と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

去年の記事  ICUで考えたこと

2016年07月02日 20時59分42秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
 
ICUに入ってから変わったのである。全て変化したのである。

私は不変ではない。私はかなり変化する人間らしい。去年とも違う。昨日とも違う。なに、おめぇさんは最初から変わりモンだろうに・・てか(^_^)  ビッグデータとかな......
 

 

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泥酔・放浪の俳人に共通するもの・・・決して他人ごとではないのだけれども

2016年07月02日 08時46分26秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

井上井月も、山頭火も大きな欠点がある。なぜ泥酔そのもののような人生を送らざるを得なかったかという点である。

 

 

定住をしないで、放浪の旅に出る。そしてのたれ死にして、一生を終える。

ある意味憧れでありますなぁ~。

根底になにがあるかというと、自由自在の生き方というのがあるからで。ガキのころから、憧れであったから。

縛られない、地位や名誉、学位のような資格・ライセンス、ゼニ、人間関係・・・その他モロモロ。そういうしがらみに関わって生きてきたような気がするが、考えてみれば(考えなくても)、そんなのボキには無関係でありましたなぁ。ゼニもなければ、能力もねぇ、チカラもねぇから美男子であったかというと、それがそうではないから世の中皮肉なもんである(^_^)。

地位も名誉もナイ、ゼニは当然ナイ。ナイナイのばぁ~である。学位も取れなかった、資格・ライセンスなんか他人に自慢できるようなもんはなにもないし。縛られてはいるけど。人間関係には。

もっとも人間関係をすべて捨て去ってしまったら、本格的に隠遁するしかないんだけれどもねぇ。そんなの不可能だし。

ホカイビトというのがある。

定住をしないで、放浪のあげくのたれ死にした方々である。大辞泉には「家の戸口に立ち、祝いの言葉を唱えて物を乞い歩いた人。〈和名抄〉」なんて説明がある。

どこか遠いところから、放浪をして尋ねてくる漂泊者であるのだが、ボキだっておんなじようなもんだと気がついたのである。

井上井月という漂泊の俳人でホカイビトを生涯やっていたヒトがいる。伊那路を物乞いしながら、俳句を作り、家々の戸口に立ち、酒を所望して一生を終えたヒトである。映画にもなった。

有名な山頭火も影響されて、井月の墓前で酒を捧げ、とうとう井月のように山頭火も生きてしまったのである。

気持ちはわかる。

両者の。

くだらないこの世間に飽きてしまったのであろう。特に井月は、明治維新をまともに受け止められなかったのであろう。諸説あるけど、彼は長岡藩の武士だったというし。

だから気持ちはわかるのである。明治維新を自己の中で受容できなかったという精神的、文化的ショックははかりしれないものがあっただろうから。

会津若松の白虎隊もそうだったろう。薩長を撃退すべしという大義名分があったにもかかわらず、会津藩の方々は玉砕まで追い込まれてしまったからである。しかも、明治維新後彼らは北海道に移住を余儀なくされてしまった。あまり、このことは語られないようであるが、今でも会津の方々と薩長の方々では犬猿の仲である。事実、会津大学で全国的な会議があったときに、当時の福島県のお偉いさんが、この会議場の中に・・・とやったからまだまだ怨嗟の念は消えていなかったと感じたからである。

話を元に戻そう。つまり、井月もいろいろなホカイビトも、ショックのあまり放浪の人生を送らざるを得なかったとしたら、あまりも寂しい人生であると思う。

しかしである。

井月も、山頭火も大きな欠点がある。なぜ泥酔そのもののような人生を送らざるを得なかったかという点である。

ボキは、両者とも、オノレの知的体験、精神的構造、時代の流れというものへの批評的精神、それらを許すことができずにいたという点が、まるっきりインテリ・エリートの所作としか思えないからである。

つまり、自力でなんとかなるだろうと勘違いをして、反逆し、抵抗し、皮肉っていたから、挫折してしまったのである。現状肯定ができなかったのだ。

自力でできることなんか、ささやかなもんである。

他人に助けられて、支えていただいて、やっと生きていることができる。それがボキである。

ドクター然り、看護師然り。古女房ドノ然り。家族も然り。老人大学の皆さん然り。バイト先の学習塾、二つの大学然り。ボランティアでやっている郷土史研究の会の方々然り。交通安全然り。

ボキはそういうしがらみを決して侮ることなく、感謝してこれからも生きて行こうっと思っている。

だから泥酔して死ぬわけにはいかないのである。マジに。

 

ああああああああああああ。

 

あまりマジに書くと方が凝る。

もう辞めよう。

1600字になってしまったから。

 

Bye-bye

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7月1日(金)のつぶやき その2

2016年07月02日 05時19分36秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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7月1日(金)のつぶやき その1

2016年07月02日 05時19分35秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/