と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

絞って資料を(参考書や問題集)を読むべきか、そうではないのか・・・

2015年12月19日 21時28分53秒 | 生涯学習ごっこで勘違い

受験用の勉強と生涯学習の違いであろうと思っているのだが

 

 

受験業界では、いろいろな参考書や問題集を売る。当然であろう。そういうことでもって利潤を追求しているからである。

しかしである。

あまりにも、あちこち受験参考書や問題集を彷徨していると結局一冊あたりの読破回数が不足してあぶはちとらずになってしまう。

また、この冬休み直前の時期は、そういう受験の出版社が鵜の目鷹の目でもって、若い中高生を誘惑している。

のせられた中高生こそいい迷惑である。

事実、この時期は「直前***対策」とか「センター試験緊急対策」とかの、実に誘惑に満ちた宣伝が世の中を支配してくる。

ある意味、受験生の不安をあおって、なんらなかの経済活動に結びつけようというわけである。

ま、それも仕方なしであろう。

それでも私は、これまでやってきた参考書、問題集を高速でもう一度、復習してみることをお勧めしている。

よほどの天才なら、なんでもできるのだろうが、ほどほどの俊秀は回数を増やして、基礎力をつけることがいいと思っている。さらに、過去問である。これもやった方がいいと思っているから、自分でもセンター試験の過去問をやってきたのである。

つまり塾の生徒に教えている以上、自分でもやらなきゃ話にならないからである。

高校受験に至っては、さらに重要なことである。

しかしである。

生涯学習は別である。

これは受験のためにやっているのではないからである。

もっと言えば、論文なり、レポートを書く機会が多いから、参考文献の数は半端ではなくなる。

その一々に全部目を通していたら、永遠に書けないから、ここで家庭用の簡易コピーを活用している。

部分コピーをして、論文なり、レポートなりに書いていくのである。むろん、丸写しではダメである。そんなのは、先生方にすぐばれる。

ただし、全部が全部オリジナルとなると非常に困難である。

あくまでも先行研究として、その先行している碩学たちに言及していくのである。だから膨大な量になる。

ここらあたりが、受験用の勉強と生涯学習の違いであろうと思っている。

ま、私ごときがエラそうに言うことではないのだがねぇ~。

そんなことをふと思ったので、自分のために書き残しておきまする。

 

(ToT)/~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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怒りは生涯学習の敵なり・・・マジに(*゜∀゜*)

2015年12月19日 12時57分43秒 | 生涯学習ごっこで勘違い

「生涯現役、生涯修行、生涯勉強」である・・・一介の庶民は

 

 

怒りは人を台無しにする。生涯学習をやっていると、まったくそう思う。何故か。怒りは、冷静さを欠くからである。冷静さは生涯学習の敵である。やりたいことがあるから、生涯学習をやっているんであって、そのやりたいことの邪魔をしているのが怒りである。ホントにそう思う。

鬼になってはいけない。

頭に血が上り、拳をふるわせている。煮えたぎったり、その反対に冷え切ったり、一瞬のうちに嵐のような激動を表現してしまう。怒ると。

相手を罵倒し、ののしり、破壊し戦う。徹底的に戦う。そして否定する。ムシする。すべてを。

相手からバカにされたり、かろんじられてしまったりするとやはり怒りがこみ上げてくる。

どれも生涯学習の敵である。

明鏡止水ということばがある。

剣道で使う用語だそうだが、なかなか気に入っている。ちなみにgoo辞書によると、「邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。▽『明鏡』は一点の曇りもない鏡のこと。『止水』は止まって、静かにたたえている水のこと。『鏡』は「けい」とも読む」とある。良い言葉である。座右の銘にしたいくらいである。無理だろうけど。

私は、当然のことだがこの明鏡止水のような心境にはなれないからである。当たり前である。そんなレベルの高い人間ではないからだ。

そもそも私の心は、いつでも波打っているからだ。冗談でも悟っているなんていえないのだ。

怒りは、作用と反作用があって、結局自分自身にかえってくるのだ。だから怖い。白目をむいて、前後を見失った行為は必ず後悔のたねになる。

怒りのままに行動すれば、破壊につながる。

避けるべきである。

少なくとも生涯学習には邪魔である。邪魔以外のなにものでもない。

なぜなら、怒りには「比較対象」のこころがあるからである。他人とオレを比較して、どっちが優れているだの、あっちはあふぉ~だとか、オレはだらしない、こんなに劣等生だとは思わなかっただのというくらべっこの心理が働いているからだ。

なんとまぁ、くだらないことであろうか。

そもそも成果主義で凝り固まっているからそうなる。成果なんか、死んだらなんの意味もない。ましてや、私のような平々凡々、ただの一介の庶民に成果なんか無い。そりゃ、ノーベル賞を取ったスーパーエリートなら成果云々とは言えるだろう。しかし、私にはそんな発言をする資格はない。それくらいはわきまえているつもりである。マジに。

なにを言われても、黙って、ひたすら生涯学習に取り組むしかない。

そうなのだ。

「生涯現役、生涯修行、生涯勉強」であるからだ。

それには、怒っている暇なんぞないのである。

これまた「コツ」ですなぁ。

生涯学習の。

 

(^-^)/

 

 

 

 

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12月18日(金)のつぶやき

2015年12月19日 06時06分23秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

コツもネタもいくらでもあるのが、人前で話すことがうまい方の特徴であろう

人前で話すことがうまい人がたくさんおられる。なぜそういう方々がおられるのかと思うことがたくさんある。

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当事者と言えば、これから東洋一の巨大病院に再検査で行くのだけれども

昨日、塾から帰ってきて風呂に入って、それから復活したAU回線を使ってAmazonを見ていた。

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【品詞分解】なきにしもあらず:どこで区切るか分かりますか? 一緒に品詞分解してしましょう! pic.twitter.com/GosS0NVFrl

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安藤昇さん死去 「安藤組」の組長から俳優に転身 - ライブドアニュース fb.me/7HPKBgL4n


【静岡・島田大祭帯まつり】<寅巳申亥年10月中旬>大井川鎮護や安産の神を祀る大井神社の祭り。島田宿に嫁いできた者が安産祈願で神社へ参拝した後、宿場内で帯を披露していたのがいつからか大奴が帯を太刀に掛けて練り歩く形になった。 pic.twitter.com/e5NV8zzPPx

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お笑いが持っている恐るべき力というのがあって、宗教を笑いのめしたり、下手すれば天皇制だってお笑いにできてしまうという強い破壊力がある。だからこそ、そこからものすごい思想や芸術が生まれる可能性があるわけです。~『憲法九条を世界遺産に』

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蓮華王院千手観音像:蓮華王院は1164年に後白河法皇を願主に、平清盛が造営。本堂(三十三間堂)には千手観音坐像と千体の千手観音立像があったが、殆どが1249年に火災で焼失。1254年に運慶の子、湛慶により坐像が造立された。 pic.twitter.com/LvPQINVlLo

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【福岡・おしろい祭り】<12月2日>大山祇神社の山の女神を祭る行事。宮司のお祓い、祝詞奏上後に新米の粉を水で溶いたおしろいが氏子の顔に塗られる。おしろいがよくつくほど翌年は豊作といわれており、家に帰るまで落としてはならない。 pic.twitter.com/MSdnpDvW0Q

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老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。老年が食物として必要なのは「知恵」である。
そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。

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Retweeted レオナルド・ダ・ヴィンチ 名言集 (@daVincibot):

老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。老年が食物として必要なのは「知恵」である。
そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。


児童文学者として知られている巌谷小波の家は、元々藩医の家系でした。その為、幼いころからドイツ語を習っていたのですが彼の興味は医学ではなく文学へ向かっていきます。明治29年には文芸研究会である木曜会も立ち上げています。彼の作品である「こがね丸」にもドイツの影響を見て取れますよ。

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Retweeted 受験や進路の教育ニュース「リセマム」 (@ReseMom):

小児科の最多は東京、最少は茨城…人口10万対医師数
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日本人の庶民がつくったいいものっていろいろある。その中で日本的なインターフェイス文化のよさと科学的な知性の結合体の最たるものは何かというと、やっぱり農業だったんじゃないか。日本人がつくったものの中の最高傑作。~『日本の文脈』

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今日のwalkingの距離は、9.3キロ。歩数で10390歩。これからヨルバイトの塾がある。こっちもタノシミだなぁ~。マジに。

再検査結果は、実に順調。順調、順調、順調... goo.gl/1sVUn3


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健康学というか、オノレの体調管理もまた立派な「生涯学習」なのだ

2015年12月18日 17時59分10秒 | 生涯学習ごっこで勘違い

今日のwalkingの距離は、9.3キロ。歩数で10390歩。これからヨルバイトの塾がある。こっちもタノシミだなぁ~。マジに。

 

 

再検査結果は、実に順調。順調、順調、順調の介で。一安心。

来月は一回飛ばして、2月に再検査をすることにした。さらに、大腸内視鏡も2月にやる。実は、クリスマスの日に、わざと人間ドックを入れてあるので。クリスマスの日は人間ドックも空いているのだ。二日間。ラッキーである。

それから孫たちが遊びに来るのだが、ちょっと一日遅れでクリスマス・プレゼントはあげることにしている。毎年のことである。クリスマスに、人間ドックでいなくなっちまうのは。もの好きなジイジであることよん。

巷で、にわかキリスト教の信者もどきがたくさんいるから、かえって狙い目である。

クリスマスの日は、胃カメラの内視鏡もある。こっちもタノシミである。どっか具合が悪かったら、なんでも治療できる大病院である。

死ぬときはこの大病院で、と決めているからお世話になりっぱなしである。

ま、なんでもないというのが一番である。しかし、去年の11月まではなんでもなかったのに、足がむくんでいるからと気軽に出かけたら、即入院であったから油断はできない。

健康なんてあてにならない。それまではどこも具合の悪いところ無しでもって、毎日無敵の論文書きをしていたのだから。

だから、健康学というか、オノレの体調管理もまた立派な「生涯学習」なのだと思うことにした。まったくそうだ。これほど大切な生涯学習はないと思っている。今は。

学校では保健体育である。これは実に大事な勉強であったのだが、気がつくのが遅かった。

文武両道とはいうが、文や武の片一方ばかりやっていたら、人間が偏向してしまう。

文武は一貫してこその「文武両道」である。両方できなければアカンのでっせ。

まったく。

今日は、我が茅屋の障子紙を張り替えていたので、gymに行けなかった。

行けなかったが、歩いては、きた。

距離は、トータル9.3キロ。

歩数で10390歩。

もっともこの歩数は、速歩でないとカウントしてくれないから、実際はもっと歩いている。12465歩だった。たらたら歩いていての歩数は。

これからヨルバイトの塾がある。

こっちもタノシミである。一番気晴らしになるからだ。中高生と一緒に、国数英とやるのだから、たまらないタノシミである。

ある意味酒場でオダをあげているバカなおとうさんよりも、健康的である。マジにそう思う。

 

さ、17:56である。

これくらいにしよう。

また明日。

 

 

 

 

 

 

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今日は当事者として一日過ごしまひょ

2015年12月18日 09時10分20秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

当事者と言えば、これから東洋一の巨大病院に再検査で行くのだけれども

 

 

昨日、塾から帰ってきて風呂に入って、それから復活したAU回線を使ってAmazonを見ていた。

風呂の中で、日本古典文学全集(小学館版)の「太平記」が、たった一冊しかないことに気がついたからである。岩波の日本古典体系本は、全部持っているが、これまで小学館の方の古典本はあまり買ってこなかった。

なぜか。

小学館の方は、訳がついているからである。下段に。本文と脚注と訳文で構成されているから、買わなかった。小学館版を読んでいるというと、学部時代の友人たちにバカにされたからだった。だから、それこそ学部生時代から、岩波本のシリーズを買ってきたのだった。新潮社の古典集成本もかなり買ってきたが、それもバカにされたっけ。傍注がついているからだった。よって、やはり基本は岩波でやってきたのだ。

それが、だんだんと崩れてきた。

なんのことはない。

古文書講座で教えていただいている先生が、小学館版を使って我々初学者に教えてくださるからである。

初学者なのである。私も。

訳がついていてもいいのだと思い始めたのだ。なにもこだわることはないのだということである。所詮、研究者でも学者でもないのに、沽券にかかわるとかくだらないことを言わないことだと気がついたのである。なにをこだわっていたのだろうか。そう思う。

これから学問で喰っていくわけにはいかないし、そんな能力も人脈も実績もない。

塾で教えるようになって、古文というか、そういうものはまず大意がわかっていないと若い生徒は興味もへったくれもない。それに文法もおもしろおかしくやってあげないと、彼ら彼女らは興味を失ってしまう。文法だって、ある一定の調子をつけて歌うようにやっていると相手がのってくる。それでいいのだと気がついてしまったのである。

受験だからといってなにも固定観念で縛り付けることはないのだった。

なんだか知らないが、母校である私の高校で教えていただいた古文の授業がベースになっているから、いつのまにかそれを踏襲しているのである。こいつはいかがなものかと思う。そりゃぁ、母校の先生方には感謝している。それでもって、学部卒業後37年間にわたって喰っていくことができたからである。しかも、塾でなんとか教えられるのも、母校の高校を出ているからである。専門外であってもできるからだ。だから感謝しているのである。

そしてそれが「惚け防止」につながっているとなると、ますます感謝せざるを得ない。

これぞ生涯学習の醍醐味である。そう思っている。

 

今は、和歌の修辞法についてノートをとっている。

和歌は苦手である。恋愛が出てくるからである。

向かないのだ。こういう話は。村上春樹と一緒である。愛だの恋だのということが出てくると、嘔吐したくなっちまう。関係のない世界であるからだ。しかし、これも古文書講座で覆ってしまった。古文書で読むとまた印象が違ってくる。書いた人たちの感情が見えてくるような気がしてしまうのだ。

バカバカしいとは思うものの、そういう感覚になってしまうのである。

若くないから、熟成してきたのかな?とも思う。世間のことが、ようやくわかってきたというべきか。愛だの恋だのということが、無関係になって初めて理解できてきたのかもしれない。

それまでは当事者になる可能性もあったからだろう。あり得ないことであるが。

私の孫たちも(男児二人)、これから愛だの恋だのといろいろあってジジイになっていくのだろうから。

そう思うと、なかなか人生もおもしろいもんだということである。

いわば観察者になってしまったのである。観察者であるから、それに徹底して生きていけばいい。

愛だの恋だのということは、観察者であってこそ、その愚かさとか、意味のある・ないということを考えることができるというものである。

でもあれかな?

当事者にとっては、私のようなジジイは「ふざけんじゃねぇ~」っていうもんなのかな?

よくわかんねぇけど。

どっちにしても当事者ではないので。

 当事者と言えば、これから東洋一の巨大病院に再検査で行くのだけれども、これだけですな。当事者というのは。

そりゃそうだ。オノレの身体・健康状況のチェックであるからで。

こいつが他人の身体・健康であったら、データが違ってくるから、そんなことがあったらたまったもんではないからだ。

 

あまりくだらないことは書かないでこれくらいにしまひょ。

 

では、出かけて参ります。

 

Bye-bye

 

 

 

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人前で話すことがうまい人は、どこか違っていると思うのだが

2015年12月18日 09時02分45秒 | 生涯学習ごっこで勘違い

コツもネタもいくらでもあるのが、人前で話すことがうまい方の特徴であろう

 

人前で話すことがうまい人がたくさんおられる。なぜそういう方々がおられるのかと思うことがたくさんある。

現役時代は、それが仕事であったし(生徒の前で話すことが多かったから)、今のバイト生活でもクチサキ一つでささやかな報酬を得ている。

それでも、なぜ人前で話すことがうまい、下手が出てくるのだろうかと思うのである。

一番聞かせる話は、メモをみない方である。さらにパワポを使わない方である。

原稿の棒読みを聞かせられるこっちの身にもなってほしいと思うくらいである。講師にむかって、「あんた!」「その原稿を(メモ)見せてくれ!」と言いたくなる人の話は、有料なら金を返してくれといいたくなっちまうくらいである。

そりゃぁ、ネタは大切である。話のネタも用意しないで話をしていたら、ただの雑談でしかない。そんなのは、人前でするような話ではない。すっこんでいろと言われてしまうだけである。

話の上手な人というのは、態度からして違う。

私はそういう人の話を、聞くのではなく、「見て」いる。これがなかなか勉強になる。

たとえば、この間聞いていた医師の健康講座では、医師の先生が聴衆の両端を見ながら話をされていた。これはこれは。さすがである。下を向いていない。パワポも操作している時は見たが、それも実に簡単なパワポで字もでかい。

見ている方がジジイやババアであるから、そういう配慮もあったんだろうけど。

さらに内容が病気の話である。

だからドクター自身がリラックスされていた。集中しながら、リラックスして話をされていると、爺婆たちは安心して聞くことができる。

ありがたいもんである。

だから、こういう話のうまい方を自分のデータベースにしておいて、オノレの引き出しを増やしていくことである。そう思っている。

これからも、そういう話をさせていただける場面があるかもしれない。

しれないではなくて、積極的にそういう機会を作っていくつもりである。

ネタはいくらでもある。たとえば、鬼来迎一本で90分10回くらいはできる。教育の話だけでも、それくらいやってきたからである。

 

これも生涯学習の「コツ」である。

 

話の依頼がなかったら、自分から開拓していくべきである。そう思っている。若干ながら、そうしたメールもいただくので。

 

もっとも、あれか。

 

九十九里浜の沖合にむかって、「オレは、えらいんだぞ~」って言っていても、海にかき消されてしまうだけだけど。

 

わははははっはははっはははっはははは。

 

Bye-bye

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12月17日(木)のつぶやき

2015年12月18日 06時01分03秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

試練は、条件であるということ。病気もそうだったし、万事がそうだったのである。それがしみじみ理解できたのが、この一年間であったのだ・・・・けふはちょっと真面目に書いてみたけど


... goo.gl/kmjCal


日本の科学者の思考には、一神教の本質の理解がセットされていないのかもしれない。原子力発電は生態圏内部の自然ではないのだから、それをあたかも自然の事物のように扱うことは許されない。いわんやそれが「ぜったい安全である」ことなどは、ありえようがないのである。~『日本の大転換』

Waishan Richunanさんがリツイート | 4 RT

【長崎・ながさきみなとまつり】<7月最終土曜、日曜>花火、戦隊ショーなどともに、350年の歴史を持つ長崎ペーロン選手権大会が行われる。ペーロンは26名の漕ぎ手が乗った長さ14mの舟で、太鼓やドラにに合わせて往復1150mを競漕する。 pic.twitter.com/Kl3rsFk2Pu

Waishan Richunanさんがリツイート | 8 RT

これまでに人類がつくりだしてきた神話のいちばんの主題は何かといったら、「生と死は同じである」ということ、それを表現するためにあまたの神話がつくられてきたといっても過言ではないでしょう。~「超核の神話 岡本太郎について」

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

【愛知・きねこさ祭り】<旧暦1月17日>元は御田神社の祭礼で七所社が引き継ぐ。厄除け、子孫繁栄、天下泰平などを祈念する。耕作の所作を演じる合間に演者が杵とコサ(杵からこすり落とした餅)で暴れまわり、客を叩くことから名がつく。 pic.twitter.com/93W03GkFWI

Waishan Richunanさんがリツイート | 4 RT

4月からのバイトで使う新たな講義資料を作成していた

やたらとエネルギッシュで、仕事も早く、スーパーエリートに多いのが、「躁状態」にある方々だという。

そういう本を... goo.gl/SZ3uYV


首都圏直下型地震が起きた時に「危険度が高い街」ワースト5- 記事詳細|Infoseekニュース fb.me/4BreoTAsO


死ぬほど勉強、兄の陰の支え知ったから 山里亮太さん(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース fb.me/7rTaJkE3V


睡眠4時間、どん底からの大学受験 プロレス棚橋さん:朝日新聞デジタル fb.me/719ovD9vy


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やたらとご多忙なようで、と~ま君じーさまは(*゜∀゜*)

2015年12月17日 14時40分46秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

4月からのバイトで使う新たな資料を作成していた

 

 

やたらとエネルギッシュで、仕事も早く、スーパーエリートに多いのが、「躁状態」にある方々だという。

そういう本をあちこちとここのところ読んでいた。双極性障害である。一般的には、鬱状態の方が良く知られているが、問題が多いのは実は「躁状態」の方だそうである。

書いている精神科医の先生が、ご自分をそうやって疑っているというのだから事実なんだろう。

しかしである。

これだと、なにが正常で何が異常なのかというと、ワケがわからなくなる。ある意味、心理学のうさんくささと一緒であろう。あろうというのは、心理学もまた私は素人だからで。

なんのためにこんな本を読み始めたかというと、バイトでもって某大学で非常勤講師をしているので、4月から使う新たな資料を作成しているからである。

ありがたいものである。だから精一杯こっちも勉強させていただいている。

なにしろ、こっちは現場経験はたくさんある。あるから、後は一生懸命理論を勉強するしかない。

しかも、自分のことばで語れるくらいに、やらないと学生はついてこない。

当たり前でアル。

資料の紹介程度では、大学生は見抜く。講師の実力をである。

私は、豊富な資料を駆使して、語りかけるスタイルである。

退屈している暇がないだろう。そりゃそうである。指名もするし、映像教材も豊富である。手練手管は、かなりこちらは持っているからだ。

そもそも教え方を教えるのだから、それなりにやれなくては話にならない。

だから、バイト先の大学からかなり教員採用試験に合格している。

ありがたいものである。

こうやって、ドンドン後輩諸君が教育界に就職していってくださっていることがタノシミなのである。

そして、こういうことをさせていただいている某大学に感謝しているのである。

今日も、一冊読み終えてしまった。

さらに、NHKのテレビ英会話とやはりテレビの中国語講座を聞いて、それをBRDに落とした。さらにさらに、今日の夜は塾があるから教材研究もした。国数英である。

それでは、これから市営のgymに行って参ります。

健康第一ですので。

 

(^-^)/

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一年前に大きな「試練」に出会ったっけなぁ~

2015年12月17日 08時54分25秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

試練は、条件であるということ。病気もそうだったし、万事がそうだったのである。それがしみじみ理解できたのが、この一年間であったのだ・・・・けふはちょっと真面目に書いてみたけど

 

 

病気をするってぇことは、ある意味「試練」であって、そこから得ることのできるものは実に多い。去年、病気になったからこそ立ち止まって、いろいろと来し方行く末を考えるきかっけになったからである。

そして一番大切なのは家族であったとしみじみ気がついたからである。病気もそうだが、人生って決して偶然の所作ではなかったということである。

私も例外ではない。去年の今頃は、退院して九十九里浜の南方にある一宮シーサイドオオツカというホテルに泊まっていたのだが、そこで朝風呂に入っていて、脱衣所で失神したっけ。二回。結論から言って薬があわなかったのであるが(その後薬を減量して失神は二度となかったが)、得たものは大きかった。

入院そのものも、収穫がたくさんあった。

何しろ健康過信であったのが、修正された。過信から、実に慎重な生き方に変更されていった。食べ物も、運動も自分なりに工夫していった。おかげで、現在は非常に快調である。

当然、体によくない飲酒もやめた。だからもっと快調である。

飲酒をやめると、おバカキャラのミニスカオネーチャンのいるような隠微な酒場にも行かないようになった。実に健康的である。

あまりにも健康的であるから、もしかしてオレはもともとこういう道学者のような、堅物であったのではないのかと思ったくらいである。

論文も書かなくなったから、なんにも焦ることがない。実に快調である。

しかし、一昨日だったが、老人大学のクラスメイトに言われた。

「酒も飲まず、遊びもせず、なにを気晴らしにしているのか?」って。

わはははっははははっはははっはははは。

気晴らしはいくらでもある。バイトがそうである。塾がそうである。若い人々と語りあうことができる。これが一番である。さらに、ささやかであってもお小遣いをいただける。

これを気晴らしと言わずしてなんというのだろうか。

老人大学もそうである。気晴らしができる。老人大学は、正式な学校ではないから、それでいいのである。まさか履歴書に書けるような学校ではないからだ。老人大学が母校であったら、さみしいものである。

 

さて、冒頭の「試練」にもどろう。

「試練」は「大切な意味」というものを運んでくる。さらに言えば、なぜ人は「病気」という「試練」にあわなければならないのであろうかということを考えさせてくれる。

「試練」があるから、人は成長できるし、深い出会いがあるというものである。それがほんとうに実感できた。病気も、「試練」も呼びかけであったのだ。私に対する。

病気は、苦痛や障害を与えるだけのものではなかった。病気をきっかけにして、人は(私も含む)本当に大切なものはなにかということに気がつくことができる。

病気という「試練」をきっかけにして、人間性を豊かにし、人間的な広がりや、包容力、強さを持つことができるようになる。まさに実感である。私の場合。

また、病気は、たいへんな苦悩や葛藤を人にもたらす。それはそれでたいへんなストレスになる。私もそうだった。しかも、もう少しで学位を取得できるかもしれないという段階にあった。焦ってしまったのだ。高い学費を払って、毎日10時間以上も論文を書いていてそれなりに努力していたからであった。

東洋一の巨大病院の病室で考えていたことは、これでもってもしかしたら「まったく新しい人生が生まれてくるのかもしれない」ということであった。新しい人格が生まれ、もしかしたら自らを深化させていくことができるのではないかと思っていた。

だったら、「試練」こそ人生の宝であり、贈り物なのかもしれないではないかとふと思ったのである。病室のベッドで。

ここで、私は「脱皮」してしまったのである。

それからとった行動は早かった。

退学したのである。大学院を。むろん古女房ドノのせつなる意向もあった。バカみたいな夢を見ていないで、おとなしくしてほしいというわけである。

なるほどと思った。

健康第一である。たしかにそうである。健康でなければ、生涯学習ごっこどころの騒ぎではない。

しかし、私は「試練」と受け止めたのである。だから健康第一というように考え方をシフトしたということもあるが、むしろ「脱皮」したという方があたっている。

病気になって、初めて「この世は天国ではない」と気がついたからでもある。そもそも非常にネアカであるから、もしかしたら「この世は天国」かもしれないと思っていたキライがある。

しかし、現実の世の中は、試練や葛藤に満ちた理不尽さと隣り合わせの非情な世界である。耐えがたきを耐えて生きている世界である。

病気や困難に襲われない人間は皆無である。生きるということは、ままならない現実に出会うことであり、悲しみに出会うことであり、苦しみに出会うことである。

しかしである。

生きるということは、現実世界でしかできないこと、経験すること、その中でしか味わえない喜びと出会うことである。だから、病気という「試練」は、オノレが変わることという視点から見たら、「ただの条件」でしかないということである。強く生きていくための「条件」である。

受け止め方次第であると思うのだ。

 

うううううむ。

 

今日は久しぶりにまじめに書いてしまったなぁ~。ま、たまにはいいか。

 

じゃぁね~。

 

さらばです。

 

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12月16日(水)のつぶやき

2015年12月17日 06時06分53秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

AU回線故障!

平成27年12月14日(月)、AU光にトラブル発生して、インターネットならびに電話が使えない。よって、一日さみしい思いをしておりました。

こういう... goo.gl/MzBJkf


ダメだと思わないことこそ、もっとも重要ですなぁ~

どんな状況が訪れても、「もうダメだ」とは思わないで「やるだけのことはやりましょう」というのが、私の主義である。マジにそうである。
確... goo.gl/GT1Sol


こんな楽しい老後を送ることができるのも、「つきあい」というか「社交性」というか、そういうものを大切にしてきたおかげである。

生涯学習をやってきて、いつも思うことがある。... goo.gl/Q3PjlT


平成27年12月16日(水) 13:43

やっと回線復帰。

こんなこともあるんですなぁ~。

(*_*) マイッタね。
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【秋田・光頭相撲】<1月最終日曜日>地域を明るく照らしたいという思いを持つ、頭髪が少ない男性たちが頭の光り具合や色つやなどを競う行事。行司がライトで照らしたり虫眼鏡を使って判定。頭に吸盤をつけて紐で引きあう「吸盤綱引き」も行われる。 pic.twitter.com/2uN7uPdaNI

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鞍馬寺善膩師童子像:善膩師童子とは毘沙門天の子供で、手に持つのは経箱という経典を入れておく箱。毘沙門天の妃もしくは妹とされる吉祥天とともに毘沙門天の脇侍であることが多い。 pic.twitter.com/YzSQovkEL1

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【各地・獅子舞】邪気が食べ物である獅子に子どもの頭を噛んでもらうと魔除けになり、御利益もあると信じられている。噛む真似をしてもらう事で人の持つ厄災を噛み取ってもらえる。地方によっては「神が憑く」と縁起が良いとされているところもある。 pic.twitter.com/UqUddZHCtY

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【沖縄・ハジチ(針突)】かつて行われていた沖縄女性の風習。12、3歳ごろから大人の女性になった証、既婚の証として手の甲に刺青をほどこしていた。ハジチはオシャレであると同時に家族にとっては誇らしいことで、初めて入れた日はお祝いをした。 pic.twitter.com/Zw0VmZ4N5c

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常に善良な言葉、人を勇気づける言葉、人に喜びを与える言葉のみを使っている人が増えれば増えるほど、この世の中っていうものは、グングン光を増してくるんだよ。そういう人が増えない限りは、どんなに社会改善を行おうと、国家改革を行ったってだめだよ。

Waishan Richunanさんがリツイート | 16 RT

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AU回線復帰せり 13:44

2015年12月16日 13時43分34秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

平成27年12月16日(水) 13:43

やっと回線復帰。

こんなこともあるんですなぁ~。

(*_*) マイッタね。

 

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老人大学登校日(平成27年12月15日(火)の記事なり)

2015年12月16日 13時42分41秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

ダメだと思わないことこそ、もっとも重要ですなぁ~

 

 

どんな状況が訪れても、「もうダメだ」とは思わないで「やるだけのことはやりましょう」というのが、私の主義である。マジにそうである。

確かに、大学院を3年目で中退したのは、私にとって重大な人生の「チョイス」であった。だから、一年かけて自分自身を説得していたという方が当たっていた。

だから、「もうダメだ」「ダメ、ダメ、ああああああああダメジジイ」であるといじけていたのでのはない。

結果としての○か×かということに一喜一憂して「どうしてこんなことになったのか?」とつぶやいて誰かを責めていたのでもない。当たりめぇである。そんな二者択一的な「チョイス」をしていたら、人生いくら生きても数が足りなくなる。

そんな無駄なことはしないことである。

そもそも○か×かという人生なんぞないではないか。誰かのせいにしているなんてぇことは、受動的であり、依存的な生き方でしかない。

生涯学習だって、○か×かと言ったら、まったく無関係である。○も×も存在しない世界である。自分がやりたいからやっているというだけである。誰かに認めてもらいたいとか、成果をあげたいという視点にそもそもないからである。

そこのところを勘違いしていると、やるだけのことはやってみるという地道な努力を放棄してしまうことになりかねない。

やるだけのことはやってみるというのだったら、たとえ失敗しても納得できる。自分へのチャレンジであるからだ。

つまり、「起こった事態を自分で引き受ける」ということである。

苦しくても、つらくても、ひっぱたかれても、突き放されても自分自身でそれをいったんは引き受けて「試練」だと思うことである。逆境であってもいいじゃぁないか。自分自身の成長のために欠かせないことであったのであるから。

私は、学部時代に新聞配達をしていた。いわゆる苦学をしたが、あれもまたそれしか選択肢がなかったのであって、逆境を自分で引き受けていったんは納得して真心を込めて丁寧に新聞配達もしたし、在籍していた大学にもまじめに一生懸命通った。だから、道が開けた。あの学部時代の4年間がなかったら、その後国語国文学で定年退職まで喰っていくことはできなかった。

かえって逆境に感謝しているのである。

東北の田舎で育って、田舎の名門進学校を出て、なんだかいっぱしのインテリのような勘違いをしていた。もしかしたら、オノレは俊秀なのかもしれないと思っていた。うぬぼれである。自称俊秀なのである。他称ではない。

そういう実にくだらないうぬぼれに鉄槌を下してくださったのが「苦学体験」であったのだ。きつかったけど、世間学校から教えていただいたことは山ほどあるからだ。新聞の集金にうかがっても、単なるご用聞きと一緒で当然裏口から顔を出すしかないし、「ごめんください」なんて入っていったら叱られたっけ。ご用聞きは「こんちわ~って言って、入ってこい!」ってねぇ。

日本経済新聞だから、東京の下町葛飾区といえども、金持ちが多く豪邸もずいぶんあったからである。あれでもって吹っ切れたね。身分制度はまだあるんだとしみじみ思ったし、所詮貧乏な苦学生である。

いじけていたって誰も同情なんかしてくれないし、自分で自分の人生を切り開いていくしかない。学費と生活費は日本経済新聞が出してくれたから、考えてみればこんなにありがたいシステムはなかった。

なによりも「自分は、どうあらんとするか?」であったのだと思う。あるいは「自分はどう生きていきたいのか?」ということであったのだ。またまたあるいは「自分はなにを願っているのか?」ということの確認であったのだ。そういうものが根底にあるから、願いや目的を果たす道を自問自答しながら、これまで走ってきたにすぎない。

今よりも一歩だけ、一呼吸だけ前に進むことを信条として歩いてきただけである。

「自己ベスト」を生きてきただけである。そういう意味ではブレなかった。中心にあったのがそれであった。だから、悪ふざけのようなバカブログを書いているんだけれども、これはこれで「惚け防止」のためという私のねらい通りに機能している。

もっとも、一昨日からAUが故障しているんで、こうやってポメラで書いているけど。

記事がアップされていないから、と~まの奴、どうにかなっちまったのかと思ってくださる奇特な方もおられるかもしれないが。(そんな人はいねぇか・・)

しかし、あれですねぇ~。

インターネットのない世界というのもまたいいもんですな。

故障すると、とたんに世間から隔絶されてしまって、これもまた静かで実に快適であります。

さ、これにて退散します。

今日は老人大学登校日。

楽しみ、楽しみ。

Bye-bye

 

平成27年12月15日(火)

 

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楽しい老後 平成27年12月14日(月)の記事

2015年12月16日 13時41分17秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

こんな楽しい老後を送ることができるのも、「つきあい」というか「社交性」というか、そういうものを大切にしてきたおかげである。

 

 

生涯学習をやってきて、いつも思うことがある。

それは、私には落ち込みというのがないということである。なにもそれは私がいつも成功体験しかしていないというのではない。

つまり、暗さがないということなのだ。

そりゃハタから見たら、失敗続きの連続人生である。他人に自慢するようなこともまったくない。むしろ軽蔑され、バカにされ、石もて追われるようにして生きてきた。ま、それでも石を持って追ってくる人々には、おめえぇだって、人のこたぁイエネェだろう?と後ろ向きながら毒舌を吐いてきたつもりだけど。

わははははっはははっはは

なにを言いたいかというと、私には双極性なんとかというところの、うつ状態がないということである。むしろそのハンタイの躁状態を心配していたくらいである。なにしろバカバカしいくらいにネアカなんである。まったくどうしようもないくらいに、明るく、太陽の方ばかりを見ている。しかも、ジジイになってからは、髪の毛もなくなって、後光がさしているのである。

苦悩とか悩みとかまったく無縁である。たいしたもんである。自画自賛である。

これもまた、こういうバカバカしいくらいに、育ててくれた亡父・亡母のおかげであると思っているくらいである。

しかし、ここまで生きてきた年月をつらつら考えてみて、どうもこれが私の特性らしい。特性らしいというのはまだまだオノレ自身のことがよくわかっていないからで。

しかし、これだけ無駄に明るいとなると、ちょっと困ったことがあった。たくさんあった。それは、シリアスな女性がまったくクチをきいてくれないということである。ましてや、超高層ホテルのラウンジですてきな洋酒でも飲みながら恋を語るなんてこたぁ、まったく経験できなかったのだよ~ん。

そもそも漫談的な人生だったからなぁ。

反省しちょりますよ。

もっともっとクラーイ顔して、シリアスな話題でもなんでもうんとしゃべれれば良かったんだろうけど。

だから、私は落ち込んでいる青少年には、力になるらしい。

それはね、こういうことである。

現状というのは、普通原因が過去にあって、現在の不幸は過去に原因があるという思考だと思うのだが、私は違っているからである。

「原因は現在において作ればいいだけで、未来は現在をどう工夫するかによって、大いに変更可能だ」と思っているからである。

なんだそんな簡単なことか?と言われるかもしれない。

そうなのである。

簡単なことである。

だって、私だってできることだからである。

現在に原因があるのだったら、「今」を大切にして生きていくことである。本当にそう思っている。

20:13である。12月14日(月)である。

まだAUがつながらないから、ポメラで打っている。

画面がちっこいのでこれくらいにします。

明日は、老人大学である。

またまた楽しみである。

生活圏にいるお友達と一緒にだべってくるからだ。そもそも正式な大学とか学校ではないし、気楽なもんである。

そう、老人クラブと一緒だ。

仲良く一緒に生きていけばいいだけだから。

 

今日は、40年近くつきあっていただいてきた私の就職直後の大先輩たちと一緒に昼飯を喰っていた。3時間かけて。年齢は、上から86歳、85歳、84歳、70歳である。ありがたいもんである。

こんな楽しい老後を送ることができるのも、「つきあい」というか「社交性」というか、そういうものを大切にしてきたおかげである。

感謝、感謝!

 

Bye-bye

 

平成27年12月14日(月)

 

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一昨日のことなり

2015年12月16日 13時36分27秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

AU回線故障!

 

 

平成27年12月14日(月)、AU光にトラブル発生して、インターネットならびに電話が使えない。よって、一日さみしい思いをしておりました。

こういう時にスマホがあるといいんですなぁ・・・・トホホ。

明日か明後日つながります。

 

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12月13日(日)のつぶやき その3

2015年12月14日 06時08分37秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

死でもなく、生でもない、第三の領域を認識し、それに触れていること。生命システムの中に生きながら、同時にそれを抜け出ている知性は、可能か。~「ポリフォニーとマンダラ」

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十輪院石仏龕:我が国では稀有な石仏龕本尊。龕とは仏像を納める厨子を意味する。当寺は奈良県にある寺院で、開基は右大臣・吉備真備の長男で能書家の朝野魚養。pic.twitter.com/lPQuH0zsDa

Waishan Richunanさんがリツイート | 9 RT

【大分・長洲精霊送り】<8月15日>長洲地区の初盆家庭行事。3m×1.5×1mほどの大きさで木や紙製の神社仏閣の精巧なジオラマ状御殿灯籠を作り、提灯や供物、太鼓や唄とともに神輿のように担いで墓地まで行列行進し、燃やして供養する。 pic.twitter.com/3PCJlXVLXL

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。

Waishan Richunanさんがリツイート | 4 RT

【源氏物語ゆかりの地】 光源氏の邸宅「六条院」を歩く
(光源氏のモデルのひとり・源融の「河原院」跡とその周辺を歩きました。)
⇒ geocities.jp/kakitutei_pick…
pic.twitter.com/Rn7f0lwzty

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Retweeted 「源氏物語」関連情報bot (@GenjiBot):

【源氏物語ゆかりの地】 光源氏の邸宅「六条院」を歩く
(光源氏のモデルのひとり・源融の「河原院」跡とその周辺を歩きました。)... fb.me/3YZUMck88


100RT:【ワクワクが止まらない】宇宙人?ある恒星の光が不思議な変動
news.livedoor.com/article/detail…

恒星「KIC 8462852」の光が不自然で、宇宙人による巨大な構造物である可能性を探るべきだという意見もある pic.twitter.com/Z1ktJiMO31

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直坂の蚕神なつかしいなあ。おれがお参りしたのは一昨年の風の盆の翌日のことやったな。
shobunsha.co.jp/?p=3731 pic.twitter.com/I747GLtYdx

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Retweeted 『蚕』畑中章宏 (@akirevolution):

直坂の蚕神なつかしいなあ。おれがお参りしたのは一昨年の風の盆の翌日のことやったな。
shobunsha.co.jp/?p=3731... fb.me/7Cf2DKjDA


ゲオルク・ヘーゲルは、ドイツの哲学者。ドイツ観念論から現代の哲学研究や弁証法哲学の業績のほか、『法の哲学』などの諸著作における近代国家の理論的基礎付けでも著名。
pic.twitter.com/LiKj87eAdB

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キリスト教はすごく変な宗教で、もとになっているのが信じる=believeということでしょう。でも。世界中のどこの宗教を調べても、believeに相当する言葉はないんです。~『ブッダの方舟』

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『蚕 絹糸を吐く虫と日本人』畑中章宏著/晶文社 蚕業を通した日本人の営みを辿るフォークロアとして、また近代日本の歩んで きた道を考える視点として非常に興味深い。今和次郎、六車由実、安丸良夫、原武史など著者の蚕を探る旅は自由である。この蚕業に従事した人々への眼差しも印象に残った。

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太陽の光線は、

美人の顔も照らせば、

犬の糞も照らしている。 bit.ly/QS6lcg

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Retweeted 中村天風 (@NakamuraTenpu):

太陽の光線は、

美人の顔も照らせば、

犬の糞も照らしている。 bit.ly/QS6lcg fb.me/7NBiUNRBt


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/