水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

誰と

2009年03月05日 | 日々のあれこれ
 けっきょく「誰」なのだろうなと思う。
 どんなにおいしい食べ物も、誰と食べるかによって変わる。
 楽しさテッパンのはずのディズニーランドにしても、いっしょに行く相手によっては楽しくないこともあろう。
 ただしこの真実は危険な連想をよびおこす。
 けっきょく「誰」に習うのかが大事、と言えてしまうからだ。
 たとえば学校にはカリキュラムというものがあって、公立、私立を問わず、各校で智恵をしぼってつくりあげるものだ。
 「うちは、こんなすばらしいカリキュラムで勉強できますよ」とパンフレットを見ると書いてある。
 たとえば、大学受験を第一に考えて高校を選ぼうとする受験生が、その目的達成のために最もすぐれたカリキュラムを提供しているように見える高校を選んだとする。
 その子がどの程度満足するかは、「誰」に教わったかによる。
 カリキュラム自体がどんなにすぐれていても、教える中身が、教える人がつまんなかったら、どうしようもない。
 国語でいえば、早い時期に古文や漢文を多めに設定し、3年次には演習をたっぷり行えるようにしよう、選択でいろんな作品を読めるようにしよう、たんなる受験技術を超えて古典の奥深さを身につけさせるには、週何コマ用意して、こんな教材をこんな進度でやろう、などとわれわれは考える。
 でも、あの先生の授業5コマより、この先生の1コマの方が値打ちがあるなあ、なんて感想を持たれてしまうこともきっとあるにちがいない。
 
 こんなことを考えたのは、東良美季さんのブログでこんな文章を読んだからだ。

 ~ 世の中には、言葉は悪いが「けったくそ悪い金」というものが確実に存在する。嫌な上司に奢られた高い酒は不味いが、逆に気の合う仲間とワリカンで飲む安酒は美味い。お金とはそのように作用するものだ。すべてのお金の価値が一緒なら、道端で拾った金も一生懸命働いて稼いだ金も、人から盗んだ金も一緒になってしまう。だからお金には常に哲学がつきまとう。どのように稼ぎ何のために使うべきか、だ。「政治とは税である」という言葉があるように、政治家とは国民から預かった税金の使い道を決める職業だ。そういう人が、お金の善し悪しを判断出来ないのはやはりマズイ。何故なら繰り返すが、それは倫理の問題ではなく、「税金はこういうふうに使って皆さんを幸せに導きますよ」という希望を提示出来ないからだ。 ~

 小沢一郎氏の秘書逮捕を受け手の記事だ。
 なるほど、自分の子どもが初任給の中からくれた1000円と、パチンコで勝った1000円とでは、価値が異なるなあと思うと同時に、学生時代、友人達と呑んだ安酒のうまさを思い出した。
 愛おしい女性となら、高価なフレンチ(んなとこ行ったこともないけど)でなくても、カラオケボックスのチンしただけのフライドポテトがおいしい。
 政治家の先生たちも、若かりしころ安酒のうまさを経験していると思うんだけどなあ。
 2世、3世議員がだめなのは、そういうところかな。 
コメント
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