団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

二刀流橋下独裁

2014-04-01 07:18:42 | 政治

二刀流橋下独裁

2014年4月1日(火)

 「歴史を振り返っても対話で体制変更をした事例はない。江戸城の無血革命はあったが、明治政府をつくるには鳥羽・伏見の戦いに始まる戦争をやった。体制変更で身分を選ぶのに、話し合いで解決するのは絶対に無理だ」

 これは、3月27日の朝日新聞に掲載された、橋下徹大阪市長へのインタヴュー記事です。

 大阪で出直し市長選挙が行われ、橋下氏が再選されました。橋下氏は、「都構想」に関して議会の対応を批判し、「民意」を得るためだと選挙に臨み、一方橋下氏に対抗する側は大義なき選挙として、候補者を擁立しませんでした。このことは一体何を意味するのでしょうか。

 私は、今回の出直し市長選挙は、橋下流独裁を許すのかそれとも民主主義を守るのかが問われている問題と思います。

 橋下氏の独裁的手法については、数え上げればキリがありませんが、その特徴の一つは、弱い立場の者に対する執拗な攻撃です。大阪市職員がTVインタヴューで橋下市長に対して批判的なコメントを述べたところ、その職員を探し出し、「始末書」を書かせたということです。言うまでもなく、職員と言えども憲法に保障された思想・信条の自由はあります。「始末書」は職員に対する地方公務員法上の処分ではありませんが、橋下氏はそれに準じた意図で行ったと、私は思っています。勿論、先の職員の行為が地方公務員法に違反するということは、毛頭考えられません。

 冒頭の記事で明らかなことは、橋下流「独裁」は手法のみではなく、その思想において、正にアナクロニズム的であるということです。名付けて「二刀流橋下独裁」。

 明治政府が戦争により体制変更が行われたことを述べていますが、それは、議会という「民意」を反映するシステムがなかったからなのです。今、人類の歴史の到達点として、議会という代議制のもとで「民意」を反映する政治が行われており、戦争により体制を変更するということは否定された世の中になったのです。(注 橋下氏が言っている「戦争」は、今の世であれば「選挙で民意を問う」ということだというのは理解しているつもりです。正しくは、橋下氏の二元代表制を否定する考えが独裁思想ということです。)

 地方自治は民主主義の学校と言われています。大阪においてこの「二刀流橋下独裁」に対して、維新を除く他の主要政党が次の選挙で共闘する動きがでています。あの犬猿の仲と言われる公明党と共産党が「共闘!」するとは、両党共民主主義を守らなければいけないという危機感故と思います。「二刀流橋下独裁」のおかげで、大阪市民が「民主主義の学校」という場で、民主主義を守るためにはどのような行動を起こす必要があるかということを学んだことは皮肉なことです。

 

 

 

 

 

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