学年だより「みこみ予ほう機」
「こづかいを上げてもらえるみこみはあるかしら?」 「アッカンベー」
「すごくむずかしい宿題、できるみこみはあるかな」 「アッカンベー」
「このプラモをうまくつくれるかな」 「ベー」……。
「ベー」ばかりの答えがイヤになったのび太は、こう聞いてみる。
「しずちゃんと結婚して人なみにささやかに暮らしたい」 「ベー」。
「え? 人なみもだめなの? 死んでしまいたい … 」というのび太を、ドラえもんが慰める。
「今のままの君だったらってことだよ。あくまでも見込み予ほうだから」
「みこみ予ほう機」があったら、みなさんも訊ねてみたいだろうか。
自分の高校生活がうまくいくかどうか、志望校に入れるかどうか、インターハイに出られるかどうか、彼女ができるかどうか、夢が叶うか叶わないか……。
それを聞いた人に対する「予ほう機」の答えは、みなさんの予想どおり全て「アッカンベー」だ。
10年前、カラフィナのメンバーの前に「みこみ予ほう機」が置かれたなら、彼女たちは聞いてみただろうか、「あたしたち、うまくいきますか?」と。
大谷選手は尋ねるだろうか、「二刀流、成功しますか?」と。
もし聞いていたなら、答えは「アッカンベー」だったはずだ。
~「じゃ、ぼくがかわったら、未来もかわるの?」
「もちろん。思いきってぶつかってみることさ、くじけずに」
「みこみはぜったいにそうなるということじゃないんだよ。
いまのままのきみだったらってこと。
なんでもちょっとうまくいかないとすぐになげだすようじゃ、
ろくなことにならない。」
「じゃ、もしぼくがかわったら、未来もかわるの?」
「もちろん。思いきってぶつかってみることだ。
はねかえされても、くじけずに」
(藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん8』小学館) ~
2018年4月現在のみなさんの心の中には、さまざまな不安があることだろう。
「みこみ予ほう機」を目にしたら、つい聞いてしまうかもしれない。
「自分は大丈夫ですか?」「見込みはありますか?」と。
しかし、今必要なのは、自分の見込みをさぐることではない。
他の人から「無理じゃないか」「無謀なチャレンジだ」と言われる人は、いや言われる人「ほど」、自分の夢に向かってどんどん突き進んでいく。
決して、自分の見込みを判断してからやろうなどとは思わない。
むしろ「無謀な」夢、自分に向いてなさそうなこと、考えてもいなかったことこそ、チャレンジのしがいがある。まずは、何かにとりつかれたようにやってみようではないか。
あいつ、バカか? って言われる状態に入れたら、おそらく見込みはある。