水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ナツヤスミ語辞典

2019年06月07日 | 演奏会・映画など
 キャラメルボックス「ナツヤスミ語辞典」

真柴さんや成井さんまでが日替わりで出演する。いつものサンシャイン劇場ではなく俳優座劇場。前説に加藤さんが出てこない。
 ふつうなら届いているはずの次回公演のお知らせがきてない。勘のいい人ならもしやと思っていたのかもしれない。でもサポーターズ会員の年会費はふつうにひきおとされてたな……。
 今思えば、いつものキャラメルボックスとちがうことばかりの公演だった。
 芝居がはじまれば、そんな違和感など微塵も感じさせないどころか、テンションが高すぎるのではないかと思えるくらいで、若手もベテランもなくとびまわっている。
 キャラメルボックスに求めているのは、これなんだなとあらためて思う。このテンポ感とテンションが、膨大な情報量を処理すべき芝居を成立させる。だからキャラメルオリジナル以上に、「クロノス」「ナミヤ百貨店」「カギ泥棒」といった原作ものに自分的には心惹かれていた。まさか「ゴールデンスランバー」が舞台の上で成立するとも思わなかった。
 年に数回の公演を、この2、3年はすべて見ていた。どの公演もお客さんはいっぱいだった。それでも、と思う。お芝居を商業的に成功させるのはかくも大変なことなのか。
 初期の名作と名高い「ナツヤスミ語辞典」を初めて見ながら、この舞台は歴史に残るのではないか、どうやったらこの境地まで達することができるのかと茫然とし、早く夏の公演の案内がこないかと思っていたところの、活動休止ニュースだった。「ナツヤスミ」はずっと続くものだと、好きなお芝居は東京(埼玉だけど)にいればいつでも見に行けるものだと根拠なく思っていた。
 車で三浦雄太朗「さよならの向こう側」をききながら泣くことにした。残念だけど、感謝でいっぱいだ。
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論理的思考(2)

2019年06月07日 | 学年だよりなど

  2学年だより「論理的思考(2)」


 「新共通テスト」では、「思考力、判断力、表現力」を評価するための問題が作成される。
 産業構造や人間関係の変化、グローバル化といった世の中全体の変化に対応するために、自分でものを考え、自分で表現する力が必要だと強く考えられているからだ。
 大学入試センターの実施要項(国語)にはこうある。

 ~ 多様な文章や図表をもとに、複数の情報を統合し構造化して考えをまとめたり、その過程や結果について、相手が正確に理解できるよう根拠に基づいて論述したりする思考力、判断力、表現力を評価する。設問において一定の条件を設定し、それを踏まえ結論や結論に至るプロセス等を解答させる条件付き記述式とし、特に「論理(情報と情報の関係性)の吟味・構築」や「情報を編集して文章にまとめること」に関わる能力の評価を重視する。 ~

 「よし、これからは論理的に考えよう!」「論理に気をつけよう!」と思っただろうか。
 その意気やよし、しかし考えたからといって実践できるものではないし、言葉で習って身につくものではない。
 水泳や自転車を言葉で習っても、実際に経験してみないことには身につかない。
 知っているとやってみるとは、大きくちがうのは、勉強でも仕事でも同じだろう。
 学生達に論理的思考を身につけさせたいと考える宇佐美寛氏は、論理的思考について説明しない。
 教師の説明を聴いた学生は、わかった気になる。
 教える側が上手であればなおさら、学生は何か身につけた気持ちになり、実際には何も身につけていない状態になる。つまり「上手な」講義ほど害が大きいことにさえなる。


 ~ では、もっともしんどく頭を使って緻密に考えるには、どうしたらよいか。教師である私としては、学習者であるあなたがたに何をさせたらよいのか。それが問題です。
 緻密に正確に考えるとは、緻密で正確な言葉を使って考えることです。言葉を、なるべく意識的に検討しながらしんどく考えるには、緻密・正確な文章を書くのがきわめて良い方法だと私は思っています。これに対して、口頭で話し聞くのは、緻密・正確という点では、だいぶ劣る方法です。時間の制約があり、ある定まった速度で話し聞かねばならないからであり、表情・手ぶり・声の質に助けられ、また、それをあてにして話し聞いているからです。だから、例えば、討論をしても、たがいに意見のどこがどう違うのかをじっくり確かめあうことが多くの場合、時間内では困難です。また、話が実はわかっていないのにわかったような気になってしまうことが多いのです。 (宇佐美寛『論理的思考』メヂカルフレンド社) ~


 宇佐美氏は、毎時間学生に作文を書かせ、それをもとに講義をするという方法論を用いる。
 自分で作文を書くという行動をとったあとに、つまり当事者になってはじめて講義の内容が理解できるからだ。
 今みなさんに必要なのは、とにかく「書く」という作業であることは理解できるだろうか。
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