前生徒会長の読む「答辞」を添削していたら、そして「お世話になった先生~」のくだりではなく「私たちを支えてくれた家族には心から感謝し~」のところで突然感極まってしまい、急遽トイレの個室にこもって涙をふいていた私はバカでしょうか。
午前は卒業式のもろもろの準備、午後は部員みんなに予餞会の機材搬入を手伝ってもらい、そのままリハーサル。先生方の歌の練習。昨日の練習では「なんか、みんな練習たりないよなあ、でも部活みたいにキレるわけにはいかないからなあ、学年主任て孤独だなあ」などと思いながら、ぐったりつかれて帰宅したが、さすがに今日のマイクを通しての練習ではいい感じになってきた。
その後、歌の前に上映するビデオの試写。
50分弱の作品になったが、たぶん3年生たちは、退屈することなく見続けてくれるものになったと思う。
3年おきの仕事だが、そのたびごとにグレードはあがっている。
もちろん編集をしてくれるOBよしだ君の力が一番大きいのだが、でも脚本も全体の構成も、だんだんよくなってきている。
毎回少しは成長しているのだ。フィジカルが衰える一方なのはしょうがないが、人としてのトータルではまだまだ落ち目ではないような気がする。
それは、昔ほど「よし、おれにまかせろ、おれがいちばんだ」的気負いが抜けてきたからでもあって、それは情熱の現象ではなく円熟とよびたいのだ(しかし好きなこと言ってますね)。
さすがに「おくりびと」を撮る監督にはなれない。
でも学年の先生方と、生徒に楽しんでもらえるレベルの作品なら作れる、というほどよい諦念と自負である。
石田衣良の小説を読んでたら、こんな一節があり、そうだよなあと思った。
~ 喜一は取り立てて文章などうまくはなかった。書くための練習を積んだこともない。しかし、若いころよりもずっと自由に言葉を扱えるようになっている。それが、自分でも不思議だった。理由のすべてがわかったわけではないが、喜一には思いあたることがふたつほどあるのだった。
ひとつはやはり年齢である。いつまでも若いと思っていた自分も年を取ったのである。四十歳という年齢は、言葉をつかうというむずかしい技術では、成人式に等しいのではないだろうか。ようやく下手は下手なりの文章を書けるようになる年なのだ。
もうひとつは、自分自身を見る目である。若いころのように、もう自分の力を過信してはいない。世のなかには、できることよりも、ずっとたくさんのできないことがある。さしてくやしさもなく、素直にそう認められるようになったのだ。自分を突き放し客観的に見ることも、自分を笑うこともできるようになった。
多くの人は、わかりきったことというかもしれないが、喜一にはそれはおおきなことだった。楽に生きられるようになったからである。身にあまる夢をもち続け、自分に過重な期待をかけるのは、つらいことだった。四十歳という年齢では、ほとんどの夢はかなうはずのない幻として、身体から自然に抜け落ちている。
まだ青春のさなかにある人間はいうかもしれない。夢も希望もない人生なんて生きる意味がない。だが、それが違うのである。ほんとうは自分のものではない夢や希望によって傷つけられている人間がいかに多いことか。本心では望んでいないものが得られない、そんなバカげた理由で不幸になっている者も、この世界には無数にいるのだ。
余計な荷物を全部捨ててしまっても、人生には残るものがある。それは気もちよく晴れた空や、吹き寄せる風や、大切な人のひと言といった、ごくあたりまえのかんたんなことばかりだ。そうした「かんたん」を頼りに生きていけば、幸せは誰にでも手の届くところにあるはずだ。 ~
(石田衣良『40(フォーティー)翼ふたたび』講談社文庫)
石田衣良といえば、毎日新聞の日曜版に載っている小説「チッチと子」をひそかに愛読している。だから明日は部活はないけど、学校にきて読まねばならぬ。
午前は卒業式のもろもろの準備、午後は部員みんなに予餞会の機材搬入を手伝ってもらい、そのままリハーサル。先生方の歌の練習。昨日の練習では「なんか、みんな練習たりないよなあ、でも部活みたいにキレるわけにはいかないからなあ、学年主任て孤独だなあ」などと思いながら、ぐったりつかれて帰宅したが、さすがに今日のマイクを通しての練習ではいい感じになってきた。
その後、歌の前に上映するビデオの試写。
50分弱の作品になったが、たぶん3年生たちは、退屈することなく見続けてくれるものになったと思う。
3年おきの仕事だが、そのたびごとにグレードはあがっている。
もちろん編集をしてくれるOBよしだ君の力が一番大きいのだが、でも脚本も全体の構成も、だんだんよくなってきている。
毎回少しは成長しているのだ。フィジカルが衰える一方なのはしょうがないが、人としてのトータルではまだまだ落ち目ではないような気がする。
それは、昔ほど「よし、おれにまかせろ、おれがいちばんだ」的気負いが抜けてきたからでもあって、それは情熱の現象ではなく円熟とよびたいのだ(しかし好きなこと言ってますね)。
さすがに「おくりびと」を撮る監督にはなれない。
でも学年の先生方と、生徒に楽しんでもらえるレベルの作品なら作れる、というほどよい諦念と自負である。
石田衣良の小説を読んでたら、こんな一節があり、そうだよなあと思った。
~ 喜一は取り立てて文章などうまくはなかった。書くための練習を積んだこともない。しかし、若いころよりもずっと自由に言葉を扱えるようになっている。それが、自分でも不思議だった。理由のすべてがわかったわけではないが、喜一には思いあたることがふたつほどあるのだった。
ひとつはやはり年齢である。いつまでも若いと思っていた自分も年を取ったのである。四十歳という年齢は、言葉をつかうというむずかしい技術では、成人式に等しいのではないだろうか。ようやく下手は下手なりの文章を書けるようになる年なのだ。
もうひとつは、自分自身を見る目である。若いころのように、もう自分の力を過信してはいない。世のなかには、できることよりも、ずっとたくさんのできないことがある。さしてくやしさもなく、素直にそう認められるようになったのだ。自分を突き放し客観的に見ることも、自分を笑うこともできるようになった。
多くの人は、わかりきったことというかもしれないが、喜一にはそれはおおきなことだった。楽に生きられるようになったからである。身にあまる夢をもち続け、自分に過重な期待をかけるのは、つらいことだった。四十歳という年齢では、ほとんどの夢はかなうはずのない幻として、身体から自然に抜け落ちている。
まだ青春のさなかにある人間はいうかもしれない。夢も希望もない人生なんて生きる意味がない。だが、それが違うのである。ほんとうは自分のものではない夢や希望によって傷つけられている人間がいかに多いことか。本心では望んでいないものが得られない、そんなバカげた理由で不幸になっている者も、この世界には無数にいるのだ。
余計な荷物を全部捨ててしまっても、人生には残るものがある。それは気もちよく晴れた空や、吹き寄せる風や、大切な人のひと言といった、ごくあたりまえのかんたんなことばかりだ。そうした「かんたん」を頼りに生きていけば、幸せは誰にでも手の届くところにあるはずだ。 ~
(石田衣良『40(フォーティー)翼ふたたび』講談社文庫)
石田衣良といえば、毎日新聞の日曜版に載っている小説「チッチと子」をひそかに愛読している。だから明日は部活はないけど、学校にきて読まねばならぬ。