と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

別れたアトで 喪ったアトで 庭で咲いていた一輪の花に亡母の姿をみたような気がした

2019年07月19日 08時18分15秒 | とーま君の流儀2019
母を喪ったのは、64歳の時であった。ボキの年齢ではない。母が亡くなった時の母の年齢である。ボキは、まだ若かった。34歳であった。そして、母が亡くなった年齢をとっくの昔に過ぎてしまった。

生きていたら(あり得ない話だが)、今のボキを見てなんというのだろう。まだまだ小僧っ子だと言うのだろうか。たぶん言うだろうなぁ。愚か者めと叱るかもしれない。まさに愚か者そのものであるからだ。

山形の女子師範学校を出て、純粋な教師であった。身長147センチしかなくて小さかったけど、保健体育と音楽と国語のセンセでもあった。むろん師範学校卒であるから、小学校のセンセが本業だった。バスケットの選手であった。ちびダンプと言われて恐れられたらしい。

母の写真は今でも持っている。師範学校を出てから、初任の学校で写真を撮ったらしいのがあるのだ。自分で言ったら笑われるが、かなりの美人教師であった。言葉が、田舎育ちにしては正確であった。ズーズー弁もむろん使えたが、国語教師らしく標準語も使いこなせた。この母の影響で知らず知らず教師稼業に憧れたんだろうと思っている。むろん、ボキごときの能力では教師稼業につくことは不可能だとは思っていた。

しかし、母が夏休みになると連れていってくれた山形の寒村にある小学校の分校に行くのがタノシミであった。母の担任の生徒たちが、学校に遊びにくるのだ。野球をやりにである。後に米沢の高校で同級生になったY君とも野球をやった。優秀な生徒であった。彼は、ボキの高校から仙台にある一流国立大学に進学していってエリート人生を送っていった。

ボキはダメだった。劣等生。しかもチョーがつくほど劣等生であった。今でもそうだけど。

山形の山深い小学校の分校でやった野球のことが忘れられない。野球といっても、軟式のボールで狭いグランドである。デカイのを打ったら道の脇を流れている川をとおりこして、学校の反対側にある山の中腹に突き刺さってしまう。それでもタノシイ体験だった。

これが原体験になっているのかもしれない。そういう人生を送ってみたかった。そして、定年まで続けることができた。なんという僥倖であっただろうかと思う。感謝である。

母とは永遠に別れてしまった。亡くなってしまったからである。しかし、ボキは無駄に生きている。愚か者の人生後半戦をやっている。情けないなぁと母は慨嘆しているかもしれない。

それでも、苦学していたボキがホントにたまに帰省したときに台所で泣いていた光景を忘れることができない。。苦学して東京に出奔していったバカ息子のことが、心配だったからだ。

アホな息子は、ジジイになってもアホである。

今朝、庭に咲いていた一輪の花にも、母親がいたんだろうなぁとさっき思った。リビングで、ぼ~~~~~~~~っと庭を見ていたからである。

今日も夜には塾に行く。こんな生活を送っているのも、母からの遺言のような気がしている。センター試験で古典を受ける高校生のために、参考書をあげるつもりだからだ。駿台予備校の本である。ちょっとしたことが、役立てば良いと思っているからだ。そんな程度しかできないのだけど。



感謝である。



BYE-BYE


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無所属の時間を使い放題やっているから、ありがたいもんである。旅行の虫がさわぎはじまったからだ(^0^)。

2019年07月18日 12時13分36秒 | とーま君の流儀2019
なんにも所属していない自由、そして時間。フランス人の長期休暇というのがこれだという。一ヶ月くらいの期間を休暇にあてるのだそうな。聞きかじりだけど。

それこそ、イタリアなんかにはそういう休暇中の人々が実に多い。そうなのだ。ボキもイタリアに行ってみて、そう感じたからである。ツアーの添乗員もそう言っていたから間違いない。もっとも、ボキもまた人生休暇中のジジイである。なんにも所属していないし、毎日が日曜日である。バイトはやっているが、そんなもんいつでも、休暇に持ち込める。

そして地中海を眺めながら日がな一日ぼ~~~~~~~~~~っとしているのだ。

まかり間違っても、長期の休暇中に仕事関連の視察なんかいれちゃいけない。政治家の海外視察ではないのだから。たとえば、自動車販売の方が海外に行って街の自動車販売会社の売りかたを見てみるとかやっていたとする。そんなものは「無所属の時間」ではないではないか。あくまで仕事の延長であるからだ。

なんにも所属していないから、良いのである。どうやって時間を使おうと、ボキの自由である。報告書の提出義務もない。論文を書いて後でなにかにしてやろうとも思わない。まったくのフリーである。飛行機の中で、どっだけ高いワインを飲もうと関係ないのである。

体力のあるうちに、可能な限り遠い海外旅行にチャレンジしていきたいと思っていた。国内とか、アジア関連ならいつでも行ける。近いからである。しかし、国内旅行は実は高い。海外旅行よりも高い。熱海に行って、連泊していたら目の玉が飛び出てしまうほど高い。ただし、料理は美味いが。

そんなわけで、旅行に行きたいとなってしまった。病気である。無所属であるから、できるのだ。できるうちに行かないとならない。そのうちまたまた病気になってしまって、ベッドに縛り付けられたら不可能になっちまう。健康あっての旅である。

だから健康がありがたいのである。感謝である。



今日の夜もバイトだ。塾。大学の授業もやってきた。これはあと一回でクビ。できるうちにやっておこうとマジに思っている。


BYE-BYE!


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堕ちる、落ちる、落下傘=それでいいのだ。南国の島でのんびりしていればこんなシアワセはないからだ(^0^)。

2019年07月17日 07時08分38秒 | とーま君の流儀2019
ど~~~~~~も生涯学習とか、老人になってからの生き方とはなにかとか、世間はウルサイですなぁ。生き甲斐を持ってイキイキと過ごさなければならないとか、目標を持てとか、目的を持てとか、挙げ句の果てには成果もあげようとやっているのがたくさんいる。ブログにもそうやって書いている御仁もいるのだ。どっか間違っていませんか?と申し上げたいのだが。

そんなもん現役時代に捨ててしまったから、今があるのではないのか。

だから、生涯学習というのは危険な部分もあるのである。成果とか、目標とか、目的とか始まってしまう可能性があるからだ。楽しければいいのだ。そんなもん。なにかになろうとするから、苦しくなる。苦しくなるほどやらきゃいいのだ。修行をしているのではないからだ。タノシミで十分である。タノシミ。

ジジイになっても勉強したいというのはそれはそれで良い。問題はこだわらないことである。そのところが、ボキは間違っていたのじゃ(^0^)。

おおいなる勘違いってやつだった。テメェの能力を間違って解釈していたのだよん。アホでしたなぁ。

その挙げ句が病気になって中退であった。三年もやっちまった。大学院博士課程をである。

墜ちるところまで墜ちたのである。しかし、よく考えてみると最初から低レベルにあったのだから、上から墜ちたのではなかった。「横に墜ちた」のであった。大笑いである。左から右に横滑りに墜ちたのだった。

情けないけど、それでもってボキは「うつ」になることはなかったのだ。そういうふうに解釈したのである。中退をである。それでもって立ち直ったのである。それに、ICUのベッドでしみじみ感じたけど、生きていてこその生涯学習だったなぁということであった。死んじまったら、生涯学習もクソもないではないか。

こういうボキのことを、落伍者というならそれで結構である。生まれてからこの方ずっと落伍者であったのだから。上昇志向なんて、九十九里浜の砂粒ほどもない。横並びに墜ちたのだから。

それに、九十九里浜は南国である。暖かい。ヒトの心も暖かい。ボキのような天涯孤独のアホジジイでも生きていられる。ありがたいではないか。そして、じ~~~~~~~~っと潮騒でも見ながら、呼吸をしているだけでも年金が入ってくるのじゃ。

なんも焦る必要なんてないのである。

後は惚けない程度に、出稼ぎバイトをやりながら呼吸をしていれば良いだけの話じゃ。

まさに、「これでいいのだ!」である。

バカボンのパパである。

わははっはははははははははっははははっはははっはははっはははは。


BYE-BYE!


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東京のラッシュアワーを体験してきた。あんな世界では、生きていけないっすねぇ。ボキごときでは(^0^)。おとなしくしていようっと。

2019年07月16日 19時00分40秒 | とーま君の流儀2019
豪雨だった。ボキの居住地はである。朝からすごかった。そして、ボキは4時に起きていた。

なぜなら、今日はある計画があったからである。東京に行ってこようとなったからだ。

千葉市で私立高校のバイトをやっていたときと、同じ時間帯で東京のある学校に行ってみようと思ったのである。6時24分発の鈍行である。これに乗った。そして、佐倉で乗り換えた。東京行きの快速である。久里浜行きの。これって、ボキの居住地からもかなり乗っているお客さんがいるのだ。大変な通勤をしている男女が多いのである。ご苦労なことである。

ボキも、ある学校からお誘いがあったから、実際に通勤時間をタメしてみたかったからだ。

快速に乗って、錦糸町で乗り換えた。そこで、挫折してしまった。なんと、各駅停車の電車に乗れないのである。混んでいて。次の電車にした。やっとこすっとこ乗れた。ところがである。今度は目的地の駅で降りられない。混んでいて。ボキの体は斜めになっていたし。

(*_*) マイッタ。

目指す学校は、駅から一分くらいだった。それはわかっていたのだが、めげたなぁ。

所詮田舎モンである。こんな混雑、ラッシュアワーには耐えられない。そう感じた瞬間に、このオファーは無かったことにしようと決めた。こんな苦しい思いをしてまで、東京に通勤する意味がないではないか。かえって健康を害してしまう。

電車の中で、快適読書でもすればいいと思っていたが、甘かった。

もう良いではないか。そんなにしてまで、小遣いが欲しいってかと情けなくなった。ゼニは確かに欲しいけど。

わははっははははっははっははっはははっははっはははっははははっはは。

学校を確認してから、代々木に向かった。人材派遣会社で試験と面接をしていたくためである。結果はマル。つまり受かった。しかし、オファーがあった学校は断念してきた。

またの機会に考えるつもりである。

なんと言ってもタノシミで出稼ぎバイトをしているだけであるから。

それにしても東京はまことに生き馬の目を抜くという世界ですなぁ。あんなところで、ボキごときが生きていけるわけもないですよん。

断念してきて良かったですな。

これで、「南の島でぼ~~~~~~~~~」としているボキの理想郷生活がまた再開できると言うもんじゃよ。

長生きするために。



BYE-BYE!
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一輪の花をじっと見つめるときも大事

2019年07月15日 06時43分35秒 | とーま君の流儀2019
ボキは、花のことがよくわからないまま過ごしてきてしまった。家人は大好きである。ボキンチの狭い庭にたくさんの花が咲き誇っている。たった30坪しかない庭である。そこに、季節それぞれの花が一年中絶えることがない。現役生活を送っているときには、あまり関心がなかった。余裕がなかったのだろう。アホな生活を送っていたものである。

クビになりたくなかったからだなぁと思う。ま、それはそれで十分満足していた結果である。なぜなら定年退職まで無事に生きてしまったからだ。要するに、クビにならなかったからだ。むろん順風満帆とはいかなかったけど。いろいろ問題はあったからだ。具体的には書けない。書くつもりもない。墓場まで持っていくしかない。ただし、記録と記憶はある。やるつもりなら、いつでもできる。

わははっははっはははっははっははっははっははっはははっはは。

そんなアホなジジイ生活を送っていると、花に笑われてしまうですなぁ。花は、関係ないからである。そんなアホな生活でも。しかも、花は全体を見ることに価値があるのではなくて、たった一輪の花に価値があるのだと思うのだ。庭全体に花がある。確かにある。しかも尋常でない数である。それほど家人は花が好きなのである。

たった一輪の花が密かに伝えてくるもの、それが見えないとアカンと最近はシミジミ思うようになった。定年退職してから初めて見えた風景であった。

ボキの住んでいる九十九里浜は温暖で、夏も暑くない。つまり、人間にとっても草花にとっても住みやすい。それが長生きできるコツなんだろう。事実、ボキの居住地には100歳を超えた方々が多いのである。ボキの最初に勤務した学校の校長先生も元気である。しかも100歳をとっくに超えている。最近お会いした。車いすには座っていたが、お元気であった。たばこもすっているのだ。さらに酒も焼酎である。今でも実に元気なのだ。

まさに、元気な一輪の花である。美しいとは言わない。元気で、ちょっとトゲのある超高齢者である。ボキもああなりたい。元気で、酒もたばこも遠慮しない超高齢者になりたい。

その校長先生にはずいぶん叱られたから、ホンマに記憶に残る大先生である。マジにである。アホな、ダメ青年教師をまともにしていただいたのだから。

こんな風に生かされてきたのじゃよん、ボキは。まともにしていただいたのだ。ありがたい限りである。まことにありがたい。

なんだか、庭の花が一輪だけせせら笑っているような気もしたが。だからこそ、一輪の花をじっと見つめる時も大事なんだなぁと思った。


BYE-BYE!


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おかゆがおいしかった。

2019年07月14日 16時43分27秒 | とーま君の流儀2019

豪雨の中を成田山に行っていた。勤行をしてきた。朝5時30分からである。豪雨にもかかわらず、たくさんの信徒がきていた。たいしたもんである。パワーがである。もっとも、ボキもそうか。そして、本格的な護摩行を見たのは初めてであったから、余計こころが洗われた。それだけ日々の生活がでたらめであったからである。

瞑想をしながら、一点に思いを集中していた。こんなだらけたジジイ生活をしていて良いのかってことだった。

結果は「それで良いのだ!」であった。いろいろプライベートで問題を抱えていたからだ。問題といっても、他人から見たらたいしたことではないかもしれない。

やはり家庭円満、健康長寿、学業向上、金満にめぐまれたいと思っているからである。ボキ自身のことである。

こういうことを朝の勤行で思うということが、まことにボキらしいなぁということなのである。

つまり欲得まみれなのだ。ちぃーとも悟っていないですなぁ(^0^)。

 

それから田中ひろみさんというエッセイストから、仏像についての講演をいただいた。会場を移してである。6時30分から8時まで。おもしろかった。ボキは、一生懸命情報カードを持参していたので、メモをとっていた。これはボキの企業秘密で、再現性抜群のメモである。英単語まで書いてある。イメージで英単語を覚えていくには、情報カードが一番良いからだが。どっちにしても大したことはない。所詮バカジジイの惚け防止のための手段であるからだ。

わはははっはははっははっはははっはははっはははっはははっはは。

しかしである。

質問コーナーになってから呆れてしまった。定年退職したとおぼしきジジイたちが、上から目線で講師を説教しているのである。つまり、おれは自分は要するにアタマが良くて、部下を何人にも使っていて、海外に飛躍して、大活躍して、その結果すばらしい人生を歩んできてというようなことを、恥ずかしくもなくマイクを通して自慢しているのだよん。呆れたねぇ。バカかと思った。要するに、自分が壇上に立ちたいという意図が見えたからである。

どこまでいっても競争社会を生きているのだ。いい加減にせいと怒鳴りたくなった。むろん止めたけど。

それにしても、男はバカである。女性は賢い。そんなくだらないトラブルには巻き込まれない。だから長生きするのだ。田中先生は大したもんである。怒りのかけらもない。

こういふヒトにボキはなりたい。

 

それから朝がゆをいただいた。初めての体験であった。タノシミにしていたのだ。

出てきた朝がゆはとても寺院のかゆとは思えないほどおいしかった。たくあんが二きれと、梅干し、それに味噌汁。お茶。ゆっくりと味わっていただいた。

こんなシアワセはない。

こういう生活が、健康のもとになるのだ。しかも無料である。全部無料。

 

明日もあるのだが、明日は講師が家田荘子女史である。拝聴したいのだが、残念ながら孫に会いに行くので無理。

しかし、良い体験をしてきた。

 

まさに「これで良いのだ」よん。これで。

 

BYE-BYE!

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うつ病が治らない人の共通点【精神科医・樺沢紫苑】

2019年07月13日 21時24分20秒 | とーま君の流儀2019

うつ病が治らない人の共通点【精神科医・樺沢紫苑】

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今日は朝からずっと千葉市にいた。明日は成田山新勝寺に行って、朝がゆをいただいてくる(^0^)。。。。。タノシミ。

2019年07月13日 20時27分03秒 | とーま君の流儀2019
今は20:27である。

今日は千葉市にいた。ずっといた。9時から午後5時まで。長かったなぁ。さっき帰ってきたのだ。夕方の7時頃。こっちはバイトではない。ボランティアである。電車賃すらでない。ボランティアだからである。ま、趣味の歴史の会だからだ。仕方ない。好きでやっているだけであるから。

テメェの勉強になるから、月に一度行っているだけである。こういうきっかけをいただいているだけシアワセを感じている。

ありがたいかぎりである。



明日は成田山新勝寺に行ってくる。朝の5時30分から護摩たき行があるからだ。モノ好きである。朝がゆもいただいてくる。さらに、講演会もある。全部無料である。ありがたいかぎりだ。年金暮らしには実にありがたい。

終わったら、不動明王様に御礼を言ってくる。私的な問題で、祈りを捧げていたからである。お守りもいただいてきたっけ。全部解決したから、お礼参りでもある。

そうなのだ。ボキはこれでも信心深いのである。マジにである。オノレの悪行を懺悔してくるのだ。

それにしても、ボキはまったく悪党である。そもそもが、定年まで仕事をさせていただくようなタマではなかったからだ。

でも、あれですなぁ。

悪党と言っても、自己評価が高いせいか、ボキは異性関係で問題を起こしたことはない。これからもないだろう。ますますそんなことは起こりうるはずがない(^0^)。

破壊されてしまった顔と性格である。

すべてはあきらめが肝心だからだ。

楽しいまま生きていれば良いだけの話だ。

ラクにである。

明日の成田山新勝寺が楽しみである。


BYE-BYE!


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「ひまわりI girasoli」サウンド・トラック

2019年07月13日 06時38分46秒 | とーま君の流儀2019

「ひまわりI girasoli」サウンド・トラック

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思い違い・勘違い・違いのわかるジジイになりたい(^0^)

2019年07月12日 07時01分48秒 | とーま君の流儀2019
思い違いをしていると、悩みの原因になっちまう。思い違いというのは、いろんな場面であり得る話である。とんちんかんな対応をしてしまって、それこそ落語にも出てきそうな話がたくさんある。人生相談をラジオで聞いていても、この思い違いというのはたくさんあって笑ってしまう。本人は相当深刻に考えているのだろうが、オイオイ!君はなんか勘違いしていませんか?と言いたくなっちまうからだ。特に、恋愛問題である(^0^)。

なぜそんなことを思うのかというと、およそ恋愛問題で悩む資格もないだろうと思うような方々が人生相談で相談しているからである。自分は、エリートだとか、美男子であるとか、美人だとか・・・・・・・まぁまぁ聞いていて飽きない。飽きるどころか、呆れてしまうからだ。

ずいぶん自己評価が高くありませんかと言いたくなってしまうからだ。自己評価の高いヒトは、他人をバカにする。自分以外は全部バカだと思っているのだ。これが実におかしい。笑ってしまうというのはそういうことである。

ボキは、自己評価が実に低い。かなり低い。挫折ばかりしてきたし、いまもなお挫折の連続である。それでも、バイトはやりたい。なぜなら、趣味があるからである。旅行もそうだし、読書もそうだ。要するに資金がかかる。それだけである。それがあるから、バイトしているだけである。ま、惚け防止にもなるからというもう一つの理由もあるが。

だから、高い自己評価なんか捨ててしまぇと申し上げたいのだ。そういうのを持っていると、固定観念にとらわれてしまう。つまり、オノレの立場や主義主張である。


選挙が始まったから、演説を聞いている。テレビである。ボキの住んでいる海岸線には誰も来ない。人口が少ないから、演説を聞くことがない。まったくない。

しかし、たまにテレビで演説を聞いていると相当に自己評価が高い御仁がたくさんいる。批判ばかりしているからである。そういうあんたはどうなの?と聞いてみたくなる。さらにある。財源保証をしないで、なんでもかんでも出費を楽にすると言っている御仁も多い。これも、ウソをつかれているとしか思えないではないか。

わははっははっはははっはははっはははっはははっはははっはっっはは。


今朝も歩いてきた。雨が降りそうだった。それでもMetsで9000歩以上は、いった。またまた、長生きできそうだよん。

思い違い、勘違い人生を歩むんだろうけど(^0^)。でもイロイロと違いはわかるようになってきたのかなとも思うですなぁ。ただのジジイだから。





BYE-BYE!


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ボキのスマホにスカウト電話がかかってきた。ありがたくて、涙が出たですよん。

2019年07月11日 16時25分33秒 | とーま君の流儀2019
バイトで行っていた某大学の駐車場にいた。授業が終わったからだ。あと二回しかできないなぁと慨嘆していた。そしたら、スマホに電話がかかってきた。そうなのだ。ボキでも、スマホを持っているのだ。意外だろうけど。

電話に出た。

なんとスカウト電話であった。感動したねぇ。人材派遣会社からだった。捨てる神あれば、拾ってくださる神もいたのである。感激した。またまたセンセ稼業のアルバイトである。非常勤。ただし、今度は遠い。

そういうわけである。

今日は二段構えの記事になった。

そんなわけである。

生き甲斐追究ジジイの本音丸出しである。

わははっははっはははっはははっははっははははっはははっはは。


BYE-BYE!
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あと3回でクビになる・・・・トホホ

2019年07月11日 06時49分32秒 | とーま君の流儀2019
さ、これからバイトだ。今月中でクビ。あと3回。大学での授業。こころ残りなく精一杯やって去るつもりである。後腐れ無くである。そして、また新しいバイトの世界に飛び込むつもりである。

これで良いのだ!

まさにバカボンのパパである。

これで良いのだ。

今朝も歩いてきた。もう9000歩を超えている。Metsである。

午後にまた打鍵してみようと思っている。今朝は時間がないから。

ま、これで良いのだ。時間が有り余っていたら、碌なことはしないからだ。

夜は塾もあるしなぁ。

わははっははっははははっはははっははっはははっははっはははっははは。

それではしばらく(^o^)/~~~でありまする。


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バカボンのパパは、こう言った。「これでいいのだ!」って(^0^)

2019年07月10日 06時50分09秒 | とーま君の流儀2019
赤塚不二夫センセの「天才バカボン」という漫画がある。けっこう笑ってしまう漫画である。これ、好きなのだ、ボキは。バカボンそのものではない。パパの方である。ハチマキと腹巻を身に付け、口元に髭を生やしている。 良い格好である。カッコ良い。無職で過ごしていた設定になっているが、テレビ局の意向で植木屋さんにさせられたようである。これも子どもの教育上良くないという理由だったらしいけど。

バカボンのパパは、熊本県の七城中学校・東京都のバカ田高校を経て、バカ田大学を首席で卒業。学級委員も務めた。大学時代のあだ名はキャロル、またはノールス(脳がいつも留守だから)。バカ田大学の卒業式の日、「東洋工業(現・マツダ)に入社してマツダ・キャロルを作るのだ」などと言ったことがあったが、結局は入社しなかった。妻であるバカボンのママと出会ったのも大学時代である。 (ウキペディアより引用)

れっきとしたインテリである(^0^)。

そして、いつも言っていたのが「これでいいのだ!」である。これって、実に味わいのある台詞である。ところがである。「バカボン」というのは、サンスクリット語で「ブッダ」を意味するのだそうな。バキャボンに近い発音らしいが、インド哲学はやったことがないからよく知らない。受け売りである。

「バカボン」は漢字でかくと「婆伽梵」または「薄伽梵」らしい。これまた受け売りだけど。意味は「煩悩を超越した徳のある人」らしい。優れた貴い人ということらしい。

作者赤塚不二夫は、 「下谷七福神」にバカボンの父を描いた絵を奉納している。その絵には、恵比寿神が描かれている。意図を感じる。赤塚不二夫の。

つまり自分の意識を自由にあやつる天才という意味になっている。偉大な天才は、禅をすることによって「無」を思いつき、これを妙薬にした。あるいは、すべての命はつながっていると「輪廻転生」を思いついた天才もいる。新興宗教に多いけど。また、すべてはうまく行っている・展開していると思えば、金儲けさえもできるとのたもう人物もいる。スピリチュアル系の人間たちである。自己満足こそ重要であるというスタンスでもって、救いを申し出ている人物たちもいる。

自分の意識を自由自在に操ることができるヒトこそ、まさに自由自在なるジジイであると思っているボキは、このバカボンのパパの言っている「これでいいのだ!」がまるでお経のように聞こえてくるのだ。

これでいいのだと言っていると、すこやかに老いていける。逆らってはならん。ジジイになったら、それを受け入れるこっちゃよん。いつまでも若いふりをしていると、どっかで破綻するではないか。

これでいいのだと思っていると、自分のことが好きになっていく。たとえどんなに悪行三昧で生きてきたとしても、そんなアホな自分が好きになっていくのだ。だからこれでいいのだ。

これでいいのだと思っていると、昨日どんなに難しい問題があったとしても、なんとかなるものなんである。

バカになれる、天才になれる。だからこれでいいのだ。バカと天才は紙一重であるからだ。

わははっははっはははっははっはははっはははははははっははっはは。

もうヤメヨウ。

これで十分であるから。


今朝も、五時前から歩いてきた。もう8000歩(Mets)は、いっている。Metsでなければ、9300歩。健康になるなぁ。しかも今朝は走ることもできたのじゃよ。ずいぶん回復したもんである。歩くだけではない。走れたのだ。感動した。

だんだん若くなっちまうではないか。

そのうち、赤ちゃんになったりして。1歳9ヶ月の孫(女児)と兄弟姉妹になっちまうではないか。孫をおね~~~~ちゃん!と呼ばなくてはならなくなったりして(^0^)。


これでいいのだ、これで。




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【初公開・23年前に製作されてお蔵入りになった番組】日航123便墜落事故検証特番

2019年07月09日 18時44分02秒 | とーま君の流儀2019

【初公開・23年前に製作されてお蔵入りになった番組】日航123便墜落事故検証特番

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血の巡りが良くないから・・・・・トホホ

2019年07月09日 06時41分48秒 | とーま君の流儀2019
血流が大事だ。マジにそう思った。昨日の太極拳講座を受講してである。気の流れというやつなんだろうけど。気があるかどうかはわからない。しかし、血流となるとなんとなくわかるような気がしている。

血流がうまくいっていないと、ボキのように下肢に血栓ができる。できたから16日間も巨大病院にいたのだ。あの時死んでいたら、こうやって冗談ブログを打鍵している暇もなかった。生きているだけでもありがたい限りである。今朝も、目が覚めたら生きていたからほんとうに心からありがたいと感じていた。そして、5時から歩き始めた。いつもの、ブラブラ歩きである。絶対に、腕を大きく振っていかにもウオーキングをやっていますという形式では無い。大股で歩きもしない。まったくのブラブラである。やる気があるのか?と言われそうだが。

わははっはははっはははっはははっはははっはははっはははっは。

なにを今更である。成果もなんも求められていないからだ。能力もねぇし。バイトでもまったく評価されていないし。だいいち、他人が眼中にないのだよん。認めてもらいたいとか、ごますりとかまったくないのだ。昔からそうだったけど。だから出世が遅れてしまったのだなぁ(^0^)。

どうでも良いような話ではある。

こういう性格だから、ある教授に心配されてしまったのかもしれない。師と仰ぐ先生とトラブっているのではないかと直接聞かれたこともあった。全然そんなことはなかったのだが、普段の行動が良くなかったのかもしれない。そうだとしたら、大いに(_ _ )/ハンセイすべきことであった。

ま、終わったことである。すべて終わったこと。

それに、今やっているバイトもこだわりがない。いつクビになってもおかしくないのだから、しがみつく必要もない。これまで、いろいろやらせていただいて感謝しているだけである。サラバである。まさに、サヨナラだけが人生である。そして、死んじゃうのだからなんにもコダワルことなんかないではないか。

昨日の太極拳講座を受講していて、思ったことである。


今朝は快適だった。晴れてはいないが、雨が降っていなかった。8000歩はいった。夕方もう少し歩くつもりである。それまでは、算数の勉強でもするつもりである。塾のためである。塾もいつクビになるかわかったものではないが。なぜって、休みが多いからである。旅行ばかりしているからだ。他のセンセよりも、かなり勤務日数が少ないからである。週に二日、時間にして総計3時間しか行っていないのだから(^0^)。

要するに、これもまた巡りがよくないのである。血の巡り?

チガイマンナァ。

アタマの程度がよくないんですなぁ。




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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/