水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「山月記」の授業(7) 補足問題

2019年06月10日 | 国語のお勉強(小説)
今年の授業で効果的だった(気がする)問題。

Q19.5「我々生き物のさだめだ」の「我々生き物の」という言葉には、無意識のうちにどのような真理が働いていると考えられるか。(60字以内)
A19.5 自分の身に起こった特殊な事態を全ての生き物に起こりうることと一般化し、
    自己の責任を回避しようとする心理。

Q24.5「此夕渓山対明月 不成長嘯但成嘷」には、どのような思いがこめられているのか。(50字以内)
A24.5 人として生きることができなくなった運命は、
    もう自分ではどうすることもできないという嘆き。

Q36.5 自分が詩家として名をなすことができなかった理由を、どう述べているか。(30字以内)
A36.5 才能の不足が暴露することを惧れ、努力を怠ったから。

Q36.6「おれよりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいる」という言葉から、どのような気持ちがうかがえるか。(50字以内)
A36.6 自分が詩家になれなかったのは、あくまでも努力不足が原因であり、才能がなかったのだとは考えたくない気持ち。

Q36.7 過去の自分を反省する言葉を述べているようで、依然として自己の責任を回避しようとする心理が働いている言葉を抜き出せ。
A36.7 ちょうど、人間だった頃、おれの傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように
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論理的思考(3)

2019年06月10日 | 学年だよりなど
論理的思考(3)


 当然、講義中はノートをとらなければならない。なぜか。


 ~ ノートをとるということは、教師の話の内容を分析・整理することです。例えば、次のようなことを考えながら聞くことになります。教師は今、何の主題について何を主張しているのか、その主張はどんな理由づけに支えられているか。ある事実はその主張を強める例になっているか、それとも反対の働きをする例なのか。何が主要な主張であり、何は副次的なのか。……
 とにかく、ノートをとるためには、講義内容を筆記しなければなりません。筆記するためには、今言ったように、ある構造を把握せざるを得ないのです。いわば何が幹であり、何が枝、葉であるかを区別して書くことになります。
 このような頭の働きが大事なのです。ノートをとるのは、頭をのんびりさせないため、しんどく考えさせるためです。 ~


 たとえば授業を録音するのは、ノートでの記録とは全く性質が異なる。
 録音することによって安心がもたらされる、つまり授業中頭をたるませてしまうという、ノートをとることとは真逆の意味をもつ行為だ。


 ~ ノートをする主たる目的は、考えながら聞くということです。もちろん、記録も出来ます。記録しておいて、あとで読みなおすということも出来ます。しかし、それは重要ではありません。記録することではなく、内容を整理して頭の中に入れることが大事なのです。頭に入ってしまえば、ノートは要らなくなるといってもいいくらいです。ノートではなくノー(脳)がかんじんなのです。
 一般に試験の前になって他人のノートを借りてもだめだというのも、同じわけです。他人のノートは他人の思考の産物であって、自分の思考は入っていません。自分の思考を通した内容、その意味で自分が責任を持つ内容でなければ覚えにくいのです。
 試験の前に学習内容をひとに教えるといいというのも、これです。口に出して弟や妹に教える、逃げられて、だれもいなくなったら、猫にでも教えるのです。口に出して言うためには、自力で考えて、ある種の整理をしなければならない。それがいいのです。 (宇佐美寛『論理的思考』メヂカルフレンド社) ~


 板書をただ写しただけのノートと、情報を脳に通しながら書いたノートとでは、見た目はそんなにかわってなくても、自分の頭に残るものはまるっきり異なる。
 もちろん、鉛筆で字を書く行為は脳の直接つながっているので、写すだけでも効果はある。話をきいただけの授業は、翌日ほぼ「無」になっている。
 高3のノートを見ると、どの大学に受かりそうなのかは、ある程度予測ができてしまうものだ。
 今の段階から、頭を使ったノートをとるようにしてみよう。作業ではなく勉強をするために。
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