水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

音楽と文学

2009年02月16日 | 日々のあれこれ
 音楽と文学とは言葉のひびきが似ていると言えなくもない。
 その根本的な性質はけっこう似ていると言える。
 横浜の野中先生のブログで次のエピソードを読んだ。

~ 小学生が参加する、ある音楽の会で、芥川也寸志さんが、小学生の女の子に質問をされたという。
「音楽は何のためにあるのですか?」
 彼は答えたと言う。
「あなたのこれからの人生の中で、どうしても必要になるからですよ」
 うまいことを言うなあと思った。 ~

 音楽も文学も、人が生きていくうえで、どうしても必要なものではない。
 この二つを必要とせずに生きている人はたくさんいる。
 おそらく幸せな人が多いと思う。
 自分の夢に向かって、なんのためらいもなく突き進んでいける人。
 目標実現のために、日々の課題を毎日着実に消化していける人。
 そんな人たちにとって、のんびり音楽を聴く時間などは必要ではない。
 まして、主人公が女々しく(やべ、差別語?)うじうじと思い悩む小説など、読む気にさえならないだろう。
 音楽も文学も、なければないですむものだ。
 たとえば政治や経済の中枢にいる人で、そんなものは意識のうちにさえないという人もいるだろう。
 その作り手も、もともとは日陰者だった。
 ほんの数十年前まで、高校生が「文学部に進みたい」と言うと、「このごくつぶし!」と親に怒られたものだ。
 今でこそ、ミュージシャンだ、作家だとちやほやされるけれど、本質は変わっていない。
 うちに来ていただいているレッスンの先生にも、不況のあおりで仕事が減ったとおっしゃる方がいた。
 最初にきられるのが、自分たちですよ、と。
 でも、と思う。
 人はパンのみに生くるにあらず。
 ほんとうにめしが食えなくて、どうしていいかわからない時に、たまたま目にした一編の詩で、たまたま耳に入ってきたメロディーで、どん底から立ち直ることもあるのではないか。
 ただ順風満帆な人生をおくるのではなく、人生のどこかで、音楽や文学を必要としてしまう経験をするくらいの方が、人間的と言えるのではないか。
 などと、ほぼ毎日両方を必要としてしまう心の弱いオレとしては思うのだ。

 

コメント
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