~ あるところに一匹のねずみの奥さんがいました。このねずみは、家ねずみで、庭ねずみでも野ねずみでもありません。家ねずみたちは外に出ていくことはなく、家の中が全世界です。でも、ねずみの奥さんは、他のねずみたちとちょっと違っていました。ときどき、窓の敷居の上にそっと登っていっては、ガラスに額を押し付けて外を観ていたのです。春のは色とりどりの花が庭に咲き、冬には木々が雪で白くなります。しかし、ねすみの奥さんにはそういうものが何なのか、わかりません。そんなある日、一羽のキジバトがカゴに捕らわれやってきます。キジバトの語る窓の外の世界に胸躍り、心を寄せていくねずみの奥さん。……しかし、そのとき。 ~
原作の「ねずみ女房」は、出版以来さまざまな解釈が述べられてきたという。
ミュージカル化された「グッバイマイダーリン★」も、観た人それぞれがそれぞれの思いを抱くだろう。
本校の男子生徒70名も70通りの感じ方をしたはずで、そのどれかが正解ということはない。
中身よりも歌とダンスはすごかったと言う子、ふつうにおもしろかったですよと今風に「ふつう」と言う子、とにかく迫力がやばい言う声をきいた。リハーサルの緊迫感におののいた子も多かったようだ。
観劇された保護者のみなさまはどうだったろう。「家庭にとらわれずに外に出よう」とか「アバンチュールしちゃおうかな」などの方向にむかってらっしゃらないだろうか。
一昨年、森彩香さんがねずみ女房を演じた初演をみたとき、正直中身はよく掴めなかった。むしろ森さんという新鋭の登場への驚きが大きかった。今回の、草月ホールでの公演は前回とは大きく変わっていた。
この作品を「音楽座ミュージカル」という形にしようという思いの強さは、初演のときから変わらないのだろうが、音楽座らしいダンスナンバーが増え、人間らしい人間を描ける日本唯一の劇団らしく効果的なサイドストーリーをからませながら、言いたいことが複層的に積み上げられた別作品に生まれ変わっているように思えた。
……というのも個人的に感想にすぎず、あえて言葉にしなくてもいいとカンパニーの方は言うかもしれない。
たしかに、菜々さん、広田さん、安寿さんの美しいアリアに酔いしれ、同学年の新木さんの美声にひたり、波奈さん、祥子さんが踊っているのをみれればいい。わかろうとするより、感じることの方が経験としては大切なのだ。それこそが生きる活力になる。
仮にそれほど面白くなかったと思った子がいても、蓄積された経験は、表現する人の「はしくれ」である我々にとって何らかの糧になるはずだ。
原作の「ねずみ女房」は、出版以来さまざまな解釈が述べられてきたという。
ミュージカル化された「グッバイマイダーリン★」も、観た人それぞれがそれぞれの思いを抱くだろう。
本校の男子生徒70名も70通りの感じ方をしたはずで、そのどれかが正解ということはない。
中身よりも歌とダンスはすごかったと言う子、ふつうにおもしろかったですよと今風に「ふつう」と言う子、とにかく迫力がやばい言う声をきいた。リハーサルの緊迫感におののいた子も多かったようだ。
観劇された保護者のみなさまはどうだったろう。「家庭にとらわれずに外に出よう」とか「アバンチュールしちゃおうかな」などの方向にむかってらっしゃらないだろうか。
一昨年、森彩香さんがねずみ女房を演じた初演をみたとき、正直中身はよく掴めなかった。むしろ森さんという新鋭の登場への驚きが大きかった。今回の、草月ホールでの公演は前回とは大きく変わっていた。
この作品を「音楽座ミュージカル」という形にしようという思いの強さは、初演のときから変わらないのだろうが、音楽座らしいダンスナンバーが増え、人間らしい人間を描ける日本唯一の劇団らしく効果的なサイドストーリーをからませながら、言いたいことが複層的に積み上げられた別作品に生まれ変わっているように思えた。
……というのも個人的に感想にすぎず、あえて言葉にしなくてもいいとカンパニーの方は言うかもしれない。
たしかに、菜々さん、広田さん、安寿さんの美しいアリアに酔いしれ、同学年の新木さんの美声にひたり、波奈さん、祥子さんが踊っているのをみれればいい。わかろうとするより、感じることの方が経験としては大切なのだ。それこそが生きる活力になる。
仮にそれほど面白くなかったと思った子がいても、蓄積された経験は、表現する人の「はしくれ」である我々にとって何らかの糧になるはずだ。