と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

考えられない時代を生きていたのじゃなぁ・・今じゃあり得ない昭和の時代に子供が普通に買えたもの

2016年07月22日 07時58分37秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

昭和は美しい時代ではなかった。懐かしいけど、こんなもんまで売っていたのだから。そしてそれでもって遊んでいたのだから。他人のこたぁ言えねぇ、言えねぇ。



昆虫採集セット
夏休みの定番だった。たしか、子ども向けの雑誌にもついてきたような微かな記憶があるけど。違ったかな?・・これでもって、亡母の勤務していた奥羽山脈の中にある山の分校で、せっせとそれこそ採集に励んだという妙な記憶があるんだけど。注射針もなんも完全に今では禁止ですな。しかし、あのクスリめいた注射液は、インチキだったのか・・・トホホ。騙されたな。マジに。買う方も買う方だが。

だっこちゃん
これも買った。買ってずいぶん遊んだ。バカみたいに。あ、バカが買ったのだから~~~みたいではなかった。バカそのものである(^_^)。

合成甘味料、着色料、保存料たっぷりの駄菓子
これも買った、喰った経験がある。たくさんある。しかも、通っていた小学校の近くにあった駄菓子屋さんにたくさんあった。くじ付きで楽しかった。唇を真っ赤に染めたりしていた。これまた今ではあり得ない話じゃ。

カラーひよこ
これまた買っていた。将来卵を産むのではないかと密かに期待して買ってきて、飼っていた。しかし、多くは死んじゃった。全部オスのひよこであったのだ。先輩もそう言っていた。オスは、なんの役にも立たないからである。ああああああああああああああああああ。いつの世でも、オスは無用の生き物である・・・トホホ。

たばこの自動販売機
こどもでも買うことができた。これまた今では信じられないことであろう。もっとも、ボキの場合は買ったこともないし、高校生時代は吸ったこともない。なんのおもしろみもない、ただのでくの坊こーこーせーであったなぁ。

次は、爆竹。これはこれは。これでもって、多くの小動物を・・・。まったく悪業三昧であった。山には、たくさんいたからである。

後半の部分に登場してくるものは買ったことがない。しかし、あれだね。マナー云々と他国を罵倒できないではないか。昭和の時代を生きていた輩は。だから悪業三昧と言うのである。

誰だって、他人のことは批判できる。涼しい顔をして、オノレだけ正しいようなことを言って他者批判をしている評論家、コメンテーターの類いである。テレビにもたくさん出てくるではないか。高額ギャラを貰いながら。

ハラが立つから、そういうものは見ないことにしているけど。それにあまりにデタラメだから。どれがホントで、どこがウソかまったくわからんではないか。

こっちはただのジジイである。教えてもらうのはありがたいが、ウソはいけない。マジに。大放送局だから、大新聞だから全部が全部正しいとはかぎらないんだそうだし。(*_*) マイッタねぇ。なにを信用していいのやら、ジジイにはわからんですなぁ。

こんなんじゃぁ、インターネットのニュースにも劣るというもんじゃ。インターネットのニュースも信用できないからなぁ。もっとも、昭和時代にはインターネットなんかなかったか。むろん携帯電話もスマホも。

こういふ時代遅れのジジイは、どうやって生き残っていけばいいのかね?

まだまだ死なないようだし。

でもあれか。明日のことはわからないってか。

そうかもなぁ。

クワバラ、クワバラ。

Bye-bye!

 

 

 

【驚愕】今じゃあり得ない昭和の時代に子供が普通に買えた驚くべきもの

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7月21日(木)のつぶやき その2

2016年07月22日 06時57分37秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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7月21日(木)のつぶやき その1

2016年07月22日 06時57分36秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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ああああああああ・・・憧れの・・・奥の細道 序章

2016年07月21日 12時07分11秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

退職して、本当に旅に憧れている。

芭蕉の「奥の細道」をたどってみたいというのは、マジである。

定年後は、「死」以外に関心はないからである。

社会的役割も終えた。さらにこれまでいろいろ挫折ばかりしてきた前半生から、可能ならば安定期に入りたいと思っているからでもある。 

安定した境涯でありたい。挫折はこれからもあるだろうが、なにしろ受け止め方が違ってきている。

失恋もない。あるわけない。哀しい恋の歌なんぞなんにも興味がないからだ。

けふ午前中は、図書館に借りていた一茶研究の本を延長で借りたいと思って、クルマで行った。そして、またまた芭蕉の本を借りてきた。

ついでに、図書館の脇にあるwalking courseを歩いてきた。距離にして1.5キロはあるだろうか。12:15現在歩数で3000歩はかせいだから。

で、帰り道郵便局に寄った。

一番最初の大学がやっている学会に学会費を納めた。校友として。さらにある。定年退職した前の仕事の***会というのがあって、これにも会費を納めた。合計で6000円である。痛いですな、出費が。

どーでもいいような話だけれども。

でも、そのどーでもいいような日常が実に大事なような気がする。

それをこの芭蕉の動画に教えていただいたような気がする。

マジに。

旅は、すべてを捨ててしまうような雰囲気があるから。

Bye-bye!

 

 

 

 

 

奥の細道 序章

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7月20日(水)のつぶやき

2016年07月21日 05時24分32秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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養老孟司先生曰わく・・・・”老後の壁”克服法 エラく参考になったのだが

2016年07月20日 06時21分56秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

養老孟司先生の書いたものは、ほとんど買って読んだ。




なんとまぁノートも7冊ある。

名言集みたいになっている。ボキのお宝でもある。で、これを時々見返しては、悦に入っている。

リンクさせた動画では、養老先生「老後はさすらえ」と言っておられる。

西行もそう。芭蕉もそう。簡単な暮らしをせよということであるそうだ。男性のみである。女性はやらない方がいいとも。女性は、社交的であるから。そもそもが。

動機はともあれ、世間一般の価値観から離れた方がいいとも。

定年後にまだエライと思っている男性陣も多いし。

なるほどなぁ~。

現役時代の続きでもって生きている老人が多いからでもある。これは男性陣に多いという指摘はなるほどである。

さすらうというのは、アタマの中の問題であって実際の行動ではない。今更である。今更隠遁者を気取って、流浪の旅をせよというわけではない。

定年後、田舎暮らしだとか自称して、海辺の村や島に行って、地域に溶け込めないというのもいるらしい。実際、房総半島にはそういう田舎暮らしに憧憬して移住してこられた方もいるらしい。らしいというのは、同じ房総半島でも九十九里浜では寡聞にして聞いたことがないからでもある。もしかしたら、九十九里浜よりも南方の地域にはおられるかもしれないけど。不動産会社の戦略で、宣伝がいろいろとあるらしいから。

数としてはそんなにいないとは思うケド、閉じこもっていたらアカンのである。これは田舎暮らしに憧れて移住してきた方々ばかりではない。元々、住み着いている方々にも当てはまることである。

家族だけの人間関係しか安住していなかったりするのは、いかがなものか。それも最後には家族からも相手にされなくなったりする。極端なケチだったり、暴力的だったり、小言ばっかり言っていたら相手にされなくなっちまう。

一番問題なのは、古女房ドノとの人間関係が破綻することである。離婚したり、されたりしたら非常にいけない。がまんすることである。今までがまんしてきたのである。だったらこれからもがまんすべきである(^_^)。あ、どっちもどっちか・・・トホホ。ヒトのことは言えないですがねぇ~。

平成の参勤交代をすべしとも養老先生は言われている。

行くべき田舎があればいいとも。

奥の細道を辿っていくのもいい。最近、これにはかなりの興味を持っているから。しかも、50ccの原付バイクで行ってみたいと思った。思ったが、こりゃかなり危険じゃ。クルマでも危険じゃが。

「早死にしたくないなら、仕事にムチュウになるな」とも言われている。本気でやるべきなんだけど、仕事に対して適当な距離感を持っているべしとも言われている。

仕事一筋というのは、勘違いしてはいけない。

それはそれで立派なことであるが、仕事の方について言っているのであって、その仕事について一筋というわけではないのである。

担当者は変わるのである。ドンドン変わるのである。去って行ったものは追われないのである。

秀吉もそうである。草履取り一筋ではなかった。だから成功したのである。晩年は別としても。

これくらいにしよう。

けふは、あちこち行ったりして忙しいので。

わはははっはははっははっははははっはははっはは。

 

Bye-bye!

 

 

 

 

 

”老後の壁”克服法 20160111

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7月19日(火)のつぶやき その2

2016年07月20日 05時19分18秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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7月19日(火)のつぶやき その1

2016年07月20日 05時19分17秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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意地悪じいさん・意地悪ばあさんでいいんだって(^_^)

2016年07月19日 21時59分09秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

こういうのを公的機関(国民健康保険中央会)が作っているってぇことに驚いた。

しかし愉快ですなぁ。

健康になるために意地悪をせよ!っちゅうことなり。

なるほどである。

さらに、爺・婆はおおいに体験を語るべしというのも気に入ったですな。

あまり嫌われるからということを意識して、遠慮して余生を送っていると、楽しくないですなぁ~~~。

どーせ嫌われるんだったら、もっともっと生き生き生活していくことですよ。

惚け予防、寝たきり予防のために、社会に関心を持って大いに毒を吐きましょう。

わははっははっははっはははっは。

若い時に、毒ばかり吐いている年寄りがうざかったけど、今、そのうざかった年寄りになった。とうとうなっちまったのだ。因果応報である。過去のつぐないで生きているようなもんじゃ。

それでもいいんだ、いいんだ。

ボキは、これでいいんだ、これくらいでちょうどいいんだと諦めていちゃアカンのでっせ、とこの動画は教えてくれている。

明日は、古文書講座に行って、午後から老人大学に行って、それからgym。夜は中国語講座に遊びに行く。

中国語講座は、始まってから60分後に懇親会へとなだれ込む。

新規のメンバーなので、一杯やろうかとなったのである。

ま、いいか。

こんなこともあっていいのだ。

でないと、完全に人間関係が狭くなるから。

もっとも、これでもって人格異常になったらアカンですがね・・・トホホ。

じゃ、オヤスミ!

 

 

健康21 44 意地悪じいさん意地悪ばあさんの勧め その1

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笑いの殿堂・・・驚いた。落語説教 「『芝浜』~金が儲かる・病気が治る?」 桜嵐坊

2016年07月19日 07時04分36秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

わははっははっははは、わははっはははっはと毎日笑って過ごしている。

 

 

 

驚いた、実に驚いた。

こういう僧侶の方がおられるということに、マジに驚いた。もっとも、このお坊様、以前から注目していた。説教があまりにもお上手であるから。

宗派は関係ない。ボキはそもそも信仰というモノを持っていないから、万教帰一というかなんでもありがたい宗教は全部かじることにしているので。特に仏典の意味について知りたいと思ってきた。でもまだまだわからないことばかり。

あまりにも、オノレの知的体験ばかり追求してきたからである。バカなのに。バカを承知で無駄な本を買い、無駄な出費を繰り返してきた。様々な講座を聞いて、ノートをとっていた。しかも、バカだからその全部を忘れてしまっている。

トホホである。トホホ。

今年になってからやっと気がついた。

それは、ボキはそもそも平凡人であり、悪業三昧を繰り返してきたただのジジイであるということ、さらにそのことに気がつかなかったということ。臭いものにはフタをしていたのである。真実を見たくなかったのである。

オノレのバカさ加減を知りたくなかったのである。かすかに感じてはいた。これまでも。バカなのかもしれないとは。

それが決定的になったのは、こんなアホなボキでも、いかにバイトとはいえ、ささやかながら授業をやらしていただいているからである。つまり、授業でもって、いかにボキは上から目線でもって塾の生徒さんや大学生さんに接していたかということに気づかせていただいたからである。

アホがなにをやっていたんだろうと、今年の5月頃に気がついたのである。やっとである。やっと。あ、こんなんじゃアカンとしみじみ思った。

大学生が反発してきたからである。ボキも悪い。上から目線で指導していたんだろう。無意識で。大学生も、上から目線で自信たっぷりなボキに言い返してきたからである。あ、こりゃ誤解されていると瞬時に思った。

ボキは、その時に「自己否定」というような話をした。

ボキは、自己否定からすべての論理を組み立てているからである。それが、ボキの乏しい文学の知識の根底にあるからである。オノレに自信が無いから、文学にのめり込んで行ったのである。地位や名誉が欲しくて、一番最初の大学学部に進学したのではない。そもそもそんな能力もない。さらに、世間を上手に渡って学者や研究者になろうとしたのでもない。なりたくてもなれなかっただろうし。それこそ無駄な努力であるから(^_^)。

出世もできなかったし、それこそ田舎教師で終わった人間である。

それでもいいと思っている。それが、いろいろと悩んでいる若い生徒諸君のためになっただろうからである。

挫折している若者にはささやかながらも、お役に立ったと思っている。なぜならボキ自身が挫折の連続の人生を送ってきたからである。

今週の土曜日に看護学部の学生さんに、連続の授業をさせていただく。養護教諭として活躍したいという学生さんと対話をしてくる。三時間連続である(一コマ90分だから)。その準備を昨日やっていた。パワーポイントに動画を仕込んでいた。動画そのものは短いけど。でも100枚ほどある。パワーポイントのシートそのものは。

それで自死を選らんでしまう生徒さんや、リストカットをしてしまう生徒さんへの対応を動画で見て考えていく授業である。

臨床的な手法だけでは対応できないものが、教育にはある。命を絶ってしまう若者であってはならない。

そのためには、ボキのような人生に挫折し、失敗を繰り返し、自己否定の底なし沼でおぼれかかった人間が語りかけることもまたある意味必要である。

それにつけても、このお坊さんの動画には語りかけの重要性というものを教えていただいたと思っている。

芝浜の台詞が一箇所違っているのは、愛嬌だろうが。落語が専門ではないので(^_^)。

最近、落語ばっかり聞いている。クルマの中でも。

志ん朝、歌丸、円楽(先代)、談志等々のCDがボキの愛車にはたくさんある。どこに行くにも、落語と共にある。

わははっははっははは、わははっはははっはと毎日笑って過ごしている。

楽しいからである。

Bye-bye!

 

 

落語説教 「『芝浜』~金が儲かる・病気が治る?」 桜嵐坊

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7月18日(月)のつぶやき

2016年07月19日 05時17分41秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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大学のオープンキャンパスって行く意味あるの?と言われても・・・・トホホ

2016年07月18日 07時32分02秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

夏休みに入った。オープンキャンパス花盛りである。



高校から大学受験を狙っている高校生諸君は、大学のオープンキャンパスに参加しているようである。

ボキのアルバイトしている塾からも行っている。それと塾生が在籍している高校からも指導されているようである。二つ以上行けということで。

しかし、この動画のタイトルのように「意味があるか、ないか」ということになると、こりゃ困った問題になる。

この動画の作者のように京大に入ることができる実力があるなら、オープンキャンパスに行く必要はないのかもしれない。

なぜそう思うかというと、生徒集めで苦労しているのは、京大とかの大学以外であるからである。

近畿大学とか、明治大学とか、受験生募集で大成功をしている大学もある。これはこれで、それなりの戦略があって成功をしたのであろう。そういう意味では、私学の受験生募集というのは面白い。見ていて。

それぞれの大学の広報戦略があるからである。

でも、少ないパイを奪い合っているというのも透けて見えてくる。日本国内では少子化で受験生が頭打ちであるから(激減と言った方が正解であろうが)、活路を外国からの留学生に求めている大学もたくさんある。留学生比率が高い大学はよ~く調べてみるべきである。看板と内容が違っている実態もあると聞いたことがあるからだ。グローバルとか国際化という観点から、受験生募集をやっている大学がこれにあてはまる。定員と実際の在籍数が大幅に合致しない大学(私学)は、かなり警戒すべきであろう。

もう一つおまけに書いておくが、日本は4月入学である。これを9月入学にも門戸を開いている大学がある。私学で。ここが見極めのコツである。9月入学と言うことは当然外国からの留学生をあてにしているからである。

もっとある。マンモス大学である。かつて、私学の雄であった某大学なんかそれの典型であったからだ。全国に附属高校があって、受験生獲得には苦労したことがないと噂されていたし。

こういうのを正確に見極めて受験しないと、泣きをみるのは受験生である。だから、事前にクチ酸っぱく言わないとアカンとボキは思っているのだ。

実は、老人大学も受験生がいない。風前の灯火である。老人はたくさんいる。いるが、老人大学なんか辛気くさくてやってられるかというのも多いからである。生涯学習?・・・フン!である。フン!そんなのやってられるかという風潮である。

それに、爺婆になって、言いたいことは言い放題、ワルクチは昔から得意だったというのが多いから、老人大学といっても必ずしも居心地がいいとはかぎらナイ。

人格異常ではないのかと思う爺婆もいるから、まことに始末に負えない。あるいはホルモンバランスを崩してしまった昔の少女たち。もう女だか男だかわからんようになっちまっている(^_^)。

迷走してしまっているのである。もっとも、ボキも他人のこたぁ言えねぇけど。

 

こんなこと書いている暇があったら、老人大学の受験生募集にでも行ってこい!って言われてしまうなぁ。

ダイジョーブである。

入学試験はないのだから。それに老人大学は大学ではない。学校教育法上の正式な学校でもない。勘違いしたらアカン。爺婆のサークルだと思った方がいい。

 

わははっははははっははっはははっはははっはは。

 

 

大学のオープンキャンパスって行く意味あるの?【篠原好】

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7月17日(日)のつぶやき

2016年07月18日 05時14分26秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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バンビーナ/ヘビーローテーション/人間っていいな

2016年07月17日 08時20分22秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

2014年度中央仏教学院本科2組クラスパフォーマンスと解説にある。

しかし、愉快な動画ですなぁ。

僧侶になられる方々の愉快な動画であるからなおさらのことである。

なんでこの専門学校の動画をリンクさせる気になったかというと、ボキはこの中央仏教学院にも学んだからである。通信教育課程だけど。就職してからである。30代前半であったから、かれこれ**年前になる(計算するのも面倒くさい)。あ、そういえば柔道4段になったのも30代前半であったなぁ~。ほぼ同時期だったか。

で、老人大学の後は、この学校に再入学して、またまた学び直しをしてみたいと思っている。学費が安い。あたりまえである。通信教育だから。一年間で4万5千円である。これは年金生活者には実にありがたい。それに、これから死んでいく身としては、いろいろ考えることもあるから、死生観を鍛えるという意味でもありがたいではないか。マジに。

まさか、いまさら僧侶になりたいというようなだいそれた望みはない。あくまでも知的体験としてやってみたいだけである。

だからボキには信仰がないのである。あくまで知的体験としてしか、信仰をとらえていないから。

自力でなんとかなるだろうと思っているバカものであるから。だから、ボキはいまだに迷いの真っ最中なのである。

所詮自力で学んだって、なんにもならないということである。

オノレのチカラなんて、限界がある。

出世もそうでっしゃろ?

誰かの引きがなければ不可能だろうし。

もっとも、ボキはとうとう出世できなかったから、関係ねぇ~けど(^_^)。

 

バンビーナ/ヘビーローテーション/人間っていいな

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7月16日(土)のつぶやき

2016年07月17日 05時17分45秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/