水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

コーダ あいのうた(2)

2022年01月25日 | 学年だよりなど
1学年だより「コーダ あいのうた」(2)


 兄の気持ちも複雑だった。自分は聴こえず、妹は聴こえる。
 家族の中心として、なくてはならない存在である妹に対して、兄としての嫉妬心もあっただろう。
 港で魚の値段を自分で交渉しようとし、安く買いたたかれてしまいそうな兄を見て、ルビーが割って入る。「うるさいおまえは口を出すな!」とけんかになる。
 しかし、妹の進路を真っ先に考えていたのも、兄だった。
 「おまえなんかいなくても、俺たちはやっていけるんだ。はやく音大でもどこへでもいけ!」と妹の背中を押す。世界が広がる可能性をもつ妹への兄のやさしさだった。
 両親は迷っていた。いくら才能があるといっても、それで生きていけるなどとは思えない。
 娘の才能とやらを実感できないことも、親としてはつらかった。
 家族は娘の発表会に出かける。当然歌声は聴こえない。
 しかし、盛大な拍手をおくり涙まで浮かべる観客の様子を見て、娘の可能性を感じた。
 その夜、父親はルビーにもう一度歌ってくれという。
 星空の下、庭のテーブルに並んで座る二人。ルビーが歌い始める。
 父親がルビーの喉を優しくつつんで、その声を感じようとする(個人的にはこのへんからエンディングまで泣き続けていました)。


~ このシーンを観ながら、ぼくは10代の頃を思い出していた。当時はまだ聴こえない両親の存在をうまく咀嚼できておらず、しばしばふたりと衝突した。本当に伝えたい気持ちが、自分の手話では表現できない。結果として、その頃のぼくは、両親とわかり合うことを放棄した。聴こえるぼくと、聴こえない両親とが意思疎通するなんて無理なのだ。自身にそう言い聞かせて、なにもかもを呑み込んでしまった。
 けれど、ルビーの歌声を父親が懸命に感じ取ろうとする様子を観て、“違い”を越える強さを知った。その強さは“愛”だ。
 いま、社会は、一人一人の違いに気づき、ともに生きて道を模索している最中にある。そんな潮流のなかで生まれた本作は、ひとりのコーダの生き様を通して、違いとどう向き合っていくのかをぼくらに問いかけてくる。
 それは簡単ではないかもしれない。でも決して無理なことでもない。
 ラストシーンに映ったルビーたちの笑顔を思うと、そんなふうにこの社会に希望を持ちたくなってしまうのだ。                         (五十嵐大「コーダ あいのうた」パンフレットより)~


 その日母は、ルビーが生まれた時の気持ちを正直に語り、好きなことをやりなさいと言う。
 魚を一方的に買い叩かれないように、父とともに漁業組合をつくろうと兄は決心する。
 音大に合格し、いざ寮生活へと出発する日、なかなか動けないルビーに父親が「GO!」と叫ぶ。
 ルビーの旅立ちを家族が見送る話ではなく、家族全員が一歩踏み出す物語だ。
 ぜひ、劇場へ!
コメント
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