布部人物散歩と狩勝峠の旅 布部で活躍した先人と紀行作家宮脇俊三親子の旅
台風が近づいているというから、今朝の4時30分に起きて傘を持って歩き始めた。そしたら、まもなく降り始めてしまった。傘をジャンプさせて、開いた。いつものファミリーマートで途中休憩した。雨が降り止まなかったからでもある。そしたら、いつもの店員さんがいなかった。彼と簡単な会話を楽しんでから、イートインコーナーで熱いコーヒーをいただく。それがタノシミなのだ。朝のタノシミ。
それでも、朝の彷徨はタノシイ。徘徊と間違われてしまいそうだが、それならそれでも良し。
これでずいぶんと健康を復活させたからである。体重も順調。血糖値も順調。居住地にある巨大病院からは、糖尿病が治ったと言われてしまったし。ドクターに、糖尿病が治るなんてぇことがあり得るのですか?と聞いてしまったっけ。そしたら、数値的にはなんの問題もないとおっしゃっていたけど。
😊
ここ一週間ほど、教師の流儀なるカテゴリで、過去にやってきた仕事のことを打鍵していた。ちょっと堅くなったから、ここらで一休みである。もともと、ボキは堅い人間ではないからなぁ。落語や漫才も好きだし、陽狂の人間でもある。ただひたすらに明るいだけのジジイである。無駄に明るいという思いもあるけど。
で、今日のタイトルである。「異国をさまよえ」とやってみた。なんでか。またまた病気が出てきたからである。糖尿病では無い。旅の病気である。飽きてきたからである。海外に行きたい。
行ってみないとわからない魅力がある。異国には。南方の国々の方々は特に好きである。明るいからである。どんなにイキイキと過ごしているかがわかるからである。パワーがある。
哀愁を感じたら旅に出ようとこれまで拙ブログで打鍵してきた。しかし、哀愁ばかりではない。笑いたくなったらという動機でも良い。笑いのパワーをいただくのである。異国の人々は、生きる力が違っているからである。特に好きなのが、インドやタイ、マレーシアであった。レベルが違う。死生観も違っているような気がしている。
それにしても暇なジジイである。
宝くじが当たってしまったら、海外への旅ばかりして余生を過ごしたい。そして、異国の地で死んでしまっても悔いはない。死んだら、悔いもクソもない。それだけの価値しか無かったのだから、それならそれで良し。ガンジス河に捨てられても、鳥葬にあっても悔いはない。マジに。なんの価値もなかったのであるから。ボキごとき。
死ぬまで、十分チカラ一杯生きるつもりだから。無所属の時間を活用して。
わははっはははっはははっははっははっはははっはははっはははは。
😉 😇 😜
BYE-BYE!
トップというのは、責任をとらなければならない。すべてのことにおいてである。知らなかったでは済まされない。ましてや、某お笑い芸能事務所の社長のように、「冗談だった」という一言でオシマイにしてはならない。
教師にもサラリーマン教師というのがいた。今は少ないだろう。時間から時間まで適当に仕事をして、給料だけは貰うというタイプである。もっとも、こんなのは民間会社でもいるだろう。適当に仕事をして、あとは趣味に生きるとか他のアルバイトに精を出すというタイプである。もっとも、教師の場合は兼業禁止であるから、アルバイトはできない。ましてや、ボキのように9つもやっていたら完全につかまる。
校長にもいるのだろうか。サラリーマン校長というのが。いない。絶対にいない。なぜなら、いつでもクビになるからである。毎日が、針のむしろに座っているようなものだ。責任をとる、とらされる存在だからである。だから、必然的にクチうるさくなる。
そういう校長を忌避する教師も多い。当然だろう。クチやかましいからだ。すべてが、法規にのっとって展開しているのが学校だからだ。それだけ責任も大きい。ミスをしてはならない。あくまでも、順調でなければならない。平穏無事に学校の授業が展開して当たり前の世界であるからだ。
しかしである。時としてそういう平穏無事の学校の調和を乱すものが出る。不祥事である。マスコミのかっこうの餌食になる。なにを考えているのだろうかと情けなくなる。
ところがである。校長の中には、責任をとりたくないからだろうが、右往左往するのがいる。決断できないのである。ある決断をすれば、こっちからは責められる、あっちからも責められるという状況に耐えられないのである。全員が賞賛してくれる組織なんてあるわけない。そういうことも想定内にしておかなければならないのである。
トップリーダーの言ったとおりにかしこまって、全員が唯々諾々と従うのが学校では無い。このあたりは、マスコミも世の中の方々も誤解しているではないのか。
やる気にさせるのが、トップリーダーである校長の一番の責務である。そのためにどうすれば良いのかということを、現役時代には毎日考えていなくちゃならない。
少なくとも、逃げちゃならない。保身に走り、責任だけはとりたくないって逃げ回っていたら、笑われてしまう。
武士の社会と一緒である。武士の情けというのがあって、切腹しなくちゃならないときはやるしかないのである。その覚悟を持っているかということが、一番問われるのである。
校長の覚悟というのはそういうことである。
BYE-BYE!
教師は自信たっぷりに毎日教壇に立っているわけではない。自信満々だと、どっかでミスをしてしまう。だから教材研究をしているのである。どっから質問があっても、完全に全部完璧に答えられると思っている教師がいたらそんなのはインチキである。
たとえば、方丈記の冒頭「ゆく川の流れは・・・」をどう教えられるかという問題に限っても重要な話題である。これをす~~~~~~っと通り過ぎているようだと、インチキ教師の道へまっしぐらである。この3月まで千葉市の私立高校で国語科の非常勤講師をしていた。たったの6ヶ月であった。隣席にいらした先生とこの話題について真剣に話したことがあった。懐かしい経験であった。
方丈記というのは、難しい古典である。歴史学の分野からも(『も』である)これをどう教えるか、教えられるかということは重要である。国語教育の分野に、文芸学というのがあって、ボキは20代のころから影響されてきた。だから、方丈記の冒頭をどう教えるか、教えられるかというのは、生涯の課題なのである。これを簡単に人生の空虚だとか言ってはならない。なぜなら、経験値が必要だからである。
ここからいろいろなテーマが発生してくる。なぜ鴨長明がそう書いたのかという話題も出てくる。だからあらゆる論文を検索して読んでいなくてはならない。簡単に考えていると、自分の良心に恥じることになるからだ。ましてや最後に学んだ某大学博士後期課程での、M教授に教えていただいたことが脳裏をよぎる。ちなみに、M先生は日本を代表するような中世文学の泰斗であった。この先生に大学院博士後期課程を一対一で教えていただいたことが、ボキを活性化させたのだ。ありがたい限りである。もっとも、ボキの能力(能力は元々無かった)と健康がダメになって中退せざるを得なくなったが。
しかしである。普段からのそれこそ真摯なる教材研究があってこその教師生活である。夏休みもへったくれもない。そういう努力があってこその、「自信」である。
「教師の自信」というのは、一時的なものではない。あるときだけバリバリと勉強したから身につくものではないのだ。
思うに、教師の親も教師であったヒトほど、そのあたりは身についているのではないかと思う。逆の場合もむろんある。教師の子どもが教師になったときほど、教育委員会にある教師の相談室に駆け込む事例も数多いと聞いたことがあるからだ。
確かに、教師を取り囲む社会状況は厳しいかも知れない。モンスタークレーマーがいくらでもいるからだ。そして、それに対応していたら、だんだんと教師生活がイヤになっちまう可能性もある。
だからこそ、ボキは、教師だからいっても縮こまることなかれと申し上げたいのである。「攻撃性の外向化」を意図的に行って欲しい。つまり、どっかでストレスを発散させて欲しい。道を踏み外さない程度に。
教師は、学校時代おとなしかったというヒトが多いからである。マジメで勉強に熱心に取り組んだからこそ、教師になれたのである。上司やヒトの言うことに従順で、自己反省もする。だからこそ、安心して子どもを任せることができるのである。
教材研究と、攻撃性の外向化をうまく使いこなせたら、その教師は一人前である。
BYE-BYE!
昨日で某大学の授業が終わった。クビになったから、最後の授業であった。「サヨナラ」と言って学生たちとシンプルに別れてきた。八年間の長きにわたってお世話になった。現役生活が37年だったから(就職浪人を含めると38年)、約1/5近くの時間を過ごさせていただいたことになる。ありがたいかぎりである。定年退職後からずっと教師教育をさせていただいてきた。まだその大学の名前は打鍵しない。もう少し時間がかかるだろう。忘却のかなたに去っていくまでは。
で、この八年間なにを考えてきたのかということを、拙ブログのカテゴリ「教師の流儀」でまとめてみたいと思っている。材料はたくさんある。ボキだけの記念である。それに、教員志望の大学生に若干ながら参考になるかもしれないと思ったからだ(そんなことあり得ないか・・・)。それがボキの流儀でもある。ジジイの余計なおせっかいでしかないけど。
もっとも余計なおせっかいが出来るから、教師になったのである。それは間違いない。余計なことばかりやっているから、他人の子どもを教えることができるのである。これが我が子であったらとてもじゃないが、できない。恥ずかしいではないか。
😀
カテゴリ「教師の流儀」では、それこそ書き流しである。だから、気楽にできる。自分の記念だからである。しかし、少なくとも害悪ではないだろう。やる気になっていただければそれでよいからである。それだけである。それだけ。
気負っていないからである。世間に相手にされないジジイの独白であるから。まったく毒にもクスリにもならんからのぉ~~~。
今年は、現職教育にも関わっている。5月に学校のリーダ的地位にある教員の研修、9月が新任校長研修、11月が教員経験5年目になる教員研修とそれぞれの研修講師をさせていただいている。こんなんだから、バイトが増えていくのである。
でも、頼まれごとは引き受ける主義だから、たとえ自己満足であっても良い機会だと思っている。
今日の夜は学習塾のバイトもある。
所詮、ボキはこの仕事が好きなのである。天職とでもいうんだろうなぁと思う。こういう性格であったということを見抜いた亡母に感謝である。
BYE-BYE!
教師は芸人のような自己表現力があった方が良い。つまり演技もできるという面も持っているべしということである。
四角四面で、堅いことばかり言っていたら、生徒はついてこない。なぜか。人格と人格のふれあいがないからである。校則一辺倒で、それしか言わない、それだけが教師の使命であると勘違いしているセンセが多かったからだ。
つまり自己開示ができていないのである。もっとも開示できるほど、内容がないというのならば問題は別次元にある。
大学受験の問題を解くことばかりやっていたら、底辺の学校にいるしかない生徒にとっては授業そのものが苦行である。しかも、大学受験に関係ないとなれば、そのセンセの存在意義は失われてしまう。
その時、どうするかである。
自己開示をして、オノレを知ってもらうことである。自分だって、苦労しながらこの教科・学問をやってきたのだと言っていいのだ。そして、言い方に注意するべきである。
つまり、「言葉の使い方」である。すくなくとも、情報カードあたりで、使うべき言葉をメモしておいて、それから授業に臨むことである。絶対に、出来ない子どもの劣等感を刺激してはならない。
明るく、子どもたちを褒めることである。その時に、教師の表情が活きてくる。イキイキとした表情の教師からは、子どもたちも活力が得られる。
シュンとなっていて落ち込んでいる子どもたちにとくに重要なのが、教師の表情なのである。
暗い顔をした教師からは、子どもたちも暗い感情しか抱かない。ますます悪循環である。やる気が無くなってしまう。それでなくても、学校の中に居場所がないからだ。
そして、教師は絶対に自分の出た大学をハナにかけて威張ってはならない。子どもたちはそういうイバリンボーのセンセを見抜いてしまう。あ、このセンセには学ぶべき価値はないって。
毎日、鏡を見ながら自分の表情がどうなっているのかをトレーニングしてみることである。特に笑顔である。エ・ガ・オ。これって社会人としても常識なんだろうけど。
それほど、重要なことなのだ。
BYE-BYE!
教師になって、自分だけ舞い上がるヒトがいる。必ずいる。大学を出てすぐに**先生と呼ばれるからである。世間のことを知らない。まったく同感である。自分の専門をかたくなに守り、いかに自分の専門としている学問はすばらしいかと絶叫する。
それはそれで良し。そういう情熱は尊い。受験勉強に邁進していくのも、教育の一端であるからだ。
しかし、教師にも哀愁が訪れてくるときがある。自分のやっていること、方向性というモノがこれでいいのだろうかとか、こんなんで子どもたちに果たして参考になっているのだろうかと思う時がやってくる。哀愁の時代である。
そういう時に、教師としての役割を真似ることができる先輩、あるいは恩師と呼べるようなヒトを持っているだろうかということを申し上げたいのだ。
教育というのは、瞬間瞬間が勝負である。なぜなら、子どもたちは毎年一定数がいなくなってしまうからだ。それに、校務分掌でもって担当が変わることもある。さらに、学校が変わってしまうこともある。リセットである。
校内人事の関係で担当部活も変わってしまうこともある。バレー、野球、柔道とやってきたが、いつも校内人事の関係で担当が変わってしまったのが、ボキ。
どの部活をやっても不平不満はなかった。それぞれの子どもたちが、ボキを必要としてくれていたからである。仕方なかった。納得してもらうしかなかった。バレーボールを持っていたときは、それでも(*_*) マイッタっけ。選手たちとの決別があったからだ。4月から野球を持たされて、シロウトだったが、やってみた。毎日毎日泥まみれになって、キャッチボールもやってみた。バッティング練習にも積極的に取り組んでみた。そんな姿勢を3月まで持たされていたバレーボール部の選手たちは見ていたのだった。バレーボール部顧問時代は、強かったからでもあった。
大会が終わって選手たちがボキのところに全員そろってあいさつにきたっけ。決勝で惜しくも負けたからだった。全員泣いていた。ボキもだった。別れの始まりである。校内人事で動かされている以上、あきらめが肝心だった。
そんなときに、ボキを慰めてくれたのが同じ学校の先輩たちであった。普段から、授業のやり方とか生徒への対し方とか、いろいろな工夫・コツを教えていただいていたからであった。
先輩たちとは、そういう議論をしながら毎日やっていたのである。むろん勤務時間外である。居酒屋であった。二次会にも行った。カラオケなんか無い時代である。酔えば教育の方法と技術を議論していたのである。マジメな教師時代であった。
つまり、ボキにとっては「教師の教師」である。そういう存在とこころゆくまで議論しあう関係を持つことである。学問の切り売りだけでは、なんともサミシイ。塾のセンセだってふれあいを求めているから、できるのである。子どもたちもそうだ。ふれあいあっての教師稼業である。
そういう議論の中から優れた思想家を探すことである。
ボキの場合は、ニイルだった。このことはまたの機会に書いてみたい。
BYE-BYE!
世に迷っている教師稼業の方々もいるのかも知れない。また、教師を希望していてなかなかなれないという方もいるかも知れない。さらには、教師になってもなんか違うのではないのかとか、転職を考えている御仁もいるのかもしれない。もし、そんな方がおられたら、拙ブログを見て自分に自信を持っていただければと思った。
思ったら早い。こういう記事を書いてみたいとなった。
迷ったら旅に出て欲しいというのは、教師だったジジイの願いでもある。世界は、そんなに息苦しいものではないからだ。普段、冗談ばかり打鍵しているが、こんな記事もあっても良いだろうと思った。さっき、夕方の散歩をしながら思いついたのである。
たいして参考にならないかもしれない。それでも良し。生涯現役だから、打鍵しているうちになんかになるかもしれないからだ。
呵々大笑でよろしい。
笑いながら読んでくだされませ。
しょせん、お笑いブログだから。
長女が室内犬を飼っている。あの狭い家でなんちゅうことをやっちまったのだと思った。しかも、ミニチュアサイズのワンコではない。えさだってかなり喰っちまうのであろう。もったいないというのが、最初の感想。しかもローンで買ったのだからアホである。自分らが喰っていけなくなるではないか。計算ができないなぁと思っていた。
そしたら、あっと気がついた。これって、ボキと一緒だって(^0^)。
銭勘定が苦手なのだ。メリットがあるからこっちの味方をするとか、デメリットだからやらないとかがない。ボキの行動基準は、利益があるからというのがないのである。マジに。まったく「利」にうといのである。
だからアホだと言われてしまうのだろう。頼まれごとはなんでも引き受けてしまうし(ゼニ関係はお断り)、だいいち他人に関心がない。したがって、トラブルがない。評価が低くてもまったくハラを立てるということもない。そもそもが低能力だし、人格も破壊されているからだ。人付き合いも下手くそだし、クチのきき方もよくない。これじゃぁ出世できないわけだ。学歴社会にあっても、ボキごとき、最低のもんでしかなかったし。
しかしである。貧乏しているのに、ローンでワンコを買うというのはいかがなものかである。計算ができないというのも、ここまでくると性格の特徴なんだと思うしか無い。育て方が悪かったのかもしれない。居住地の中途半端な自称進学校に入学して、その後大学というところに行った。しかしながら、苦労をしていない。遊学したのである。ボキが苦学したから、なおのことゼニの心配なしに勉強させたかった。
けれども、ローンでワンコである。がっかりしたのだ。
ボキは、ローンが大嫌いである。クルマですら、今まで一度もローンを組んで買ったことがない。利子を払ってまで、なにか欲しいという方々の気持ちが理解できない。モノが先で、ゼニは後からついてくるというのは、なんか違うような気がするからだ。幽霊みたいなものが、ローンの正体なのでは無いのか。
そういえば、ローンという言葉の響き自体があやしい。
ゼニで苦労してきたからこその経験値である。なんと言っても、年間8万円の学費が払えないという親を持ったから、苦学したのである。新聞配達である。このことは、一生のトラウマになっていくだろう。それでも、ボキは感謝している。学費を払えなかった親にである。こういう親のもとに生まれたからこそ、ゼニをバカにしなかったのである。
もっとも、今になっても、ゼニはボキとのふれあいを拒否しているけどねぇ。ゼニが集まってこないからだよん。乏しい年金暮らしをしているだけだし。こんなジジイ生活だけど、満足しているから。なんとか生きていられるし。
今朝も、4時30分から歩いていた。ブラブラ歩きであった。NHKのラジオ講座が始まるから、6時30分までには帰ってくるけど。
良い朝であった。途中、ワンコがいた。どっかのワンコに吠えられてしまった。だから、長女の家のワンコを思い出したのである。
暇なジジイでございまするよ。
でも、今日も良い一日でありたい。いろいろやって、いろいろである。あ、今日の夜は塾がある。タノシミである。指導力の無いボキでも使ってくださる塾があるからだ。実にアリガタヤである。感謝感激雨あられである。
BYE-BYE!
誰にでも威張りたいという潜在欲求がある。自分だけが偉くて、他人はアホであると思い込む。そして、他人からの指導や注意を受け入れたくないとなる。したがって、トラブル。文句を言い返すわけである。文句を言われたからと思い込む。だったら戦わないと損だとなるわけだ。
それが怖いから、威張ってしまうのだ。よく仕事の内容を聞いてみると、そんなもんで威張っている輩は、アホであった。威張り散らすようなポジュションにもいないし、価値の高い仕事をしているわけででもない。けれども、やたらと威張り散らすのである。器がチイセェのであった。そんな輩は会いたくもない。したがって、会わない。アワナイから会わないのである(^0^)。
講道館で柔道を修行していたときに、初段だったボキはいろんな方に乱取りを挑んでいた。それがタノシカッタからである。外人にも挑戦した。ことごとくぶん投げられたが、それなりに得たものは大きかった。さすがの講道館である。上京して苦学してでも良いから講道館に行ってみたかったからだ。所詮シロウト柔道で、弱かったけれども、講道館の文化というのはさすがであった。嘉納治五郎全集も買っていたし、ともかく嘉納文化、講道館文化というのに憧れていたからである。これは絶対に、みちのく山形県では得られない文化でもあった。
だから、東京で過ごした4年間というのは意味ある歳月であったのである。
しかし、柔道はご存じだろうけれども段位制になっている。初段と3段では雲泥の差であった。そこでボキはいろいろな方々に、もっと修行しなさいと戒めていただいたのだった。うぬぼれることなかれということであった。謙虚に生きることである。謙虚に。
これは仕事人時代も役だっていた。謙虚に周囲の方々と接することであると思い知らされていた。したがって、部下を部下と思ったことは一度もなかった。対等な人間関係で仕事をしていると思っていた。だから組織の再建屋とも呼ばれたのであった。ダメになったガッコを立て直すという仕事が得意になったのは、この精神でやっていたからだと思う。
今、いろんなアルバイトをさせていただいている。そして思う。どっかに、威張ってみたいというあまのじゃくなこころが忍び込んでいないかと。それは悪魔のささやきである。
そんなもんは、拒否することである。
威張っちゃいけねぇのだ。
所詮、人間は全部たいしたことはないからである。謙虚に生きようと思った。
今日は、午後から長男の家が引き渡しになったので、見に行ってみた。これもまた、謙虚に生きてきたボキならびに長男へのプレゼントであると思った。生前贈与を活用して、やっと建てた家であるが。
捨てる神あれば、救ってくださる神もいたからである。
ありがたいものである。孫も授かったし。
天は見捨てなかったのである。
感謝!
LATAM 787 Economy Class flight review