し入塾で、しかもボキご指名であった(^_^)。まるでホストのようである。
顔を見てびっくりした。柔道教室で教えた男子であった。この子も、5歳くらいから柔道を教えてきたのである。もう14歳となったのだから、ずいぶん長いおつきあいである。この子の兄も柔道と塾で教えたから、そして見事に希望の高校に合格していったから入塾してきたのである。
ありがたいではないか。
ありがたいけど、経営陣からはもっとコマ数を多くしてもらえないですか?って言われた。いつものことである。
これ以上バイトしていたら、死んじゃうのでとお断りしている。なぜなら、ボキはささやかながら年金生活者であるので。
もう競争社会は御免被りたいからである。
これ以上働いたら、趣味でやっているゴミ論文書きも旅行もどこにも行けない。
それに、一昨年死にかけた身である。まだ某大学大学院ドクターコースに在学中であった。その時に、死にかけたのであるから、もうこれからはまったくの付録である。命を儲けたのである。儲かったのである。拾ったのである。捨てかかった命をもう一回預かったのである。
ありがたいことである。
だとすると、もう命の浪費はできない。大切に、充実させていきたい。これからのジジイ生活を無駄に過ごすこたぁできねぇ、できねぇ。
だって、拾った命である。
拾った以上、使わせていただくのである。一生懸命。そうなのだ。生涯学習ごっこで使わせていただくのだ。
趣味の延長であるのかもしれない。それでいいと思っている。大学生に笑われてしまったゴミ論文書きと、旅行と、老人仲間達との語らい・・それくらいしかないけど、それで十分である。
そしてこれからは俳諧の世界を口実に、芭蕉とか一茶の歩いた土地にも行ってみたい。さらにある。民俗の旅もやりたい。行くべき所、行きたい所は山ほどある。それらを訪ねてみたい。
鬼来迎という民俗芸能と出会ったことも大きい。この民俗芸能は、いくらでも話題を進展させていくことができる。
中国との関連、五大院安然との関わり、敦煌との関わり、琉球文化との関わり、匝瑳南条庄という荘園との関わり、紀州熊野との関わり、当麻寺の中将姫伝説との関わり・・・と思いついただけでもこれくらいある。まだまだある。いくらでもあるのだ。
そして、けふはその一部である「今昔物語集と鬼来迎」という演題で二時間話してくる。朝から、パワーポイントの最終チェックをさっきまでしていた。だから拙ブログの記事投稿が遅くなったのだが。
千葉市の千葉市民会館である。午後一時から。
タノシミである。
趣味の延長であるからだ。
そしてボキのような朴念仁の話でも聞いてくださる方がおられる。だからやっていられるのである。
所詮、口舌の徒でしかないのだけれど。
オチがよろしいようで。
わははっはははっはははっははっはははっはは。
Bye-bye!