三斗小屋温泉 煙草屋旅館 ロープウェイ~茶臼岳経由 Sandogoya Onsen,Nasu
つまらんことでキレルという人間が多い。ボキは、そもそもキレルという言葉が好きでは無い。なんでもかんでも切っちまうというのは、復活不可ということにもなる。世の中のトラブルなんて、たいてはたいしたことではないからだ。当該するモノのみが、慌てふためいて深刻そうな顔をしているだけである。パアパアパアとわめき立て、他人を責める。うるさいだけである。
そして、自分だけが被害者のような顔をしている。こういうのは、そもそも思い切りが悪い。ハラが決まっていない。
それにしても、昨日の某お笑い芸能事務所の社長の会見はおかしかった。さすがに笑いの殿堂事務所のトップなだけはある。非常に感心した。あれでよく会見場に出てくるもんだと感じた。マニュアル人間の最たるものだった。記者会見というのはきついとは思う。
思うけど、あらゆることを想定して準備したのだろうかと思ったからである。このアホのボキですら、現役時代はシナリオをいっぱい書いて取材に応じたものであったからだ。そうなのである。ボキもいろいろと修羅場をくぐってきたのである。内容は書けない。墓場まで持っていくけど。しかし、記憶と記録は残っている。だから、昨日の社長会見が大笑いだったと思ったのである。
もっとも考えてみれば、あの社長、まだ五十代であった。この年齢だと、組織のトップになって、平常は社長室で一人で過ごしているのだろう。経験値も足りないだろうし、諫めてくれる部下もいなかったに違いない。苦言を言いに来てくれる人間を大切にしていたのだろうか。ふと、そんなことを思ったからである。
ハラさえ座っていれば、怖いものはなんにもない。その点、芸人のM氏の記者会見は見事なもんだった。しかも、下を見ないで会見を仕切った。これはただものではない。アタマの良さがにじみ出ていた。感心した。会見前まで支配していた世論を完全にひっくり返してしまった。やり手である。役者じゃのうとうなっていた。もし芸能界復帰になったら、さらなる向上をしていくのではないのか。タノシミですらある。復活の場が。
ボキは、世の中から捨てられてしまった。だから、修羅場とはもうご縁がなくなってしまったが、昨日はちょっと燃えましたよん。
BYE-BYE!
最近、ボキのブログに来てくださる方が増えてきた。それはそれでありがたいのであるが、ちょっと不気味である。なぜなら、このブログはあくまでも戯れ言であるからだ。冗談そのもの。およそおふざけだらけ。マジメにやっていないのだから。もっと言えば、惚け防止のために文章を打鍵してある意味トレーニングしているだけ。アタマなんかまったく使っていない。それに、使えるだけのアタマもないからなぁ。ま、指のトレーニングにもなっているので。1000字程度を打鍵してみれば、惚けないだろうと思っているものでしかない。あくまで私的な存在であるから。
だから、知人でこのブログの存在を知っている方からアホだなぁ~~~あんなもんをやっていてと言われてしまう。別に誰にも宣伝した覚えはない。知人たちが、自分勝手に検索してあいつこんなアホなことをやっていると発見しただけである。だからと言って削除するつもりも、まったくない。まともな神経をしていないとも言われてしまうのだから始末に負えない。そもそもが、まともではないのだから。守るべき地位も名誉も持っていないし、そんなもん最初からまったくないからだ。だから、笑ってしまう。なぜか。守るべき地位や名誉にこだわっているのではないのかと思っている知人たちに、驚いているからである。そんなもん、あるわけないではないか。アホのボキである。博士になれなかった中退者のボキである。こんなもん、まともであるわけがないではないか。アホだから、「ボキ」と自称しているのだよ~~~ん(^0^)。
な~~ぁにんも真剣に打鍵しているのではないし、まさに冗談ばっかり打鍵しているだけだから。
世の中には、ブログをマジメに書いて将来マスコミにデビューしたいと思っている御仁も多いと聞く。ボキはそんなもんはまったく考えていない。それにそったけの能力もない。あるわけない。挫折しまくりの、挫折マンであるからだ。マンではないな。ジジイだ。ザセツジジイである。ザ+セッツジジイではない。ザセツ・ジジイである。
わはははっははっははははっはっははははっはははっはははっははは。
今朝は、一週間ぶりに4時30分に歩き始めた。ちょっと最近起きるのが遅くなっていたから、久しぶりだったのである。快適だった。約二時間歩いた。Metsで一万歩は歩いてしまったから(距離で7.8キロ)、今日はおとなしくしているつもりである。ただし、夕方から太極拳講座に行ってくる。退学した某大学である。東金市にある。ちょっと距離があるから、クルマで行く。そして、前期の日程が今日で終わる。中国人の先生である。気功の先生で中国医でもある。タノシミにしているのである。それと、図書館から本を借りているので、そっちもタノシミである。バカでも、入学させてくださった大学であるから、今でも感謝しているのだ。マジに。
他にやることもないからなぁ。
もう少し、真剣に記事を書いてみたいが、それじゃぁこのバカブログをやっている意味がないっちゅうものである。世間を斜めから見ているバカジジイの戯れ言でもあるからだ。バカでも生きていられるという悪い見本にもなっているんだろうからねぇ(^0^)。
BYE-BYE!
人生いろいろ、世の中いろいろである。世の中には、シアワセもあれば、その反対もある。挫折ばっかりしてきたボキのような方もいる。挫折の中身もいろいろあった。今でも、それを引きずって生きている。なにしろ成功体験がない。ある目標を決めて、なにがなんでもその目標の実現に向かって・・・というのがなかった。
そんなんでも良いではないか。引きずっても良いのだ。男らしくないと言われても良いのだ。うじうじと生きていて、みっともないと言われても良し。
それで良いのだ。バカボンのパパの台詞のように生きていって良いのだ。
😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
それでも哀愁を感じるようだったら、旅に出かけることである。旅は、癒やしでもある。可能ならば、ひとり旅がいい。大型バイクでツーリングに行っていたときは、全部一人旅だった。当たり前である。だから、バイクの免許を取ったのである。青空の下を、風圧を受けながらバイクを走らせるのはたまらなく良い。ケツが痛くなるのがしょうもなかったけど。
大げさに言えば、あれでボキは男になったのだ(^0^)。
つまり、テメェで生きていくというような覇気を学んだのであった。孤独は男を鍛えてくれる。太陽の下でも、雨天でも、バイクは一人で運転していくしかないのである。寒いときは最悪であった。手がかじかんでくる。それに耐えながら、ううううううううううううううううとうなりながらスピードを出していくのだ。これがたまらないのである。
アホだと言われたこともずいぶんあった。クルマが買えないのかと聞かれたこともあった。事実買えなかったから、それはそれで良かったが。その代わりにちょっと大きめのバイクで通勤もした。それで十分であった。ちょっとした友人知人もバイクつながりでできたし。
哀愁を感じたら、旅に出ることである。そういう感覚ができてしまったのである。バイクが一番良いと思っているけど。それはそれで今はできないからだ。なぜって、ちょっと体力が無くなってきたからだ。腕力がなくなって、今はバイクも起こせなくなってしまったからだ。腕力とゼニがなくなってしまったからだ(ゼニは昔からなかったけど)。つまり、ジジイになってますます美男子になったからだ。ほれ、よく言うではないか。美男子ほど、腕力とゼニがないって(^0^)。
それでも、旅に出たい。一人でブツブツ言いながら、ソトに出たい。その延長が、これまでやってきた海外旅行なんだなぁと思っている。それも、あと何年できるかわからない。海外の遠い国は行けなくなるだろうし。
孫が20歳になったら、とてもじゃないが海外は無理だ。その時は、国内である。しかも近場。
あ!
その前に、孫が20歳になるまで生きていられるか?ってぇ問題があったっすよん。
忘れていました(^0^)。
BYE-BYE!
ボキは自分のために祈ったことは一度もない。全部他人の、あるいは血縁の人間たちのためでしかない。もっとも、ボキには九十九里浜に親戚なんか一人もいない(長男はいるが)。全部家人の血縁だけである。家人はこの土地の出身だからだ。いわば、ボキは風雪流れ旅の結果この土地にいついているだけである。
そうなのだ。いついているだけである。
時々成田山新勝寺に行くことがある。それもやはり自分のためではない。家人と息子夫婦、他県に嫁いでいる長女夫婦のことを祈るのみ。それに、自己改造のためもある。
どうせボキなんか地獄に行くしかないのだろうから、いまさらジタバタしても始まらない。天国に行かせてくださいと祈っても無駄である。行けるわけもない。そもそも天国があると信じられないのだから、所詮無理である。
自己改造というのは、ホトホト、オノレに嫌気がさしているからである。もう呆れて呆れてモノが言えない。ましてや、他人を批判することもできない。全部アホなオノレのことしか、アタマの中にはないのだ。失敗や挫折ばかりの人生だったからなぁ。
だから自分のことを自慢ばかりしている御仁のことが嫌いなのだ。
寺院に行っても、僧侶や牧師、神父さんらの話にも期待していない。もったいぶって、偉そうにとしか思わないのだから話にならない。要するに、神や仏のおかげでメシを食っているような種類の人間を信用できないと思っているだけであるから。
講演を聴くことも多々あるが、テメェのことを自慢しているだけのセンセの話は途中で切り上げて帰ってしまう。学問的な講演なら素直に聞く。なぜかというと、こっちにそれだけの実力がないからである。そういうことだけは、ボキ、徹底しているのだ。いかにオノレにチカラがないかということは、正真正銘自覚しているからだ。
要するに、一つの宗教に徹底できないのだ。全部の宗教が好きなのである。全部の宗教は、一つのことに帰一するとすら思っているのだから話にならない。イタリアに行ったときもそうだった。全部合掌していた。インドに行ったときもそうだった。なんでもかんでも合掌していた。セドナに行ったときもそうだった。祈りの場所として有名だから合掌するのである。
これでいいのだ!
これで。
どうせ庶民のバカジジイである。
今日は選挙と相撲がタノシミである。どうなるのやら。そういえば、選挙の出口調査のアルバイトもオファーがあったっけなぁ。やらなかったけど。
わははっはははっはははっはははっははははっはははっははははっはは。
世の中には経験値の違いというものがある。経験というのは、いろいろあったヒトが多いということである。そりゃそうだろう。それぞれの生き方が全部違っていて良いからである。そして、ミンナ人生波瀾万丈と思いたがるのだ。自分だけがドラマのような人生を送ってきたとか思いたがるのである。
しかし、よく聞いてみると波瀾万丈とは言い難い方もおられる。それでどうしたという場合がけっこうあるからである。たとえば、嫁姑の関係でにっちもさっちもいかなくなってしまう場合もある。夫婦間でもそうだろう。不倫、浮気等々いろいろな場合があるんだろう。そして、そういうある意味では不幸な事例を特異なもの、特殊なものと思い込むのかもしれない。自分の人生を特異なモノとして認識することによって、ある意味救済をしているのかもしれない。
海外旅行に行くと、以前なんの仕事をしていたのかということを、自慢たらたら言ってくる御仁が多い。聞くに堪えない。そんなもんを聞くためにわざわざ高いカネを払って飛行機に乗っているわけではないのである。しかも、ボキは遠距離については病気をしたせいで、ビジネスクラスでないとどこにも行けないのだ。ゼータクだとは思うが、エコノミークラス症候群でICUまで入った身としては注意するしかないからだ。言い訳だけど。
ボキの場合は、他人の仕事なんかまるっきり関心がない。親戚でも興味がわかない。誰がなにをしていようと、ボキには関係がないからだ。したがって、「元****」とかいう肩書きを言われると実に不快になっちまう。ボキのことをそうやって紹介してくださる方もいるからである。もう関係ないではないか。やっと放逐されたのである。裃脱いだのである。肩書き不要の世界で生きているからである。確かに出稼ぎバイトをたくさんやっているが、そんなもんは他人にも関係ないではないか。したがって、ボキの名刺にはそんな出稼ぎバイトについては書かれていない。だって、名刺不要の世界で生きているからである。歴史の会くらいか、名刺が必要なのは。会で講師を招いて講演をしていただいているから。そういう時は、太極拳をやっている写真付きの名刺を自分で作ってお渡ししているけど。薄っぺらな名刺でしかない。まことに薄っぺらな人生をあらわしている名刺である。
わははっはははっははははっははははっはははっははっはははっは。
今朝は寝坊した。昨日の塾で疲れてしまったのかもしれない。起きたら、5時50分だった。慌てて歩きにいった。そしたら暑かった。やっと暑くなってきたと言った方が正解なのかもしれないけど。
今日もバイトに行く。佐倉に。夕方からだ。これもまた頼まれごとである。なんかのお役にたっていれば、退屈することもないからなぁ。いろいろあるから。ボキだって。
BYE-BYE!