1学年だより「高校時代にしておく50のこと」
「成績が上がらない」と悩む人がいる。相当数いると思う。
不思議なことに、その相当数の人はそれほど下降もしていない。
川越東高校の1年生という単位で見た場合、多くの人はそれほど上下動していない。
一年間ずっとクラスで10番くらいだったり、ずっと学年で300番だったり。
つまり、多くの人が自分の実力をキープしていると言える。別の言い方をすれば多くの人が同じくらい停滞している。
あえて言うが、みなさんが今取り組んでいるレベルの勉強は、たいしたことはない。
ふつうにやれば大体は身に付く。
得意不得意や相性はあるだろうが、本質的問題ではない。
成績があがらない原因を純粋にさぐってみるなら、自分に問題があるはずだ。
それなのに部活で時間はないとか、教え方が悪いとか、環境に恵まれないとか、自分以外に理由を探しているかぎり、ここから脱することはできないだろう。
生きるために必要なことと部活動の時間以外の全てを、勉強してみてからではないか。
電車の中でぼおっとしてたり、ゲームをしてる人にかぎって、時間が足りないとか言いがちだ。
~「頑張っているわりに、結果が出ていない」と言います。
でも結果はすぐに出るものではないのです。
僕はサラリーマン時代、「明日までにラーメンのコピーを300本書いてこい」と言われました。
僕は「わかりました」と言って、500本書いていきました。
面白いコピーでなくていいのです。
面白いものを書くことが、目標ではないのです。
「300本書いてこい」と言われて、500本書いていくのが結果です。
「300本」と「500本」は、ハッキリ数字の上で違うのです。
スポーツなら明快です。
「一生懸命やれ」と言われたら、今の2倍の練習をするしかありません。
決して気合いを入れてやるということではないのです。
「頑張る」という言い方は、抽象的です。
僕は「頑張らなくていいから、2倍やれ」と言います。
頑張るか頑張らないかは、関係ないのです。
夏休みに読む本も、他の人が10冊読んだら、自分は20冊読みます。
それだけのことなのです。 (中谷彰宏『高校時代にしておく50のこと』PHP)~
「頑張る」必要はない。そう言ってる時点で、頑張らない自分が基準になっているから。
やるのが普通のからだになればいい。頑張らなくていいので、まず倍やってみよう。
「成績が上がらない」と悩む人がいる。相当数いると思う。
不思議なことに、その相当数の人はそれほど下降もしていない。
川越東高校の1年生という単位で見た場合、多くの人はそれほど上下動していない。
一年間ずっとクラスで10番くらいだったり、ずっと学年で300番だったり。
つまり、多くの人が自分の実力をキープしていると言える。別の言い方をすれば多くの人が同じくらい停滞している。
あえて言うが、みなさんが今取り組んでいるレベルの勉強は、たいしたことはない。
ふつうにやれば大体は身に付く。
得意不得意や相性はあるだろうが、本質的問題ではない。
成績があがらない原因を純粋にさぐってみるなら、自分に問題があるはずだ。
それなのに部活で時間はないとか、教え方が悪いとか、環境に恵まれないとか、自分以外に理由を探しているかぎり、ここから脱することはできないだろう。
生きるために必要なことと部活動の時間以外の全てを、勉強してみてからではないか。
電車の中でぼおっとしてたり、ゲームをしてる人にかぎって、時間が足りないとか言いがちだ。
~「頑張っているわりに、結果が出ていない」と言います。
でも結果はすぐに出るものではないのです。
僕はサラリーマン時代、「明日までにラーメンのコピーを300本書いてこい」と言われました。
僕は「わかりました」と言って、500本書いていきました。
面白いコピーでなくていいのです。
面白いものを書くことが、目標ではないのです。
「300本書いてこい」と言われて、500本書いていくのが結果です。
「300本」と「500本」は、ハッキリ数字の上で違うのです。
スポーツなら明快です。
「一生懸命やれ」と言われたら、今の2倍の練習をするしかありません。
決して気合いを入れてやるということではないのです。
「頑張る」という言い方は、抽象的です。
僕は「頑張らなくていいから、2倍やれ」と言います。
頑張るか頑張らないかは、関係ないのです。
夏休みに読む本も、他の人が10冊読んだら、自分は20冊読みます。
それだけのことなのです。 (中谷彰宏『高校時代にしておく50のこと』PHP)~
「頑張る」必要はない。そう言ってる時点で、頑張らない自分が基準になっているから。
やるのが普通のからだになればいい。頑張らなくていいので、まず倍やってみよう。