と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

12月22日(火)のつぶやき その2

2015年12月23日 06時06分31秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

Retweeted アドラー心理学を学ぶ (@kirawareruyuuk1):

アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます。


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12月22日(火)のつぶやき その1

2015年12月23日 06時06分30秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

【山梨・無尽・貯金会】富士吉田市で鎌倉時代に始まった庶民同士の融資制度。冠婚葬祭でお金が要る時に助け合うため行っていた。現在は仲間内で旅行費用等を積み立てるグループもあるが、単に特定メンバーで定期的に会合を開くことを示すことも多い。 pic.twitter.com/nkC5Ismklo

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

柳田国男、折口信夫、南方熊楠の三人の巨人の頭脳と心が生み出したものは、日本人に残されたもっとも貴重な宝物である。わたしはこの宝物をしっかりと護り未来に伝える水中の龍でありたいと願う。~『古代からきた未来人 折口信夫』

Waishan Richunanさんがリツイート | 5 RT

【栃木・烏山の山あげ行事】<7月第4金、土、日曜日>450年の伝統ある移動式野外劇が特徴のお祭り。披露される狂言劇の背景には大きな山々が描かれ、拍子木の合図で山がさまざま様相に変化したり、装置が発動する。ユネスコ無形文化遺産申請中。 pic.twitter.com/lnsuKKKOto

Waishan Richunanさんがリツイート | 4 RT

等持院足利尊氏像:京都にある臨済宗天龍寺派の寺院で、足利氏の菩提寺。尊氏は後醍醐天皇に反逆したとして、幕末以降逆賊扱いされてきたが、戦後の歴史観の変遷を経て再評価され始めた。京都の時代祭で永く室町時代がなかったのもこの事に起因する。 pic.twitter.com/B568tzmjt7

Waishan Richunanさんがリツイート | 11 RT

わたしは国とか国民とかという大きなものを憎むほどの想像力がない。わたしには統率力がない。わたしは多人数を相手に喋るのは嫌いだ。精神訓話など聞くのもきらいだが、するのはもっと好まない。-帝国軍隊における学習・序

Waishan Richunanさんがリツイート | 1 RT

この世は天国ではない・・・当たり前だが

私は、実にお気楽なジジイである。それは自他共に認めることである。そもそもが実に明るい。それに性格が軽い。軽いから、クチのきき... goo.gl/ROY6D2


尊厳ある老後を送ることは、「国民の義務」であると規定されているからだ。

あらかじめ失敗を予想して、慎重に・慎重にと、やっていると幸せは向こうから逃げていく。失敗はつ... goo.gl/XKP4J7


【沖縄・節祭】<10月>西表島祖内・干立地区で地区ごとに3日間行う豊作祈願の祭事。黒装束で覆われたフダチミが浜辺を歩いたり、不思議な面を被った富の象徴であるオホホが主神ミルク様の周囲を『おほほ~おほほ~』と言いながら札束をばらまく。 pic.twitter.com/meCl48KDm4

Waishan Richunanさんがリツイート | 53 RT

福島原発の事故がはからずも露呈させたのは、原子力を扱う日本人の科学者の多くが、自分が専門とする分野でいったいなにがおこなわれているか、ことの本質を理解していないのではないかという、恐ろしい疑念であった。~『日本の大転換』

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

【秋田・光頭相撲】<1月最終日曜日>地域を明るく照らしたいという思いを持つ、頭髪が少ない男性たちが頭の光り具合や色つやなどを競う行事。行司がライトで照らしたり虫眼鏡を使って判定。頭に吸盤をつけて紐で引きあう「吸盤綱引き」も行われる。 pic.twitter.com/2uN7uPdaNI

Waishan Richunanさんがリツイート | 27 RT

【難陀竜王】インドの神・ナーガが仏教に取り入れられたものだと考えられている。仏教では、釈迦入滅以後、仏法の守護神として君臨する。ナーガとは、神話の世界でしばしば登場する、上半身が人間の姿で下半身が蛇の神のことである。 pic.twitter.com/tq9V3UHPhw

Waishan Richunanさんがリツイート | 23 RT

日本の科学者の思考には、一神教の本質の理解がセットされていないのかもしれない。原子力発電は生態圏内部の自然ではないのだから、それをあたかも自然の事物のように扱うことは許されない。いわんやそれが「ぜったい安全である」ことなどは、ありえようがないのである。~『日本の大転換』

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます。

Waishan Richunanさんがリツイート | 2 RT

老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。老年が食物として必要なのは「知恵」である。
そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。

Waishan Richunanさんがリツイート | 4 RT

Retweeted レオナルド・ダ・ヴィンチ 名言集 (@daVincibot):

老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。老年が食物として必要なのは「知恵」である。
そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。


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たくさんチャレンジすること・・・ところで老後について法律はなんと規定しているか、君はご存じか?

2015年12月22日 19時33分08秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

尊厳ある老後を送ることは、「国民の義務」であると規定されているからだ。

 

 

あらかじめ失敗を予想して、慎重に・慎重にと、やっていると幸せは向こうから逃げていく。失敗はつきものである、挫折なんか誰でもできる、夢なんか見ていたら笑われる、りっぱな論文を書いて他人から尊敬されたい等々いろいろあらーなである。

人間、そんなに成功する確率なんか高くはないのである。宝くじだって、当たる人より、当たらない人の方が確率は高いのである。当たり前だが。

だから、どんどん・ドンドン・donndonn行動に移して、積極的にチャレンジすることですなぁ~。

多重人格だと嫌みを言われてもいいのだ。

多重人格おおいにけっこうである。いろんなことにチャレンジしていれば、退屈しないではないか。

成功するかしないかと悩んでいたら、そのうちに爺婆になっちまって、やる気がなくなってしまう。

だから生涯学習なのである。

たくさんのことにチャレンジしていけばいいのである。

対象はなんでもいい。ともかく、行動である。行動あってこその生きている証ではないか。

そう思う。

思うからやっているだけである。

バカとか、基地外とか言われてもかまわないのである。

言いたい人には言わせておけばいい。

経済論理を振り回して、なんのメリットがあるんだと言って来る人は相手にしないことだ。

そんなのにつきあっている暇はない。なにしろ、こっちは、いつ死ぬかわからんのだから。

100%死んじゃうのだから。

それを、おバカキャラのミニスカオネーチャンなんかをからかっていたら、あっと言う間にこの世からおさらばである。

時間がもったいない。

そんなことでもって、時間つぶしをしていたら「尊厳ある」老後を過ごすことができないではないか。介護の法律にもあるではないか。介護保険法の第1条・第4条に。以下のように書かれているからだ。

 

(目的)

第一条   この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。

 

「(国民の努力及び義務)

第四条   国民は、自ら要介護状態となることを予防するため、加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、要介護状態となった場合においても、進んでリハビリテーションその他の適切な保健医療サービス及び福祉サービスを利用することにより、その有する能力の維持向上に努めるものとする。

   国民は、共同連帯の理念に基づき、介護保険事業に要する費用を公平に負担するものとする。」

 

 

つまり、尊厳ある老後を送ることは、「国民の義務」であると規定されているからだ。

今日も老人大学から帰って、市営のgymに行ってきた。

合計、10キロは歩いた。

ちまたでは、忘年会と称してあちこち彷徨している爺婆もたくさんいる。それはそれでいい。呑めるうちがハナである。おおいに呑んで、健康が維持できるのならば、おやりになるがいい。

私は酒飲みからも引退したけど。

わはははっははっははっははっはははは。

今日も良い一日でしたよん。

 

ではさようなら。

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世の中は、いつも「試練」や「葛藤」に満ち満ちているではないか

2015年12月22日 08時09分04秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

この世は天国ではない・・・当たり前だが

 

 

私は、実にお気楽なジジイである。それは自他共に認めることである。そもそもが実に明るい。それに性格が軽い。軽いから、クチのきき方に注意している。失礼があってはならないからである。

当たり前である。世間の中で生きているからである。世間という関係性の中でようやくあえぎながら生きている。

だから、世間もお気楽なもんだろうと思っているわけではない。

世間は、いつも「試練」や「葛藤」に満ち満ちているではないか。理不尽さと背中あわせの耐えがたきを忍び、耐えながら生きている世界である。

つまり、現実として生きているこの世は「天国」ではないということである。

事実、鬼みたいな人間もたくさんいる。鬼もまた人間のみっともなさ、恐れ、妄想、妄動、嫉妬心、怒り、欲望・・・・・等々が表に出てきたことの現れである。鬼には呪いもある。それが最近面白くてならならいから、万葉集や古事記を再読するようになっているが。呪歌のことである。折口信夫先生なんか、この方面の碩学であるから、目の前にで~んと鎮座している折口信夫全集を再読しているが。

我々は、痛みや困難に見舞われないというお気楽な人生ばかりではない。私たちの人生は、痛みや困難だらけである。生まれた時から、そうである。泣きながら生まれてきたのだし。

そういう自分ではどうすることもできないものが人生を支配しているのである。

両親がそうだ。両親というのは、価値観や生き方を通して子供を支配してくる。逃れられない。

もっとある。

地域や職場、身を置いている場所・組織を支配している常識という名の権力が我々を支配してくる。

さらに時代の流れという名の時代の価値観に支配される。翻弄される。振り回される。

全部自分ではどうすることもできないものばかりだ。

したがって、「生きる」とは思うままにならない現実に出会うことである。哀しみに出会うということも、思うままにならない出来事である。さらにある。苦しむこともそうである。

しかし、生きるとは、そこでしかできないこと、ケイケンをさせていただくことでもある。病気然り、入院然り。だから積極的に生きていくことである。

病気になったらなったで、病室での生き方というのもある。患者同士で、いろいろな情報を共有できる。いろいろな生き方も学ぶことができる。

そういうことを、去年入院してしみじみ思ったのである。

絶対に生きていられるわけもない。死んでしまうということから目をそらして生きていっても、人間は100%死んでしまうのである。

だからこそ、この世の中の出来事なんか、たとえそれがどんなに耐えがたいことであっても、ただの「条件」でしかないのである。

病気も条件。

入院も条件。

理不尽な、上司も条件。

離婚も条件。

破産も条件。

私のように醜男に生まれたのも条件。

私のようにカスカスで生活しているのも条件。

私のように三流の学歴しかないのも条件。

なんでもかんでもそうなのである。

条件なのだ。

だったら、その条件の受容方法を変えていくことである。条件の受け止め方を変えていくことこそが重要である。

そう思う。

今がもっとも重要であるということである。

 

 

今日は老人大学登校日。

楽しみである。

楽しいから楽しいのである。

雑談が。

つまらない講義だったら、速効で内職をする。

高校生時代からの得意技である。

あらかじめ内職用の本を持っていくけど。

わはははっははっはははっははっっはっははは。

 

じゃぁねぇ~。

Bye-bye

  

 

 

 

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12月21日(月)のつぶやき

2015年12月22日 05時57分07秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

欲望と執着からは、離れられないんだろうけど

「諦められない」「諦めたくない」という心境というのはよくわかる。

これまで数知れずそういう体験をしてきたからだ。職... goo.gl/7kv7Bs


多額ローン、就職先はブラック…Fランク大学卒業生の厳しい現実~なぜ入学者減らない? biz-journal.jp/2013/12/post_3… @biz_journalさんから


【沖縄・カジマヤー(風車祭)】<旧暦9月7日>数え97才の長寿祝い。男性は赤いちゃんちゃんこに頭巾、女性は青と黄色の紅型の上に赤い打掛を着て大きな風車(カジマヤー)を持ち童心にかえってもらう。風車で飾られたオープンカーで村内を廻る。 pic.twitter.com/2vKUsQzWJW

Waishan Richunanさんがリツイート | 40 RT

純粋な知性は、自然と超自然との交わる点にあることを信じている。私はそれを数学者のような厳密さへの要求を失わないで、ごまかしのない、裸の言葉で語ることを願っている。しかし、そのためには、私はその目的のための特別な数学を形づくる作業にとりかからなければならないのかも知れない。

Waishan Richunanさんがリツイート | 4 RT

常保寺出山釈迦像:東京都青梅市所在。釈迦は29歳で出家し、山に篭り6年間修行をしたが悟りが得られなかった。当像は修行を終え山を出る時の痩せこけ肋骨が浮き出た様子を表したもの。出山後、釈迦はブッダガーヤの菩提樹の下で悟りを開いた。 pic.twitter.com/DmOVccUDpR

Waishan Richunanさんがリツイート | 7 RT

鳥取地方には、今も「刈り上げ祝ひ」の若衆の宴をにへと稱へて居る

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Retweeted 折口信夫 (@shakuchoku):

鳥取地方には、今も「刈り上げ祝ひ」の若衆の宴をにへと稱へて居る


日本の若手教員の半分は,週に10時間以上,部活指導をしている。他国との違いが明瞭。 pic.twitter.com/RfgOQ5GiN6

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Retweeted 舞田敏彦 (@tmaita77):

日本の若手教員の半分は,週に10時間以上,部活指導をしている。他国との違いが明瞭。 pic.twitter.com/9HEPhubz2c fb.me/3vvwxRDsq


Youtubeで志村けんとか、落語とか、漫才とか見てから寝ることにした

18:11である。
最近、こうやって短文を数多く書くことが増えた。理由はない。惚け防止のためには、ブログに書く... goo.gl/tMh8zs


Chinese Funny Comedy Episode 05 - When human down the super man fb.me/4Ba47TrYY


たった一度の人生を変える勉強をしよう~藤原和博氏 goo.gl/Iz1seL


Chinese Funny Comedy Episode 05 - When human down the super man goo.gl/uMovnY


Chinese Funny Comedy Episode 03 - Alike Looking Son - (Akiho Yoshizawa) - English Sub goo.gl/R6d4ZU


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Chinese Funny Comedy Episode 03 - Alike Looking Son - (Akiho Yoshizawa) - English Sub

2015年12月21日 22時15分32秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

Chinese Funny Comedy Episode 03 - Alike Looking Son - (Akiho Yoshizawa) - English Sub

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Chinese Funny Comedy Episode 05 - When human down the super man

2015年12月21日 22時10分45秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

Chinese Funny Comedy Episode 05 - When human down the super man

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たった一度の人生を変える勉強をしよう~藤原和博氏

2015年12月21日 22時05分29秒 | 生涯学習ごっこで勘違い

この動画なかなか面白いですねぇ~。

いろいろ参考になりました。

(^-^)/

 

 

たった一度の人生を変える勉強をしよう~藤原和博氏

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最近は、夜寝る前に大笑いをしてから寝ることにしている

2015年12月21日 18時00分41秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

Youtubeで志村けんとか、落語とか、漫才とか見てから寝ることにした

 

 

18:11である。

最近、こうやって短文を数多く書くことが増えた。理由はない。惚け防止のためには、ブログに書くネタを探していた方がいいと思っているからで。

さて、実は、寝る前に昼にあったいろいろなことを忘れるために、大笑いをしてから寝ることにした。ここんところずっとやっているのだが、なかなかいい。

Youtubeで志村けんとか、落語とか、漫才とか見てから寝ることにしたのである。

これが真逆の場合だったら、うそ寒い心境になる。

だいいち他人にハラがたってしょうがないではないか。そんなもん、捨ててしまえばいいだけである。だから、快適な眠りのためにも大笑いをしてから寝ることにしたのである。

ただ笑っていたら基地外の部類に属するだろうから、Youtubeなら古女房ドノも怪しまない。そして、DVDも買ってこなくていいから年金生活者には快適である。金銭的に。

今日も実によく歩いた。

都合10キロ以上である。

一日かけて歩いているのだが、歩く以外にはなにもすることがないのか?と叱られそうだ。しかし、健康に関することも私は生涯学習だと思っているから、積極的にやっている。

病気になってみないと、わからん心境でしょうなぁ。

だから病気は試練なのである。

人生観が変わる。

元気で薬も呑んだことがないとか、病気一つしたことがないという方ほど実は危ない。病気がである。一病息災の方がいい。自分で注意するからである。

私もそうだった。

血圧も高くなかったし、血糖値も問題なかったし、ましてや血液どろどろとは思ってもみなかった。

だから健康には自信があったのである。

自信があるから、健康に留意しなかったのである。

バリバリ・バリバリ働いていた。だからつきあいと自称して、酒もよく呑んだ。これが結果的には、命とりだった。

挫折したからである。論文書きに。

油断していたのだなぁ。

油断していると碌なことはない。

ま、昼間におきたいろいろなこと、過去のことは、寝る前に大笑いをしてから寝るとミンナ忘れられる。

いいもんである。

あーたもやってみませんか?

 

え?

そんなのやらねぇよって?

わははははっはははっはは。

当然ですな。

 

Bye-bye

 

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私には、「特別でありたい」とか「皆に尊敬されたい」というのがない。

2015年12月21日 10時19分05秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

欲望と執着からは、離れられないんだろうけど

 

 

「諦められない」「諦めたくない」という心境というのはよくわかる。

これまで数知れずそういう体験をしてきたからだ。職業生活において、そういう体験をすることは多かった。多かったという過去形なのは、現在はまったく真逆の気楽なジジイ生活をしているからである。

そもそも、「諦められない」「諦めたくない」という心境はパワーをつくってくれる。だから貴重なエネルギー源である。そういうのがないと会社なり組織なりで頭角を現していくのは、至難の技であろう。

「もう少しだけ努力してみよう」「もうちょっとやったらうまくいくかもしれない」というのは、確かにそうである。

もっとも、そうやってたくましく生きている方々は、こんなあふぉ~なジジイのブログなんかには来ないだろう。だから余計なお節介であるのだが、どうもそうとも限らないとも思っている。

それは、離れられない心、気になって仕方のない心、こだわっている心、忘れられない心、とらわれている心というように表現できる心理状態と一緒である。

他人を押しのけても、どうしても手に入れたい、どうしてもて手放したくないと思うのと一緒である。

だから、私のようにならないためにも頑張ることは大事である。つまり、私は、「どうでもいい部分」というのが確かにあるからである。

言わば投げやりっちゅうやつである。

しかしである。

私には、「特別でありたい」とか「皆に尊敬されたい」というのがない。

他人に自慢できるようなものがない。地位、立場、評判、名声、権力、財力等々なんにもない。心がそっちに向いていない。

そういうもので、苦しんだこともない。

寂しいと思ったこともない。

当たり前である。最初からないんだから。なんにも。そんなもんで、心が波打つこともない。ないんだから、仕方がない。

これは実に気楽なことである。

失う不安もないし、これから得るかもしれないと心ときめかすこともないからだ。

「もの」とか、「こと」にこだわることもない。そんなもんで、苦しみたくないからだ。無ければ、無いでいいではないか。

大切にしたいのは、宝石でもないし、高そうな着物でもないし、地位でも名声でもない。学歴でもない。

望んでも得られないのだったら、最初から視野に入れない方がいい。

宝くじも当たってしまったら、億万長者になったら、もうそれっきりである。カネがありすぎると、満足できなくなる。貯金が8万しかなかった時代から見たら、今年の宝くじのように10億円も当ってしまったら、かえって不幸である。幸福の価値基準が異なってしまうからである。

もっとも買わなくちゃ当たらないだろうけれども。

そんなことより、「はつらつとして」「力強く」「たくましく」「明るく」生きている方がずっといい。健康で、やることがあって、たとえそれが社会の片隅でいじいじとやっているだけでもいい。

そうなのである。

オノレがいいと思ってやっているからである。

大事なのは、頭の上にツノをはやさないことである。「鬼」になってはアカン。とらわれているのが「鬼」であるからだ。

昨日から、呪歌に関する研究書を県立図書館から借りてきたので、久しぶりにノートをとりながら読んでいる。「呪歌」というのだから、呪いの歌である。

万葉集とか、古事記、中国少数民族の芸能に散見されるから面白いと思って読んでいるのだ。

5冊もある。

これで正月はやることがたくさんあって楽しいだろうなぁ~。孫と一緒に遊んで、カラオケ童謡を一緒に歌って過ごすつもりである。

楽しみである。

それだけであるが。

 

じゃぁ、これからwalkingに行ってきます。10:17ですから。

午前中の部。

午後からまた歩くけど。

 

Bye-bye

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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12月20日(日)のつぶやき

2015年12月21日 05時57分52秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

留学生たちの日本語は美しいと思った

外国人留学生による日本語のスピーチコンテストに行ってきた。午後四時過ぎまでいた。運動していなかったから、表彰式は失礼した。そこま... goo.gl/PyhoNQ


さっきまで年賀状を作っていたのだが、だんだん年賀状も飽きがきたのかなぁ・・・・

今日は、前の記事でも書いたようにめったにないことだが、他市町村に出かけたのである... goo.gl/4TCdqY


【静岡・尻つみ祭り】<11月10日>源頼朝と八重姫がデートしたという音無神社の祭。社殿の神社を消し、一切口をきいてはならないため、御神酒を回す際には尻をつねって合図する。神事後の尻相撲大会ではお囃子にノリながら相手と尻をぶつけ合う。 pic.twitter.com/nC6gRrze4U

Waishan Richunanさんがリツイート | 15 RT

ギリシアの時代から、民主主義には特殊利害を共同利害にすり替えるという問題がつきものです。ギリシアでは奴隷も女性も民主主義から排除されていました。これはいまの民主主義でも同じです。なにせ民衆と動植物が入っていないんだから(笑)。~『哲学の自然』

Waishan Richunanさんがリツイート | 4 RT

【三重・ざる破り】<7月15日>八雲神社の約450年の歴史がある神事。豊漁と平穏無事を祈願してふんどし姿の青年たち約100名が直径約1mの竹ざるを激しく奪い合う。厄年の者は赤いふんどし。ざるの破片は噛むと歯痛に効くという。 pic.twitter.com/BdqBFrhQhm

Waishan Richunanさんがリツイート | 17 RT

浄瑠璃寺厨子入木造吉祥天立像:平安朝風の優美な作風の像であるが、実際の制作は鎌倉時代である。仏教尊像としての威厳と、現実の女性を思わせる官能美が見事に調和した作品。 pic.twitter.com/BYYRManYWA

Waishan Richunanさんがリツイート | 5 RT

日本の漁師たちは、大きな鯨をしとめるためには、より大きな銛が必要であるとか、大きな銛を打ち込むための火器を利用した新しい武器が必要だ、などという欧米捕鯨的ながさつな技術思考に、頼ることがなかったのである。~「すばらしい日本捕鯨」

Waishan Richunanさんがリツイート | 5 RT

今夜から寝がけに、必ず、寝床の中へはいったら最後。昼間の出来事と心を関係つけさせない努力をするんだ。

Waishan Richunanさんがリツイート | 6 RT

Retweeted 中村天風 (@NakamuraTenpu):

今夜から寝がけに、必ず、寝床の中へはいったら最後。昼間の出来事と心を関係つけさせない努力をするんだ。


そーいえば上杉謙信が、「今の武士は平安時代や源平の頃に比べて実に軟弱になった」という逸話があるのですが、
→昔の僕「上杉謙信でも『近頃の若い者は』的なつまらない批評をするんだなあ。』
→源平の頃をある程度勉強した後の僕「確かに戦国の武士は鎌倉どころか南北朝と比べても軟弱」

Waishan Richunanさんがリツイート | 444 RT

Retweeted まとめ管理人 (@1059kanri):

そーいえば上杉謙信が、「今の武士は平安時代や源平の頃に比べて実に軟弱になった」という逸話があるのですが、... fb.me/34pRzSXjA


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trainingもwalkingもなじんでくると飽きてくるようで・・・・トホホ

2015年12月20日 22時40分59秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

さっきまで年賀状を作っていたのだが、だんだん年賀状も飽きがきたのかなぁ・・・・

 

 

今日は、前の記事でも書いたようにめったにないことだが、他市町村に出かけたのである。

疲れてしまった。

ちょっと日常と違う体験をすると、いかなあふぉ~のとーま君でも疲れるらしい。新発見である。

さらに毎日ウオーキングをしているから、すっかりそういうペースに身体がなじんできたのだ。

そういうのを身体が記憶しているらしい。これも新発見である。第二の。

Gymでのトレーニングも内容が身体になじんでくると、ものたりなくなる。

だんだんとペースが上がってきている。これは要注意である。悪循環であるからだ。とうとう、マシーンではあるがベンチプレスまで始めてしまったのである。これでもって無酸素運動にのめりこんで、100キロあがったとかバカみたいに喜んでいたのだから、要注意だと思っているのだ。

なぜか?

ジジイのくせして、無理をしているからである。

バカだと思っていたらやっぱりバカだったよん。

救いようがないということだなぁ~。

そもそも救いようがなかったけどね。

だから文学にのめりこんだのだし。文学なんてやるんだったら、亡父にくたばってしめぇと言われたっけ。マジに。だから学費なんか出してやらねぇぞとも言われたっけなぁ。二葉亭四迷は、やはり父親にくたばってしめぇと言われたそうだが、彼は大物作家になった。こっちは、ただの庶民である。使えないぼんくらである。

わはははっはははっはっははは。

今年もいろいろあったような気がするが、全部忘れているし。

全部記憶の彼方に吹っ飛んでしまうんだろうなぁと思う。

それが私の運命であろうから。

運命というと、最近ある思想家にかなり興味を持った。今月に入って数冊読んだ。女性の思想家である。ちょっとここにはまだ書けない。

内容がよく理解できないからである。

そもそも先輩の方が紹介してくださった思想家であるが、どうもちょっとうさんくさい。だから、オノレなりに理解できるまでは、メモをとる程度で同じ著者が書いた他の本も漁っている。

そういう意味では慎重に読書しているのである。私は。

もともと乱読派なんだけど、理解するということでは慎重である。

ドストエフスキーだって、大学学部卒論であつかうと決めた時まで3年かかったし。

ドストエフスキーのキリスト教理解という問題で立ち往生したからであった。そこのところが理解できていないと書けないと思ったからである。当たり前である。学部の卒論といえども、基礎は大切であるからだ。

ましていわんや、文学博士となるとこりゃもうアカン。

オレごときがとれるものではない。はるか彼方のお宝でございますよん。

そんな大それた望みを持ってしまったことが、一番の試練であったのだ。しかも、いろいろな「気づき」もくれたけど。

自己嫌悪からの立ち直りというのも、その「気づき」の中にはあったなぁと思う。大学院博士課程を3年で退学した当初は、まさに自己嫌悪だった。健康を損ねてまで論文書きをしてなんの意味があったのだろうと、自己嫌悪に陥ったのであった。

しかし、あれもまた試練であったのだ。

しかも、私には良いときも、運の悪いときもあったのである。あるいは辛いなぁというときもあったのだ。

それでも、人生の一瞬一瞬をこんな大切なものはないといとおしむ想いが、これまで自分を支えてくれたのであったと思う。

光があれば闇がある。

そういうオノレ自身を受け入れるしかなかったのである。そういうことで苦しんできた若者達と一緒に学校で勉強したり、悩みを共有してきたのは、オノレ自身の成長のためでもあったのだ。

ジジイになって、またまた挫折したのも、「試練」であった。

あるいは、目に見えないものからの語りかけであったのかもしれない。

でも、バラバラであったものが、一つになった。

挫折も、苦しみも、なんでも全部数珠のようにひとかたまりとなっていたのだ。そして円になって、元に戻ってきたのである。

因果応報とはよくも言ったり。

ご縁がなかったといえばそうであろう。しかし、そのご縁をオノレ自身も作ろうとしなかったというのもある。

学問を徹底して追求できなかったのは、学問へのご縁をオノレ自身で断ち切ってきたからである。

これからでも遅くはない。

まだ、60代である。

見ためと、違っているのである。

私は。

わはははっははははっはははっははは。

 

これから大いに遊びながら、つまり趣味に生きながら、元気で、笑ってばかりいる老後を過ごしていくつもりである。

以上のようなことを年賀状に書いた。

明日、また年賀状の続きをやろうっと。

でないと正月に着かないから。

ちなみに私の年賀状は、カナダ・アメリカ旅行の写真と台湾少数民族見学した時の写真を貼ってある。カナダ・アメリカの方はナイアガラの滝の前で私が\(^_^)/をしているのである。

やっぱりバカだった。

しかも、できるだけ小さい字でこのブログのようなことを書いている。字数も年賀状の枠をはみ出している。

だから古女房ドノに叱られるわけである。

大切な親戚にはまちがってもこんなの出さないでね!と、きつく言われてしまったのである。

年賀状って、親しいから出すんだろうにねぇと思うのだが。

違うのかな?

よくわかんないけど。

 

 

じゃぁ22:38なので、寝ます。

 

(^_^)””””

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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外国人留学生による日本語のスピーチコンテスト

2015年12月20日 20時04分49秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

留学生たちの日本語は美しいと思った

 

 

外国人留学生による日本語のスピーチコンテストに行ってきた。午後四時過ぎまでいた。運動していなかったから、表彰式は失礼した。そこまでいたら、アカン。

午前中は、walkingをしたから、約5000歩は歩いたが、帰ってからまた歩くつもりでいた。すぐ帰った。

しかし、バイト先の外国人留学生(留学生別科という)の大学生たちの勉強ぶりはすばらしいものがある。ベトナム、イスラエル、スリランカ、中国等々から来た学生たちである。

実は、それらの学生を指導しているのは、私の古い友人(友人と言ったら叱られるな、先輩じゃ)である。中学校の校長をされた先輩である。コロンビアの日本人学校の校長もされた方でアル。

だから、机を並べて始まる前に雑談をしていた。

元気か?から始まって、最近の様子も報告した。病気をしたこともである。

大酒飲みであったから、その先輩とも大いに呑んだのだ。そうなのだ。私は、最初義務教育の採用で中学校にいたから、先輩の後を追っていたのである。同じ国語教師であったし。

今日の留学生たちは、だから先輩の教え子なのである。心配そうに見ていたから、なるほど、いつまでも教師っていいもんだなぁ~と思った。

良い経験をさせていただいた。

感謝である。

また明日。

 

 

 

 

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12月19日(土)のつぶやき

2015年12月20日 06時01分05秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

「生涯現役、生涯修行、生涯勉強」である・・・一介の庶民は

怒りは人を台無しにする。生涯学習をやっていると、まったくそう思う。何故か。怒りは、冷静さを欠くからである。冷静... goo.gl/R7QMZI


【京都・あがた祭り】<6月5日~6日未明>別名「暗闇の奇祭」。梵天とよばれる竹棒の先へ奉書を球状に束ねた祭具を乗せた神輿を男衆が担ぎ、激しい「ぶん回し」や左右前後に揺さぶる「差し上げ」をしながら町の深夜の暗闇の中を練り歩く。 pic.twitter.com/45dNhysKrl

Waishan Richunanさんがリツイート | 18 RT

現実問題として、五四基も原発をつくってしまった以上、そんなに一瞬ではなくなりませんよ。すぐにはできないということを出発点にしながら、ゼロに向かって最大限努力していくということが大事なのに、その努力をしている人に後ろから鉄砲を撃つようなことは、止めないといけません。~『哲学の自然』

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

【各地・施餓鬼法要】訓読で「餓鬼に施す」と読めることからも分かるように、生前の悪行によって常に飢えと乾きに苦しんでいるもの、死後に特に餓鬼道に堕ちた衆生のために加持祈祷を行いながら食べ物を布施し、その霊を供養する法要行事の事である。 pic.twitter.com/GGzaKBijew

Waishan Richunanさんがリツイート | 15 RT

人は夜寝ている間に夢を見る。それと同じように、共同体も祭のときに夢を見る。~『大阪アースダイバー』

Waishan Richunanさんがリツイート | 6 RT

Retweeted 中沢新一語録 (@nakazawa_quotes):

人は夜寝ている間に夢を見る。それと同じように、共同体も祭のときに夢を見る。~『大阪アースダイバー』


受験用の勉強と生涯学習の違いであろうと思っているのだが

受験業界では、いろいろな参考書や問題集を売る。当然であろう。そういうことでもって利潤を追求しているからである... goo.gl/VMycsI


楽しみな明日・・留学生別科の学生さんの発表会があるから

明日は、バイト先の大学留学生別科の学生による日本語発表会があるから、聞いてくる。それこそいろいろな国から来ら... goo.gl/RcA9Yw


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留学生たちと明日会ってくるけど・・・中国の人があまりいないのが残念

2015年12月19日 21時48分16秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

楽しみな明日・・留学生別科の学生さんの発表会があるから

 

 

明日は、バイト先の大学留学生別科の学生による日本語発表会があるから、聞いてくる。それこそいろいろな国から来られている大学生(留学生)たちの発表会である。

実は、先日彼ら彼女らの旅行会にも誘われたのであるが、行けなかった。担当の教授先生からであった。

で、罪滅ぼしではないが、発表会に行ってくるのである。

ありがたいことである。

可能ならば中国語を教えてくださる留学生がいればいいのだが。それも無理か。

でも、あれですなぁ~。

こういう社会的なつながりが、老後を豊かにしてくださっているのだと思っている。

ホントにありがたいことである。

社会的な関係性を無くしてしまったら、ただの変わりもんジジイでしかないからである。

そういうバイトをさせてくださっている大学に感謝である。

だから生きていられるっちゅうもんです。

 

それと、学事出版にも5本の原稿を提出しなくてはならない。これも構想は立ててあるけど、このブログでもってだいたいの材料は書いてあるから大丈夫だろう。

孫が遊びにくるまではやっておかないと。

スラスラ・スラスラと書かないとアカンですからねぇ~。

 

これにて、寝ます。

 

Bye-bye

 

 

 

 

 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/