団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

長崎平和宣言 2011

2011-08-20 08:07:53 | 社会
                   長崎平和宣言 2011

                                         2011年8月20日(土)

 今年の長崎の平和宣言は、私にとってとりわけ印象深いものでした。二つの意味において。①広島市の平和宣言との比較において、②核兵器の抑止論の本質を衝いた点において。




(長崎平和宣言)抜粋

 福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原発の安全神話をいつのまにか信じていました。
 世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。
 核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないでしょうか。1カ所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずです。


 
(広島市/平和宣言)抜粋

 東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。




 広島市の主張は一体、「核と人類は共存できない」ということなのか、それとも原子力の「平和利用」を容認するという立場なのか、どちらでしょうか。評論家ではないのですから、明確にする必要があるのではないでしょうか。




 私は、「核と人類は共存できない」と思っています。





 職場に、花のことについて全て知っている人がいます。ニチニチソウと教えてもらいました。

 2009年9月14日、長姉夫婦と4人で、長崎市の平和公園を訪れました。



















 母子像が多いです。



 ソヴィエト社会主義共和国連邦からの寄贈です。



 チェコスロバキア社会主義共和国からの寄贈です。



 憂いに満ちた顔が、子どもが死んでいることを暗示しています。





 

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